つるまるじょう

鶴丸城

宮城県栗原市

別名 : 鶴丸館、鶴舞城、岩ヶ崎要害、岩ケ崎館、岩ヶ崎城
旧国名 : 陸奥

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綱元の隠居領に建つ洞泉院
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ぎりょう

伊達の三傑「茂庭綱元」を偲び栗駒へ (2021/07/03 訪問)

「伊達の三傑」の一人茂庭(鬼庭)綱元の墓を訪ねて栗原市栗駒の文字(もんじ)にある洞泉院を訪問した。綱元は武人としての働きとともに、奥羽仕置き時、政宗による一揆煽動の嫌疑の弁明役や、文禄の役の伊達軍名護屋留守居など、政宗の外交・治世に貢献し、秀吉や家康とも数々の逸話が残る人物である。
慶長9年(1604)政宗五男の宗綱が栗原郡岩ヶ崎城主に任じられると、綱元は本藩の評定役を兼ねたまま、その後見役を命じられたと云う。元和元年(1618)宗綱が早世すると、高野山に登り三年間にわたり供養の日々を送ったと云う。寛永13年(1636)5月24日、政宗が死去すると政務を退き、自らの隠居領の文字に移り洞泉院を創建して政宗、宗綱の供養に余生を過ごし、4年後の寛永17年5月24日に91歳で死去したと云う。
宗綱が配された岩ヶ崎城は栗原市栗駒(旧栗駒町)岩ヶ崎にあり、南北朝時代に葛西一族の富沢氏によって築城された中世山城である。規模は東西650m、南北250m、最西端の比高70mの最高所を本丸とし、東に向けて二の丸、三の丸が続き、東端まで大小多くの平場群で構成されていた。自然地形を利用した中世的な縄張だが桝形跡に近世の改修を思わせる箇所もある。
城址には桜、紫陽花、紅葉などが植樹され公園として整備されている。この日も春先から延びた城址内の草刈り作業が行われており、日頃から管理が行き届いていると感じた。
また宗綱時代に綱元の家臣団が居住した茂庭町の円鏡寺山門は岩ヶ崎城からの移築と云う。
東北自動車道若柳・金成ICより11km(16分)ほど。

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dougen

2019.3.31登城 (2019/03/31 訪問)

川辺館から、県道4号で西へ、栗駒小学校の裏山にある館山公園が鶴丸館跡となります。

城址公園と整備されており、遺構の散策も本来ならできるところ、山の上ということもあって積雪のため、散策は諦め、主郭のみの登城となりました。

城域はかなりの広さの様ですので、次回登城する機会があればゆっくり散策したいところです。

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カズサン

栗駒小の北に聳える立派な山城 (2016/10/04 訪問)

 秋田の大館城を終えて秋田能代方面の檜山城、脇本城を計画して居たのですが雨が激しくホテルの予約も取れず雨に強い高速道SAでもう一泊車中泊と決め翌日宮城県栗原市周辺の城廻り、若柳金成ICを降りて情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんにより栗駒小学校を目指し直ぐ上の山が鶴丸城と分かるのですが登る道が分らず近くの方に伺って車で登る。
 1曲輪の北に駐車場、初登城は1曲輪、2曲輪を眺めて南東の曲輪群が在るのですが眺め草深く困難かなと諦め下城したが余湖図コレクションさんの図を良く見て無かったのかもう少し行った所に畝状竪堀群が描かれて居り見ずに下城した事を後で気付き残念でならない。

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いんげん丸虫

連続竪堀 (2019/05/02 訪問)

宮城県の鶴丸城。巨大な公園として整備されてます。
特徴は7本の連続竪堀ですね。傾斜が緩い所の防御には意外と有効なのかもしれません。
写真では分かりにくいですね。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 富沢道祐
築城年 南北朝時代
主な城主 富沢氏、伊達氏、石母田氏、田村氏、古内氏、茂庭氏、中村氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、井戸跡、土橋
再建造物 石碑、説明板
住所 宮城県栗原市栗駒岩ケ崎裏山