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ぴーかる

伊勢上野城 (2019/10/06 訪問)

【伊勢上野城】
<駐車場他>城跡公園無料Pあり。
<交通手段>車

<見所>郭
<感想>3回連続伊賀攻めの旅4城目。この城跡は分部光嘉が信長進行後は織田信包付きの家臣となり、信包の命で安濃津城(津城)完成の仮城として伊勢上野城を築城した。小谷城の戦い後に信包がお市と浅井3姉妹の面倒をみたのでここに7年程住んでいたらしいゆかりの地。信包改易後は光嘉は秀吉直参となり1万石の伊勢上野城主となる。分部光嘉は関ヶ原は東軍に与して安濃津城の戦いで落城するが活躍し、2万石として初代伊勢上野藩主となる。翌年関ヶ原の時受けた傷が元で死去し養子嗣の光信が近江大溝藩に転封となり藤堂高虎によって廃城となる。

 城跡は丘陵全体が城になっている平山城で大きく3ブロックに別れていて、主郭のあるブロックには主郭を中心として郭がとりまいている。城郭全体はかなり大きい。
 主郭最上部に天守台があり、展望台・2階が資料館になっている。資料館で城跡の資料がもらえて城跡の説明をしてもらえます。分部光嘉を知っていたので資料館員のお婆さんと盛り上がって楽しかった。
 
 城跡は石垣遺構は残ってなく、主郭からⅢ郭まで階段状の連郭でⅡ~Ⅲ郭の間には横堀があったそうだが、現在は埋めたそうです。Ⅲ郭北側にある大きい2ブロック目の郭には畝堀があるそうだが、この郭は現在竹藪になっていて行ってみたが入れる状態ではなかった。3ブロック目も大きい郭で現在は圓光寺となっていて、分部氏のお墓があるそうだが今回は行かなかった。

<満足度>◆◆◇

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街道おじさん

水戸城登城 (2019/10/18 訪問)

残念ながら櫓は残っていないが、水戸一高内に移築された薬医門や
三の丸跡の空堀が素晴らしい。

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朝田 辰兵衛

登城開始は「道の駅いりひろせ」から。 (2019/10/19 訪問)

登城ルートは2ルート。尾根山道ルートと林間山道ルートです。尾根山道ルートでは,出城の的場山でピーク。北側に下るルートが見えるのでそこが登城ルートになります。しばらく進むと空堀と土橋があります。ここが,林間山道ルートとの合流点。さらに北へと進むと,東屋のある二郭。東屋の基礎部分は高下駄式になっており,その中にパネルが埋め込まれてます。さらに北進で主郭,その先に笹郭です。
標高:339m,比高:120m。鏡ヶ池にはアヒルとカモが仲良く泳いでいます。往復約40分の散策でした。

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はたけ

彦根城 (2019/10/18 訪問)

ひこにゃんに会いました

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はたけ

金沢城 (2019/10/17 訪問)

キレイでした

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カズサン

【駿河・千福城】 静岡県裾野市  (2017/03/20 訪問)

 葛山城を終えて東名高速道沿いの近くに在る裾野市千福に在る千福城を初登城しました。(情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
 車は千福城麓の普明寺参拝者駐車場を利用させて頂く。

 戦国期に葛山氏によって築かれた山城で普明寺裏手側より登城路が付いている、杉林を若干伐採して登城路、曲輪の見える化して有りますがまだまだ杉林が多く下草刈りは部分的で標識も少なく徒歩探訪に不自由はします、曲輪が寄せ集まり連なった平山城です。

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カズサン

奇麗に保存整備されてます (2017/03/20 訪問)

 伊豆の狩野城下田城初登城の後東駿河裾野市の葛山城を初登城しました、始め大手門入口を目指したのですが駐車場が分らず仙年寺山門門前に有る駐車場を利用しました。(情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)

 葛山城探訪前に麓に在る土塁に囲まれた葛山館跡、半田屋敷、荻田屋敷、岡村屋敷を探訪しいざ葛山城へ仙年寺山門をくぐり裏側より葛山氏代々の墓の横を通り登城路遊歩道を登る、山頂部の東曲輪辺りにたどり、堀跡、本丸裾を廻り二の丸虎口、堀越しに西曲輪を望み二の丸、本丸、本丸富士山見晴らしビューポイントは曇りで拝めず、本丸から堀を渡り下城、大手曲輪は探訪できず。
 葛山氏の城として大変奇麗に整備保存され時期的に3月でしたので下草は無く気持ちよく探訪する事が出来ました。

