寒かったです。
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2018/12/05 01:27
2018/12/05 01:03
アテルイとアヌシキと坂上田村麻呂 (2018/12/01 訪問)
発掘調査に基づいて1200年前と同じ場所に同じ大きさで建物復元、平面表示されています。地面の下には遺構が保存されています。
多賀城に匹敵する外郭を持ち、中央の政庁の周囲には官衙、外郭沿いには1200~2000棟もの竪穴住居が並んでいたのだそうです。
復元された風格のある外郭南門や政庁南門、まっすぐ延びる築地塀などが軍事・行政の中枢機関の厳かさと時代の雅さをよみがえらせ、伝えてくれています。
しんしんと降る雪が再びこの城柵を永の眠りにつかせるが如く徐々に覆ってゆきました。
さぶっ…
かなり広いので隅々まで歩くと見学には時間を要します。
移動は路線バス利用。(「飯岡十文字」からも近いです。)
ガイダンス施設をゆっくり見られなかったのが心残りです。また行きそうな気がします。
今年6月に盛岡城に行った際に「ついでに」行こうとしたのですが、夕方で盛岡駅周辺の渋滞がすごくて、「ついでに」行けるようなところではなく、断念していました。雪景色の中リベンジできて、かえってよかったです(^O^)/
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2018/12/05 00:57
2018/12/05 00:36
三日月の丸くなるまで南部領 (2015/05/02 訪問)
南部氏といえば本拠は盛岡で、島津氏と並んで鎌倉時代から廃藩置県まで700年動かなかった大名家というイメージがありますが、江戸時代以前の本拠はむしろ青森県東部であったのは、ここを見てるような人には常識ですかね。本丸跡に主殿が復元され、他にも厩や納屋なども復元されてます。また他の御殿とかも「平面展示」とか言うらしいですが、「ここに建ってましたよ」というエリアを示す柱(?)で示されており、ただ案内看板があるだけよりは建物の広さのイメージがしやすいです。とにかく中世の城という感じで歴史公園としてよく整備されていました。
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2018/12/04 23:54
東北唯一の現存天守 (2015/05/04 訪問)
訪問した年の夏から本丸石垣修理のため、天守建屋がなんと曳家(!)で移動しており、当分の間(2023年度までとか)観光パンフ定番の正規の場所にはないそうです。本来は区画整理とかで家を動かすのに使う技術ですが、天守でそんなことできるとは匠の技術のすごさに、まあ感心。それを知ってて直前に行ったわけではないので、ラッキーでした。地理的にそうそう再訪できる場所でもないので。写真比べてわかる通り、天守の破風の装飾が外側2面のみのため、見る角度で印象が違います。ほかにも城門5棟、櫓3棟が現存しており見どころいっぱいでした。
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2018/12/04 21:55
勝頼が来てくれなかった城 (2018/11/23 訪問)
登り口から城址まではハイキング気分で行ける。勝頼を迎えるために真田昌幸が作った御殿跡(潜龍院)へ行くには、麓を回り込むか山を越えていく。山越えは岩場もありそれなりの装備と覚悟が必要です。
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2018/12/04 21:41
ここも天空の城 (2018/11/19 訪問)
ここも天空の城として有名になりました。雲海に包まれている城を見るには、向かいにある戌山城址へ登る必要があります。野面積みの石垣がとても良いです。城下町も昔の雰囲気が残っていて、ゆっくり散策するのに適しています。
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2018/12/04 21:28
朝倉景鏡の居城 (2018/11/19 訪問)
日吉神社の横に碑と堀跡が残るのみ。大野城が作られる前はここが大野郡の拠点だったとは。
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2018/12/04 21:17
高速道サービスエリアにある城 (2018/11/17 訪問)
城址はサービスエリアのドッグランになってました。遺構が破壊されてしまうよりはマシだが、なんか悲しい。
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2018/12/04 21:12
明智光秀に加担した目賀田氏の城 (2018/11/17 訪問)
今は目賀田城址公園となって土塁や濠跡が残っています。
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2018/12/04 20:51
ゲートボール大会の後(笑) (2014/12/12 訪問)
近くの川崎城を見学後、そこから真東に2.2km程の距離の場所に御前原城があります。
周辺は工業地帯なので、本当にこんなところにお城あるのか?!と疑いましたが・・・ありましたよ、しっかりとw
車は城内に駐車スペースがあるので、虎口を抜けた先に駐車しようとするもいっぱい車が駐車していて、辛うじて1台止める場所を見つけて駐車し、散策開始。
なんか賑やかだな?と思っていたら、城域内の一画でゲートボール大会開催中でした(笑)
そりゃ車もいっぱい止まっている訳だw
お城は居館型の四角い敷地を土塁・堀で囲まれたもので、ここ御前原城は外周こそ立派な土塁・堀がありますが、中心部にはほとんど遺構が残っておりません。
もしかしたら工業地帯に務める方々が運動やスポーツ等を行える様に整地されたのかもしれませんね。。。
でもそもそも工業地帯にこれだけの敷地が開発の手を逃れて残されたっていうのが大事ですね・・・ほんと、よく残ったもんです(汗)
ちなみに最寄り駅は矢板駅で、距離は2.5km・・・頑張れば公共交通機関利用しても歩いて来れますね(^ω^;)
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2018/12/04 20:46
続日本100名城 No.144 大垣城 (2018/12/02 訪問)
続100名城であり、今年が市制100周年、駅前の通りで元気ハツラツ市をやっている日に散策しました(^_^)
関ヶ原の戦いに伴って発生した大垣城の戦いの場所であり(西軍の部隊が関ヶ原へ移動して、そこを東軍が攻撃する)、江戸時代から明治にかけては尼崎から戸田氏が入り収めていましたφ(..)
