延岡で1泊して朝の散歩がてらに延岡城を見に行ってきた。
まだ、日が昇る前の暗い時間から登り始め、天守台まで上がってきたタイミングで朝焼けで明るくなってきました。
千人殺しの異名を持つ高石垣も見応え十分でした。
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2024/11/24 10:23
暁の登城 (2024/11/24 訪問)
延岡で1泊して朝の散歩がてらに延岡城を見に行ってきた。
まだ、日が昇る前の暗い時間から登り始め、天守台まで上がってきたタイミングで朝焼けで明るくなってきました。
千人殺しの異名を持つ高石垣も見応え十分でした。
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2024/11/24 10:14
整えられた城下町 (2024/11/22 訪問)
大きく湾曲した川の内側に築かれた城下町、飫肥。
城はきれいに切り込み積まれた石垣が印象的で、城下町も景観を残すよう整備され、合わせて観光できるように考えられていました。
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2024/11/24 10:08
南宗寺 三好長慶・千利休ともゆかりの深い寺 徳川家康とも‥? (2024/11/17 訪問)
南宗寺は堺の街を代表する歴史のある寺で三好長慶、千利休ともゆかりが深いですが、徳川家康にまつわる伝承もあります。徳川家康が大阪夏の陣で真田信繁に深手を負わされて亡くなり、この寺に一時埋葬されたという言い伝えがあるようです。唐門の裏手の庭に小さな石があり、それが目印だというのです。撮影はNGなので文章のみになりますが唐門の裏に徳川家康の立派な石碑が有り、その裏手の庭になります。TVでも取り上げられたことがあるようです。
寺の奥手には古田織部作と伝わる枯山水があって、奥には利休好みの茶室・実相庵がありますが一般観光客には非公開です。
最期にカラモンを通って退出。ガラ玉から出てくる奴?‥それはガラモン
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2024/11/24 09:43
堺「町屋」・しんのりきゅう 堺市堺区北旅篭町 (2024/11/17 訪問)
堺鉄砲館のとなりにある「町屋」、もともとはスコップなどを造っていた社長のご自宅だったようです。この周辺では鉄砲の技術を流用した鉄工業が盛んで、自転車やその部品、スコップなどで高いシェアを誇っていたようです(鉄砲館のオヤジ殿より)。
なので、ただの町屋ではなく、中も立派なんですね。私はここで初めて抹茶を入れさせてもらいました。鉄釜からお湯を取ったり本格的です。茶筅でシャカシャカするのですが、縦方向にうまいこどやってやると上手くいくようです。ただ、けっこう手首の力がいるので、思ったより大変です。お菓子はオリジナルの火縄銃サブレが付いてきます。気分は「しんのりきゅう」ですね。
お土産に寛永通宝の六文銭を購入。江戸時代に造られた物なので真田幸村の六文銭とは違いますが、これでいざというときでも安心です??
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2024/11/24 09:27
2024/11/24 09:09
江馬輝盛 (2024/11/22 訪問)
北飛騨の領主江馬氏の館跡で、江馬氏館跡公園として整備されています。下館跡の庭園、庭園を観賞する会所、主門、土塀などが復元されています。おもしろいのは西堀で、主門の左右は薬研堀、北寄りの堀は箱堀となっていました。西堀の説明板を見ると主門の両側には館の正面であることを強調するために断面の形が深い逆三角形の薬研堀が設けられていたと記載されています。
飛騨市公式観光サイトによると昭和55年に国の史跡「江馬氏城館跡」の指定、平成29年10月に国の名勝「江馬氏館跡庭園」を受けていて、国の名勝指定は飛騨地方初、史跡と名勝の二重指定は岐阜県内初ということでした。
飛騨の戦国時代の歴史を見ると三木氏、姉小路氏と並んで江馬氏が登場します。江馬氏は飛騨北部を室町時代から戦国時代にかけて治めていました。その出自は平家の一族とも鎌倉幕府北条氏の一族ともいわれていますが詳細はわかっていないようです。
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2024/11/24 08:54
白石城 岡山県岡山市 (2024/11/04 訪問)
城びと未登録、備前と美作の国境にある城です。
金川城から国道53号線を北上、484号線に入ってすぐのところに登城口があります。
車1台なら駐車可能です。
獣避けの柵を越えると整備された登城路があります。
登っていくと登城路に沿って長い竪堀が見られます。
さらに少し登ると連郭式の主郭部に到着、鉄塔が建っています。
主郭には小さな祠と説明板もありました。
主郭までは登城口から10分くらいかな。
下山の途中、笹薮を分けて下に連なる曲輪部を散策しました。
縄張図によると堀切があるようですが浅くなっていてよく分からず。
また、主郭背後には畝状竪堀群もありますがこちらもよく分かりませんでした。
