入れなかったでしゅよ
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2024/03/31 21:58
2024/03/31 21:48
季節を選んで行きましょう (2023/06/17 訪問)
広島ではなく鳥取の日野町にある鏡山城は伊勢から移った関一政によって新たに築かれた近世城郭。破城痕も生々しい石垣が迫力満点、魅力満載・・・のはずだが季節を間違えると城域に入る道すらもわからなくなるようだ。。
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2024/03/31 19:22
龍造寺隆信の生誕地 (2024/02/11 訪問)
【水ヶ江城】
<駐車場他>駐車場はなし。佐賀城本丸歴史館駐車場
<交通手段>車
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅4城目。水ヶ江城は文明年間(1469~1487年)に、龍造寺康家(龍造寺隆信の4代前)によって築城されたとされます。当初は館程度のものであったが、次の代の家兼によって濠を廻らし城塞化したそうです。佐賀城を築城するとともに廃城となったようです。
佐賀城の環濠を巡っている途中に立ち寄りました。現地に遺構は残っておらず、公園内に龍造寺隆信の生誕地碑があるのみです。
<満足度>◆◇◇
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2024/03/31 19:18
飛山城散策2/2(雪) (2024/02/23 訪問)
宇都宮市内は雨で寒かったです。「雨男健在だな…」と思っていたら,飛山城は雪でした。「雪かよ…」と苦笑しました。
仙台の知人が語っていた言葉を思い出しました。「栃木は南東北。福島県をえぐってる。宇都宮から北は東北地方だべ」と。
栃木の人々からは反発があるかと思いますが,北関東より東北地方の部類に入って玄関口的アピールなら,魅力度ランキング上昇しそうだと感じました。「地図の下ばかり見てないで,上を見ろ」と。
ランキング飛ぶぞ~🐤
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2024/03/31 19:02
駐車場がせまいけど (2024/01/06 訪問)
大垣城への帰りに寄り道でしゅ
やっぱり中には入れないでしゅが
瓢箪から出る出世の泉を飲ませてもらったでしゅよ
出世できましゅかね?
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2024/03/31 19:02
飛山城散策1/2(ライトライン) (2024/02/23 訪問)
小川城より転戦。上毛高原駅より高崎駅まで上越新幹線。高崎駅から両毛線で横スラして小山駅。小山駅から北上して宇都宮駅。
宇都宮駅東口に降り立ったら長蛇の列が…。そろそろサービス開始時のほとぼりが冷めたかな,と思っていたのですが…。
交通系IC決済の場合は,先頭車両に並ばなくても良いです。現金決済の方のみ,整理券を取って先頭車両へ。
車両の内部はまだ新車の匂いがプンプンしていました。「なんとか旬に間に合ったな…」と安堵しました。
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2024/03/31 18:47
2024/03/31 18:27
2024/03/31 18:13
風が気持ちよく景色も (2023/09/23 訪問)
下僕は汗だくになってたでしゅ
ベンチは多くあって何回も休憩したでしゅ
もちろん中には入れなかったでしゅが
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2024/03/31 18:03
2024/03/31 17:55
2024/03/31 17:14
2024/03/31 17:09
2024/03/31 15:23
緩やかな坂を上ると、、、。 (2024/02/10 訪問)
佐谷 実幹さんが築城した「笠松城」。
当時は「佐谷城」と呼ばれてました。
道路沿いに『市指定文化財 笠松城跡→』の案内板を見つけました。矢印の先は、緩やかな坂上に向いています。
上って行く感じが、なんとなく前に投稿した「志筑城」に雰囲気が似ていました。
が、どんつきには民家があり、立入禁止のプレートがあります。右手前に説明板があり、その向こうに広い場所、郭跡のようです。
こちらに車を停めて、説明板に戻り写真を写しました。説明板には、防犯カメラ作動中とあります。
郭をぐるっと歩きたかったのですが、ソーラーパネルが並んでいて、躊躇してしまいました。
足元にある石が、石垣の一部に見えてきて欲しいと願う「笠松城」攻めでした。
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2024/03/31 14:46
2024/03/31 14:41
江戸城探訪ー春季皇居乾通り一般公開 (2024/03/27 訪問)
春季皇居乾通り一般公開に行きました。春の乾通りのコースは桜を観賞するものですが、残念ながら、桜はまだ開花前のものが多かったようです。一方、お城好きには江戸城内で普段近くで見られなかったり、建物等を別の角度から見ることができるため、別の楽しみがあります。
散策コースは南側の坂下門から入り蓮池濠、乾濠に沿って歩き、北側の乾門に抜けるものです。途中に右手に富士見櫓、富士見多聞、西桔橋が、左手に局門、門長屋を見ることができました。
機会があれば、是非一般公開に行くことをお勧めしますよ。
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2024/03/30 22:53
江尾十七夜と天守台 (2023/06/17 訪問)
この地で滅んだ蜂塚一族を悼む祭りが「江尾十七夜」として現代にも伝わる。城跡自体は蜂塚氏の後の吉川氏・中村氏による織豊系の色が濃く、主郭虎口の脇に多量の瓦を残す櫓台は・・まあ天守台だわなという風情を湛えている。
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2024/03/30 22:28
2024/03/30 22:21
2024/03/30 22:15
赤松則祐 (2024/03/30 訪問)
南北朝期に赤松円心の三男則祐によって築かれた城です。 戦国期には織田方の播磨侵攻の際、城主であった宇野政頼・祐清父子は、当初は織田方についたようですが、第二次上月合戦の際に毛利方に寝返り、その後、羽柴秀吉の軍勢によって落城したと伝わっています。
長水山に築かれた城で、山頂部に主郭を置き、東西約200m、南北約500mの尾根沿いに複数の曲輪を配置していたようです。五十波方面より山の中腹まで車で行ける道があり、そこから徒歩約35分で主郭に行くことができました。途中には井戸があり、今でも水を湛えています。山頂近くには後世のものではないかと思っていますが、登り石垣がありました。主郭にも石垣がありましたが、説明板には大部分は後世に積みなおされたものと考えるとありました。三の丸方面まで散策すると堀切や曲輪の跡などがあります。「西播磨の山城」というサイトの縄張りと見ると水源と記載された場所が二の丸から三の丸へ行く途中に2カ所ありました。周辺を散策してみましたが、探し方に気合が入っていなかったこともありわかりませんでした。
以前から主郭に石垣がある城址で気になっていました。登城路は歩きにくい場所もありますが、概ね整備されています。眺望はよいのですが、黄砂のためかもやっていました。数年前までは山頂の家に人が住んでみえたようですが、地元の人の話では現在は無人とのことです。
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