郷土館が近くにあったので一緒に見学を…、ハツラツ市の関係で城・郷土館の共通券が75円でした(゚Д゚;)
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2018/12/04 20:20
2018/12/04 18:49
あっちの石垣山城、賑わっているなぁ。 (2018/12/01 訪問)
家康さんが北条氏討伐の先鋒として布陣した場所です。
北条氏が降伏開城するまでの110日間、頑張っていたそうです。
でも、私個人的な考えなのですが、石垣山城が築城しているのは家康さん知っていると思うし、背後に
酒匂川があり、立地が危険な所です。
邪魔者扱いのような・・・。
秀吉先輩に「家康君は今井を守って」と言われたら複雑な気持ちになった気がします。
この時の家康さんに「未来は明るいよ」と教えてあげたい気分でした。
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2018/12/04 18:14
空堀、土塁、空堀、土塁… (2018/12/02 訪問)
いよいよ山城シーズン本番、どこに行こうかと考えて、降雪期には登城困難になるところに今のうちに行っておこう、ということで玄蕃尾城へ。事前に写真で見て、壮大な土の城ぶりを楽しみにしていましたが、その期待を遙かに上回るとんでもない城でした。
城域はさほど広くないものの、これでもかというほどに空堀と土塁が連なっており、連続する喰違虎口に土橋への火線の集中、馬出郭からは三方に横矢を掛け、行き止まりの堀底道もあるなど、高度な縄張にただただ圧倒されるばかり…。その迫力と立体感は私の拙い写真では伝えきれませんので、未訪の方はぜひ現地に立って体感してみて下さい。
それにしても、柴田勝家というと剛直一筋というイメージでしたが、築城術も相当なものだったんですね。
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2018/12/04 17:03
東海道と大和街道が交差する要衝の城 (2018/12/04 訪問)
滋賀方面から鈴鹿峠を抜けると見える小高い山(標高153m)が新所城です。関宿西交差点に付近ある休憩用駐車場(公衆トイレ有)からが一番近いです。山全体が城だったので標高の低さも相まって山城というよりは平山城に分類されるかもしれません。
城山を中心として西側、南側に鈴鹿川が流れ、東海、大和の両街道沿いにあり、北には関の町屋、東海道を東に行くと直ぐ伊勢別街道にも繋がるという、素人でもこの山に城なり砦なりを構えるだろうというほどの立地条件の良い場所だと思います。
秀吉が伊勢攻めの時に鈴鹿峠からの正面突破を避けて安楽越えで伊勢に攻め上ったのも分かる気がします。
山の中の城跡は徐々に発掘調査や伐採などの整備が進んでいるらしく、山中には石垣の遺構も残っているそうなので、また時間がある時にじっくり散策したいです。
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2018/12/04 16:22
伊勢亀山城 (2018/12/04 訪問)
地元ですが久々に散策しました。一国一城令で丹波亀山城と間違えて壊されかけた(天守解体後に気付いたとか)という面白エピソードのあるおらが町のお城ですが、野面積みの美しい石垣のある多聞櫓、復元された帯曲輪など城の遺構も良く整備されています。
多聞櫓は平成の改修で史実に忠実に再現されましたが綺麗な漆喰壁と引き換えにシャチホコが無くなりました。帯曲輪は古写真を元に復元されましたが、狭間が無く、また帯曲輪にも水路が整備され畑などに利用されていた可能性高いなど、平和な時代の城のあり方がしのばれます。多聞櫓西側の石垣は平成19年の震災で崩れましたが、調査の結果昭和46年に積まれた石垣と分かり、土居として復元されました。
また本丸跡は児童公園として整備されていますが、SLや今では見かけない遊具など昭和の遺構?も残っているので、訪れる機会がありましたら、ご家族でお城めぐりを楽しんでいただけると思います。
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2018/12/04 06:06
続日本100名城スタンプ72個目 (2018/11/24 訪問)
岸和田城から大東市立歴史民俗資料館へのアクセスは阪神高速の利用で非常にスムーズだった。再訪となる飯盛山城だが、前回に続いて今回も晴天の下。本丸の楠木正行像が逆光になってしまいちょっと残念。石垣も曇天の方が撮影しやすいと思う。しかし、眺望はやはり晴天の方が楽しめる。あべのハルカスまでしっかりと見えた。登城には差し支えないが山林の中には倒木が目立つ。台風被害は此処にも及んでいたようだ。
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2018/12/04 02:06
国境守備の城 (2018/11/24 訪問)
本日は、続日本100名城に認定された引田城に行ってきました!
