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石垣見学のイベントに参加して (2018/10/21 訪問)

本日は、名古屋城の搦手馬出の空堀の石垣見学のイベントに参加しました!
名古屋城には、本丸馬出と搦手馬出があったのですが、現在は搦手馬出が完全な石垣が残っております!
徳川家康の命で、豊臣恩顧の大名が中心となって石垣づくりに駆り出されました!
それぞれが石垣を運んだのですが、自分達の石垣と分かるように、刻印を付けたのですね!
各大名の付けた刻印や矢穴が沢山有りました!
名古屋城の石垣は、乱積だと思っていましたが色んな積石が有りました!
石材は花崗岩が多く使われておりました!
この場所は、昨年ブラタモリで紹介されております!
また、空堀の向こうは水堀になっていて当時は渡し船で対岸に渡ってたらしいです!
また、名古屋城は台地の上に築かれていてこの搦手馬出のあたりが台地の北側で有りました!
そして、台地の南側はというと熱田神宮の先の交差点あたりとされております!
そこには、石碑があって右は東海道の江戸方面行きで、左は京・大坂方面となっています!
そこから歩いて直ぐのところに熱田の港があり、そこから桑名まで東海道は七里の海路となっていました!
有名な七里の渡しですね!
どうして、七里だけ海路を通ったのだと言うと、陸路だと大きな河川が三つもあり河川の氾濫の危険性を考えたのだった!
この大きな三つの河川は、全て桑名側に寄っている理由は、桑名側に養老断層があるためだということです!
名古屋城は、鉄壁の城になったのですね!


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駅前 (2018/11/09 訪問)

松任駅の駅前の公園です。遺構はありませんね。こんもりした所が櫓の跡ですかね。

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日吉神社 (2018/11/10 訪問)

遺構は堀の一部ですね。

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雲海はありませんが (2018/11/10 訪問)

 戌山城から大野城を見ると見映えのする城址であることがわかります。市内から見上げる天守閣も好印象です。観光客の方は思ったより多かった。

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織田晃司

水攻め (2018/11/04 訪問)

平地故に水攻めにより完全に孤立してしまう。
廃城以降も度々水害が起こったという。

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織田晃司

児島富士・常山 (2018/11/03 訪問)

天正兵乱(備中兵乱)で城主や女軍30余名が犠牲になった城。
女軍の墓がある。
写真は本丸の石垣。

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県庁 (2018/11/09 訪問)

 石垣と堀が見ごたえがありますね。できれば周囲の曲輪も残っていればと思います。

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ヒロケン

三度目の登城 やっぱり格好良い! (2018/11/10 訪問)

岸和田城はいつ、誰によって築かれたかは分かっていません。羽柴秀吉は天下統一の過程で紀州の根来寺などの勢力への押さえとして中村一氏を城主とし、根来寺壊滅後は秀吉の叔父にあたる小出秀政城主として、城や城下町の整備にあたらせました。

岸和田城は輪郭式平城で小出秀政築城当時は複合式望楼型5重5階の天守構造であったとのことです。

朝4時に家を出て、岸和田城を目指しました。23号線と名阪国道を使って4時間程で到着する予定でしたが、名阪国道で事故渋滞!
「勘弁してくれよぅ〜」と一人でぼそぼそ言いながら1時間30分オーバーで到着しましたが、久々に見た彦根城天守にも似た岸和田の天守を見てお堀をぐるりと廻りながら夢中で写真を撮りました。

しかしながら残念なことに、多聞隅櫓の瓦が割れているところもあり、八陣の庭と隅櫓との間には巨木が倒れている風景がありました。
台風の影響が今以てあるんだな〜と実感しました。

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Snakepit

根尾中学校の向かい (2018/11/10 訪問)

登り口の階段の幅が小さく登りにくい(;¬_¬)
が…
主郭の土塁は素晴らしい
そして主郭には石垣が(?)

