いちのせじょう

一之瀬城

三重県度会郡

別名 : 一之瀬御所
旧国名 : 伊勢

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西の城 (2022/11/24 訪問)

 一之瀬公民館バス停から案内表示したがって3分くらい歩くと登城口に着きます。城は尾根にあり堀切を備えて防御しています。主郭の背後には6カ所の堀切(表示は空堀)があり楽しませてくれました。案内板には「一之瀬城は東西の城が一体となって機能した城でした」と記されていましたが、どのように機能していたか気になります。城域は概ね整備されて、それなりに歩きやすいと思います。
城の周囲には寿宝院跡、向井将監屋敷跡があります。

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東の城 (2022/11/24 訪問)

 東の城と西の城があります。
愛洲氏の城で、五カ所城へ移転するまで居城でした。居城を移してからは支城としていたようです。南北朝の頃、後醍醐天皇の皇子、宗良親王を迎えて北朝と戦ったとされます。戦国期は田丸氏が、織田信雄が田丸城に入城したため一ノ瀬城に入ったとされます。
 伊勢市駅(JR、近鉄)より三重交通バスにて一之瀬公民館下車。バスを降りると左右に一之瀬城の東の城と西の城の案内表示があります。まずは東の城から行きました。バス停から徒歩1分で案内板に行くことができます。案内板の横に「一之瀬城を守る会」が作成された資料が雨に濡れないように置いてありました。
そこから一之瀬神社を経て主郭まで約5分です。北側には二重の空堀(堀切だと思いますが)や土塁がよく残り見ごたえがあります。先ほどの資料によると東側には連続の竪堀があった可能性が記されていました。南の見張り台には宗良親王の碑がありました。城内は整備され歩きやすく、各所に表示もあり散策しやすい城址です。

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YAICHI

一之瀬城 東の城跡・西の城跡 (2017/05/17 訪問)

一之瀬城を本拠地とする豪族愛洲氏は、南北朝時代、南朝方を支える勢力として活動していました。
延元二(1337)年、伊勢に下向してきた後醍醐天皇の息子宗良親王を愛洲太郎左衛門らが一之瀬城に迎えています。
このことは、右の和歌の詞書によって知ることができます。
 当時の城は、後世の城のように高い石垣や堀をもつのではなく、この一之瀬城のような山城が一般的でした。
 一之瀬城の東の城跡は、大然の要害という地形を得て築城され、台状曲輪(主郭)を中心に空堀、土塁などをめぐらしています。ここから西に見える山頂(西へ400 メートル)には西の城跡があり、曲輪、堀切などがよく残っています。
 一之瀬城は東西の城が一体となって機能した中世の城でした。           (説明板より抜粋)

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 愛洲太郎判官
築城年 南北朝時代
主な城主 愛洲氏、宗良親王
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 町史跡(一之瀬城東の城跡・西の城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 三重県度会郡度会町脇出字城山
問い合わせ先 度会町役場産業振興課振興係
問い合わせ先電話番号 0596-62-2416