初めて現地のガイド付きで城山に登りました!
引田城は、阿波国境から北西に約5キロ、引田湾北側の標高約86mの半島状の城山に位置します!
現在は山麓の街並みと陸続きになっていますが、往時は海が入り込み、城山の西側のみが陸に通じ、他の三方は海岸に面した断崖地形となる自然の要害で有りました!
667年に引田氏がこの地に築いたのが始まりとされます!
四宮氏、矢野氏、三好氏、十河氏、仙石氏、長宗我部氏など目まぐるしく城主が代わり、1587年に讃岐一国約18万石を得た生駒親正が入城しました!
だが、領国の東側に位置するため同じ年に聖通寺城に本拠を移しました!
その後も城は、国境守備の城として重要視されましたが、一国一城令によって廃城になりました!
引田城は、城山のほぼ全域を取り込み、南東方向に開く谷を挟んでU字状の二本の尾根上を利用し曲輪群が展開します!
北に位置する北の郭(北櫓)西面は、地元の和泉砂岩・礫岩を石材とした野面積の高石垣が原形を留めています!
さらに、北側尾根続きには丹後丸が配置されておりました!
東側は、逆L字形で折れ曲がった部分が物見台と称され、うまつなぎと呼ばれる平坦面の先端に石垣囲みの東の郭(東櫓)が配置されます!
北の郭の南東下段と東の郭の西端下段の間に枡形状の虎口跡があります!
南尾根続きに方形の石垣に囲まれた西の郭(西櫓)が位置するが、平坦面は改変を受けています!
尾根筋は、ここで南東方向に折れ、天守台、いろんばを経て、南の郭(南櫓)へと続きます!
東の郭から南の郭によってコの字状に囲まれた鞍部に石囲みの化粧池が残ります!
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2018/12/04 00:44
冬期閉城10日前 (2018/11/30 訪問)
函館からスーパー北斗とはやぶさで木古内へ行き、木古内からバスで松城(まつしろ)まで行きました。
木古内での1時間強の待ち時間は、隣接する道の駅で。快適でした♪お土産もここで購入し、ゆうパックで発送しました。
バス停は道の駅の入り口の真ん前なので、ギリギリまで暖かい中にいられます。
乗車時間は1時間半。山間部は積雪もあって車内も寒く、海沿いは鈍色の厚い雲に覆われ波しぶきも荒く冬の厳しさを感じましたが、車内は通学の高校生で賑やかで、どこも一緒だなぁとホッとしました♪
戊辰戦争も廃城令も昭和24年の火災も耐え抜いた本丸御門や本丸表御殿玄関の前には寒桜が可憐な花を咲かせていました。
西側にまわると城跡を貫通して造られた国鉄松前線のトンネル跡が見えました。コンクリートで塞がれています。
突然襲ってくる吹雪に怯みながらも松前藩主松前家墓所のある石畳の寺町を抜け、松前藩屋敷に行ってみました。建物の中には入れませんでしたが、再現された町並みを歩くだけでもタイムスリップした気分を味わえました。
そして最後に城下町を少し散策。
現地滞在時間は1時間半くらいでした。
暖かい時期ならもう少し時間をとってお寺をゆっくりまわったり道の駅「北前船 松前」に寄ったりするのもいいかもしれません。
復興天守(松前城資料館)は12/11〜4/9まで冬期閉館です。
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