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トーダイ

神西湖が良く見えました (2019/06/14 訪問)

那賣佐神社登山口前スペース(5台)<35.314436,132.700821>に駐車、主郭跡まで約10分、神西湖が良く見えました。

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トーダイ

冬に再登城したいです (2019/06/14 訪問)

他サイトの「鶴ヶ城跡遊歩道案内図」を見ると、南西登城口から上がればラクに登城出来そうと判断、探し着いた登城口<35.262090,132.576495>には草に半分隠れた同じ案内図、意気込んで登城路を進むが、夏草が深く、ヘビが登城禁止と言わんばかりに横たわっており断念、冬に再登城したい。

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トーダイ

遺構は明確ではありません (2019/06/13 訪問)

愛宕山公園駐車場(30台)<35.439975,132.817466>を利用、主郭跡(展望台)にある城郭配置図を手に西側下を探索すると、堀切と曲輪跡が確認出来ますが、公園化で明確ではありません。

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ぴーかる

古宮城 (2019/01/05 訪問)

【続百名城27城目】
<駐車場他>城の白鳥神社東に3台程の駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>城山全体

<感想>新春続百名城攻城の旅3城目。国道を南から北上してきた為、古宮城手前に亀山城なるものがあり、その時は不勉強な為そこに奥平氏の城があることを知らずただ立寄りたい欲望を抑えつつ、今回は無理、まず古宮城だとスタンプ押印の為資料館に行った時館員のおじさんに説明を受けて初めて武田方と徳川方の境界にあったことを知って不勉強さを思い知る。城跡の山中は杉の木のみできれいに間伐されており、遺構の輪郭がよくわかる。これは伐採してしまうと丘状な為土砂崩れ防止のためであろう。よく整備されている。土嚢などで復元されておらず当時のままの姿も非常に良い。城は比高25m・直径250m程の円錐状の丘全体に堀と土塁・何十もの郭がある。大きな特徴は山の中心の南北に高さ10m程の大堀切があり東西を分断しているので大堀切の西側のニノ曲輪が攻め落とされても、東側の主郭城半分が残るという構造。主郭虎口は小さいながらも枡形になっていて、主郭・ニノ曲輪共中心に仕切り土塁があり、ここも東西に分断している。ニノ曲輪の西側の半円形の多重横堀や主郭を取巻く曲輪群も見応えある。この城は写真より実際見るのと臨場感が全然違う。小山全体が円形に要塞化された素晴らしい土の城跡だった。亀山城との距離はたった1㎞で信玄の奥三河の戦略を想像するのもまた楽し。

<グルメ>道の駅新城のバイキング店で別料金になりますが、ジビエ(鹿肉)ハンバーグを食べた。鹿肉のハンバーグ食べたことがなかった(ジャーキー的なのはある)ので興味でいった。癖はそんなになく食べ易かった。

<満足度>★★★

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朝田 辰兵衛

ここは,かつて芥川山城の… (2019/06/09 訪問)

支城だったとのこと。だったら,スタンプ設置場所からほど近いというのも納得しようかなっと。

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チェブ

残念、タイムアウト。 (2019/05/04 訪問)

福島県郡山市の「高玉城」行きました。
正直に言うと、猪苗代町から郡山市に向かう途中に「城びとのお城を探す」で見つけ、通り道にあったのが「高玉城」でした。
調べてみたら「高玉城」も壮絶な戦いがありました。
伊達 政宗さんの蘆名氏征伐で城主の高玉 常頼さんは討死しました。
他の皆さんも全員撫で切りです。
この少し前にも違うお城で、政宗さんは撫で切り令を出しました。
「高玉城」の皆さんは覚悟を決めて逃げなかったようです。
実は、なかなか「高玉城」見つけられませんでした。
どうも常円寺から、お城に入れるらしいのですが入口らしい所が分かりません。
日が沈みかけだったので諦めました。
ちなみに石碑は県道沿いにありました。
、、、一応「高玉城」行った事にしましたけど(笑)

