本日は、名古屋城の搦手馬出の空堀の石垣見学のイベントに参加しました!
名古屋城には、本丸馬出と搦手馬出があったのですが、現在は搦手馬出が完全な石垣が残っております!
徳川家康の命で、豊臣恩顧の大名が中心となって石垣づくりに駆り出されました!
それぞれが石垣を運んだのですが、自分達の石垣と分かるように、刻印を付けたのですね!
各大名の付けた刻印や矢穴が沢山有りました!
名古屋城の石垣は、乱積だと思っていましたが色んな積石が有りました!
石材は花崗岩が多く使われておりました!
この場所は、昨年ブラタモリで紹介されております!
また、空堀の向こうは水堀になっていて当時は渡し船で対岸に渡ってたらしいです!
また、名古屋城は台地の上に築かれていてこの搦手馬出のあたりが台地の北側で有りました!
そして、台地の南側はというと熱田神宮の先の交差点あたりとされております!
そこには、石碑があって右は東海道の江戸方面行きで、左は京・大坂方面となっています!
そこから歩いて直ぐのところに熱田の港があり、そこから桑名まで東海道は七里の海路となっていました!
有名な七里の渡しですね!
どうして、七里だけ海路を通ったのだと言うと、陸路だと大きな河川が三つもあり河川の氾濫の危険性を考えたのだった!
この大きな三つの河川は、全て桑名側に寄っている理由は、桑名側に養老断層があるためだということです!
名古屋城は、鉄壁の城になったのですね!
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