秋田県南部の湯沢市にある湯沢城です。鎌倉時代後期秋田県雄勝郡に入部した小野寺氏稲庭城の支城として築かれ、のちに小野寺氏は雄勝・平鹿二郡を領する戦国大名に成長してます。しかし、1593年山形最上氏の雄勝郡侵攻が始まり、国境の八口内城など数城が最上氏に攻略され、さらに、1595年雄勝郡の小野寺方の重要拠点である湯沢城周辺の小野寺方の西馬音内城主など5城主が最上氏に従属、しかし、湯沢城主小野寺孫七郎兄弟は従わなかったため最上氏は主将楯岡満茂、先鋒鮭延秀綱の兵6千で湯沢城を攻撃。湯沢城には小野寺孫七郎兄弟が兵8百で籠城。小野寺本軍の援軍は来ず、多勢に無勢で落城必須と知った城主孫七郎は妻子を殺害、残った兵3百と城から突撃。最上軍に多大の被害を与えますが残兵50名となり燃え盛る城へ引き返し切腹したとされます。以後最上氏家臣楯岡満茂が湯沢城主となり小野寺領侵攻の前進基地となります。関ヶ原の戦い後、佐竹氏が秋田に転封となり湯沢城には佐竹南家が城代となり城と城下町を整備します。しかし、1620年一国一城令により廃城。城山麓に館をたてこの地を治めたとされます。城は、湯沢市街地の市役所向かい側の標高230mの古舘山に築かれた山城で本丸、二ノ丸、馬場郭からなり東西400m南北650mの規模といわれ、現在は中央公園となっています。
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