石垣が見事でお金持ちの藩と思えてしまいますが江戸時代は1万石の小藩でした。
財政は芳しくなく当時の城壁は漆喰を塗る余裕が無く赤い土壁だったそうです。
建物も平場が少なく昭和の温泉宿の様な継ぎ足し懸け造りだったそうです。
天守も建てられましたが小振りな2層天守。昭和の天守建設ラッシュ時に再建の動きがあった様ですが元藩主遠山氏から
許可が得られなかったそうです。その後、平成に入り整備事業の一角として今の天守枠組み展望台が再建されました。
コンクリでなくて良かったです。天守跡からは展望がとにかく素晴らしい。
木曽川を見下ろすと小さな鉄橋が見えますが半世紀前に廃線になった北恵那鉄道の橋梁です。
見どころは複雑に組まれた大櫓、本丸下の高石垣、そして天守台からの展望です。
城下には雰囲気のある海鼠壁の蔵があります。
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