岡豊城から後免駅へ歩く途中に立ち寄る。宅地・農地となっているので、遺構なのかどうかはっきりしない。岡豊城が意外と近くに見える。
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2018/12/09 21:15
長宗我部重臣吉田氏の城 (2018/11/27 訪問)
岡豊城から後免駅へ歩く途中に立ち寄る。宅地・農地となっているので、遺構なのかどうかはっきりしない。岡豊城が意外と近くに見える。
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2018/12/09 21:06
土佐長宗我部氏の居城 (2018/11/27 訪問)
あの長宗我部氏の本拠地にしては規模が小さい気がしたが、横堀・竪堀など厳重な防備が施されていました。三の段や四の段の虎口には石垣も残っています。隣接する博物館の展示もたくさんありました。
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2018/12/09 20:55
想像していたよりも大きな城でした! (2018/12/08 訪問)
備後国三次は我が生まれ故郷ですが、比叡尾山城に足を踏み入れるのは初めてです!
比叡尾山の麓にある熊野神社に駐車して、大手道と伝わる登山道から本丸を目指しました。
まずは東側の尾根の曲輪群とその南の竪堀を確認。
そこから三の丸、二の丸、北の丸、屋敷跡へ。
屋敷跡には石垣がきれいに残っており、これは必見です!
また屋敷跡の西の巨大な堀切もすばらしいです!
本丸には土塁が見事に残っており、虎口には石積みも見られます。
城主は、藤原氏の末裔である三吉氏。周防国の大内氏と出雲国の尼子氏の狭間で揺れ動いていた安芸・備後の国人たちの中でもかなりの力を持っていたことがこの城の規模から伺えました!
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2018/12/09 20:45
牛込見附(牛込御門)跡 (2018/12/07 訪問)
牛込見附(牛込御門)は江戸城三十六見附の一つで、江戸城北のやや西側の外堀の内側にあった門です。
神楽坂から外堀を牛込橋で渡ると牛込見附があり、牛込橋から見る外堀跡の水堀の幅は往時よりやや狭いはずですが、距離測定アプリで計測すると約55m、線路になっている箇所を含めると85m程はあり、圧巻の景色でした。
また、牛込見附跡には枡形の石垣の一部が現存しており、すぐ隣の高層ビルとの対比が印象的でしたが、見附跡には交番もあり、石垣と共に往時と同じく往来を監視する役目も残っているのだなぁと感じました。
牛込見附の石垣は阿波徳島藩主・蜂須賀忠英によって築かれたそうで、交番脇に「阿波乃国」と刻まれた大石が置いてあります。
平日の15時半くらいにも関わらず、人の往来が激しく写真を撮るのが大変でした(流石は東京・・・)。
※今回の東京訪問で「大江戸今昔めぐり」というスマホのアプリ(無料)をダウンロードしたのですが、江戸時代の古地図と現在の地図を重ねて見ることができ、とても便利でしたので、江戸城を訪問される方にはお勧めです。
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2018/12/09 20:34
マチュピチュの様 (2018/04/28 訪問)
日本にこんな城があったなんて
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2018/12/09 20:27
2018/12/09 18:43
地元では尾引城で通ってます (2015/04/30 訪問)
真田郷には登城しやすいお城とし辛いお城の両極端に分かれますが、ここ尾引城(各サイトでも地元でも横尾城ではなく尾引城になっているのでこっちで通します)は山城ではありますが登城しやすいお城になります。
車を停める場所に難儀しましたが、農道の先・尾引城の主郭から東側に駐車できるスペースがあったので、そこから登城開始しました。
少し北に進むと、尾引城と長尾城への分かれ道にあたりますので、左(西側)の尾引城方面へ。
※長尾城は遺構がほとんどなく、この道案内以外に解説等が無く、更に険しい道との事なのでパスしました。
分かれ道からは緩やかな登りとなりますが、なかなか遺構が現れず・・・
しかし主郭間近までくると、いきなり二重堀切とか虎口等が現れて、一気にお城に来た気分になれます(笑)
何も無いお城と思って引き返してしまうと勿体ないので、ちゃんと主郭まで行きましょう。
尾引城は反対側からも登れるみたいですが、そちらは未確認なので、機会があったら確認してみたいです。
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2018/12/09 10:20
2018/12/09 10:14
2018/12/09 10:08
2018/12/09 09:02
登山道がない!気づいたら竪堀を登っていた! (2018/12/07 訪問)
JR土佐昭和駅から徒歩10分ほどで登城口(?)に着きます。
三嶋神社(写真⑦)が目印です。
タイトルにも書いたとおり登城口がなく、
獣道らしき道(写真⑧・⑨)を登っていきます。
竪堀(写真⑤)を登りきると二ノ段、
その奥に詰ノ段と石碑(写真①・②)があります。
竪堀、堀切(写真③)がしっかり残っていて見事です。
見学所要時間は1時間ほど。
道がないぶん、本格的な(?)攻城気分が味わえます。
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2018/12/09 02:56
見落としがちなのが,江戸城跡碑。 (2017/06/11 訪問)
江戸城跡碑は、桜田門と半蔵門の間の桜田濠沿いの,国立劇場をのぞむ,バス停近くに佇んでます。
楠公レストハウス近くの植え込みに平気で唾を吐く中国人を目撃しました。高度成長期の日本人も,当時は同じことをしていたのかな…と,いたたまれない気持ちになりました。
なお,ここを起点に時計回りで登城を開始したのですが,途中に標識が立っており,反時計回りがルールとのこと。しかし,途中で引き返すには,相当なタイムロス。時計回りで決行しました。
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2018/12/09 01:11
2018/12/09 00:26
久しぶりに投稿しまーす! (2018/11/23 訪問)
いろいろあって投稿できてませんでしたが時間ができたので投稿しまーす!先月とある歌手のコンサートをききに東京に行った時にこのサイトで渋谷にお城があることを知り寄り道してきました。(けっして暇だった訳ではありません)
駅からそう遠くはないし、行くのに苦労はしないだろうと思って行ったのですが、さすが都会🏢渋谷駅がすごく混んでいて人混みに酔いました。さらに駅前が工事中で遠回りしながらやっとたどり着きました。
渋谷城はいま金王八幡宮という立派な神社になっていて、遺構はお城の石だけしかありませんが、歴史は古く源頼朝の父の義朝に仕えていた金王丸一族「渋谷氏」の居城で、城内には源頼朝が金王丸一族の忠節をしのび鎌倉から移植された金王桜という桜が立っています。あまり詳しくは知らないですが珍しい桜だそうです。すみません知らなくて……春に訪れてみたいですね。
ということでぜひ渋谷に来たら訪れてみてください!