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小城小次郎

佐土原城

日本最南端とも噂される天守台こそが見どころながら、登城路は崩落により(たぶん現在も)長期閉鎖中。早期の復旧を心から願う。

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チェブ

千曲川と湯川。 (2019/09/22 訪問)

長野県佐久市、大井氏の「岩尾城」に行きました。

台風の影響で現在どのような状態になっているか心配です。
なぜなら、千曲川と湯川の近くの小高い場所にあったからです。

まず、駐車場がありません。
近くにもありません。路駐も考えましたが、一台 通れる位の道幅なので、おすすめ出来ません。
ナビの目的地は写真①の場所です。ここから一段高い所に伊豆箱根神社があり、周辺が「岩尾城」です。
案内板、遺構もわずかに残っているようですよ。

いつか、リベンジ城攻めしたいです。

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赤い城

目黒学院 (2019/10/12 訪問)

地下鉄中目黒駅から徒歩で7分くらいのところにある目黒学院周辺が跡地とされています。
目黒氏は武蔵七党横山党のの一流。
この日はラグビーワールドカップのパブリックビューイングをやっていて敷地内にも入れました。
遺構はありませんが・・・。
祐天寺の目黒高校付近が跡地ですとの説もあるようです。

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カズサン

二の丸、三の丸発掘調査現地説明会 (2019/10/19 訪問)

 本日(2019/10/19)昨夜からの雨が小雨に成ったり止んだりの天候でしたが浜松市文化財課の職員の方より二の丸浜松城跡26次発掘調査現地説明会、三の丸浜松城跡27次発掘調査現地説明会が併せて午前10時半より元、元城小学校跡の発掘調査現場で有りましたので出掛けて来ました。
 既に大勢の方が詰め掛けて居り説明会は3隊に分けて暫時進行おおよそ200、300人は来たのでしょうか?凄い人気です。
 
 二の丸跡は建物礎石、瓦溜まり2ヶ所、雨で発掘跡に水が溜り見学できませんでしたが本丸東端石垣の根石部分、その東端の堀跡が古絵図通り発掘されたそうです、予想より本丸の東端が東に寄ってるそうです。

 三の丸跡は元重臣屋敷跡ですが発掘現場が下垂口から西に登った通りの角でしたので元曳馬城の堀跡ではないか?北側の堀跡、西側の堀跡が発掘された、また多くの掘立柱建物の穴跡が発掘された。

 今後年末まで続きますので又新たな発見が有るかも最終報告が期待されます。

 

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街道おじさん

土浦城登城 (2019/10/17 訪問)

土浦城の東櫓と西櫓は平成になってから復元された。
また櫓門は明暦2年に改築されたと伝えられ、本丸に現存する櫓門としては
関東では唯一のものである。

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小城小次郎

志布志城

半分草に埋もれた狭い散策路を通り、堀底に立って切岸を見上げると、他のお城では感じられない強い絶望感を味わうことになる。

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todo94

蜘蛛の巣まみれに (2019/10/13 訪問)

市民の森として整備されているといいたいところですが、草刈りもあまりされてる気配がなく、訪れる人もあまりいないと見えて蜘蛛の巣だらけで難渋しました。支柱が朽ち果てて倒れていた説明板を発見したのでここで間違いはないかと思いますが、説明板の文字もとても読みにくいものでした。

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カズサン

北条氏水軍の城 (2017/03/20 訪問)

 狩野城を終えて伊豆半島を南下伊豆市内下田公園の北側駐車場を目指すが当日彼岸の中日旗日で既に駐車場は満車、困り果て南側の海中水族館へ海岸線の細い道を水族館駐車場へ、案内の人に下田公園下田城を見学に来た旨伝えて駐車させて貰った。
 南側から長いだらだら坂を山頂部の城郭エリアへ城郭部南西面裾野に長細く連なってる畝掘りが特徴の一つなのですが草に覆われ微かな変化しか確認できませんでした、1郭の伝天守台、2郭、3郭、4郭、5郭と廻り駐車場へ。(情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)

 下城して市内の戸田陣屋跡、海善寺、下田城の模型が展示して有るハーバーミュージアムへ下田城模型を見学し下田の勉強を致しました。

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カズサン

絵師狩野派先祖の城 (2017/03/20 訪問)

