たかおじょう

高尾城

愛媛県西条市


旧国名 : 伊予

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登城口
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赤い城

シダを掻き分け (2024/03/04 訪問)

南側、横峰寺参拝の駐車場あたりからのルートがあるようですが今回は北西側からアタックしました。
説明板がある氷見公益会に車を置きました。
登城口が分からなかったので農作業中の近所の方に聞き込み。
伊予弁なのとご高齢で全て聞き取ることは出来ませんでしたが「あの山の向こう」「川を渡る」「高速をくぐる」はわかったのでそれを頼りにGO。

これまで培ったルートファインディング力は伊達ではなく登城口を発見、登ります。
登城路は冬でもシダで覆われていますが道はありました。

手前の山から尾根伝いに繋がっていてトラロープが張られた急坂を登ると主郭に着きます。
何故か白いベンチが置いてあり眺望も良いです。
主郭には土塁が付いていてその奥南側に堀切が三条施されています。
深さもありなかなかの見ごたえでした。

高峠城主の石川通清が剣山城の黒川氏に備えた城です。
その後、金子氏が入りましたが小早川隆景の伊予侵攻により落城しました。

夏は厳しいと思いますが遺構がよく残る良い城でした。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征5日目:高尾城 (2022/07/24 訪問)

荏原城からの転戦です。登山口前の空スペース(33.881076、133.123830)に駐車しました。
「高尾城跡 登山口」の石碑の横より橋を渡って用水路の土手に出て攻城しました。

築城年代は定かではないようですが、享禄年間(1528年〜1532年)に高峠城の支城として、高峠城主石川通清によって築かれたと云われています。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐で、小早川隆景が伊予に侵攻します。
高峠城主石川若竹丸はまだ幼く、重臣達によって協議した結果、金子城主金子元宅の意見が通り高峠城に籠って小早川隆景と対することとなりました。
元宅は金子城を弟金子元春に守らせ自身は総大将として高峠城に入り、宇高城主高橋美濃守を高尾城に籠らせました。
小早川隆景率いる2万とも3万ともいわれる軍勢が怒涛の攻撃を仕掛け、美濃守らは良く防戦したが、遂に落城し城に火を放って自刃したそうです。

主郭は山頂にあり南に高土塁、北西に低土塁が残っています。主郭の南背後に堀切があります。
防虫ネットが蜘蛛の巣だらけで蜘蛛までついていました。
下山中、右ひざを木の株にぶつけてしまい出血負傷。足をひきづりながら下山しました。
攻城時間は65分くらいでした。次の攻城先=土居構に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 石川通清
築城年 享禄年間(1528〜1532)
主な城主 石川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建造物
住所 愛媛県西条市氷見丁