<オススメ>★★☆☆☆
喜多見城は、江戸氏が築城したとされる。江戸重長は「武蔵国の棟梁」とも呼ばれ、同族の河越重頼・畠山重忠とともに源頼朝の覇道に貢献し、鎌倉幕府の重鎮として活躍した。その後、江戸城を扇谷上杉氏の家宰・太田道灌に奪われると、後北条氏の傘下に入り、現在の喜多見に移ったとされる。小田原征伐で後北条氏が敗北すると、江戸氏は徳川の家臣となり、姓を喜多見に改めた。喜多見氏は、関ヶ原の戦い、大坂の陣などに従軍した功績から、2000石にまで加増された。喜多見重政のとき、喜多見藩を立藩し、喜多見城跡に陣屋を置いた。喜多見重政は徳川綱吉の寵愛を受け、6800石余を加増され、1万石の大名となり、1685年には、側用人となる。その後も、1万石を加増されて合計2万石の大名となり、喜多見に立藩した。幕府の足元という立地にもかかわらず築城を許され、諸費用を綱吉から下賜されている。しかし、立藩直後、刃傷事件に連座して改易された。なお、喜多見藩は東京23区内に存在した唯一の藩であった。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
小田急線 喜多見駅 徒歩25分
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