近代関ヶ原研究の祖・神谷道一翁(1823-1904)によって明治25年(1892)に発表された「関原合戦図示」には関ヶ原の戦いの進捗によって第一号図~第八号図まで八枚の図示が載せられており、第一号図には家康が桃配山の到着した時の、合戦の最初の布陣が記されています。「関原合戦図示」の発表の翌年に、陸軍参謀本部より「日本戦史関原役」の初版がされており、現在の関ヶ原の案内板の配置は、この「日本戦史関原役」の中にある「関ヶ原合戦図」を元にしているとされています。
静岡大学名誉教授の小和田教授の話では「日本戦史関原役」「関ヶ原合戦図」は神谷道一翁の「関原合戦図示」を参考にしているとのことですが、実はある部分において大きな差異があります。神谷道一翁の発表の翌年という異様ともいえる早さでの発表になるわけですが、その短期間にある思惑によって変更を加えたと見るべきでしょう。
神谷道一翁は南天満山周辺に宇喜多(浮田)秀家の陣所を比定していますが、それは現在でも引き継がれています。「関原合戦図示」に関しては神谷道一翁が逝去されてから140年が経過していることから、参考資料として掲載させていただいています。
貴重な書物ですが国立公文書館のデータベースに登録されているので、ログインすればダウンロードして内容を確認することが可能です。ちなみに城郭大系も同様に閲覧したりダウンロードすることが可能です。
+ 続きを読む