なかさとじょう

中里城

青森県北津軽郡


旧国名 : 陸奥

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曲輪への登城虎口
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カズサン

縄文から戦国期まで遺跡が重層してる (2024/05/21 訪問)

 飯詰城(高楯城)を終えて国道339号線を北上、途中に太宰治記念館斜陽館に寄り約18km程の中里城(中里城跡史跡公園)を初登城。ナビは中里斎場を目指す。

 駐車場:中里城跡史跡公園駐車場、アスファルト舗装で余裕の駐車可能、トイレ無。
 参考資料:城びと、グーグルマップに依る。

 駐車場に駐めて、登城階段からいざ進行、先客が1台それも伊豆ナンバー静岡県人かな?後で遭遇し会話をしました。
 登城階段から尾根に登り尾根筋道を曲輪へ虎口があり広い草原に成っており東から西先端へ広がっており二段に成っており西が上段、段差には土塁と堀で南北に分断、下段の周辺には北、東、南に空壕(説明板による)、井戸跡、竪穴建物地面表示、下段と上段の南側には柵列の復元、上段北に中里城趾石碑、南に展望デッキ、展望デッキに登り中泊町、十三湖、日本海方向を眺望する、生憎の曇り雨気味で眺望は良く無い。
 各遺跡発掘跡には説明板が付いている。
 
 中里城遺跡解説板によると。
 ここの遺跡は、縄文時代前期(約6000年前)の痕跡、平安時代半ば(10世紀約1000年前)には、古代集落が成立し約100年断続し、竪穴建物跡が80棟余り発見、後半(11世紀約900年前)なるとムラを囲む様な空壕・土塁・柵列などの区画施設がつくられ「古代防御性集落」と呼び・・この時代を復元整備した。
 室町時代(15世紀約550年前)には安藤・南部両氏の武力抗争を背景に城(館)として利用された。

 伊豆ナンバーの方とは城内曲輪と駐車場で少し会話し、東海大学の大学院生で卒論の研究で訪ねたとの事、将来は学芸員に成りたいとのこと、何処かの遺跡発掘現場でお話を伺うことになるのかも?、私と同じ様に静岡から車を飛ばして900km、大変な熱意です。
 その方の情報で中泊町博物館?史料館?に中里城遺跡の模型ジオラマを展示されているとの事。(時間の関係で私は寄りませんでした)
  

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しんちゃん

11世紀中ごろの集落として再現。 (2021/05/06 訪問)

中里城遺跡は古代~中世にかけて様々な人々に利用されてきました。縄文時代前期(約5500年前)から狩猟の場所として使われ、10世紀中ごろには集落が築かれ、11世紀中期には堀や土塁・柵列などで村の周囲を囲っていたようです。戦国期には城館として利用していたと思われ、現在・11世紀中ごろの状態に合わせて復元がなされているようです。

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環濠集落 (2021/11/04 訪問)

 古代と中世に使用された遺跡であり、古代には防御的な施設を備えた環壕集落、中世には旧十三潟湿地帯を囲む城館群のひとつという、二つの性格を持っていると青森県のHPに書いてありました。津軽鉄道「津軽中里駅」から徒歩10分くらいのところに、公園として整備されています。

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dougen

2017.11.4登城 (2017/11/04 訪問)

尾引城から国道399号を南下し、津軽鉄道中里駅の北側に中里城史跡公園があります。

史跡公園のとして整備されており、土塁や空堀などが綺麗に復元されています。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 不明
築城年 縄文時代〜15世紀
主な城主 安東氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸跡、竪穴建物
指定文化財 県史跡(中里城遺跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 青森県北津軽郡中泊町中里字亀山741、254の内
問い合わせ先 青森県文化財保護課
問い合わせ先電話番号 017-734-9919