松尾寺の最盛期は南北朝時代から室町時代であり、寺領7千石、寺坊300余名、僧兵は数千人を数えたらしく、山岳寺院を利用したのが松尾寺城であったらしい。織田信長は天正9年(1581)紀州高野山攻めの際に松尾寺も攻撃、松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払ったが、豊臣秀頼によって再興されている。
松尾寺駐車場(2ヶ所:30台)を利用、麓から石段を途中まで上がると、左側の削平地は首堂(こうべどう)、案内板曰く「源義経が源平一の谷合戦で戦死した将士の首舟一槽を当寺へ送り、この地に葬り亡魂の菩提をねんごろに弔いました」と、将士の首舟一槽を想像してしまい、少しコワイ。さらに石段を上がると立派な山門と金堂、改変されているので遺構は良く分からないが、一番奥の春日神社裏に山城らしい地形が見られます。
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