小瀬川館は瀬川と鍋割川の合流地点の南側の丘陵に築かれており、現在は県道で分断されているようです。
稗貫氏の最初の居城であるとされますが、瀬川氏の祖、大瀬川氏の居城であるとする説もあるようです。
土塁や堀の一部が残っているとされますが、だいぶ形状も変わっているようで判別がつきかねますね。
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2025/01/04 20:52
2025/01/04 19:58
別名; 高瀬要害山城 馬谷城 (2024/12/29 訪問)
標高70mの山城です。
登城口には看板があり、駐車スペースが
あります。
この城跡の見どころは西斜面の畝状空堀
ですね。ここまでしっかりとした状態は
珍しいですね。土塁の部分が崩れずに
底部も明確で竪堀として残ってます。
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2025/01/04 19:06
2025/01/04 16:47
火防秋葉神社 (2025/01/04 訪問)
2025年 明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
秋葉城は南北朝時代、標高866mの山頂に天野氏によって築かれた山城とされています。遺構はありませんが、秋葉山本宮秋葉神社上社が建ち火防の神様として知られ、全国より崇敬され参拝されています。
1日から3日まで、娘が帰省してきており、昨日金沢に帰ってしまい暫く孫の余韻に浸っていましたが、秋葉山上社に新しいお札をいただきに参拝してきました。ここに城があったとは聞いていましたが、秋葉神社の創建は709年とされているので、南北朝時代には既に神社が建っており、山頂に城があったのだろうかと疑問に思ったりもしますが、境内からの景色は素晴らしく小さな疑問など吹っ飛んでしまいます(*^▽^*)
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2025/01/04 16:45
石垣散歩 (2025/01/04 訪問)
六段壁はこの城のシンボルのような存在で自分も昔から好きな遺構です。他にも魅力的な石垣の風景が多くあり、一部ですが追加で投稿しました。残念ながら雪で見にくくなっている所もあります。この日は晴れ間が見えていましたが、雲で太陽が隠れる時間帯もありそれなりに寒かったです。
この時期は登城者も少なく葉も落ちているので山城散策にはいい季節ですが、年によっては雪が降っていたりするので要注意です。3年前に1月に登城したときは雪が積もっていました。(投稿済み)
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2025/01/04 16:36
写真撮りにくい… (2025/01/02 訪問)
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さあ今年2025年の最初のお城は楠葉台場となりました。
楠葉台場は勝海舟が幕府に命ぜられて築かれた台場です。その後は薩長同盟により、この地域は新政府軍に攻められ、新政府軍の砲台の高浜台場から攻撃を受け、終いには新政府軍に占拠されてしまいました。
楠葉台場はJR橋本駅から徒歩10分ほどで着きます。橋本駅は京都府ですが、楠葉台場は大阪府にあります。さらに近くは東海道が通っています。砲台は京都方面から攻めてくる敵に反撃するために作られたようですが、実際にはその役割は果たせず…
縄張りとしては稜堡式の砲台となっており、土塁や堀が良好な状態で残っていました。また発掘調査では瓦も多く見つかっており、建物が立っていたことも明らかになりました。
写真が撮りにくいというのは2つの意味がありまして、1つは普通に遺構を綺麗にとるのが難しいという意味と、もう一つは、公園になっていて、多くの人が遊んでいたので、自分が公園の写真を撮っている不審者のような感じ見られるのが嫌だったということです。そこにいた多くの人はおそらくそこが砲台ということをあまり意識していないようなので… 皆さんもそんなことありませんか?
