郡上八幡城に続き向かったのは小牧山城址。
NHKの歴史ヒストリアでもやっていたが、最近の発掘調査の結果、新事実が明らかになったとのこと。
清須を居城にしていた信長は新しい秩序を築くため小牧山に新たに城を築く。
上下関係を明確化し、横並びな家臣との関係の序列化を目指し、山城の最上位に石垣を積んだ居館を建築。家臣は下段に石垣なしの扱いとし上下関係を明確化した。
登城したほんの数日前に発掘した箇所は埋め戻されたが、おびただしい数の石材が出土し積み上げてあった。発掘では庭のような玉石を配した遺稿も発見されたらしい。
信長は小牧山にて家内の統制を行い、美濃侵攻を行う。小牧山から稲葉山城に移った信長は名を岐阜城と改め小牧山城は廃城となったが、小牧山と同様に発掘の結果庭園があったのではないかと考えられており、歴史が見直されているとのこと。
小牧山城はその後小牧・長久手の戦いで徳川家康が大規模改修を行ったが、この時の遺構がほとんどらしい。
徳川家の手厚い保護の結果、現在まで良好な保存状態を保てたらしい。
麓にも遺構が残されており大変面白い城址だ。
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