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そこはOBゾーンです (2019/06/16 訪問)

吉井川河川敷のゴルフ場内の岡が痕跡。岩塊の岡が河川敷に残っている。クラブハウスによれば、ゴルフプレーヤーが少なければゴルフ場を突ききって行って良いとのことだが、訪問が日曜日につき隙間なくラウンド者あり。クラブハウスの指示の下、車でコースの外回りを行き、到達。ちなみに岡の周辺はOBゾーンになってます。
一揆の記念碑もありました。一揆が成功して良かった。昨今の香港の大規模デモも成功して良かった。

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くろもり

人間五十年 (2015/06/28 訪問)

日本人なら歴史に疎い方でもなんとなく知っている「織田信長が桶狭間の合戦に向かう前に、敦盛(人間五十年~の歌です)を舞ってから出陣した」と伝わるのがここ清洲城です。

江戸時代に入ってしばらくして、清洲越しと呼ばれる城下町毎名古屋へ引っ越した為、城も廃城となってしまいました。現在、遺構はほとんど残っていませんが、なかなか立派な模擬天守が建っており、平成8年の五条川の護岸工事で発見された石垣を清洲古城跡公園に移築復元してあります。また、線路を挟んで南側の清洲公園に桶狭間の方角を見据える信長の像とそれを見つめる濃姫の像があります。

清洲城について書かれた本で1冊だけ紹介させてください。遠藤周作先生の『埋もれた古城』に収録されている「タイム・マシンで見た清洲城」です。遠藤周作先生の作品は『沈黙』『海と毒薬』『深い河 ディープ・リバー』等、宗教観や倫理観の重い題材をテーマとしたものが有名ですが、こちらの『埋もれた古城』はとても同じ人間が書いたとは思えない程、ユーモアに溢れた作品となっており、特に「タイム・マシンで見た清洲城」での織田信長と狐狸庵先生(遠藤先生)との掛け合いは爆笑で、信長のイメージが「第六天魔王」から「ヤケのヤンパチの信長」になってしまいましたw 他にも『埋もれた古城』を書くきっかけになった世田谷城や切支丹に深く関わった日之枝城等の短編が収録されており、城や歴史が好きな方なら楽しんで読めると思います。

織田信長が敦盛を舞って桶狭間に出陣したのも、若き秀吉が石垣の修理で信長の目にとまったのも、織田家の命運を決めた清洲会議もここであったと思うと感慨深い所でありました。

長文の後ですいませんが、カズサンさんへ。
確かに昨日の夜は次の写真への表示遷移にいつもより時間がかかっていました。先程確認した所、今日は通常と変わらないくらいの時間で写真が表示できています。城マップの表示も問題ないですが、まだ問題あるでしょうか?
城マップの表示は以前と変わって地域別の遷移機能等が新しく追加されていたので、『城びと』サイトの機能の更新による一時的な問題ではないかと思います。問題解消されないようでしたら、『城びと』サイトに直接問い合わせてみるといいと思いますよ。以前、私が『城びと』さんに問い合わせた際のメールアドレスを記載しておきます→shirobito@shirobito.jp

朝田 辰兵衛さんへ
新潟・山形の地震大丈夫でしょうか?「いいね」で無事を確認させて頂いたので安堵しております。後、村上城心配ですね・・・辰兵衛さんの新潟近辺の投稿楽しみにしていますので、落ち着いたら是非また投稿されて下さい。

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街道おじさん

諏訪原城登城

諏訪原城は徳川と武田の戦いで重要な役割を果たした城である。
廃城になったが、門や馬出などが復元され当時を偲ぶことが出来る。

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シロマサ

ナビですんなり石碑位置まで到着。 (2019/06/19 訪問)

金鑵城行く時に河合城の案内標識が気になっていました。
山下城でお会いした人が田圃の中でわかり難かったと聞いていたのにすんなり到着する。
そのまま駐車スペースがある所で留めて石碑位置まで戻ってくる。
簡単な縄張り図を参考に北の水路位置まで歩く。
そして南の水路が西に折れる位置まで移動する。(堀位置はもう少し北)
北の水路が東に伸びている方に車を移動する。
丁度水路が東から北に 折れる位置に到着する。
河合城は水路(水堀)だけしか確認できなかった。

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城歩き始めます

北条早雲旗揚げの城 (2019/06/18 訪問)

山中城を訪問したその足で向かいました。
大空堀は正に大空堀で、恐怖を感じました。
野面積みの石垣も残っていて、見所はありました。

北条早雲が最初に手に入れた城で、その石碑が立っていました。

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カズサン

チェブさんへ

 チュブさんご返答ありがとうございます、再起動もしました、今現在もつづき、添付写真クリックしても反応が有りませんし、城マップの表示も消えたままです、勿論マイ登城マップを表示が消えたままです。
 設定が問題なのか、パソコンなのか? 兎に角困ってます。 どなたかお教え頂ければ有難し。

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トーダイ

大坂夏の陣で徳川秀忠の本陣でした (2019/06/18 訪問)

忍陵神社駐車場(数台)<34.746527,135.642052>を利用して探索、神社のある丘陵は大阪府指定史跡の前方後円墳(忍岡古墳)があり、飯盛山城の出城だったようです。大坂夏の陣では、徳川秀忠の本陣として使用されており、城跡感は十分にあります。

