岩村城とセットで是非!
(2018/09/23 訪問)
天正2年、勝頼くんは明知城を含む東美濃の18城を織田から奪い、パパを超えるんじゃないかという勢いを見せますが、翌年の長篠の敗戦で織田方にこの地域の奪還攻勢を仕掛けられてしまいます。この時、勝頼くんは岩村城に「必ず後詰に行くから待っててね♡」と言って、綿密な作戦を練っていたようです。こういうお約束、高天神城だけにしていたわけではなかったのですね。結局夜襲を試みるも岩村城は陥落してしまいました。
明知城もこの時から444年、静かに静かに時を過ごし、大層な藪城になっていきました。が、調査・整備をしてくださった方々のおかげで、三の丸、二の丸、本丸、出丸、腰曲輪、土橋、礎石、竪堀、貯水池等々、様々な遺構を目にすることが出来ました。案内板が随所に立ったり寝たりしていました。
経年劣化なのか動物のいたずらなのか、標柱が折れたり幟が裂けたりしているところもあり、本丸の幟が破れて遠くの方でぐちゃぐちゃになっていたのはさすがにかわいそうすぎたので応急処置をしておきました。
麓ですれ違った団体さんが行こうかどうしようか迷っていらしたので、「石垣は1か所だけだけど、竪堀とか曲輪とかいろいろあるからぜひ行ってみて!」とおススメしました。ぬかるみだらけで虫の襲撃がすごいってことは黙っておきました。ごめんなさいm(__)m
ここは説がいくつかある明智光秀の出生地のひとつで、周辺に光秀ゆかりの場所がいくつもあり、大正村歴史探訪コースとしてまわることができます。今年の朝ドラ→再来年の大河の流れでこの地域はまだまだ盛り上がりそうです。
光秀は信長に従って勝頼くんと嫡男信勝くんの首実検に立ち会ったとされていますが、首級を前にし、心の中ではきっとそっと手を合わせてくれていたと信じております。本能寺の変の80日前のことです。
※最寄り駅は「明知鉄道」の明智駅です。岩村城と同じ沿線です。
美濃金山城最寄りの「名鉄広見線」の明智駅ではありませんので電車派の方はお間違いのないように。
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