吉川英治の「私本太平記」を読みました。楠木正成の最後の戦い、湊川の戦いの描写のなかで「会下山」が要衝であり、西から押し寄せる、足利の大軍に対し、700騎ほどの少数で楠木正成がここに陣を張ったとされています。新田義貞は、会下山南麓から和田岬に布陣し、楠軍と合わせて、(六甲山〜)会下山〜和田岬(〜瀬戸内海)を防衛ラインとしました。
会下山に登ってみると、傾斜は急だが、比高はそれほどでなく、かつ広い頂部をもった独立峰で陣を構えるのに適しており、また、六甲山と瀬戸内海に挟まれた狭い平地を塞ぐ要衝であることがよくわかりました。
山頂に東郷平八郎元帥揮毫の「大楠公湊川陣之遺蹟」の石碑があります。
南側中腹に、牧野富太郎植物研究所跡があり、得した気分。
また、この辺りは、平清盛が作った福原京、一之谷の戦いの場所とも被ります。
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