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にのまる

【かるた】丸岡城の読み札

石瓦の 天守現存 丸岡城

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にのまる

【かるた】金沢城の読み札

1)三御門 揃いて堅し 金沢城

2)加賀百万石 栄華を誇る 金沢城

3)本丸に 古城の面影 金沢城

4)惣構え 二重に巡る 金沢城

5)石垣の 極み見せたり 金沢城

6)石垣に 魅せられ日暮れて 金沢城

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にのまる

【かるた】七尾城の読み札

1)松竹梅菊亀虎龍 七つの尾根の 七尾城

2)謙信も 眺望絶賛 七尾城

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にのまる

【かるた】高岡城の読み札

1)馬上より 利長見守る 高岡城

2)泰平を 水面(みなも)に映す 高岡城

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名古屋城 (2023/03/25 訪問)

日本百名城

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一乗谷城 (2023/03/05 訪問)

日本百名城

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丸岡城 (2023/03/05 訪問)

日本百名城
現存12天守

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松平城 (2023/01/22 訪問)

国史跡(松平氏遺跡)

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大給城 (2023/01/22 訪問)

国史跡(松平氏遺跡)

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苅屋城 (2023/02/23 訪問)

水野忠政築城

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野田城 (2023/02/19 訪問)

新城市指定史跡

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長篠城 (2023/02/19 訪問)

日本百名城

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岩崎城 (2023/02/12 訪問)

小牧・長久手の戦い(岩崎城の戦い)

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安祥城 (2023/02/11 訪問)

安城市指定史跡

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本證寺城 (2023/02/11 訪問)

国史跡(本證寺境内)

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カズサン

丑寅櫓・北多門櫓・戌亥櫓へ登台 (2023/03/21 訪問)

 津城本丸北側の城塁は、丑寅三重櫓台から南に東多門櫓台が伸び現在南端に模擬三重櫓が昭和33年建立、南端は黒鉄門桝形跡に続く、丑寅三重櫓台の西に北多門櫓台が伸びて北西角に戌亥三重櫓台が在り南に折れて西多門櫓台、西黒鉄門枡形へと続く、現在両方とも枡形遺構ほぼ消滅して根石、基礎、案内板があるのみ。
 模擬三重櫓を近くで見学するために丑寅三重櫓台の本丸側北東角に階段があり登って行く、模擬三重櫓を見学の後、丑寅三重櫓台の上へ、東端から北多門櫓台上、戌亥三重櫓台上、南に折れて西台上、西黒鉄門桝形跡で石垣は現在消滅行き止まり。西の丸を眺めて、北多門櫓台からは北側の内濠を見下ろし、また東に西にと見通す、ガイドの方に北多門櫓の復元構想を聞いた後でしたので、一層復元の櫓群が頭をよぎり妄想が膨らみました、待たれ復元北多門櫓群?生きてる内に見たいものです。
 

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トク

熊本城の復旧状況(2023春) ⑦ 西大手櫓門とその周辺 (2023/03/30 訪問)

西大手櫓門は、現在解体保存されています。石垣も二の丸などに保存され、粟石が崩れないよう金属ネットで防止措置がなされていました。西出丸には工事関係者用のプレハブが立ち並び、ちょっと景観はよくないですが、これは仕方のない事ですね。(写真①②)

同じく一本足で有名になった戌亥櫓も解体保存され、未申櫓とともに石垣は崩落したまま無残に放置されていました。草も生え荒れ果てていた光景がなぜか少し悲しかったです(写真③)。この北側エリアの復旧は、最も後回しになっているようです。またこの西出丸周辺には、番号を付けられた石垣がたくさん並べられている場所にもなっていました。さらに棒庵坂の下の広大な場所には、大量の石垣の石が並び、寄せ集められた粟石が積み上げられていました(写真④)。

(穴場撮影スポット)
少し西大手櫓門からさらに歩きますが、そこには清正公を祀った「加藤神社」があります。実はここからは、大天守・小天守の並んだ姿や宇土櫓がよく見えます。比較的人が少ないので穴場スポットです。時間があればぜひ寄ってみて下さい。(写真⑤⑥)

(休憩場所)
見学に歩き疲れ休憩したくなったら、「城彩苑」へお越し下さい。そこにある「わくわく座」ではありし日の熊本城を再現したVR映像や、おもしろおかしい寸劇などが行われています。有料ですが天守との割引セット券を購入するとお得に入れますので、是非見て下さい(写真⑦)。また苑内は簡単な軽食から、熊本郷土料理の店、おみやげ屋が並んでいます。ここはずいぶん賑わっていました。私は小腹がすいたので、揚げ物(辛子蓮根)と地ビ-ルでちょい飲み休憩しました。(写真⑧⑨⑩)

次は、いま一番問題となっている「宇土櫓」の現状です。
 

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イオ

【かるた】高取城の読み札と絵札

山上に 聳ゆる石垣 高取城

比高300m超の山上のいたるところに壮大な石垣が築かれている、そのとてつもない土木量を考えると空恐ろしいほどです…。
 

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にのまる

日没前のデザート訪城 (2023/03/04 訪問)

そろそろ30,000歩を超えそうな夕刻、最後にあと1城!とよくばって行ってみました。
拝観は予約制のため叶いませんでしたが、フェンス越しに土塁跡(多分)を確認しました。

「高槻まちかど遺産」の標示板をこの日はいくつも見かけたのですが、普門寺のすぐ近くにも「旧富田小学校の門柱」と「普門寺前の道標と尼崎道」がありました。「普門寺前の道標と尼崎道」の方に<山崎合戦前日、尼崎から進軍した羽柴秀吉の軍勢が富田に着陣した……>とあり、この日朝いちばんに行った山崎城を早くも懐かしく感じました。

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にのまる

Only one♪ (2023/03/04 訪問)

個人のお宅の前に城址碑のみという現状を納得したうえで高槻城より徒歩で向かいました。

この芥川城と区別するために山城の方は「芥川山城」と呼称されてきたそうですが、芥川山城リーフレットには、昨年11月に国史跡に指定された際に『最新の調査研究の結果、戦国時代の史料に見える「芥川城」がすべて三好山にある山城を指すことが判明したため「史跡芥川城跡」と改められた』とありました。
これからはどちらも「芥川城」と呼ばれるのかなぁ?と思いましたが、国史跡でも伝承の地でも、呼称が同じであっても、それぞれが世界にひとつだけの城♬

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