 「東国の城」の進化と歴史、西股総生著に香川元太郎画伯の狩野城が載ってましたので探訪したく車を飛ばして初登城しました。
 駐車場完備、国道136号線柿木橋に案内在り西に走って直ぐです麓は公園、東屋も有り立派な案内解説板が有ります、案内板によると絵師狩野派の先祖の城で狩野元信は16代目に当たると有りました。
 城跡は保存整備が奇麗にされており遊歩道に沿って案内柱が適宜あり探訪しやすく土塁、堀、曲輪が良く観察できます。

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ぴーかる

こうつべたじょう (2019/10/06 訪問)

【上津部田城】
<駐車場他>三重県総合文化センター無料、AブロックまたはDブロックが近い。
<交通手段>車

<見所>土塁・堀
<感想>3回日連続日帰り伊賀攻城の旅3城目。伊賀~津の間の城びとにある城は制覇し、長野城から伊勢国に突入、津城跡の御城印を購入し、この城跡は津城跡の約4㎞程北に行ったところにある。
 城跡は戦国時代の丘城で築城年・築城者共に不明。丘陵地の端にあり、山側のすぐ横に三重県総合文化センターがあり、更に山側は現在はニュータウンになっている。丘城といった感じで、主郭の一部は下を走る洞門トンネルで潰されてしまっている。主郭には井戸跡・門跡の礎石がある。Ⅱ郭は小さすぎてよくわからず、Ⅲ郭は文化センターにほぼ取り込まれ、Ⅳ郭は潰されてしまっていた。かつては主郭を取巻いていたであろう横堀は現在は東面と南面が残っており、南面の主郭とⅢ郭を仕切っているところはまあまあいい感じ。

<満足度>◆◆◇

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エグ1394

品川台場 (2019/10/16 訪問)

台場公園へ行ってきました。
品川台場は江戸湾防衛を目的に幕府が築いた砲台です。江戸時代最後の国家的事業であり、また西欧式の築城術を取り入れた日本で最初の本格的な近代城郭でもあります。1853年(嘉永6年)のペリーの浦賀来航により危機感が増した幕府に対し、江川太郎左衛門の献策で築造が決定しました。当初11基の予定でしたが資金不足により、第一、第二、第三、第五、第六台場の5基が完成しただけでした。大小260門の大砲が設置されたものの使用されることはなく、明治維新後も陸軍省が管理していましたが、その後は民間に払い下げられました。なお第三台場は関東大震災によって破壊されたため、復旧工事がおこなわれ現在は「台場公園」として一般公開されています。第六台場は原型を残していたことから史跡保存のために上陸が許可されておらず、レインボーブリッジの遊歩道から眺めることができます。

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エグ1394

江戸城 (2019/10/17 訪問)

江戸城天守を再建する会の江戸城散策ツアーに参加しました。
いろいろなエピソードを話していただき、とても楽しかったです。御城印を購入しました。
東西約5.5km、南北約4km、周囲約14kmの城域を誇る江戸城は、名実ともに近世城郭として国内最大の巨大城郭といえます。その歴史は太田道灌による築城にはじまりますが、徳川家康によって大幅に改修されました。現在は皇居として利用されていますが、本丸・二の丸・三の丸部分は、皇居東御苑として開放されているため、自由に見学することができます。桜田門をはじめ、切込接の美しい石垣をあちこちで見ることができます。江戸時代に天守は三度建てられており、いずれも当時国内最大の規模を誇っていましたが、明暦の大火で焼失してからは再建されていません。天守台は残っていて見学できます。

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流紋岩の粗野な石垣あり (2019/10/15 訪問)

この辺りは、岩肌が見え、斜面が直線的な独特の山が多い。竜山石と言われる加工しやすい凝灰岩の産地で、石工の町である。善防山城の北側の山々は流紋岩質凝灰岩で、善防山は流紋岩質溶岩の山体。北側尾根の大きな郭に粗野な流紋岩の石垣があり、良い。その他の郭にも石の切岸(自然石?)あり。
北側に聳える三角の目立つ山(笠松山)に展望台がある。付近の山は尾根伝いの道でアクセスでき、周回コースもある。善防山城も含めてよく整備されている。両側が一枚岩の急斜面である尾根道部分はスリルあり。

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