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トーマス@

川を背に堅牢そう (2018/08/05 訪問)

登城時は天候に恵まれ、暑かった。三重櫓の中で資料を拝見しました。

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Snakepit

お寺さんになってました (2018/10/01 訪問)

本慶寺さんになってます

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オダリン

金ヶ崎の退き口で有名 (2013/10/18 訪問)

秀吉がまだ木下藤吉郎の時、殿軍の成功で信長軍の周囲から認められる契機の城だったと思う。

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Snakepit

学校内にある説明板 (2018/10/01 訪問)

小学生の通学時間帯にかち合ってしまった…
不審者に見られないよう…
たまたま教師の方が通学のお出迎えに出てこられたので声をかけて撮影(;´Д`)
学校横に郭跡が残ってます

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Snakepit

尾張徳川の支藩 (2018/10/01 訪問)

説明板は公園に最近増えてる関ヶ原バージョンの説明板と少し離れた広場に昔ながらの説明板があります

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チェブ

んんっ!地図もちゃんと見れないのに! (2018/09/29 訪問)

みなさん、吉見百穴を知ってますか?その近くに武蔵松山城があります。ちなみに吉見百穴の駐車場が無料で使えます。
岩肌にたくさんの横穴が空いており古墳なんだそうです。
入口に大きな「吉見百穴」と「武蔵松山城」 の看板。埴輪君が笑顔(?)で迎えてくれます。
が、お城の入口がない!山側を登って右側に小さな看板発見!入口だ、現在地確認!と思ったのですが、なんと地図が逆さまに付いているじゃないですか!
逆さまに付いてなくても地図を見るのは苦手なのに。
まーしょうがない行くかっと思い矢印の方向を見ると草木が生い茂り入れなさそう。冬の方が楽に巡れそうですよ。
ちなみに秀吉が北条征伐の時、このお城、前田利家公や上杉景勝公が囲んだとの事。百穴、気味が悪かっただろうな。

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モト

もっと名所として評価されても良い城跡なのでは?! (2018/09/25 訪問)

各曲輪を大小の空堀が囲んでいます。
空堀達は入り組んでいたり、二重だったりと見応え充分です。
公園としてある程度は整備されていますし、案内板なども随所に設置されておりますので見学もしやすかったです。

入り口の碑の横の階段をあがった小高い山に城跡があります。
空堀に囲まれた曲輪達を土橋を渡りながらまわっていき、その曲輪にある土塁、櫓台跡などの遺構にも大興奮でした。
城跡の全体的な範囲、遺構が把握しやすくウネウネした空堀にさらにワクワクしながらまわりました。

失礼ながらまさかここまでとは。
歴史的な大きい背景があるかないかなんですかね。
なんでもっと有名にならないのかなと思いました。

茨城県に来た際は是非お立ち寄りいただきたい城跡です。
皆さまも小坂城で空堀の妙味を味わってください。

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tsuchinari

山城の魅力の詰まった名城 (2018/09/24 訪問)

城はあくまで「史跡」つまり歴史上の遺物であると思う。しかし城は今も尚変化している。
個人的に月山富田城は今回で3回目になるが、来るたびに新しい顔をみせてくれる。
初めて訪れた3年以上前は、城下に近い曲輪や七曲がりのある急斜面の山裾は自然林が生い茂り、ほぼ整備がなされていなかった。
それが1年半前の前回は七曲がり部分、今回は城下に近い曲輪部分の木々が伐採され往時の城郭の姿がはっきりと観れるようになっていた。月山富田城は今まで「城=天守」といったそれまでの私の固定観念を崩すきっかけをつくった思い出の城でもある。
過去の遺物であるはずの城がそこに携わる人たちの情熱により今も尚変化し進化を遂げている。
もちろんその流れは月山富田城に限った話ではないが、中世に生まれた山城のなかではこの月山富田城がその象徴的な存在になっていることは間違いなさそうだ。城の知識の有無は関係ありません。私自身もまたいつか訪れたいし、興味を少しでも持たれた方にも是非訪れて頂きたい名城の一つです。

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天然の浮島を曲輪としたお城 (2018/09/22 訪問)

この日の最後は、広大な湖沼に浮かんだ多くの曲輪からなる小松城です!
小松城は、濃尾平野を蛇行して流れる梯川が直角に曲がる部分の湿地帯を利用して築かれた平城です!
本丸には、本丸御殿の他に広敷、櫓台、鉄門、火縄土蔵、鎧土蔵、瓦土蔵、綿土蔵、厩、番所などが有りました!
また、小松城の天守は、巨大な天守台の上に寄棟造の屋根を持った数寄屋造の風流なものであった!
本来の天守ではなく、本丸御櫓と言われる数寄屋建築の建物でした!
外観は、二重で有りますが、上重の屋根を寄棟造で城郭建築としては非常に珍しいもので有りました!
この天守櫓は、明治初年に取り壊されたが、壮大な天守台石垣が現存されています!
しかし、保存状態が悪く天守台の上には上がれなくして有りました!
利常の隠居城として築かれた小松城は、利常が小松城で死去するとその役割は終わります!
その後、小松城は、幕末に至るまで、加賀藩によって管理がなされました!
明治維新後の1871年に、加賀藩は小松城の取り壊しを決定しました!
これで廃城になりました!
三の丸跡が芦城公園になっていて、茶室である仙叟屋敷並びに玄庵が有ります!

