昨年8月出雲、石見、伯耆の城巡り鳥取市で古希祝同窓会を終えて浜松市へ帰宅途中、新名神信楽IC経由県道138号線経由して家康伊賀越えで1泊した城小川城を目指したのですが案内板、道標に従い林道を進み離合厳しい道で90度クランクしての急な長い坂道、城郭放浪記さんの案内では主郭近くまで林道が繋がってるとの事でしたが、90度クランクの急な長い離合困難な坂道で急に不安に成り90度クランクのポイントを何回もスイッチバックして反転脱出し小川城登城を断念。
次の目的地城主多羅尾氏の代官所陣屋へ向かう、車は陣屋前に駐車場有り、春と秋に一般公開あり、表門前には進入禁止のゲート有る、脇には案内パンフレットのポスト有り、資料ゲット、ゲートを若干侵入して切込接ぎの立派な石垣を探訪、土塁城壁、堀、裏門をぐるっと探訪。
信長本能寺で光秀に撃たれ家康が堺から京の信長の元にお礼に向かう途中に悲報に接し伊賀を越えて三河に向かう事にこの時近江多羅尾の郷から多羅尾氏の助力で三河へ脱出する事が出来た故事は有名で多羅尾氏は明治まで代々代官職を継承した。
伊賀越えと言ってるが一部は甲賀越えとも言えるのではないかと思うのですが。
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