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須賀の城じぃ

20170826山中城@日本100名城 (2017/08/26 訪問)

山中城址行のバスは事前に調べたら1時間に1本だと思ってましたが、土日は朝の内は30分に1本になってて、しかも特急で楽々到着。北条が秀吉の征伐に備えて強化したというのが山中城ですが、いまや日本百名城ではありますが、韮山城が百日持ったのに、実はたった1日で落城したのがこの山中城。

① 左上:山中城址の地図#本番は箱根峠から来るので、駒形神社~本丸~西ノ丸~田尻の池~宗閑寺~南部。山中城址バス停に戻り旧街道かな?、右上左:西坂の一部に石畳が残っています、右上右、右下:岱崎(たいさき)出丸、左下:一ノ堀、すりばち曲輪#山中城側は一ノ堀~すりばち~岱崎出丸と来るのを想定していましたが、いきなり岱崎出丸を攻め取られています

② 左上:東海道ですが、左中:三ノ丸堀を越えて、左奥が西ノ丸で、西ノ丸畝堀(うねぼり)~西ノ丸堀と考えたようなのですが、中上:実際にはいきなり二ノ丸へ攻められて、中下:あっけなくこの橋を渡られ、右上:本丸へ侵されたようです、右下:天守跡

③ 左:天守下にある駒形神社、今回は下見なので宗閑寺の入口を確認して、三島大吊り橋へよって、右下:三島へ戻って、モリマサさんに教えてもらった老舗そば屋飯嶋で美味しいそばを頂く

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20170806平山城址周辺の城址巡り (2017/08/06 訪問)

企画では、日野七福神+城址+新選組を巡る散策なんですが、散策のポイントである城址の平山城、川辺堀之内城、高幡城などの情報がほとんどない。これも平山季重が頼朝に従った武将で記録等少ないんでしょうね。それから城址と七福神を結ぶ”路”があるのか?そういうわけで存在や接続が不安な付近を見て来ようと来たわけですが、暑くて予定の半分でギブアップしました。

① 上左:京王堀之内からバスで東京薬大経由で平山城址公園へ。綺麗な地図があり整備されているよう?、上中:多分最高点なので城址なのかと思ったが、標識は全くない#駅名にもなっているのに史実がはっきりしないのだろうか?、上右:コース的にはこの平山季重神社から七福神の宗印寺へ回りたいのだが、標識の裏手に細い道があり抜けれそうだ#その先も公園の方に回ればかなり最短で宗印寺へ行ける、下左:平山城址公園駅に行き、平山氏の館跡を確認できた、下右:実際には歩くんですが、1駅だけ電車で隣の南平駅まで移動して、暑い中、長い長い道を川辺堀之内城のあった堀之内緑地へ

② 上左:平らな様子は、平場かとも思われるが、踏み跡がないので足元は柔らかい。またも確証ないまま先へ、上右:バス通りへ出ると日野七福神の延命寺、下左:裏手に日枝神社があり涼む、下中:境内のムクノキの大木、下右:高尾から流れてくる浅川の土手の道を歩いていくと、前方に高幡不動の山。あそこに高幡城がある

③ 高幡橋で高幡不動に向かう予定でしたが、暑くて…、上左:前方にふれあい橋が見えて来たので、高幡城はパスして、下左、下右:ここはフランケンシュタインの恋でロケ地になっている場所、上右:橋の中央辺りで上流を見ると、堰があって歩いて渡れるかも?、下右:高幡不動駅から分倍河原経由京急川崎で帰宅

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20161016大船玉縄辺りの散策 (2015/12/08 訪問)

鎌倉の紅葉は12月に入ってから。丁度そのころ、紅葉と城址とかん太村と田谷の洞窟を行きました。

① 上左:大船駅から玉縄城址までは割合に情報も多い、上右:龍宝寺には古民家があって、そこに城址の模型があったし、下左:簡単な地図も掲示されている、下中:しかし肝心の天守には入れない、下右:整備が定期的に行われており、ボランティアが募集されている

② 左:この辺りには長屋門の民家などがいくつかあって、その先に七曲り坂の史跡が再構されている、右:ここは北条氏の城だが、地図を見ると結構大きな構えですね。右下右:清泉女学院の裏門#武者祭の写真がはってました

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20150506、20170319七沢城 (2015/05/07 訪問)

