野田城と同様、2023年2月19日以来、ほぼ1年ぶりの再訪です。前回はまだ工事中だった三津寺が竣工していました。ホテルの1階にすっぽりとおさまっている本堂はここでしか見ることができない風景なのではないでしょうか。この日は大阪マラソンにあたっていて、寺の前の御堂筋がマラソンコースになっており、道路の反対側からホテルの遠景を撮影することはあきらめました。
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2024/04/09 06:57
2024/04/09 06:51
城域は広いが (2024/03/24 訪問)
播磨三城の一つで戦国末期には三木氏が城主となった城です。
水尾川と夢前川が合流する部分の北側にあり、結構な広さがあったようです。
現在は宅地化され、遺構はほとんどなさそう。
とは言えまずは英賀神社へ。
神社の裏手に土塁が残っています。
土塁の石碑も立っているのでその時代のものと思います。
隣接する英賀城公園には謎の模擬天守台、しかも一部崩れていました。
この公園の端に石碑がある他、何箇所かに石碑があるようですが時間なく見きれず。
とりあえず本丸跡とされる場所の大きな石碑と説明板のところまで行って退却しました。
目立つ遺構はないものの時間をかけて歩くと街中遺構ハントが楽しめるかもしれません。
また行くことがあれば試して見ようかな。
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2024/04/09 00:12
模擬天守は日曜・祝日 (2024/04/06 訪問)
竜泉寺が城址とされ、弘治3年に織田信長の異母弟・織田信勝(信行)によって築かれたとされています。信勝が信長に殺された跡、廃城になりましたが、小牧・長久手の戦いの際にも羽柴秀吉に陣所として利用されています。
池田恒興・森長可らの討死の報を受けた秀吉が大軍をもって竜泉寺城に陣を敷き、短期間に堀を巡らせたが、家康が小幡城に兵を引いたため、秀吉も陣所に火を放って楽田城に引き上げたそうです。竜泉寺にはミニチュアの名古屋城のような模擬天守(円空の仏像などを展示)がありますが土曜日なので入れませんでした。桜が咲いているのに少し残念です。2019年の8月にも訪れているので、その時の写真も掲載しておきます。
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2024/04/08 21:07
東の丸と北大土塁 (2024/04/04 訪問)
4日飯田城、飯田古城、帆立貝型古墳吉岡大塚古墳の探訪の後、南アルプスから南に伸びる山塊、宇刈丘陵の南端の久野城を3月7日以来、東の丸周囲の矢竹藪の伐採刈込進捗如何にと、且つ桜の開花状態の確認、昨年体験した逆さ久野城を今年も見たいとの思いも合わせての帰路訪ねました。
東の丸の周囲の矢竹藪と外堀湿田の葦は奇麗に刈られて切岸は奇麗、よく確認できます、葦も刈られて元の姿に戻っています。しかし葦、矢竹の成長は早くいつまでこの景観が楽しめる事か、早くお訪ねください。
訪ねた4日は桜の咲は5部前頃、7日訪ねた頃は満開で南の丸は花見で賑わっていて大手側の駐車エリアは満車状態で導入橋に一時路駐で探訪撮影。
東の丸の伐採整備と満開桜を十分に堪能しました、桜と城は良くマッチします。
沢山撮影しましたので逆さ久野城は南の丸と本丸編に投稿致します。
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2024/04/08 19:37
織田信秀、織田信勝(信行)ゆかりの城 (2024/04/06 訪問)
末森城は天文17年(1548)織田信秀によって築かれました。天文21年(1552)に信秀が死去すると信長の同母弟・信勝(信行)が城主となりました。信勝は信長に反旗を翻し、一度は許されますが永禄元年(1558)に再び謀反を企てたとされ清洲城で殺されます。
末森城は標高43mの岡地に築かれており、現在では本丸は城山八幡宮の境内になり、二の丸は駐車場になっています。一見普通の神社に見えますが本丸から東に降りていくと見事な空堀が残っており神社への橋が土橋の代わりにかかっています。
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2024/04/08 14:12
福岡城天守論争(続編)
先日、「幻の天守閣ライトアップ」を契機に天守再建論争が再熱している話をお伝えしましたが、地元新聞社が独自に行ったアンケート結果という興味深い記事がありましたので、すいませんがまた投稿させていただきました。
このアンケート結果によると、今のところ(反対6割:賛成4割)だそうです。しかし反対意見の中では、やはり確かに天守があった事が証明されれば、賛成するという意見もあります(私もその一人です)。賛成派は、熊本や小倉にはあってなぜ中間の福岡にはないの? 皆に紹介できる観光のシンボルや心のよりどころがほしいといった意見もあるようです。全般的には、福岡市民は意外と冷静に見ているなと私は感じました。今後は福岡市がどう対応し進めて行くのか、市長の判断が焦点となりそうです(写真④はその新聞記事です)。
