2014年に訪れたときは、携帯不携帯のため電話をかける事が出来ず、模擬天守の国民宿舎だけで撤退していました。今回は、鍵を開けて頂きたくさんの郭を見て回る事が出来ました。帰りは南京錠を自分でかけるよう言われましたので、時間を気にせず、マイペースで散策する事が可能です。
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2019/10/26 06:15
2019/10/25 21:51
野面積みの石垣 (2019/10/19 訪問)
越前大野城は亀山を利用して築かれた城で、梯郭式に分類され、亀山の山頂を削って本丸を造り、亀山の麓に二の丸や三の丸を配し、平山城という形式の城です。
越前大野城は三度目の訪問で主に北陸方面の城を攻略する、行きか帰りに立ち寄る城です。この日は、結ステーションに車を駐車し、南登り口より登城。結ステーションから南登り口まで徒歩5分です。他にも南登城口前と亀山の西側にも駐車場があり、知っている限り全て無料の駐車場です。
南登城口から越前大野城天守閣まではおよそ20分で、この日は雨が降っていましたが、傘をさしての登城でも登城道が整備されており難なく快適に天守閣まで登ることができました。
個人的にですが、この城のお勧めは野面積みの石垣で、高くもなく、広くもなく、大きくもない石垣なのですがどことなく惹かれる石垣です。二層四階の天守閣と付櫓もなかなか姿が良く見所の一つです。そして、竹田城・備中松山城と同じく雲海が見れる城としても有名です。
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2019/10/25 21:46
2019/10/25 18:21
我に七難八苦・・・いらぬw (2019/10/19 訪問)
米子城前の久米町バス停からイエローバスにて市立病院前で下車。
道中子供がずーっと音痴なくせに大声で歌っており気分萎えまくり(この地方全体的にそうでしたが、子供の躾が・・・(怒))
バス停からは尼子経久騎馬像を見つつ安来市立歴史資料館で100名城スタンプと御城印入手、荷物を預けて(300円)いざ月山富田城へ。
・・・悪天候のままだった為か、荷物預ける際に「これから登るんですか?」と聞かれ(美濃金山城でも同じ事聞かれた(笑))
山中鹿之介像、花ノ壇、山中御殿までは距離あったもののスムーズにたどり着きましたが、そこから見上げた三ノ丸以降の高所に絶叫
( ゚Д゚)( Д゚゚)( Д゚)゚(Д)~゚゚
七曲りと呼ばれる九十九折(実際には11曲りあった)の急斜面を行きも絶え絶えで登る。。。
道が整備されていた為、雨模様でも問題無かったのが救いでした。
三ノ丸まで登った後は緩斜面を奥に二ノ丸→本丸と進み、ようやく月山富田城制覇致しましたε=(´Д`;)
御殿から三ノ丸・二ノ丸に石垣があり、二ノ丸と本丸間には大堀切と、流石に元祖100名城に選ばれるだけのお城でした。
ただこの日米子城に続く山城攻略と、雨天での体力消耗に加え、日頃の運動不足及び水分持参忘れたせいで、二ノ丸にあった東屋で結構な時間休憩を余儀なくされましたorz
東屋にあった山中鹿之介の「我に七難八苦を与えたまえ」のフレーズ、、、自分にはノーサンキューでしたwww
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2019/10/25 18:15
益田氏の詰城 (2017/04/24 訪問)
一昨年4月下旬島根県益田市の益田氏三宅御土居跡初探訪して川を越えて南側山頂に聳える七尾城を初登城。
車は麓に在る住吉神社の参拝階段手前の駐車場を利用。
神社手前の池が七尾城の水堀の様です、中腹に在る住吉神社の長い階段をひたすら登って行くと住吉神社、更に奥南北に折れた長坂を登ると本丸下の太鼓の段大手門跡、折れ曲がって登り本丸は上下段先が櫓跡か土塁状の塊が在る、下界の眺めは遥かに日本海、益田城下は真下絶景です。
益田氏源平合戦から関ヶ原合戦までの400年超の栄華の跡が残ってる益田です。
近くに医王寺七尾城の大手門が移築されている、また医王寺は雪舟庭園で有名です参拝見学して来ました。
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2019/10/25 17:33
益田氏栄華の跡を整備中 (2017/04/24 訪問)
