みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

じゅんじん

牛久城の支城 (2023/03/21 訪問)

大きなお城です。土塁が残っていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

江戸城の門2 (2023/04/29 訪問)

江戸城の門 前回の続き、正門から投稿させていただきます。

7、正門(西の丸大手門) 正門に続く正門石橋とその奥にある、正門鉄橋の二つの橋を総称して、二重橋と言われ撮影の定番となっています。
8、坂下門 この門は、宮殿のある西の丸造営後に造られた門です。老中安藤対馬守が水戸浪士の襲撃を受けた「坂下門外の変」の現場でもあります。
9、桔梗門 坂下門から蛤濠を沿って歩くと桔梗門に着きます。桜田門が外桜田門と呼ばれ、桔梗門は内桜田門と呼ばれました。
10、大手門 1607年藤堂高虎公によって建造され、江戸城修復に際し伊達政宗公が現在のような枡形の城門にしています。大手門の警備は極めてかたく、鉄砲30丁、弓10張などが常備され譜代10万石以上の大名が警備していたとされています。
11、平川門 この平川門は御三卿の登城門で大奥に最も近い門で大奥女中の通用門として使用されていたようです。この門は、当時のまま、高麗門・渡櫓門・枡形が残っており、この三つが残っているのは、大手門、桜田門、桔梗門と4箇所のみです。

今回、江戸城を4月8日と4月29日両日に訪ね、やっぱり「江戸城は素晴らしい」(*^▽^*)と感じました。城の規模・城の美しさ等、どれをとっても日本一だと感じました。(天守閣が残っていないのは残念ですが)
ただ、4回訪問した内、2回、5割で皇居外苑の警備にあたっているいる、警察官に注意を受けました。「柵内に入らないで下さい」と、夢中になり過ぎて、ついつい(>_<)、皆様もご注意ください。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

玄関 (2023/03/21 訪問)

陣屋の玄関が現存です。小学校の入り口に説明板がありました。本丸の神社にも行きました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

二塚城 (2023/04/02 訪問)

【二塚城】
<駐車場他>石碑の場所に車を寄せて駐車しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日北陸山城攻めの旅2日目6城目。この城跡は下調べせず行って、現地に説明板もなにも無く、よく意味の分からない碑があったので、後で調べて個人サイトの方のを引用しました。二塚城は太刀城ともいう。鎌倉時代後期に越中守護の北条時有(名越時有)(以下名越時有)によって築城され本城の放生津城の支城的役割の城だったようです。名越時有は後醍醐天皇が隠岐の島に配流された時に皇子である恒性皇子を二塚に幽閉します。後醍醐天皇が隠岐の島を脱出した際に反乱を恐れて名越時有は恒性皇子を殺害します。墓陵が城跡碑の南にあります。恒性皇子に従った皇子や近臣であった勧修寺家重・近衛宗康・日野直通も首をはねられさらされます。現地の「三ヶ首」の碑はこのことかと思います。その後反幕府勢力が越中国に押し寄せてきて、名越時有は二塚城は放棄し放生津城へ撤退するも落城して自刃します。
 現地の「鐘堀」は名越時有が梵鐘を2つ造らせ1つは城の時鐘、1つは寺に寄進したそうですが2つともなくなったそうです。後世に1つが二塚城の堀跡から発見されて南にある浄誓寺の釣り鐘になっているそうです。
 前述の通りちょこ城と思い、ちゃちゃっと写真だけ撮ってしまいましたが、後から調べて血なまぐさい歴史がある城だったとは知らず、皇子の墓陵もお寺さんの鐘も見ずじまいでおしいことをしました。碑を3つもつくるなら、現地に説明板くらい欲しかった。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

じゅんじん

縄張り (2023/03/11 訪問)

比企のお城はいいお城が多いです。
杉山、菅谷、松山、小倉もよかった。ここも山頂周りは巧みな縄張りでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

眺め抜群 (2023/03/11 訪問)

神社まで急坂でした。景色は抜群。立地よきです。神社裏手は遺構が残っておりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

重忠公の家臣 (2023/03/11 訪問)

本田氏のお城です。今でもご子孫が住んでいます。裏手には土塁があるらしいですが控えました。

+ 続きを読む

じゅんじん

武士の鑑 (2023/03/11 訪問)

大河ドラマのヒーローでしたね。産湯の井戸やお墓がありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

肉球

山吹陣屋・長野県高森町 (2023/04/28 訪問)

元々この付近を治めていた座光寺氏が関ヶ原の戦い後に
1400石の交代寄合旗本として幕末までこの地を治めようです。
跡地には大手門の石垣が残されています。

+ 続きを読む

肉球

片桐陣屋・長野県松川町 (2023/04/28 訪問)

飯田藩脇坂氏によって1626年御茶屋御殿が築かれ
脇坂氏が1672年転封になると天領となり天領陣屋として
利用されたのが片桐陣屋のようです。
数年で建物が倒壊したのを機に宿場にある問屋大沢邸が
仮陣屋として利用されたが1677年近くに創設された
飯島陣屋に統合され廃止されたようです。

