写真1が南側の入口なのですが躊躇してしまい北側から入りました。結局出る際はこちらから出てきました、倒竹を避けながらでしたケド。
北側は耕作地や低木の植樹地となっており現役として活用されていました。城域には昔の牛舎だかなにかの建物跡が有ったりとそれなりに荒れてはいます。石積があるとのことでしたので目を凝らして見つけてみると確かに見る事が出来ます。まぁ見ようによっては後年の石積に見えなくもありませんがここでは当時の物と考えました。(城郭放浪記さんにもそうあったし、信頼できる長い物には巻かれておかないと)
耕作地のあたりが主郭なのでしょうが私には確信は持てませんでした。空堀が始まる周辺は竹が猛威を奮っていましたがそこを抜けると一転して空堀がきれいに見えてきます。常に思う、たとえ荒れていても遺構は残るものなのだと。見せるのが目的の城跡では無い場合は一寸踏み込んでみないと遺構を見る事は難しそうです。こちらは見せる城跡ではなく見る城跡です。
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