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カルビン

その他いろいろ (2013/10/04 訪問)

始めて訪問したのは2013年10月、最近は2018年7月に訪問してます。
お城めぐりで新幹線を始めて使った場所も、お城めぐりで初めて芸能人に遭ったのもここ掛川城。
その後古城の存在を知ったり、移築門が離れた場所にあるのを知ったりと複数回行ってますが、訪問する度に初見の場所があり、飽きが来ないお城です(^ω^)

皆さん沢山投稿していますので、ちょっと別角度からの写真投稿させて頂きます。

内容は写真コメントご参照ください<(_ _)>

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モト

山頂で確認できた碑と遺構 (2018/11/01 訪問)

山頂にたどり着くと城跡の碑や見てわかる遺構に出会えました。
そこまでなのか山の他にあるのか堀などもあるようですが、勉強不足で確認ができませんでした。
山頂までは階段が続き、装備の不要な軽い登山です。
情けない事に、ひぃひぃ言ってしまいました。
今度は私の運動不足です。
山頂からは登った疲れを忘れるくらいの山々の展望が見れ、爽快な気分でした。
また土塁や堀切りのような遺構が確認でき景色だけでない城跡を訪れた満足が得られました。

近くに大谷資料館があります。
石切場のようですが、地底城のような異次元空間を味わえます。
せっかくですので近くに来た際は、おススメの観光スポットです。

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todo94

続日本100名城スタンプ62個目 (2018/11/10 訪問)

折角、日本最大の半島の奥深くにまで脚を伸ばすのだから、那智駅近くの勝山城にまず朝駆けをかけてみた。何の案内もなく、諦めて引き返そうかと思ったとき、鉄塔の脇に城に続いていそうな道を発見。見事な二重の横堀に守られた小さな主郭に勝山城跡地と記された木の棒が刺さっていた。

新宮城は石垣は立派だが、その勝山城より簡単に本丸に登れてしまう。おそらく往事は城内であったであろう麓に巨大な城郭建築にも見える天理教の大教会が鎮座している。

スタンプ置き場の新宮市立歴史民俗資料館は阿須賀神社の境内にあるが、周辺には駐車場所がない。何事もなければ斎場に駐めることもできそうだが、新宮城から歩いて行っても、私の脚で5分の所要だった。新宮城の駐車場も小さいので、公共交通機関利用が良いとも云えるが、青春18きっぷで紀勢本線を完乗したときは1日がかりだった。今はかなり紀勢道が整備されていて昔に比べて車でのアクセスは格段に向上している。

新宮市立歴史民俗資料館には開館時刻の9時に入館。阿須賀神社から出土したという御正体(みしょうたい)は見応えがあった。

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カルビン

今更ながら真田丸関連めぐり (2018/11/02 訪問)

先日お休み頂き、久しぶりに大阪散策しました。
始発の新幹線で行ったのですが、丁度平日の大阪の通勤ラッシュの時間にかち合い、その凄さに圧倒されましたよ(汗)

いろいろ散策して、最後に天王寺付近にやってきて茶臼山に到着。
平日のお昼過ぎなのにものすごい人で、これまた圧倒されました(-Д-;)


肝心の茶臼山ですが、特に遺構はなくただの高台でしたが、一番高い場所に「これでもか!」と解説が並んでました・・・全て真田信繁(幸村)のです。
徳川家康、どんだけ悪役やねんwww


天王寺公園入口正面にあった一心寺参拝者休憩所の存牟堂にて100円で登頂証明書を頂けます。
ここでは大阪の陣の資料も頂けるので、是非立ち寄りましょう。

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刑部

武田神社 (2018/10/27 訪問)

七五三・この日は、結婚式されてた方もいました。

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刑部

虎口 (2018/10/27 訪問)

味噌曲輪、この館の1番好きなところ。

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刑部

土橋 (2018/10/27 訪問)

味噌曲輪に通じる土橋

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にのまる

その軍師は名ではなく作品を後世に残した。 (2018/11/09 訪問)

