こちらの城跡は国道で分断されています。残った北側の城域には曲輪が残りその曲輪と川の間には幾つもの空堀が残っています。
川は下流のダム建設により水位が上がり、遺構が部分的に川の中に沈んで居るように現地では見受けられました。
残存の曲輪は広いのですが高低差がさほどなく主郭の位置は確定できませんでした。
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分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 伊東氏 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な城主 | 肥田木四郎左衛門尉 |
遺構 | 曲輪、横堀(空堀) |
再建造物 | 碑 |
住所 | 宮崎県小林市野尻町大字東麓 |