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イオ

素人さんお断り (2019/06/04 訪問)

神戸城の二之丸太鼓櫓を見に蓮花寺に来たついでに、近くの岸岡城へも行ってみました。
岸岡城は、高岡城(城びと未登録)とともに神戸城の支城にあたる城で、現在、城域は公園(岸岡山緑地)になっており、公園の駐車場に車を駐めて登城しました。

下調べしたところでは、岸岡山七号墳のあたりが城跡とのことで、行ってみると、なるほど丘陵の頂部に盛り土があり曲輪っぽく見えますが、古墳の標柱はあっても城跡を示す碑も説明板もなく、これが古墳なのか城の遺構なのかよくわかりません。また、周囲には空堀があるようですが、言われてみれば…というような起伏はあっても確証がもてず、さらに、城びとの位置情報は古墳があるあたりより東側を示していて、そちら側も城があっても不思議のない丘陵の頂部であり、周囲にそれらしい起伏もあったりで、ますますよくわかりません…。

結局、モヤモヤしたまま岸岡城を後にしましたが、帰ってから改めて調べてみてもやっぱりよくわからず、私のような山城初心者が、縄張図も説明板も何も無しに挑むには難しすぎる城だったようです…。

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宗春

唐沢山城 (2019/06/14 訪問)

会社が休みだったので行って来ました。

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たくわん

目指せ光明寺 (2019/06/14 訪問)

東青梅駅北口を背にしてちょっと右方向。正面の丘は違う。公園です。光明寺を目指す。駅から600m。お墓軍団の階段を上がっててっぺんが勝沼城址でした。

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街道おじさん

山中城登城 (2019/01/25 訪問)

2年前に旧東海道を箱根宿から三島宿まで歩いた際、立ち寄った。今年から100名城スタンプを集めだしたので
今回2度目の登城を果たした。相変わらず美しい土の城である。石垣も良いが山中城のような土塁の城もほれぼれする。
本日は残念ながら雲が広がり富士山は見えず。次回は是非富士山をバックに山中城の美しい障子掘を撮りたいものである。

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daisuke

#144 大垣城 (2019/06/08 訪問)

20190608

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安土桃山時代~江戸時代の造形美

永正元年(1504)小笠原氏の一族であった島立貞永が築いた深志城が松本城の前身です。元々この場所には坂西氏の館があったとされ、この頃の深志城の成立過程は不明な点が多いです。信濃守護、小笠原長時を林城から駆逐した甲斐の武田晴信(信玄)は、天文19年(1550)深志城の改修を行い信濃攻略の前線基地としました 。天正10年(1582)武田家滅亡後小笠原貞慶が深志城へ入り松本城と改めましたが、豊臣秀吉の命で関東へ移封となった徳川家康に従って小笠原氏も下総古河3万石で移って行きました。代わって城主になったのが石川数正です。徳川家康の家臣であった石川数正が突如豊臣秀吉に翻り、その功績で和泉国より8万石で松本へ移って来ました。松本城天守はこの石川数正、康長父子の代に創建されたと考えられていて、現存する12の天守を擁する城郭の中では唯一の平城でもあります。

石川氏改易後小笠原、戸田と城主が替わり、寛永10年(1633)越前大野より松平直政が7万石で松本城へ入封。従兄弟である三代将軍徳川家光を迎えるために辰巳附櫓と月見櫓を増設しました。家光は上洛の帰途中山道経由で善光寺を参詣。その足で松本入りする内意が幕府からあったためのものでしたが、結局家光の松本入りは実現しませんでしたが、今に見る連結複合式の松本城天守が誕生しました。大天守、乾小天守、渡櫓は安土桃山時代の様式、辰巳附櫓と月見櫓は江戸時代の様式と、東大寺の三月堂(正堂は天平初期の建築、礼堂は鎌倉時代の建築)のように異なった時代の建築美を同一視点で見ることが出来るのも松本城の魅力です。