大山支尾根の鐘ヶ嶽北尾根+見晴Aだ?Bだ?+浄発願寺跡などのキーワードがあり、一部を行ったことがあるビビ♪さんの参加もあり、無事行って帰って来れました。

① 2015年清川村役場からの福神山のVルート経由で来ましたが、鐘ヶ嶽の北尾根は凄い急登で驚きました。左:山頂は七沢城の狼煙台みたいな存在だったようです、右:浅間神社は山頂のすぐ下にある神社

② 今年3月見城(みじょう)へ広沢寺(こうたくじ)から。上:広沢寺温泉の前の神社から登りだして、鐘ヶ嶽と館の間の連絡の役割をしたみたいです。下左:七沢付近の地図、七沢のお館は七沢リハビリーテンション病院施設内にあったようです。

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20150405片倉城 (2015/04/05 訪問)

 片倉城にはかたくりの散策で、ここ片倉から高尾の梅ノ木平、そしてかたくりの里へと回った時に寄りました。左上:JR側から来ましたが、住吉神社んぼ看板で入って行き、左下:二の丸からは、丹沢の方とかも見えます、右下:城の鳥瞰図はこんな感じらしく、橋とか堀とか堅牢な城の様子がわかります。カタクリは咲くのが遅くて、4月に入ってましたが、咲き出したばかり

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20150131戸倉城 (2015/01/31 訪問)

武蔵五日市の払沢の滝の氷結を見に行って、ついてに七福神巡りをしたら、北条氏の戸倉城に出会った。

① 七福神を掲載しておきます。左上から、徳雲院/寿老人、下町地蔵堂/恵比寿天、正光寺/弁財天。右上から、光厳寺/布袋尊、大悲願寺/大黒天、番場地蔵堂/毘沙門天/玉林寺/福禄寿

② 左:滝の前にある散水の井戸は凍っていましたが、払沢の滝は凍っておらず、右:瀬音の湯に寄ってから七福神巡り開始、

③ 下:光厳寺は、上左:三島神社の奥に見える城山#貯水池の上の方にありますが、結構きつい坂道の上#行った時雪が降った後でした

PS
以上で過去の訪問記事から起こした城を行くは、ストックがなくなりました。でも実際には写真がないけど訪問した城は、高崎城、首里城、松本城、大阪城、二条城、和歌山城など行ってるんですが、デジタルデータがないので、再訪出来たら、またアップしたいと思います。

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20141103鎌倉史跡散策。一升枡・五合枡 (2014/11/03 訪問)

何度か行ってますが、鎌倉時代の遺構で、長谷の大仏トンネルの上にある長谷配水地にある一升枡と、極楽寺の成就院の裏手の霊山山にある五合枡の遺跡。世界遺産などを狙ったことがあるようですが、朽ち果てています。

① 左:鎌倉大仏の先のトンネルを登り、左へ行きますと配水池。配水池の裏手へ回ります、右上:すぐ山へ入るとチョット長いアプローチですが、孟宗竹の竹藪を越えたあたりで、右下:平坦な土地になります。ここが一升枡。整地されて遊歩道まで作成されていました。平坦地に行くまでに左手へ降りれそうな道があるので、崖のどこか住宅地から登ってこれるような近道があるかもしれません

② 左上左:文頭で”成就院の裏手の”と書きましたが、この日は3回目ですが、実は極楽寺1の奥の方からしか入れたことがありません、左下:劇やぶですが、左上右:登り切ると海が見える善計に出ます、右:数年前に来た時には、擁壁工事をしていて、右手から海岸方面の道路に降りれました#今回は未確認ですが、帰りにその道路へ降りましたが、は入口はなかった

③ 上左:コッホ医師の記念碑らしい、降りは成就院の方向へ行って、左手へ行くと、下中:成就院の西側、極楽寺前のお墓に降りてくる#間違ったら戻る方がいい

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20140420奥牧野城 (2014/04/20 訪問)

奥牧野って知らない人が多いと思いますが、秀吉が征伐に来る前は、関東一円を治める大大名の北条氏の支配下エリアで、隣国は甲斐や駿府。奥牧野は秋山川の側にあって、甲斐武田氏との備えになります。現在は近くに、やまなみ温泉や東尾垂の湯、秋山温泉がありますし、甲相国境のハイクも楽しめます。

 上左:藤野駅から奥牧野バス停まで行って、下左:吊り橋を渡って、上中:少し行くと、標識があって、上右:右手へ行く路が見えるので、そこを登ると、下右:祠が残されています。この辺が平城の場所?