赤松氏配下の田淵氏光の居城でしたが宇喜多氏に攻められ落城。
その後は松田氏、宇喜多氏の支配を経て関ヶ原合戦で宇喜多氏の滅亡とともに廃城となりました。
もう少しじっくりと散策してもよかったかな。
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2024/11/24 06:48
2024/11/24 06:34
白山神社より (2024/11/22 訪問)
高原諏訪城の支城と考えられている江馬氏城館跡のひとつです。主郭の東西の尾根を堀切で遮断し、さらに西側の曲輪の先には土橋と堀切があります。
白山神社が登城口で標柱があり、そこから獣除けの柵の扉を開けて(もちろん閉めて)登城しました。鉄塔保守用の山道があり、中腹に至ると左手前に折り返す道があり登って行くと二つ目の鉄塔が主郭の南西の郭です。折り返し道は通り過ぎないよう注意が必要ですが、木に複数のピンクのリボンが付けてあり目印となります。鉄塔設置により改変されている所もあると思いますが、曲輪、堀切、土橋などを楽しむことができます。
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2024/11/24 06:10
一本松 (2024/11/22 訪問)
江馬氏城館跡として国指定史跡のひとつとなっている城で江馬氏下館の詰城とされている城址です。県道484号線脇の登城口から登城しました。すぐ二重堀切がありテンションが上がります。ただ縄張り図を見ると二重堀切の手前にも両側に竪堀が描かれていて、実際は三重堀切だったのでしょうか。主郭までの道は整備され歩きやすいのですが、さらに南側にも城域があり進んで行くと藪になっていたり倒木があったりして難渋します。その先には見事な堀切や竪堀があります。北東の尾根の先も堀切がありました。山城として楽しめる城址です。この日は寒い日で曇っていました。晴れていたならば飛騨の山々の紅葉ももっときれいに見えるのにと思いながら散策しました。
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2024/11/23 23:52
2024/11/23 23:27
鉄砲鍛冶屋敷 堺市堺区北旅籠町西1丁3-22 (2024/11/17 訪問)
かつて堺は日本一の鉄砲生産地であったとされています。滋賀の国友の鉄砲鍛冶は一人で何役ものスキルを合わせ持つプロの集団であったようですが、堺では早くから分業が進み、生産性を挙げていたようです。そうして大量に生産された鉄砲を千利休や今井宗久ら茶人らが持つネットワークを頼りに大量に売りさばき巨万の富を得ていたようです。
井上関右衛門家住宅は貴重な江戸時代の鉄砲鍛冶の作業場兼住居として堺市の有形文化財に登録され、公開が成されています。ここの屋敷の主人は愛媛県の大洲藩の加藤家と深いつながりが有り、時として堺での加藤家の代理も務めたほどだと言われます。屋敷もかなり立派なもので、かつて壁に使われていた赤土はすでに採取が出来なくなっているので、かわりにベンガラで赤く着色してあるようです。
※鉄砲鍛冶屋敷を訪問した後は堺鉄砲館を訪問されると良いと思います。間違って訪問する人が多いので、訪れると「鉄砲鍛冶屋敷」は向こうですよとか言われるかも知れませんが、ぜひ話が聞きたいと言えば機嫌が良くなると思います。
鉄砲鍛冶屋敷では火縄銃を持ったり、構えたりすることは出来ないので、両方訪れることをお勧めします。
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2024/11/23 23:02
堺環濠 堺市堺区・堺鉄砲館 (2024/11/17 訪問)
堺の街は和泉国、摂津国、河内国の三国に接し、それが堺(境)の語源になっているようです。港付きの貿易都市として自治を行い戦国時代は周囲を環濠で囲っていました。かつての東側の境界は阪神高速道路堺線 国道26号線あたりとされ、南の境界は土居川、南東に南宗寺が位置して、西の境界は内川とされています。戦国期には織田信長に従い、豊臣秀吉の政権下では秀吉公は大阪に勢力を集中するため人材を大阪に連れて行って、環濠を埋め立てたので堺では秀吉公の評判は良くないようです(鉄砲館のオヤジ談)。
北側に位置する鉄砲鍛冶屋敷の周辺は江戸時代に付け加えられた一角で、徳川幕府は堺の環濠を復活し、大坂夏の陣で焼失した堺の街も復興を遂げたようです。堺鉄砲館は鉄砲鍛冶屋敷が整備される以前から地元の有志が運営している施設です。
時間に余裕が有れば、鉄砲鍛冶屋敷を見学した後に堺鉄砲館を見学することをお勧めします。ここでは鉄砲に関するオヤジ殿の貴重なお話を聞かせてもらえる上に、現物の火縄銃の模擬射撃まで体験できるという貴重な場所でもあります。
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2024/11/23 22:55
牛首城山 (2024/11/21 訪問)
越中方面への備えとして築城したと考えられている城で、江馬氏城館跡として国の史跡に指定されています。城主の名として一ノ瀬清四郎の名が伝わっています。また江馬後鑑録には江馬氏の重臣、川上氏が守っていたとあります。