松本城との付き合いは、極端な言い方をすれば僕が生まれたその時からと言えなくもないです。ほぼ半世紀近くの付き合いになりますが、改めてその魅力を意識したのは10年ほど前からです。五層六階の大天守は漆喰の白壁に黒漆の下見板が付属する統一した色彩でその威容を際立たせています。装飾性豊かな大天守の千鳥破風は北側は1か所だけ無い所があり、周囲から目立つ位置には唐破風とセットで組み込まれている事が分かります。日本の屋根とも言われる北アルプスの峰々と天守とのコラボは絶好の撮影ポイントで、西に百名山の常念岳、東にこれまた百名山の美ケ原に囲まれ百名城の松本城が鎮座するこの自然風景との調和も素晴らしいです。

松本城の現存遺構は、大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟(いずれも国宝)ですが、二の丸御殿跡には慶応3年に落成した御金蔵があります。これは明治9年二の丸御殿が焼失した際にも類焼を免れた貴重な現存遺構です。中には入れませんが近くまで行けるので足を運んでみるのもいいかも知れません。

四季を通じて様々な表情で出迎えてくれる松本城。僕にとっては大切な心の拠り所でもあります。

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カルビン

蜜柑植えすぎ家康さん (2014/06/13 訪問)

たまたま2014年の今日と同日に静岡県田中城に行ったので、本日はここをupします。


亀甲型の城址というのは知っておりましたが、肝心の駐車場がなかなか見つからず、小学校周辺にちょい車止めては見つけた案内等を見学・撮影・・・を3、4回繰り返すという慌ただしい見学に・・・

とりあえず主郭附近を確認できたからもういいかな?と、その時はすっかり櫓の存在を忘れておりまして(笑)

帰ろうと途中まで進んだところに案内があって、そこに大きな駐車場が・・・
一度通過したハズなのに・・・なぜスルーしたし_s(・`ω´・;)ゞ???

結局櫓はこのエリアにありまして、しっかり見学させて頂きました。
同じエリア内には土塁等の土の遺構もあり、漏れずに立ち寄れて良かった(汗)
ちなみに家康お手植えの蜜柑の木もあります・・・各地にこれありますが・・・家康さん行く先々にわざわざ蜜柑の苗木持って行って、その都度蜜柑植えるのライフワークにしてないかい_s(・`ω´・;)ゞ???


田中城はこのエリアが見学のメインとなると思いますが、城域あちこちに見所があるので、時間に余裕があればここに駐車したまま、ここで頂けるマップを片手にゆっくり城域巡るのも醍醐味かもしれません。


駿府エリアってどうしても徳川のお城のイメージがありますが、意外と武田のお城が多いんですよね。。。ここ田中城も今川から奪い取って改修したお城だったんですね~

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チェブ

石垣、石垣、石垣! (2019/05/04 訪問)

2回目の「会津若松城」攻めです。
「二本松城」同様、前回は戊辰戦争に関する史跡名勝巡りでしたので、今回は「お城」メインで「会津若松城」に行きました。
私は石垣の迫力に脱帽でした。
「会津若松城」蘆名氏が基本、蒲生氏が掘を広く土塁を高くし、加藤氏が西出丸、北出丸を総石垣にしました。
ちなみに蒲生 氏郷さん、新編風土記に「広島城のようにしたかった。」とつぶやいてます。
蒲生さんも石垣に関しては金沢の穴太衆にお願いしたみたいです。(広島じゃないのかーい!)
「会津若松城」の別名「鶴ヶ城」は氏郷さんの幼名、鶴千代から付けられたそうです。
「会津若松城」いろんな時代の石垣が見る事ができました。

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ぴーかる

吉田城 (2019/01/05 訪問)