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にのまる

石垣と天守の行く末は… (2018/09/22 訪問)

未来予想図の岐路に立たされている名古屋城。これだけの規模なので、天守の建て替えもいろんなところにひずみが出て大変なんだろうな、と感じました。
2013年に本丸御殿の一部公開(玄関と表書院)を見て以来で、完成後の姿を楽しみに行ったのですが、三連休の初日、1時間待ちの行列ができていたのであっさり諦めました。すごく寒い平日とかを狙って出直そうと思います。
矢穴や刻印石の写真を適当に撮って、帰ってから見ていたら矢穴が開いていない石があってびっくり(写真8枚目)。現地で気づいていれば絶対触ったのに"(-""-)"

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丹羽長重

縄張りに興奮(*゚∀゚) (2018/09/23 訪問)

続日本百名城に選ばれる前から、気になっていたお城でした。
さっそくレッツゴー‼️お城はインターチェンジから近く、アクセス便利。お城っぽい山が見えてきました。そしたらびっくり、お城が中学校に隣接していました。中学校の敷地内だと思われる道を恐る恐る進み、駐車場に止めました。たぶん違う道もあったと思います。
駐車場から坂を上がるとそこはお城。攻城開始!
お城は小さな曲輪、堀、土塁がはり巡らされていて、どこからどのように防御の仕掛けがあるのか、攻める側からして見れば大変です。
それでもなんとかかいくぐり本丸に着くとそこで待っていたのは、いくつもの曲輪が連なるお城ならではの絶景!
これぞ山城って感じでした。
ですが山城なので虫に刺されないように注意して行きましょう。

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安田城は、白鳥城の支城としての戦略拠点 (2018/09/22 訪問)

富山城に続いて安田城を訪問致しました!
安田城は、豊臣秀吉が佐々成政の富山城攻めの為に白鳥城を築いた!
その支城として、安田城は戦略拠点を担った!
その後、利家の子である利長が富山城へ移されたなのに従い、利家の配下の武将である岡嶋一吉は白鳥城、次いで安田城に入ったが、慶長年間には安田城は廃城となりました!
安田城は、使用期間が短くてしかも後世に於いての改変がほとんどなく、堀も土塁も比較的良好な形で保存されており、全国的に見ても数少ない戦国時代の平城の遺構として、高い歴史的価値が有ります!

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小城小次郎

高天神城

「高天神を制する者は遠州を制す」とまで言われた軍事上の要地にありながら、援軍に恵まれず落城の憂き目を見るという悲惨な攻城戦を少なくとも2回は体験している大変なお城でもある。

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織田晃司

尼子十旗の城 (2018/09/24 訪問)

かなり見応えのある城です。
偶然にも尼子氏のご子孫の方が登城されてました。

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チェブ

9月9日は生姜祭! (2018/09/30 訪問)

実は100名城、続100名城以外にもお城に行ってみようと思って出掛けたのが9月9日。
なんと二宮神社の年に一回の「生姜祭」!車で行ったので駐車できず、今日、リベンジしてきました。
私は20年位前にお祭りには来たのですが、まさかお城巡りで再来するとは思いませんでした。
石垣や掘など(私は)確認できませんでしたが、大石氏がここで生活していたと思うと、感無量です!
で、あきる野にいたので北条氏が武田氏の備えで築城した戸吹城に行ったのですが崩落箇所があり危険との事。
みなさんの所も台風や災害で城跡や周辺が大変なことになっているかもしれませんが、無理をしないで楽しみましょ。(私は無理しなさすぎなんですがね。)

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Snakepit

民家の中の公園 (2018/09/30 訪問)

公園です

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Snakepit

木曽川の流れで消えたかな (2018/09/30 訪問)

木曽川の整備のせいか
なにも遺構はありません

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Snakepit

公園になっとる (2018/09/30 訪問)

石碑があるのは野球城

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Snakepit

なにもありません (2018/09/30 訪問)

石碑、説明板…
遺構はなにもありません

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ヒロケン

長篠の戦い (2018/01/03 訪問)

永正5年今川氏親に誼を通じた菅沼元成が築城。元成とその子孫・長篠菅沼氏が居城した。
天正3年、父・信玄の跡を継ぐことになった四男・武田勝頼が持てる兵力の大半1万5千の兵を率いて奥平信昌が5百の手勢で守る長篠城を攻め囲み、長篠の戦いが始まる。

天正4年前年の長篠城の攻防戦で城が大きく損壊したこともあり、奥平信昌は新城城を築城し長篠城は廃城となった。

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