JR岩手県奥州市の北上駅から西約8kmにある岩手県北上市の岩崎城です。いつ頃築かれたかは定かではありませんが、南北朝時代にはあったとされ、飛勢城を本城とする和賀氏の一族岩崎氏の城です。城は和賀川と夏油川にはさまれた台地上に南北300m東西600mの規模で、本丸、二の丸、三の丸を有し、各郭は土塁と空堀に囲まれていました。1590年豊臣秀吉の小田原攻めに和賀氏は参陣しなかったため領地没収となり、この地は南部氏に与えられます。1600年関ヶ原の戦いで南部氏が出羽の最上氏支援に出陣、この隙をついて和賀氏旧臣が和賀忠親を擁し伊達氏の支援を受け兵2500で一揆を起こし南部氏の花巻城を包囲しましたが敗れ、飛勢城へ撤退するも支えきれず、岩崎城へ籠城。籠城後は伊達氏の支援も無くなり、翌年の1601年南部氏の攻撃より岩崎城は落城。忠親は伊達領に落ち延びた後、自害したとされます。一揆鎮圧後は、伊達氏に備える国境の城として修復され南部氏家臣が城代として置かれましたが、のちに廃城となっています。現在城跡は城址公園として本丸跡に模擬天守が建設されていましたが、老朽化と東日本大震災の被災を受け取り壊しとなり、現在は跡地に岩崎城址舞楽殿が建てられています。この時期になると草も伸び藪状態となり、手入れされていないところは歩道も歩けない状態となります。本丸から岩崎集落側の二の丸へ降りてゆく歩道があるはずなのですが、草で発見できませんでした。
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