【続百名城26城目】
<駐車場他>豊橋公園無料Pあり <交通手段>車

<見所>三の丸・二の丸・土塁・内堀・本丸

<感想>新春続百名城攻城の旅2城目。豊橋で前泊し、9:00前に来城した。城は北の豊川を背後に本丸、囲むように二の丸・三の丸と梯郭式縄張がよくわかる。二の丸・三の丸の西側は中学校・市役所・国道で潰されている。二の丸・三の丸・曲輪跡の随所に土塁・堀跡が見られ、本丸以外にも沢山遺構が残っており、遺構の名称の石碑があるので分かり易い。本丸内堀はほぼ土塁だが東面が一部腰巻石垣が見れたので、当時はもっと深く現在は埋まったのだろうか?本丸内は石垣で囲み、四隅に隅櫓跡その北西隅の天守代用だった鉄櫓が模擬再建されている。この櫓の石垣だけ色が薄く細かい野面積みで積直しかな?残り3つの隅櫓台は立入禁止で残念。南側の池田期の石垣の識別は分からなかった。鉄櫓横の武具櫓北面の石垣の間詰にモルタルで補強してあったのが非常に残念だった。15万石の城らしくそこそこ見応えあった。最後に豊川の対岸に行って写真撮影。次の古宮城へ。

<満足度>★★★

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イオ

各種移築元 (2019/06/04 訪問)

近くまで来たついでに、神戸公園の駐車場に車を駐めて登城。

神戸(織田)信孝が金箔瓦を用いた五重の天守を築いたことで知られる神戸城ですが、公園として整備された本丸には天守台と土塁が、本丸の西側と南側には水堀が一部残っているものの、堀の大部分は埋め立てられ、二之丸、三之丸は神戸高校の敷地になっていて、遺構はそれくらいのようです。とはいえ、丸みのある石を用いて築かれた天守台は、巨石も据えられていてなかなか見応えがあります。

天守は文禄年間に桑名城に移築されましたが(現在は神戸櫓跡として土台のみ残る)、他にも、二之丸太鼓櫓が蓮花寺(鈴鹿市東玉垣町)に、大手門が顕正寺(四日市市西日野町)に、城門が亀山製絲株式会社室山工場(四日市市室山町)に移築され現存しています。また、鈴鹿市役所1階には二之丸東北隅二重櫓の鯱と、三之丸大手門東の一重櫓の鯱が展示されていますので、時間に余裕のある方は、併せてどうぞ。
 

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たくわん

石神井公園広いす (2019/06/13 訪問)

石神井駅到着。石神井公園どこ。バスが通る道をいったらありました。ボートのりば。城は奥のほう池沿いに歩く。釣りしてる人々。信号渡って池の左側が城だ。看板みっけ。でも中には入れない。養生中だって。堀とか土塁養生中です。石神井公園広いね。

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maripapa

上杉景虎最後の地 (2019/05/23 訪問)

続100名城でなければ知ることもなかったろうマイナー感のある鮫ヶ尾城に行ってきました。もちろんメインは春日山城〜高田城でしたが、意外にもしっかり整備されており、天候にも恵まれ良かったです。
総合案内所の方が親切に見学ルートの説明して頂いたのでスムーズにまわれました。
山城なので、しっかり登山装備が安心のコース。
トイレは総合案内所にあります。あと続100名城スタンプも案内所にありました。営業時間はスタンプは押せないようです。
合わせて、弥生時代の遺跡も見学しました。

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街道おじさん

小牧山城登城 (2019/01/19 訪問)

織田信長は桶狭間で今川義元を破り、次の目標を美濃と定め、美濃攻めのための城をここ小牧山に
築城。その4年後見事に美濃稲葉山城を攻略。彼が小牧山城にいた期間は長くはないが、彼の天下布武の
道程にとって、極めて重要な城である。
城からの眺望は良い。まわりを睥睨するかのようである。

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こげら

皇居東御苑(江戸城) (2019/04/27 訪問)

東御苑大手門から入場です。皇居だけあって荷物検査があり入場札を渡されます。無料のためか外国人観光客が多いですね。ここに入ると都心の一等地にいることを忘れます。

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