いちのせじょう

一之瀬城

三重県度会郡

別名 : 一之瀬御所
旧国名 : 伊勢

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じゅんじん

南朝 (2023/11/18 訪問)

愛洲氏の拠点でした。

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カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅳ一之瀬城西の城跡 (2023/03/19 訪問)

 一之瀬城東の城跡/一之瀬神社を終えて、西に約400~500mの所にある青木山の山頂比高50mに一之瀬城西の城跡がある、車はそのまま一之瀬神社前の駐車場に駐めて、案内指示版に従って北東方向から登っていく。
 
 登城階段が備えてあり傍には手製の杖が備わってる。西に緩やかな尾根筋を一直線に登っていく、途中に一段の石垣が有り門跡なのか?説明版はなく良く分かりません、また同じくらい登って空堀、郭跡、広めの郭と空堀三段くらい、主郭の東側に堀切空堀・土塁、土橋階段を登って主郭へ、西側に4重堀切が連なり少し下がって二重の堀切があるようです。
 主郭西1の堀切に降り、隣の郭へ上る、西2の堀切と連なった堀切、郭を望む、写真に撮ったが連なりが良く分からない。南北とも谷に落ち込んでいて急峻である

 下城して縄張り図にある東麓の寿宝院跡、向井将監屋敷跡を訪ねるが良く分からない石垣が残ってるあたりかなと写真は撮っておきました。石垣から東へ一本の桜が5分咲き状態、地元の方に聞くとあそこの桜はいつも早いとおっしゃっていました。目に優しく癒される桜を早々見る事が出来ました。
 

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カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅲ一之瀬城東の城跡 (2023/03/19 訪問)

 大台町の三瀬砦三瀬館を終えて東方に在る一之瀬城を目指し、紀勢自動車道大宮大台ICから玉城ICを降りて地道県道65線から県道22号線を通り度会町脇出の元一之瀬小学校辺りの道沿いに看板(一ノ瀬城/一之瀬神社)が有り良く分かります。

 駐車場:一之瀬神社参道前、元一之瀬小学校南側に一段下がって駐車場完備、トイレも小学校側に完備。

 資料:トイレ横参道横に一之瀬城の資料7ページをクリップで綴じてボックスに入れて有り、一部頂きました大変ありがたい、縄張り図も東の城跡、西の城跡もあり、一之瀬城を守る会ボランティアの方々に感謝です。お礼を兼ねて備えのノートに記入しました。

 登城ルート:駐車場、参道、南階段を登り見張り台へ宗良親王御遺蹟石碑が立っている、急峻な崖に立っており尾根道の狭く東側が土塁、一之瀬神社を参拝、一之瀬神社の北裏に郭群が有り、周囲の西から北に横堀が走り外は土塁、内は主郭の切岸、北側に横堀を合わせ三重堀になっている、主郭北東に竪堀が落ち込み、その横に主郭への階段が取り付けられている、登ると第二郭が有り桝形の様になっている、一段登って主郭、北側に一段下がって第二郭、すぐ北は神社となっている、東側は急峻な崖、枡形、第二郭東横を下りて南側の竪堀、神社本殿横に、縄張り図には南側に三重堀があるが良く分かりませんでした。
 こじんまりした城跡ですが城跡遺構がよく残っています、横堀、竪堀、土塁、切岸、三重堀、郭、枡形、見張り台と山城のサンプルのようです。

 歴史は宗良親王の御遺蹟碑があるように南北朝時代南朝方、後醍醐天皇の宗良親王は延元元年(1336年)北畠氏に奉じられて南伊勢に赴き、愛洲氏に迎えられて翌年まで一瀬に滞在しました。その後東国を目指して伊勢大湊を出港し暴風に遭いながら遠江に上陸し井伊谷城に入りました。(いただいた資料より)
 
 この後は西側の西の城跡へ向かいます。
  

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西の城 (2022/11/24 訪問)

 一之瀬公民館バス停から案内表示したがって3分くらい歩くと登城口に着きます。城は尾根にあり堀切を備えて防御しています。主郭の背後には6カ所の堀切(表示は空堀)があり楽しませてくれました。案内板には「一之瀬城は東西の城が一体となって機能した城でした」と記されていましたが、どのように機能していたか気になります。城域は概ね整備されて、それなりに歩きやすいと思います。
城の周囲には寿宝院跡、向井将監屋敷跡があります。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 愛洲太郎判官
築城年 南北朝時代
主な城主 愛洲氏、宗良親王
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 町史跡(一之瀬城東の城跡・西の城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 三重県度会郡度会町脇出字城山
問い合わせ先 度会町役場産業振興課振興係
問い合わせ先電話番号 0596-62-2416