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20140118江戸城@日本100名城 No.21 (2014/01/18 訪問)

20140118江戸城@日本100名城 No.21
この日は東京タワー~スカイツリーへタワーtoタワーということで、増上寺から東京タワー、そして大手門を経て、日本橋から両国経由スカイツリーの途中に、江戸城へ。

① 左上:桜田門から入り、左下:二重橋へ、右上:桔梗門からさらに北へ回って、右下:大手門から城址へ

② 城址内には昔の番所などの施設が残されています

③ 上左:富士見櫓、上右:江戸城の見取り図#確か松の廊下も書いてあった、下左;天主台は天守閣跡かな?、下右:その向こうには大手町の高層ビル群

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20121208+20131214等川越城 (2013/12/14 訪問)

川越城は初めて来た121208から3度近くを歩いているが、初めて来た時に七福神巡りをするついでに城址の付近を通り、翌年川越城本丸御殿に入ったが、川越城はもともと扇谷上杉持朝が、古河公方・足利成氏に対抗するため、江戸城とともに築城させたもので、戦国時代には北条綱成が進出して来た。小田原征伐で前田利家に攻め落とされた。しかし北条氏の時代のものがどの程度残っているか中々わからない。たぶん徳川時代(家康が国替えで江戸入りした後)の日本100名城の川越城となる。

① 121208のもので、Facebookのオフ会で散策することになって、少し早めに来て七福神を廻った。左:川越城本丸御殿横の富士見櫓跡、右上:中ノ門堀跡、右下:メンバーには川越駅で合流の筈が、七福神を巡り切れず、時の鐘で再び会うことにしたが、地元の遠藤先生の気配りで古民家の見学と川越山車を見学できた

② 左:翌年には、川越城本丸御殿に入場して、左下:地図も見つけたけど、右上:現在の地図と化され合わせたものを見つけたけど、大手門って川越小の西側ですね、右下左:川越高の校庭ですが、三ノ丸から八幡曲輪になっていたようですね、

③ その後何度か来てますが、ポイントは、上左:大正浪漫通りのいせやさんはかんぴょう巻が、上右:平蔵さんは秋田名産品が売りで#遠藤先生の奥様が店主、下左:時の鐘の側のいも恋、下右:蔵里ではCOEDOビールとお酒の丸打ち(≒角打ち)が楽しめます#立ち飲み

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20170511三崎城址、新井城址、長井城址、和田城址、大田和城址、芦名城址@三浦一族の歴史散策3+三浦半島二大霊場大開帳奉拝 (2017/05/11 訪問)

3回目の今回は、京急の1Dayパスで移動。3回乗れば元が取れるものですが、倍以上はもうかったという結果に。

① 左:この日は三崎から油壷、荒崎、和田、太田和、芦名(大楠)と大回りしましたが、左:まず津久井浜の津久井義明のお墓のある東光寺へ、中:三崎市役所のそばにある三崎城址。地図などもあってよく整備されています、右:三浦一族の最期の地になった油壷にある新井城址ですが、現在は東大の研究所の中にあって、中には入れません。右下にあるのが最後の城主である三浦道寸の墓

② 上左から3つ:バスを乗り継いで荒崎にある長井城址へ。城跡は城山展望台になっている、上右:和田BSへ戻り、義明の孫の和田義盛の神社から、s高路を登って、下:平塚農高初声分校の前にある和田城址の碑

③ さらにさらにバスを乗り継いで、自衛隊のある太田和へ。中上:現在は老人施設になっているが、左上、中下:ここの裏が大多和城址。構造などは分からない、右上:最後は大楠へ。城址の碑と庚申塔の上に小学校がありそこが芦名氏の館があったようで、右中:個の丘が城址か?、またこの日は三浦半島二大霊場大開帳奉拝も開催されていて、いくつか御朱印を頂きました

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20170309大矢部城址、平作城址、郷山城址、小矢部城址、神成(かりがね)城址@三浦一族の歴史散策2 (2017/03/09 訪問)

この回はこのトピックの主催者のwataさんと同行して、割合に近場近場を巡って6箇所を巡りました。

① 大矢部城址は衣笠城にも近く重要な支城だったんですが、戦中には弾薬庫になっていて、現在は公園墓地とあまり管理はよくなく、なんの標識もありません。上:公園入口の近くの駐車場から、少し斜めになった階段を登ります、上中:鉄塔があり、そのあたりが平場になっているように思えます、下左:この木がごっちゃっとしている先は急降りになって、自然の要塞になっていたんでしょうか?、この後少し遊び心で衣笠城址を回って、裏手にある太平洋戦争時の高射砲基地跡を通って

