今川7代目の氏親の命により牧野氏築城だが、三河支配権を巡って入れ替わりが激しく、今川氏の統治時代は一旦落ち着いたに見えるが、桶狭間の戦いで義元が倒れると徳川支配下の酒井忠次が城主となり、豊臣政権時の池田輝政時代に大改修が行われたようだ。三重堀の84万m2というから広大だ。
豊川による後ろ堅固の城だが、豊川から本丸までの高低差が小さいのが、弱点ともとらわれたのか、徳川家康は自らの居城としなかったようだ。言われてみれば、犬山城や二俣城と比べても川の水面まで近いかも。。しかし堀はどれも立派で、本丸は高い石垣に囲まれて堅固であった事がわかる。
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