もう一つ気になるのは、少なくとも500億円とも言われている天守再建の財源です。天守の証拠が出れば国がある程度出すのかもしれませんが、出なければ福岡市民の税金から? 納税者の一人として、こちらの方も少し気になります🤔。
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2024/04/08 07:03
京阪の城めぐり⑩ (2024/02/25 訪問)
野田駅から阪神電車でアプローチしました。大和田小学校がその故地とされていますが、日曜日の早朝ですので、学校裏手の通用門にも南京錠がかけられており、連絡のしようがありませんでした。校門の門扉の上から城址碑の撮影ができただけでも良しとします。
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2024/04/08 00:25
この日は晴れましたが… (2024/02/24 訪問)
この日は晴れましたが,本丸工事中期間で立入禁止。明らかに「休工中」だったので,一部開放を期待していたのですが,ダメでした…<泣>。
CFは初期ピークが過ぎたような気配がしてきたので,コメントを入れました。ここでの源氏名と一緒にしときましたので,すぐに私とわかると思います。みなさん違う名前かな…?
雰囲気がにのまるさんと思しき方もコメントされていました。違っていましたらスミマセンm(__)m
金額的には,まだまだ厳しい状況を脱していない気がします…。
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2024/04/07 22:56
2024/04/07 22:51
2024/04/07 22:47
2024/04/07 22:43
2024/04/07 21:18
横矢横矢の滝の城 (2024/01/04 訪問)
今年最初に訪れた城は埼玉県所沢市の滝の城。
荒川(旧入間川)南の武蔵野台地上、柳瀬川北岸の川からの比高約20mの崖の縁に築かれた城。
当初は15世紀後半の大石氏による築城と聞いていたが、最近では川越城などと共に太田道灌が築いたとの説もある模様。確かに江戸城と川越城を結ぶ川越街道帯に位置。
小田原北条氏の時代には氏照の支城となり、外郭も拡張された模様。秀吉の小田原征伐で落城し廃城となりました。
現在、外郭は住宅地であるものの、内郭エリアは滝の城址公園として整備され、本郭と二の郭は城山神社の境内。
実際に訪れると残存する堀は想像以上に良好。
二の郭へ至る土橋も三の郭へ渡る土橋も横矢が掛かり、馬出から本郭へは引橋が架けられていたとのこと。またその引橋を横から見張るのが本郭櫓台。
内郭はコンパクトながら飽きない迷宮で、僅かに土塁が点在する外郭も回ると滞在時間は約2時間。
1年のスタートに相応しい私の城郭巡りの170城目でした。
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2024/04/07 20:17
桜と吉田城 (2024/04/07 訪問)
時間が余ったのでふらっと吉田城に行ってきました。比較的近くに散歩できる城があるのは有りがたいです。吉田城の本丸は松が多いのですが、北の石段を下がったあたりには桜の木が二本あります。ただ川手桜は切られてしまっています。名前の付いている桜を切るくらいなのですから、それなりの理由があったのだと思います。本丸周辺の桜は少ないですが、三の丸跡の豊橋公園の周辺には桜の木が約500本植えられていて豊橋の桜の名所の一つとされています。なかには仙台シダレザクラもあり、珍しいのか人がけっこう集まって来ています。
本丸南多聞の右手(東側)には「山田」の刻印のある石があります。案内板などは有りませんが、わかりやすい位置にあるので訪れた際にはご覧いただければと思います。南多聞周辺の石垣は2024年2月に修復が完了し、非常にきれいに積み直されているので不自然さを感じられる方もいると思いますが、9割の石を元のまま積み直し、一割程度が交換石として外されたようです。山田の刻印のある石も交換石として外されたもので、吉田城の見どころの一つになれば良いなと思っています。
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2024/04/07 17:20
2024/04/07 17:03
紫雲出山の桜 (2024/04/07 訪問)
海崎城(城びと未登録・未訪)の近くに桜の名所、紫雲出山があります。
シーズンには車での入山規制があり、車での訪問は事前の予約が必要です。
今年は桜の開花が遅かったのでちょうど満開のタイミング、日頃の行いが良いのか?