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2018/12/08 23:59
淀城 (2018/11/23 訪問)
結構立派な天守台が残っている
殆どの人は京都競馬場へ向かってしまうと思うけども
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2018/12/08 23:56
伏見桃山城 (2018/11/23 訪問)
桃山城とは関係ない、レジャーランドの天守。
今は運動公園が主で、老朽化した天守には近付けない。
取り壊されるかもと思って、いまのうちに写真を撮っておこうと思い立った次第
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2018/12/08 23:52
里山散策 (2018/12/07 訪問)
多摩丘陵の原風景の残る小野路宿に小野路城はあります。
里山交流館と小野神社の脇の坂道を登っていくと右手に里山の風景が広がり、左手にはハーブの匂いの牛舎。
牛舎の奥の細い道を入っていくと5分くらいで写真⑦の地点にたどり着きます。
ここから10分くらいで写真⑧に到着、ゴールは間近です。
⑧の分岐を左に行くと、左手に小町井戸があります。(写真⑤⑥)
本丸(と言っていいのかわかりませんが便宜上)へは⑧を右に行っても左に行っても辿りつけます。右に行くと写真⑨の案内につられてさらに右方向に行ってしまいそうになりますが、この案内は城址への案内ではありませんので惑わされたらアウトです。親切な方が手書きで貼ってくださっているとおり、「←スグソコ、小野路城」です。
分岐がたくさんありますが、案内表示はほとんどありません。
意外とどの道を通っても行きつくのではないかと思います。推奨ルートがなく、表示があるとかえって混乱してしまうとか。全体図はポイントごとにありました。
畑が広がっていますが、本丸周辺は改変された様子もなく、土塁や曲輪が確認できました。目につく遺構がたくさんあるわけではありませんが、振り返って考えると、巨大な迷路のようだったので、山全体が罠のような気もしてきました。鬼ごっこしたら、迷路を知り尽くしているほうが絶対有利な感じの。
かつての旅籠を改修した「里山交流館」がほっこり、ゆったりくつろげるところでした。地場野菜の販売や喫茶コーナーもあります。小野路うどんを注文している人がたくさんいらしたので、名物っぽいです。
交流館の向かいには新選組に関する資料を保存、公開している小島資料館があります。開館日は第1・3日曜日の午後で、日野の土 方歳三資料館と同じですが、こちらは1・2月は休館のようです。
小田急線の鶴川からバスで行きました。北口のバスターミナルには4番乗り場までしかなく、小野神社に行く5番乗り場は横浜銀行を左折してから100メートル走でした=3=3=3
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2018/12/08 23:44
2018/12/08 23:30
吉野の東 (2018/12/08 訪問)
伊勢でもかなり山奥にあります。ここを本拠地にしなければならなったことが、当時の北畠氏の立場を表しているような気がします。北畠神社周辺と六田館を散策しました。
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2018/12/08 22:57
幻の蝦夷共和国 (2011/07/24 訪問)
国内のお城としては完全に異色の存在である西洋式の稜堡要塞。19世紀における火力の急速な進歩により、本場の西洋では既に時代遅れの存在だったようですが、西洋の知識が入るにもタイムラグがあった時代でしたからね。箱館戦争により、予想もしない形で実戦の機会を得たわけですが、新政府軍の優勢な火力(艦砲含む)、兵力を前に結果は周知のとおり。でも、石垣の高さ、堀の広さ、死角のない縄張りなど防御の基本は地味に抑えており、薩軍に対し熊本城が通用したように、無意味な仮定ながら一時代前の火器相手であれば相当強靭な防御力を発揮できたと思います。なお、大手口に残る半月堡は本来、各稜堡の間に設ける予定が、予算の都合で元々ここだけしかなかったそうです。中央の箱館奉行所は2010年の復元で、建物が何もないと「お城がない」という一般の観光客にも取りつき易くなったとか。
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