登城前、入口の案内板で早くも妄想と感動に耽ってしまいました。数少ない史料と伝承から調査と推察とを重ねられ、整備・公開されています。
明るく、見通しの良い城址には藪も倒木も蜘蛛の巣もなく、もちろん冷蔵庫とか電子レンジとか浴槽とかが転がっているということもありません。それどころか、複雑な折れと高低差を持ついくつもの土塁と空堀が複雑に重なり合い眼前に迫ってきて、圧倒されてしまいます。勢いだけで攻め込んだらあっという間に討たれてしまいそうです。
城主岡見氏は小田氏についていて、ここ小坂も領地争いの戦場となったようです。史上最弱と言われた小田氏治が何度も戦えたのはこんなハード面の強さに支えられていたこともあるかもしれません。
大小4つの曲輪がそれぞれに役割をもっていたと推測されています。内側に土塁がないのは曲輪間の往き来を簡単にしていざという時に仲間を守るため。L字型の2郭と主郭の関係は相互の信頼と絆の証。500年前の「土」から支え合いの素晴らしさを教えられるなんて‼︎
そうは言ってもここは戦場。1郭の柱穴と焼土は落城を物語るものかもしれないし、3郭から2郭へ土橋を渡った虎口は確実に狙われるところ(写真⑦の落書きの感じかと^^;)。写真⑧は逆に1郭の櫓台から2郭虎口を見たものですが、見通しのよさに唖然としてしまいます。(私の身長からの写真だと全然伝わりませんけど…)当時はもっと土塁も高く、堀も深かったでしょうから隠れようがないです。
その一方で二重の堀で囲まれた小さな4郭からは擂鉢や天目茶碗、土器(かわらけ)などが出土していて生活臭にほっこりしてきます。
コミュニティーバス(100円のかっぱ号)の時間に合わせて1時間くらい見学しました。「小坂城址入口」に停車しないバスでも「団地中央」から徒歩数分です。周囲は住宅地なので何かしら方法はあるはずです。公共交通機関派の方も諦めないで大丈夫、行けます。
再訪の機会があれば2郭南東の竪堀と腰曲輪を確認したいです。(忘れてるし…^^;)
ご紹介くださった方々に感謝です。ありがとうございましたm(__)m

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刑部

立派な門 (2018/10/27 訪問)

明日のイベント準備をしてました。

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dougen

2016.12.1登城 (2016/12/01 訪問)

那覇市内から国道507号から王泉洞方面に入り、さらに北東に進んで行くと糸数城址があります。
国の史跡に指定されており、曲線が美しい石垣が残っています。
岩盤上に積まれた石垣は、万里の長城さながらで必見です。
残念ながら世界遺産の城址には入っていませんが、オススメの城址です。

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カルビン

うつろ屋軍師もいたのだろうか・・・ (2015/10/18 訪問)

以前栃木県北部のお城めぐりした際、水堀が見事な棚倉城が福島県にあるのを知ってて、そのまま足を延ばして訪問しました。

数年後、小説「うつろ屋軍師」なる物を読んで、丹羽長秀の息子・長重と家臣・江口正吉のコンビのファンになってしまい、ゆかりのお城を確認したらここ棚倉城だったわけで。

丹羽長重が築城した棚倉城は今では思い入れが深いお城の1つになってます。


周囲を大きな水堀で囲まれた、日本100名城の高岡城のミニチュア版(といっても広いです)みたいな雰囲気のお城です。
戌辰戦争に巻き込まれ、板垣退助に大砲でドカンドカンやられてしまったので、かなりお城傷んでしまったものと思われ・・・
(大事な史跡を壊しよって・・・だから幕末や世界大戦は大嫌いなんですw)

今は水堀の内側の土塁は角度が緩くなってしまったものの、高土塁は健在です・・・が、水堀と土塁が防御施設のほとんどを占めている為、堀の内側にはそんなに遺構はありません。
でもそれだけでも十分に見応えあるかと。


丹羽長重が棚倉藩に転封された際の棚倉城が出来る前の拠点・赤館(城)跡が北西1.4kmくらいの距離のところにあるので、一緒に見学されたし(・ω・)b
(こちらには丹羽長重の前に立花宗茂も転封されていたので、二度おいしいかとw)

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