いちのせじょう

一之瀬城

三重県度会郡

別名 : 一之瀬御所
旧国名 : 伊勢

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①空堀と土塁
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昌官忠

(東海&関西)遠征21日目:一之瀬城(西の城) (2025/06/04 訪問)

一之瀬城には、一之瀬城(東の城)と一之瀬城(西の城)があるので別々に投稿します。
一之瀬城(東の城)から徒歩5分くらいで、西の城登り口(34.351117、136.586461)に着きました。

一之瀬城(西の城)は青木山城とも呼ばれています。一之瀬城(東の城)の支城と考えられています。
登り口から入ると向井将監屋敷(脇出殿屋敷)があり、いくつかの堀切を挟んで、主郭に辿り着きます。
主郭西側に四重堀切があり、そこから一旦下り、さらに登った先に二条の堀切があります。(標識は空堀となっています)
小さいながら堀切の連続は圧巻でした。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=三瀬砦を目指す為、脇出バス停からバス➡電車を乗り継ぎ、三瀬谷駅に向かいました。
当初の予定では、脇出バス停からバスで津村バス停に向かい、そこでバスを乗り継ぎ五ヶ所バス停に到着。そこから五ヶ所城を攻城する予定でした。
しかし、津村バス停で痛恨のミス。五ヶ所バス停に向かう方向と逆の場所に立っていた為、目の前でバスが通り過ぎてしまいました。
ショックのあまり暫し茫然。しかたなく、予定を変更し、バスで伊勢市駅に向かい、そこから電車で三瀬谷駅に向かうことにしました。
五ヶ所城攻城のリベンジはちょっと難しいかもです。

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昌官忠

(東海&関西)遠征21日目:一之瀬城(東の城) (2025/06/04 訪問)

一之瀬城には、一之瀬城(東の城)と一之瀬城(西の城)があるので別々に投稿します。
一之瀬公民館バス停から徒歩2~3分くらいで、一之瀬神社参道入口(34.351135、136.589876)に着きました。

南北朝期、愛洲氏の城で、1337年(延元2年)愛洲太郎左衛門は後醍醐天皇の皇子、宗良親王をお迎えし北朝と戦ったとされ、城は愛洲氏の支城として続きます。
愛州氏は宝徳年間(1449年~1552年)頃には五ヶ所城へ居城を移しています。
1575年(天正3年)北畠信雄が田丸城へ入城するにともない、田丸具忠は田丸城を出て一時、一ノ瀬城に入ったとされます。

一之瀬神社参道入口に駐車場とトイレがあります。城内を散策するルートが設定されており見学し易く整備されています。
城跡は一ノ瀬神社となっていて、本殿背後の高台が主郭のようです。主郭を挟んで本殿反対側の北側下に堀と土塁があります。
登り口に地元作成の資料があり、堀切や土塁を見学しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=一之瀬城(西の城)へ徒歩で向かいました。

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しんちゃん

西の城、主郭背後の四重堀切は必見 (2024/09/29 訪問)

一之瀬城は東の城と西の城の二つがあります。城びとの城のマップの位置が示しているのは東の城ですが、時間に余裕があったらぜひ、西の城も訪ねて欲しいと思います。
地元の方々や子供たちによって大事に整備され、案内板に沿って主郭まで道が続いています。東側より道が続いていて、主郭下には土塁や堀切があります。圧巻なのは主郭の西側で、主郭背後に四重の堀切が続き、さらに尾根に沿って進んだ先にも二重の堀切が有ります。
堀切や竪堀によって主郭の西側を厳重にガードしてあるのが伝わってきます。

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しんちゃん

個人的には西の城の方が好き。 (2024/09/29 訪問)

一之瀬城の西の城です。北と南に一之瀬川の支流が流れる東西に長い丘陵の上に築かれています。最高所を主郭として東西に郭が配され、堀切が配されていますが、西側の尾根上に特に入念に堀切が切られています。
コンパクトですが、真面目に造りこまれていて、個人的には東の城より好感を持っています。南北朝の時代にここまで堀切を切ることは無いと思うので、戦国時代に街道を見張る砦として使用されていたのではないでしょうか。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 愛洲太郎判官
築城年 南北朝時代
主な城主 愛洲氏、宗良親王
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 町史跡(一之瀬城東の城跡・西の城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 三重県度会郡度会町脇出字城山
問い合わせ先 度会町役場産業振興課振興係
問い合わせ先電話番号 0596-62-2416