一昨年の4月下旬鳥取の高校卒50年同窓会、檀家寺の法要を済ませて鳥取道、中国道、浜田道を経由して益田市に在る益田氏三宅御土居跡、七尾城を初探訪した。
三宅御土居は東西の土塁が残り道より東側は公園化整備が済み、西側は建物が撤去されたが未だ基礎部分残って居り時間を掛けて整備が進んでるようです、今後の整備保全が待たれます。
駐車場は御土居南東側川の手前に数台駐車可能。
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2019/10/25 17:22
辰市城の合戦 (2019/09/15 訪問)
筒井順慶が松永氏の多聞山城攻略の拠点として井戸良弘に築かせた城で、松永久秀・久通父子と三好義継による大軍の侵攻を受けて、大和最大の合戦と言われる辰市城の合戦の舞台となりました。当初は松永軍が優勢でしたが、後詰めの到着により形勢逆転。筒井軍が勝利しました。
現在の辰市幼稚園周辺が城跡と推定されますが、遺構はもとより石碑も説明板も何もない上に、平城で一帯は宅地化、農地化されているため、面影すら感じることができません。
どの駅からも遠く、周辺の道も狭く駐車場もないため、訪問しづらい城ですが、そもそも痕跡すらない城跡を訪問する意味があるのかと考えると…。
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2019/10/25 16:53
【伯耆・亀井山城】鳥取県日南町生山 (2017/04/21 訪問)
一昨年の4月下旬鳥取県日野町鏡山城を終えて少し南に日南町生山に在る亀井山城を目指す、吉川広家が整備し関一政が鏡山城完成まで4、5年居城したと言われる、以後廃城、伯備線生山駅の東側山稜に築かれた、山稜急で登城せず、主郭は山頂部石垣の曲輪が残ってると麓の案内板に説明有り、山城を遠望したのみ。
黒坂城、亀井山城の近くに金持神社が有り参拝して来ました金持神社は「カモチジンジャ」と読みますが名前が良いので大勢の参拝者が当日も詰めかけていました。寄って見て下さい。(今のところ御利益は感じてませんが)
場所は鳥取県日野郡日野町大字金持74です。
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2019/10/25 16:24
黒坂駅より鏡山城石垣が望めます (2017/04/21 訪問)
一昨年4月下旬鳥取帰省中に米子市尾高城を終えて日野郡日野町黒崎駅へ、目の前に黒坂城の石塁がドント構えてます。
車を駅に置き南の光明寺からの登城を図ったのですが途中竹藪の激しさで断念し、日野高校黒坂校舎へ車で向かい校内に駐車し居合わせた先生に駐車と見学の許可を頂きグランド山手側を歩きグランドに足跡を付けないよう登城しました。
陣屋屋敷跡を探訪西側山頂部の城域は探訪せず遠望のみ、案内解説板で勉強させて貰いました。
関ヶ原後伯耆米子城に入封した中村一忠が嗣子無く没して改易、伊勢亀岡から関一政が5万石で黒坂に入封し鏡山城(別名黒坂城)を築城、築城前4、5年は生山(伯備線生山駅目の前)の亀井山城に居城した。
関一政は家中内紛で除封、以後鳥取藩領重臣福田氏が黒坂陣屋を構えて明治期まで続く。(情報とガイドは城郭放浪記さん)
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2019/10/25 11:06
弘前城 (2020/10/21 訪問)
雲の帽子を被ったお岩木山をバックにした弘前城
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2019/10/25 11:05
山形城 (2019/05/22 訪問)
山形に行ったついでに、ふと立ち寄りました。
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2019/10/25 06:49
小丸山公園 (2010/09/26 訪問)
織田信長の命によって能登国の領主となった前田利家は、七尾城に入城したが、山城の不便さから新たに築いたのが小丸山城です。
利家が金沢に移ってからは、兄の安勝が城代となりましたが、元和元年に一国一城令によって1615年廃城とななりました。
現在は、小丸山公園として整備されています。
住宅街にひょっこり高くなっているところは、いかにも・・・って感じですが、
遺構はよくわかりません。