鉄製の階段を登り何とか尾根まで行きましたが、時間は午後4時半過ぎ。冬の日没が迫っていました。todo94さんとしんちゃんさんがこの城の危険性を投稿されていたことを思い出し主郭まで行くことを躊躇することなく断念し撤退しました。下りて間もなくあたりは暗くなり撤退して正解だったと思っています。
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2024/11/23 22:37
2024/11/23 22:27
西尾城オリジナル限定御城印&日本酒蔵元尊皇コラボプロジェクトのお知らせ
皆さん、はじめまして✨
「西尾の抹茶」や「三河一色産うなぎ」の産地として知られる"愛知県西尾市"の西尾城(公式)です🏯
これから時々、城びとさんの投稿で西尾城に関するイベント情報などを投稿させていただきます
実は西尾城では現在「クラウドファンディング」に挑戦中でして、12月末まで70万円を目標に皆さまからのご支援を募っております🥺
開始1週間と少しで、43人の皆様からのご支援をいただき、何とか443,000円まで到達することができました🌅
これもひとえにいち早くクラウドファンディングの情報を見つけていただき、ご支援いただきました皆様のおかげです😭
あらためまして、御礼申し上げます。誠にありがとうございます✨
リターン品には
・新作御城印(完全肉筆)…限定10枚
・新作御城印(シリアルNo.入り)…限定100枚
・地元日本酒尊皇とのコラボ/限定ラベルワンカップ
などがございます
各地にある城や城跡には、その土地にあった風土や文化が育まれており、歴史をお楽しみいただきながら、ぜひ食などの文化もお楽しみいただければと思い、今回の企画を開催するに至りました。
御城印のデザインについても、今回は日本酒とのコラボを意識した仕様になっており、
・西尾鶴城六万石という日本酒銘柄にちなみ、六万石の石高を誇った大給松平の家紋のみを大きく印刷
・シルエットには鶴城の愛称から鶴のシルエットと尊皇蔵元がある幡豆地区の豊かな自然の象徴・三ヶ根山が描かれています
今回の企画で西尾城や西尾の歴史、特産品を感じていただければ幸いです!
ぜひぜひ皆様からのご支援お待ちしております!
https://camp-fire.jp/projects/792171/view
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2024/11/23 22:15
観音山 (2024/11/21 訪問)
観音山山頂に築かれた山城で、主郭からは高原諏訪城や江馬氏館などがよく見えます。西尾根に堀切などが残っています。
登城路はいくつかあるようですが、自分は朝浦不動院から登城しました。主郭までは1時間くらいかかりました。途中の観音堂までは勾配もそれほど急な所は少なく比較的歩きやすい道です。その後も少し歩きにくく急な所もありますが、迷うことなく主郭へ行くことができます。山頂近くに電波中継局の設備があります。この施設の管理のための山頂近くまで舗装された道があり、徒歩で登って来ると途中で合流します。この日は車が2台駐車スペースに止まっていて鉄塔の施設で作業をされていました。この舗装された道は、一般車は通行禁止となっているようですが、しんちゃんさんが指摘されていたようにここまで車で来ることができればかなり楽だと思います。
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2024/11/23 21:39
2024/11/23 21:35
まさか,滋賀県のキャラクターが❢ (2024/11/01 訪問)
世田谷城から徒歩で向かいました。六所神社と善性寺の2説が存在するということで,どちらにも足を運びました。六所神社ワキに東急世田谷線が走っているので,ちょいと線路沿いに足を延ばしてみたら,滋賀県にいるハズの「飛び出しとび太」がいました。右から左へ飛び出すスタイルだったと思いますが,こちらは左から右へ飛び出すバージョンでした。
「飛び出しとび太」が思いがけぬ感動となりました…<笑>。
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2024/11/23 21:14
堺南台場 堺北台場 大阪府堺市堺区 (2024/11/17 訪問)
幕末に築かれた南台場の対岸に北台場が有りました。阪神高速湾岸線の真下に公園があり、案内板も立っています。旧堺港に接する位置にあり、東側には龍女神像があります。女神像と向き合うように対岸の堺旧港プロムナードには呂宋 助左衛門(るそん すけざえもん)の像があります。るそんとはフィリピンのルソン島のことで、安土桃山時代に豊臣秀吉の庇護を受けルソンに渡海し貿易で巨万の富を得た人物のようです。
贅沢三昧の生活を送っていたことから邸宅没収などの処分を受けることになるのですが、事前に察知して邸宅や財産を大安寺に寄進し、ルソンへ脱出したようです。国内では、けっこういろいろとやらかしていた人物のようですが、カンボジアに渡った後は、再び豪商になったようです。
※なんとこの人物、1978年に大河ドラマ「黄金の日日」では大河ドラマの主役を務めていたようです。私が7歳の時ですよ。年がバレますね。
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