② 上左:横須賀PAを通って#この辺りの情報は山城ガールむつみさんからの情報、上右:しょうぶ園のある平作城址の辺り#写真は高台にある妙昭寺、そこからは歩いて歩いて、下左:衣笠中側の郷山城址、下右:衣笠十字路側の小矢部城址へ回る

③ 最後は、上:妙真寺にある神成(かりがね)城址へ。今日回った所は衣笠城址以外は何の説明板のない支城です、下:その他の情報ですが、三崎街道のある元気パン#揚げパン食べてみてください。wataさんから五徳付きのアルコールランプセットを頂きました。もちろんビール缶で作った手製アルコールランプを使います

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須賀の城じぃ

20170221衣笠城址、大矢部城址、佐原城址@三浦一族の歴史散歩1 (2017/02/21 訪問)

三浦一族の歴史に目覚めて史料などをめくってみると、鎌倉の歴史を支えたのはこの三浦一族だったのだぁ~ということで、横須賀市の資料などを見て、三浦一族の歴史散歩を企画してみた。

① 上左:旗立岩というところ#不動井の手前の左側の民家にあります、上右:不動井#中に不動明王があります、下:大善寺の上にある城址へ

② 下:城址公園には、わかりやすい地図があり、旗立岩や川を利用した堀切などの説明がされています。公園は平場をそのまま利用しているようです、上:物見岩と大きな記念碑。北側は深い谷戸になっています

③ この辺りのその他関連施設ですが、下左:三浦退助義明公を祀る御霊神社@満昌寺、上左2枚目:衣笠の戦いで敗れ、義明の腹切り松、下左:義明の孫の義村を祀る近殿神社と、義明の子義純の墓@旧薬王寺、上右の2つ:佐原城址、下右:義明の末っ子の佐原吉連のお墓@万願寺

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20131201怒田城址@三浦一族の城 (2013/12/01 訪問)

今日はついに12月。早いもんですね、もう師走。しかも師走は早い。新たなヘルニアも落ち着いて、今の心配は喘息ですが、近頃風邪の咳や喘息の咳はひどいと気管支炎になってしまいますが、漸く何とかなった感じです。
今日はちょっと気をつけて山はやめて、横須賀百景の残りにチャレンジということにしました。浦賀や横須賀中央の辺りに残りが多いのでそれを回ろうと思いましたが、結構道のりがあるので浦賀編と横須賀辺りに分けました。

この頃は横須賀百景を追いかけていて、怒田城址を訪ねました。私には三浦一族はこの時点では、百景の一景とかハイキングコース(衣笠城址)の一環でしかなかったですが、左上:久里浜と浦賀の山の手の吉井貝塚の場所にあり、右上:怒田(ぬた)城跡になります、下:城跡の久里浜側は開けていて富士山が見えます
頼朝達が千葉に逃れた時にこの城がなければということになるのですね。

ちなみに、横須賀百景のスライドショーは、こちら→http://photozou.jp/photo/slideshow/3040873/8549815

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須賀の城じぃ

20130523若松城+会津鉄道~野岩鉄道~東武鉄道で浅草へ (2013/05/23 訪問)

ホテルで地図をもらって、若松城を見学してから帰ろうと、6:30にホテルを出て、1時間位で若松駅に戻って帰る予定でスタートしました。

① 下左:鶴ヶ城は三浦一族のゆかりの葦名氏が開城して、伊達や蒲生などを経て、家光の異母兄弟の保科氏のち松平氏
と続きますが、地図の下側からて中に入って、中央の天守閣の方に行って、右手の西出丸から出るルートで歩きました、上右:天守閣が綺麗に見えます、上左:桝形を抜けて、下右:場内見学の受付ですが、時間外で入れませんでした!

② 上:場内の公園を回って、下左:馬洗石とか、下右上:一段高い石垣ですが、八重が鉄砲撃ったところでしょうか?、下右下:鉄門は、守りの要ですね、

③ 上:お城のすぐ西側に藩校の日新館跡の南側に八重の生家がありました、下右:この辺りからだと、会津若松駅に戻るより、西若松駅の方が近いのでつい歩いてしまいましたが、実は列車本数が全くなくて、1時間以上も若松行きがない!でもよく聞いてみると浅草行きの電車はあるというので、新幹線で帰るはずが日光経由に。到着時間が30分位しかちがわなかった。下左:名物駅長猫#この子は亡くなって、今は別の猫

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20120602五稜郭@日本100名城No.2 (2012/06/02 訪問)

