日本百名城の一つ三重県伊賀市の伊賀上野城です。1585年大和郡山から伊賀国へ移封となった筒井定次により築城され、上野盆地中央の丘陵に本丸や三層天守などが造られたとされます。関ヶ原の戦いの功績により1608年藤堂高虎が伊勢・伊賀20万石で入封すると、大阪城の豊臣氏への備えとして上野城は大々的に改修され、西側へ拡張高さ28mの高石垣が設けられ、五層天守の造営も始められましたが、完成直前の1612年台風により倒壊。1615年大阪夏の陣で大阪城は落城、豊臣氏が滅んだことから、天守閣は再建されず、上野城は藤堂氏の支城として城代が置かれ、二の丸(筒井氏時代の本丸)に城代屋敷が造られ、麓に武家屋敷が建て外堀を廻らせた東西900m南北700mの規模と言われ、外堀の外側に城下町を整備、藤堂氏支城として明治維新を迎えています。城は北に阪部川、南に久米川、西に木津川に挟まれた標高180mの独立丘陵に築かれ明治維新により破却された城跡の本丸に復興天守閣が昭和10年に建てられています。麓部分の武家屋敷や外堀は市街化により消失したものの、本丸、二の丸が上野公園として整備され、復興天守と本丸の高石垣、松尾芭蕉生誕300年を記念して昭和17年に建てられた俳聖殿、忍者体験もできる忍者博物館などが有名です。
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