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トーダイ

江口の戦いで有名です (2019/06/18 訪問)

大隅神社脇に路駐して探索するが、江口城に関する記述は無く、周囲は住宅街で城跡らしくは感じられない。他サイトにより、城内にあったと伝承される「江口」と記載された狛犬(台座)一対は本殿前に確認できます。

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トーダイ

新庄城 (2019/06/18 訪問)

荒木村重に仕えた後、織田信長に仕えた中川清秀が築城、茨木城の支城の役割を果たしていたらしい。その後、賤ケ岳の戦いで秀吉軍に属するも、柴田勝家軍の佐久間盛政に打ち取られています。

近くのコンビニに停めて城跡の「明教寺」を訪ねるが、入れそうもなく、山門を撮って退散、周囲は住宅街で城跡は感じられません。

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トーダイ

立派な門構えです (2019/06/18 訪問)

近くのコインパーキングを利用、立派な門構えと石碑を確認後、屋敷地周辺を探索すると内堀跡(一部)が残っています。

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カズサン

このブログの反応がおかしいのですが?

 昨日18時以降モトさんの笹尾砦以降の投稿で、本文つづきと投稿写真をクリックしても反応なく、又城マップもこのブログに出て来ません、何か問題あるのでしょうか? 対応教えて下さい。2019.6.19

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桑名藩家老

天守台からの眺望 (2019/06/16 訪問)

石垣など城跡が整備されて眺望も良く楽しめました。

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小城小次郎

勝連城

海を見下ろす巨城からは、かつて地中海で流通したコインが出土。一代の英傑・阿麻和利の名と共に、壮大なロマンが眠るグスク。

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BUGTI

戦国最弱小田氏の城 (2019/06/16 訪問)

戦国最弱として人気?が出ている小田氏の城。もともと鉄道が本丸を横断していたが、廃線によって城跡が復元された。城跡整備の良い例だと思う。小田駅のあったところにある案内所は無料ながら内容が非常に充実している。小田城のパンフレットだけでなく、つくば市の遺蹟地図まで貰えました。これを見ると付近に小さな城跡がいっぱいあることがわかった。つくば市といえば「未来」のイメージだったが、「過去」もおろそかにしていない良い街だ。

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BUGTI

小田氏治が逃げ込んだ城 (2019/06/16 訪問)

櫓門が現存しており、櫓も復元されているので、関東の城の中ではめずらしくお城を感じることができるのではないでしょうか。

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aoto

日本100名城登城スタンプ100城達成 (2021/08/29 訪問)

閉園中で天守は入れず、加藤神社から大天守、小天守、宇土櫓を仰ぎ見る。

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城歩き始めます

やっと山中城に行けました (2019/06/18 訪問)

前から行きたかったですが、お休みが取れたので、即行きました。

有名な障子堀をやっとこの眼で見ることができて嬉しかったです。
大変きれいに整備され、関係者のご尽力に感謝します。

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チェブ

海老名氏は鎌倉時代の名武将。 (2019/06/08 訪問)

神奈川県の「海老名城」に行きました。
「海老名氏は鎌倉時代の名武将」と霊堂前にある碑。
海老名郷土カルタの「え」なんだそうです。
海老名氏について調べてみると確かに源平合戦に参加した名武将です。
ただ、永享の乱では鎌倉公方 足利 持氏さんに見方し苦戦します。
「海老名城」に戻るけど関東管領 上杉 憲実さん達の総攻撃で一族は全滅してしまいます。
「海老名城」、相模川が近くにあります。遺構はありません。
比較的、新し目の住宅街にあります。
駐車場はありません。私は圏央道の下に路駐しました。(現在、この道は通り抜けできないので車通りが少なかったです。)
近所に幼稚園や小学校もありました。
ここの子供達は「海老名郷土カルタ」のお勉強をして、海老名氏の名武将っぷり、誇りに思って欲しいと思いました。

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シロマサ

加東市の友人訪問の帰りにちょい寄り (2019/06/16 訪問)

朝トーダイさんの投稿の豊地城が気になっていました。
夕方友人宅を訪問した帰りに豊地城を検索して近くなので立ち寄りました。
加東市から小野市に入ってすぐでした(県道85号線)
案内標識の手前に石碑があります。
案内標識を左へ曲がった路上に駐車して探索しました。
まずは大きな土塁を見て回り、八幡神社を目指し道を左折して三辻左に曲がると八幡神社に行きます。
左手の八幡神社、右手のみやま保育園の東側は堀跡。
豊地城概念図を見ると外堀になっている。
今回は行ってないけど観音堂も城跡です。

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イオ

高木正次と来迎寺 (2019/06/06 訪問)

丹南陣屋は、現在は宅地化されており遺構はありませんが、陣屋西隣の来迎寺の山門前に石碑と説明板が設けられています。

来迎寺は、大坂夏の陣で焼失したのを丹南藩初代藩主・高木正次が再建し菩提寺としたもので、境内の墓地には代々藩主の墓が祀られています。
また、高木正次は徳川十六神将に数えられる高木清秀を父とし、徳川家の数々の戦いに従軍した武功派ですが、大坂夏の陣では真田信繁隊と激戦を繰り広げ、その際に分捕った信繁所用とされる手桶と柄杓が来迎寺に伝えられています。
 

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