三州街道の西側に陣屋跡地はあり
街道からは少し高台にあります。
そこからは眺めが良く南アルプスがよく見えます。
大沢邸には幕末水戸浪士武田耕雲斎も宿泊したようです。
長屋門は2009年に再建されたものです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ガチャピン

山城 (2023/05/02 訪問)

パンフレットはセルフサービスです。城跡保存のため寄付しましょう。登城後は山岡まであしを延ばしてカツ丼食べて来ました。

+ 続きを読む

ガチャピン

川中島 (2023/04/30 訪問)

戦場跡とセットでどうぞ

+ 続きを読む

ガチャピン

難攻不落 (2023/04/29 訪問)

松本から行きましたが山越えが大変でした。

+ 続きを読む

にのまる

3月11日・景徳院。 (2023/03/11 訪問)

武田氏滅亡の3月11日、勝頼公の廟所、景徳院にお参りに行ってきました。
この時期に行くのは4回目。18きっぷ(1回目)利用です。
甲斐大和駅で下車後、まずは武田勝頼公像の元へ。いつもと変わらず凛々しい立ち姿です。
景徳院へ向かう坂の途中、四郎作古戦場、鳥居畑古戦場で手を合わせ、姫が淵へ。姫が淵には最後まで勝頼と行動を共にした北条夫人と16名の侍女たちの姿が描かれたレリーフがあります。
景徳院では没頭地蔵尊、生害石、一族の墓、辞世の句碑などひとつひとつをゆっくりまわり参拝しました。
いつもはここまでで下山するのですが、今回は「土屋惣藏片手切」と「勝頼公思案石」まで行ってみることにしました。
竜門峡、日川渓谷レジャーセンターへと続く道を20分くらい登った左手に「土屋惣藏片手斫遺蹟」の碑がありました。最期まで勝頼公に従った片手千人斬り、昌恒さんの忠義を伝える場所。行けてよかったです。
「勝頼公思案石(大蔵原思案石)」はさらに5分ほど登ったレジャーセンターの中のようです。
しかし、着いたー!と思ったら「冬季休業中」の張り紙とバリケード。3月末までお休み。少し早すぎました。残念ではありましたが、いつかきっと。
甲斐大和駅まで戻り、再び勝頼像を見に行くと、朝通った時にはなかったお花が手向けられていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

【かるた】鳥取城の読み札

・砂丘には行かないけれど。鳥取城

・巻石垣 アートな演出 鳥取城

・像となりて 経家帰還す 鳥取城

+ 続きを読む

にのまる

【かるた】和歌山城の読み札

・御橋廊下 そろりそろりと 和歌山城

・石垣の 変遷たどる 和歌山城

+ 続きを読む

にのまる

【かるた】高取城の読み札

・七曲り 猿石待ってる 高取城

・山城の 極み知らしむ 高取城

+ 続きを読む

にのまる

【かるた】赤穂城の読み札

折れ折れに惚れ惚れ播州赤穂城

+ 続きを読む

カズサン

伊那路城散歩・空堀と新録の鈴岡城 (2023/05/02 訪問)

 伊那路城散歩、設楽城、山本陣屋を終えて3城目、山本陣屋からは国道153号線経由直線で6~7km程、二の丸南西下入口の第一駐車場に駐めて、下からじっくりと城跡を味わって登って行く。
 公園化整備されても、空堀は良く残っており整備も良く行き渡っている、当日二の丸公園は園児と父兄で大賑わい、つつじが咲きそろい、藤棚の藤も紫の房が長く垂れ新緑の鈴岡城に彩を添えている。
 前回は平成28年3月の登城、7年振りの再登城です。
 
 散歩ルートは、二の丸南西の外堀と切岸を眺めて西の外堀、虎口を通て二の丸内部に二の丸北西部は駐車場とトイレ、二の丸南側は広場に遊戯機器が設置されて格好の園児たちの遊び場。本丸は西と南に広くて深い空堀が囲み、本丸はつつじと藤が咲いている、北側の出丸、出丸は堀切が西、南、東と回り崖から落ち込んでいる、北は松尾城への虎口坂道、毛賀沢川の水路橋を渡ると松尾城のエリア、今回は出丸で松尾城を眺めるのみ。
 新緑の中、外堀、内堀、出丸堀切、外堀から東に続く横堀と見所の空堀を堪能しました。
  
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

八王子山台場 神奈川県鎌倉市 (2023/05/02 訪問)

腰越漁港からすぐの「しらすや」さんに生しらすを食べに行きました。
平日とはいえGW期間なので待ち時間は1時間以上。
少し近隣を散歩しました。
台場のあとには現在小動神社が建っています。
設置当初は八王子山遠見番所と呼ばれ、相模湾に入る異国船を監視、通報するために置かれました。
小動神社の展望台の左手にあったそうです。
台場からは江ノ島もよく見えました。
目的の生しらすも美味しくいただきました!
この時期、海藻のアカモクもおすすめですよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ275