14時集合ののち、さっそく、三浦先生のご案内で参加者全員で本丸伏見御殿の説明からスタート。
福山城の本丸御殿は、左から入って右奥に進む形で、徳川系の御殿とは反対の形になっています。これは秀吉の、伏見城の御殿を移築したためである。というご説明に一同頷きました。
また、福山城築城時、水野勝成が、幕府より伏見城の建物をもらった時、本丸南側一帯(伏見櫓~筋鉄御門~土塀~御湯殿~土塀~月見櫓)
にズラーッと並べ、徳川の世になったことを西国の大名に知らしめたため!という説明にも一同ウ~んとまた頷く。
次は伏見櫓と歩き、伏見櫓では、櫓としては最古級で、秀吉の伏見城の焼け残った松の丸東櫓を移築したもので、外側から見える柱1本、内部にも数本天守級に使われる太いがある。それらは傷だらけで高級なもの、途中で継いでいる古材である。ということは、小幡山伏見城には地震で倒壊した指月伏見城の天守の古材である。指月伏見城天守は聚楽邸の天守の移築。どんどん話が予想外に大きくなり一同今度はどよめく。
そのあと筋鉄御門では、2本の鏡柱。この柱は欅の一木造りで、ここ福山の筋鉄御門だけ。江戸城、二条城、姫路城の城門でさえ、一木ではないそうです。継手を隠すため金具が四隅と縦横に取り付けてあるそうです。今度よく見てみようと思いました。
また、門扉も五寸の縦柱がズラリと並んだ上に約一寸厚の横板を張り付けている本物の扉。更にその上から鉄の帯。本物の城門です。さすが、元伏見城の城門なんだと納得。
そのあとは、本丸下を棗御門まで入口が塞がれた台所門や石垣の説明を聞きながら移動。明治以降だいぶ改変されていました。
ここで城内巡りは終了。このあと会場に移動し、福山市により制作中の復元CGを見ながら説明してくださいました。往時の内堀内の様子が再現され、当時にタイムスリップしたよう!建物の数も規模も大迫力でした。まだ未完成で、今年度には完成するそうです。VRも期待したいです。
これから復元天守の耐震工事が行われるそうですが、その時に、現在では復元されてない天守北面に貼りめぐらせていた鉄板や、二重目の南北の窓の数、破風内にあった六角形の挟間を復元する話も出ているようです。
それが実現するととても楽しみですね!
今日半日、三浦先生のお話を聞いただけですが、福山城を見る目がすっかり変わってしまいました。とても良い体験をさせていただきました。
福山城の築城400年記念となる2022年に向けて取り組む福山市の熱意がとても伝わってきたイベントでした。
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