現在では、桜の名所になっているようです。
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2019/10/24 23:42
2019/10/24 20:53
山島公民館に石碑が建てられています (2019/10/24 訪問)
長享元年(1487)大窪源左衛門家長によって築かれたと言われています。
大窪源左衛門は4万石を所領、河原組を率いて一向一揆の将として活躍しました。
天文19年(1550)窪田大炊介経忠に城を譲り、家長は出家しました。
窪田大炊介は、本願寺派に属して加賀国総代となり、一向一揆軍を率いてます。
天正8年(1580)柴田勝家の軍に敗れ、窪田大炊介は自刃しました。
山島公民館に石碑が建てられていますが、遺構は残っていないようです。
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2019/10/24 20:45
夜に浮かぶ御橋廊下 (2019/10/16 訪問)
和歌山城の夜のライトアップは素晴らしかった。
特に御橋廊下と和歌山城の姿は格別。
目で見える光景は美しく、神秘的でもある。
スマホで撮って激しく後悔。
今度は絶対に一眼レフを持って行こう。
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2019/10/24 20:45
本丸への道 (2019/09/28 訪問)
七尾城はこの眺めが個人的に一番好きです
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2019/10/24 20:19
ここは「番田」堀江館跡です (2019/10/24 訪問)
築城年代は不詳ですが、堀江氏が館を最初に築いた場所は「番田」でした。
その後、一向一揆に対応するために番田から「下番」(本荘小学校一帯)に
移し、最後は「中番」(春日神社の地)に築いています。
県道109号線沿いに<36.211299,136.203818>石碑「堀江公番田館跡」と
案内碑が確認できますが、遺構は見当たりません。
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2019/10/24 17:35
イノシシ出没注意 (2019/09/15 訪問)
室町期に興福寺大乗院方衆徒として勢威を誇り、大和五大豪族にも数えられる古市氏の居城で、越智氏と結んで筒井氏と対立する中、幾度か落城と再建が繰り返されましたが、天文12(1543)年に筒井氏に敗れると城を自ら焼いて退去し、廃城となったようです。
古市城は、現在は東市小学校の敷地になっている高台を本丸とし、本丸北側の「字古城」周辺を二ノ丸、西側平地部の古市集落の環濠を外堀とした広い範囲が城域とされますが、小学校南側の八反池とその東側の湿地が水堀跡で、他には小学校の高台にお城っぽさを感じるくらいで、遺構は見当たりません。小学校のグラウンドには城跡碑と説明板があるようですが、グラウンドへの門は閉鎖されており、石碑や説明板だけのために正門までまわって許可を取って…という気になれなかったので未確認です。
また、古市城の南側にある高山城と藤原城は、いずれも出城として機能していたと考えられ、高山城では曲輪や堀切が確認できるとのことなので、北側入口に向かっている途中、藪がガサガサ動いたかと思うと、イノシシの子供(うり坊よりずっと大きい)が前方に現れました。互いに固まってしまい、しばらくにらみ合っていましたが、イノシシが逃げたのでほっと一安心……とはいかず、子供がいるなら近くに親もいるはずと考えると、とても城めぐりどころではなく、急いでその場を退散しました。その後、南側入口に行ってみると(入る気はない)、イノシシ捕獲許可の標識が掲示されており、やはりイノシシの生活圏になっているようです。小学校から100mと離れていない舗装道だったんですが…油断できませんね。
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2019/10/24 08:00
伝説? (2019/10/20 訪問)
伝説地の石碑があります、その周りは畑。林に入ると土塁・堀 らしき遺構があります。
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