仕事とか個人的なことでも何度か訪問している函館ですが、この時は仕事で。朝早くホテル出て、五稜郭の側でスポーツイベントがあって、それを見に行く途中で五稜郭に寄りました。

 右上:見取り図です。右下の一の橋の先に、左下:五稜郭タワーがあります、右下右:そのタワーからの写真、右下左:ペンタゴンの中央にあるのが奉行所ですが、左上:そのあたりは松の高木に囲まれています

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100404小田原散策。長興山しだれ桜~太閤一夜城~小田原城 (2009/04/04 訪問)

2007年12月に段だらを初めて、この2010年まで3年間続けていたのが、”連続週末ウォーキング”。雨が降っても台風が来てもとにかく歩いていました。

① 左上:長興山のしだれ桜を見てから、左下:この紹太寺には春日局の墓があります、右上:早川を渡って石垣山へ#この頃は”一夜城 ヨロイヅカファーム”はあったかな?、下右:一夜城の案内地図

② 左:一夜城からの小田原城の眺望、右上:現在の早川駅までの急な降りの農道に、秀吉、淀君、千利休、秀次、家康、宇喜多秀康、伊達政宗、堀秀政が並んだようだ#淀殿とか千利休は本当かな?、右下右:小田原城の桜も見学しました

③ 小田原征伐の結末は?、大河ドラマで黒田官兵衛を見てる人は分かるでしょうが、結末は黒田官兵衛の働きが大きかったみたいです。→小田原城開城と黒田官兵衛 https://www.junk-word.com/taiga-drama/xn--f6qx0wq4bm15evzg/002291.html が詳しいかも
三浦一族の後、徳川になるまでの関東を征した北条氏の山城を回ろうかと思いますが、関東一円なので結構大変…でも今後は北条を追いかけることになりそうです?とりあえず、南関東と東京、埼玉か?

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須賀の城じぃ

20090412津久井城山 (2009/04/12 訪問)

随分前で、実は告白すると城巡りなんて思ってもおりませんでしたが、寄ってました。
三浦一族の津久井氏がいた城です

① 上左:行った時にはこのような立派な地図はなくて、かたくりの里から来たので、花の苑あたりからアプローチしましたが、上右:桜が咲いて綺麗ですね、下:江川ひのき林などを経由して、とりあえず山頂まで目指します

② 上左:途中飯綱神社に寄り、下左:曲輪を経て、築井古城記碑、上右:山頂は平らかになってまして、お弁当食べてますね~、下中:津久井湖が見えます。多分光井大橋の辺り、下右:道を間違えて荒句BSへ降りちゃいましたが、歩いて橋本行のバス停目指します

③ 上左:小倉橋ですが、上右:青が当時の行程#ほんとは赤みたいに歩きつくしたかったんですが…、下左:何年か前に三ヶ木に行った時に相模原ICができていて様相が変わってしまいびっくり!

さて、城山の状況は、以下をご覧ください。
津久井湖城山公園ガイドブック 津久井城ものがたり-過去から未来へ-
http://www.kanagawa-park.or.jp/tsukuikoshiroyama/pamph/monogatari.pdf

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20090315足柄城 (2009/03/15 訪問)

この日は乙女峠から金時山を越えて、足柄峠へ降りてきました。足柄城は、秀吉の小田原攻めで落城しました。東海道の主要な城である山中城に比べると、簡単に落ちました。

 左上左:足柄街道の階段を登ると、左下:城跡の碑#右上の一の郭の部分(城郭)になってます、左上右:富士山が見え、右下右:金時山も望めます、この日は、右下左:関所跡を越えて、足柄街道をバス停まで歩きました

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須賀の城じぃ

20080908岩殿城 (2008/09/08 訪問)

大月には何度も仕事で来たこともありましたが、あの垂直な山が登れるって知って、まだアラインゲンガー(単独行)に慣れてない頃ですが、登山本だけでよく行ったものです。

① 上左:登山口の側の駐車場にある地図、下左:登山口です、上右:登山口の横にある岩殿山の説明書き、下右:この上に丸山公園というのがあって、そこに”ふれあい館”というのがあって、この鳥瞰図とかがあります#多分

② 公園の先から本格的な登りですが、上左:垂直感出てますよね!、下左:三の丸、二の丸を経て、本丸(山頂)へ、上右:下に流れる桂川や中央道を除くのも怖い、下右:烽火台を見て、下中:馬屋から稚児落しへ回ったが、今の私なら大手門と搦手は確認したでしょうね

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