評価★★★☆☆
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2025/01/04 16:26
霧ヶ城伝説 (2025/01/04 訪問)
1年ぶりの登城です。少し雪化粧をしていました。文治元年(1185年)加藤景廉によって築城されましたが、現在見られる石垣造りの近世城郭は慶長6年(1601年)入部した松平家乗により整備されたものです。岩村城の特徴の一つに標高717mの山頂一帯に築かれた城にもかかわらず井戸が17ヶ所もあるということです。中でも昔から好きなのは八幡曲輪にある霧ヶ井です。城主専用の霊泉で、敵が攻めてきた際、城内秘蔵の大蛇の骨をこの井戸に投じると、たちまちにして雲霧が湧き出て城を覆い尽くし、城を守ったとされています。この話を最初に知ったのは初めて登城した中学生のときでした。いつの時代、そのときの城主は誰、と疑問に思い調べてみましたが、今のところ答えをみつけられません。詮索することが野暮な話かもしれません。
明知鉄道岩村駅より岩村城下を散策して登城しました。本丸まで行き二の丸、南曲輪などを散策しました。
「岐阜の山城ベスト50を歩く」(サンライズ出版)に「山上から周囲に伸びる尾根の各所には、戦国期の曲輪や堀切が遺存している。見学路が整備されていないのが難点であるが、こちらも一見の価値がある」の記載があります。行けるものなら行ってみたいですが、無理はしないのが現在の方針なので行きません(多分)。
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2025/01/04 16:22
織田信秀の居城で、名古屋城築城時の石置き場ともなった城跡 (2024/12/08 訪問)
東別院(真宗大谷派名古屋別院)一帯は、織田信長の父信秀が築城した古渡城跡で、四方を二重の堀で囲まれていたとされます。信長は古渡城で元服したと云われます。
境内には城の遺構は残されていませんが、城趾碑があり、周囲を巡ると少し高い場所であることが分かります。
東隣にある東別院の後庭であった下茶公園内には堀を利用して作られたとされる庭園の池があります。
ここは江戸時代には名古屋城築城時の石垣用の石置き場とされ、古渡城跡に集められたようで今も残石が多くあります。三河湾沿岸で石を切り出し、船に乗せて伊勢湾を渡り、熱田浜で陸上げし名古屋城まで運ばれていたとされ、東別院は熱田浜から名古屋城の間の真ん中辺りにあります。
古渡城は何度か行きましたが、今回は残石が目的で刻印を探し廻りました。
刻印は下茶屋公園を含め29石も見付かっているとのことですが、私は刻印を22石程見付けることができました。
複数の刻印があるものや、名が刻まれたものもあり、良かったです。特に刻印「一」が多く、10石程見られましたが、なぜ多いのでしょうか。
矢穴石は25石程あり、沢山見られました。矢穴口の長さ10cm以上は名古屋城築城時の慶長期、大修理の宝暦期は5cmが目安とされますが、大半は矢穴口の長さ5cm位でしたので、大修理の宝暦期以降の矢穴かもしれません。
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2025/01/04 13:58
自然公園内のゆるーいお城 (2024/04/27 訪問)
枡形山自然公園になっているので容易に散策できるが遺構としてはゆるーい感じ。謙信・景勝の二代に仕えた甘粕景持がいたともいうが目の前に守るべき領地(田んぼ)もなさそうなので常駐していた可能性は低いのではなかろうか。
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2025/01/04 10:49
2025/01/04 09:15
土塁、堀、郭が残る (2025/01/04 訪問)
日戸館は藤原秀郷の末裔河村秀清が当地に移り、日戸氏を称し築いたとみられます。郭や堀、土塁などが比較的良好に残っています。けっこう雪が積もっていますが、十分歩ける範囲です。東に主郭があり、一部に土塁が残ります。
西に二郭があり主郭との間は大きな堀切で仕切られています。いずれの郭にも登路が付いているので無理は禁物です。
二郭の西には三郭があり、南には堀切道と土塁が付いています。
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2025/01/04 08:35
北ノ庄城 (2024/10/14 訪問)
福井城の前身にあたる北ノ庄城は、南北朝期に斯波高経が築いた足羽七城のひとつとされ、室町中期には朝倉頼景が館を設けましたが、朝倉氏の滅亡に伴って柴田勝家に与えられ、安土城に匹敵するとされる巨城を築きました。北ノ庄城の戦いに敗れた勝家はお市の方と共に自害し、建物もほとんどが焼失。その後、丹羽長秀、堀秀政、青木一矩を経て、結城秀康が入ると現在の位置に新たに築城し、後に福井城に改名されました。
福井遠征3日目は福井城。まずは柴田神社のある北の庄城址公園から。北の庄城址公園には発掘調査で確認された2か所の柴田期北ノ庄城の堀の石垣が露出展示されています。南端には勝家が半石半木で足羽川に架けた九十九橋が往時の石材を用いて再生されていました。また、公園内には柴田勝家、お市の方、三姉妹の像が立てられているほか、開館時間(午前9時~午後5時)前だったため入館はしていませんが、北の庄城址資料館も設けられています。
北の庄城址・柴田公園の案内板によれば、公園内には柴田期北ノ庄城だけでなく福井城としての石垣もあるようです(続く)。
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2025/01/04 08:20
元日の攻城② (2025/01/01 訪問)
金鑚(かなさな)御嶽城からの転戦です。皆さんの投稿で現在も末裔の方がお住まいであることはわかっていましたが、土塁の撮影を終えて戻る際に、末裔の方とおぼしきご婦人方がちょうど外出から戻られました。「何か御用ですか。」と問われたので、「土塁だけ撮影させていただきました。」と答えたところ、爽やかな笑顔が返ってきてほっと致しました。最初の写真は末裔の方の所有地の東側に残っている土塁です。この土塁ならば公道から撮影することができます。