麓の大浜港に集合、時間になると出発、山頂の駐車場まで登って行きます。
そしてこの時間になると青空に!
ラッキーでした。
下山時間も決められていますが桜と瀬戸内の多島美、満足できました!
城だけでなく四国周辺の素敵な場所、これからも発信していきたいです。
ぴんぴんさん、昨日丸亀城?ニアミスでしたね。
曇り空が残念でしたが満開で綺麗でしたね。
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2024/04/07 16:25
2024/04/07 16:18
2024/04/07 14:13
勝尾城 (2024/02/11 訪問)
【勝尾城】
<駐車場他>筑紫氏館跡山の貝方駐車場数十台分ありに駐車しました。
<交通手段>車
<登山道>筑紫氏館跡から城山登山道と城山自然公園歩道の2つのルートがあるようです。私は城山登山道をチョイスしたので後述はどうなっているか分かりません。また勝尾トンネル(トンネルは通行止め)東側<33.399629, 130.466679>から城山登山道に入れます。矢印板があります。トンネル東側入口の道路脇が広い駐車スペースになっているので、そこに駐車し登山道に入り込めます。
<見所>大手曲輪・巨石群・石垣
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅ラスト9城目。勝山城は1423年または1491年に渋川氏が築城したとされます。渋川氏は少弐氏と争い、やがて少弐氏が当地を得るところとなり、1521年に一族の筑紫氏を城主に置くようになります。戦国時代末には城主筑紫広門は大友氏に味方し島津氏に城を攻められ落城します。豊臣秀吉の九州進攻により島津勢が撤兵した隙をねらって城を奪還します。筑紫広門はその功により秀吉から上妻郡18000石を与えられます。その後に城は廃城となったようです。勝尾城とその支城群、館跡等が国史跡になっています。
上記登山道からは1000~1200m程で城跡に行けます。登山道は道になっていて矢印板も所々設置しているのでロストすることなく進めます。まず大手曲輪に到着します。大手曲輪は扇状の谷にあり、曲輪壁に石垣が多く残っています。また巨石が多くあり、巨石を防御壁にしたり、通路を塞ぐ虎口利用にしたりしています。大手曲輪一帯はかなり見応えがあります。大堀切と横堀の段壁・伝二の丸跡(東尾根曲輪群といったほうがいいかも)にも石垣跡が多く残っています。主郭主要部は中心部に主郭、少し高くなった壇になっています。南端に巨石の突き出た物見台、西方向に段曲輪が数段あります。南西側下段に横堀が走っています。主郭の石垣は南東面に少しだけ残存しています。物見からの眺望は絶景を見込まれるが曇天でほとんど見えずでした。
季節がら今回の旅で山城は絶対入れたいと思い勝尾城を選びました。見応えのあるいい城跡で選択は間違ってなかった。お勧めです。走行距離1416㎞無事走破。
<満足度>◆◆◆
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2024/04/07 09:38
名古屋城 本丸御殿 (2024/04/06 訪問)
名古屋城・本丸御殿は慶長20年(1615)に完成しました。昭和5年に天守閣とともに国宝第一号として登録されましたが昭和20年の空襲で焼失しました。今の御殿は平成30年に巨費を投じて当時と同じ技術で再現したものです。
表書院は藩主が正式に謁見の際に使用する広間で高い格式を備えています。
対面所は藩主が家臣との私的な対面に使用した部屋です。
上洛殿は徳川家光が京都に向かう際に宿泊することが決定したので、それに先立ち増築された部屋です。ただでさえ豪華絢爛な本丸御殿の中でも格別に豪奢なつくりになっています。
実際には1617年に二の丸御殿が完成し、1620年には徳川義直はそちらに移っているので、本丸御殿は実質徳川将軍上洛用の御成御殿とされていたようです。江戸時代には寛永3年(1626)に徳川秀忠、寛永11年(1634)に徳川家光、慶応元年(1865)に徳川家茂に三人が宿泊しています。非常にコスパが悪い建物で、おまけに空襲で焼けてしまったわけですが往時の姿を忠実に再現した再建御殿は連日多くの人で賑わっています。
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