茨城県坂東市のBS日本の城見聞録でも紹介された逆井城です。1450年頃小山氏の五男がこの地を領し逆井氏を名乗り築城したとされます。1536年古河公方方だった逆井氏は小田原北条氏方の大道寺氏に攻められ逆井城は落城し、逆井氏は滅亡。この地は常陸佐竹氏・結城氏・多賀谷氏との領国の境目にあり1577年跡地に北条氏が佐竹氏などの常陸・下野への侵攻の拠点として大規模な城を築城し北条氏家臣北条氏繁が城主として入城してます。氏繁没後は子の氏舜などが城主となりますが、1590年豊臣秀吉の北条征伐に伴い廃城となっています。江戸時代の軍記「関東古戦録」には風磨忍者300名が配されていたされます。城は西仁連川により形成された南北30kmに渡る飯沼を北側の堀とし、西側は蓮沼があり、南側に大軍も収容できるよう曲輪を連ねた平城で本丸、二の丸、三の丸の東西420m南北300mの規模とされます。現在城跡は逆井城跡公園として二層櫓・土塀・櫓門・木橋・堀などが復元され中世城郭の姿を偲ぶこときができます。また、公園内に近隣の関宿城の薬医門、大安寺の天正時代の観音堂を移築、大台城の主殿を復元などされています。
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