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2025/01/04 06:02
堀巡り (2025/01/03 訪問)
多くの空堀がある程度の深さを保って残っていることが、この城址の魅力のひとつです。多くは上からの見学となりますが、カンカン井戸の背後の内堀は堀底から堀の迫力を堪能できます。また二の曲輪大手馬出付近から外堀へ下りることができます。
本曲輪の東側に二重になっている内堀があります。内側の堀は散策できますが、外側の堀は藪になっていて、また底に水があり侵入は断念しました。この外側の堀の藪が少なくなっていることを期待してこの時期に登城しましたが、5月に来た時とあまり変わりません。内側の堀は南側まで続いています。その先には水の手曲輪がありました。
水の手曲輪の底を歩いていると南側に堀切のような地形を見えます。最初、堀切だと思っていたのですが、縄張図を見ても、この場所に堀切はありません。二の曲輪東内馬出の東にある外堀を見ていることに気が付きました。何とか行けないか思い周囲を見ていると鉄塔へ上がって行く道があり、そこを進んで行くと途中に土塁の上に上がっていく道(踏み跡ですが)ありました。そこを土塁の上に上がると外堀に行くことができます。藪になっている所もありますが、形状はしっかり確認できます。
堀や馬出などがよく残っていて何度来ても飽きない城址です。堀などは各所に残っていて散策をしていると3時間近く経過していました。投稿した最初の1枚目の写真が微妙に写す角度は異なりますが、二の曲輪中馬出の空堀の写真となっています。一番好きな場所なのでいつも1枚目に持ってきてしまいます。
JR金谷駅より徒歩15分くらいで登城口に行くことができます。今回も水の手曲輪の先にある登城口より登城しました。
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2025/01/04 05:33
2025/01/04 05:05
馬場美濃守信春 (2025/01/03 訪問)
武田勝頼が馬場美濃守信春に命じて築かせたとされています。その後、徳川氏の城となりました。現在見ることのできる土塁や堀のほとんどは徳川氏に時代に改修、増設された可能性が高いとのことです。東側に本曲輪を置き、扇状に西側に向かって曲輪が展開し、深い堀や馬出で防御しています。東側を中心に南北は崖で囲まれていて、崖の下には当時、大井川が流れていました。諏訪原城築城当時の大井川は牧ノ原台地縁部に沿って流れており、城の背後近くを流れていて天然に堀となっていました。崖端城ということですが、よく形状を確認できる城址です。カンカン井戸付近から谷を下って行くと水の手曲輪となっています。谷底は以前来た時も今回も湿地となっていました。どこから水が出ているのかわかりません。また谷から少し本曲輪側へ上がったところにも井戸と思われる窪地があり、水の手曲輪の標識がある曲輪がありました。水には苦労しなかったのでしょう。
縄張りがわかりやすく多く残る堀、馬出が魅力的な城址です。
昨年5月以来の登城です。冬の草が少ない時期に来てみたかったので行って来ました。
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2025/01/03 23:33
2025/01/03 22:12
上杉の名臣・斎藤朝信の居城 (2024/04/27 訪問)
上杉謙信・景勝二代に仕えた名臣・斎藤朝信の居城は軍事・民政・外交とマルチに活躍した人物の城に相応しく合理的かつ大胆な山城とお見受けした。現在のハイキングコースが必ずしもお城を活かす形となっていないのが勿体ないが。
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2025/01/03 20:40
畑谷城散策2/2(西側主郭エリア) (2024/11/16 訪問)
主郭より西側にまず二重横堀があります。さらに西側には一番の見どころの「西部三重空堀」があるハズでした…。
なぜか,案内板の「西部三重空堀」が「西部二重空堀」に訂正されていました。「三」の真ん中の横棒が白ペンキで消されていました。
実際に見ても,たしかに二重空堀で…。
ひととおり散策を終えたら,いも堀りをしておられる方もあと少しで掘り終えるタイミングでした。
「散策させていただきました。ありがとうございましたm(__)m」
と挨拶したら,かなり気分がよかったのか,10分ほど立ち話。「天地人」でこの城が紹介されたことが嬉しかったようです。
さらに,訂正された「西部二重空堀」は,心ない方がいて,埋めて耕作を始めたとのことです。これで,腑に落ちましたが,衝撃でした…。
帰り際,キッチリと散策をして,会話をしたのがとても嬉しかったようで,掘りたての山いも1本をいただきました。
大変にありがとうございましたm(__)m
とても立派で,新潟市内で買えば,1本【2~3000円】クラスといったところ。
都心部では【5000円】くらいかな…そもそも,1本モノで売らないと思います。
この後,もう1城散策できるほどの時間的余裕がありましたが,速攻で帰宅したことは言うまでもありません。
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2025/01/03 20:01
畑谷城散策1/2(登城口~東部大空堀) (2024/11/16 訪問)
登城口付近に山いも畑があり,一生懸命にいも堀りをしておられる方が…。もしかして,案内&休憩所となっている「ごへえ宿」の主人なのかな…と思いつつ,散策を開始しました。
遺構は,登城口から西側に主郭,東側にコの字の東部大空堀があります。この東側には,上杉軍との攻防で落城し,江口五兵衛光清率いる約500名が全員討ち死にした歴史を残そうと,畑谷城400年記念碑と江口五兵衛光清の墓所があります。また,江口五兵衛光清公の首を洗ったとされる首洗い池もあります。
「ごへえ宿」はこの江口五兵衛光清公からネーミングされたものです。
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