新潟県村上市の平林城です。平林城は揚北衆の一人色部氏の居城で、源頼朝からこの地の地頭に任ぜられ大きな勢力をもっていたとされます。戦国時代上杉謙信に従った色部勝長は、本庄繁長が武田信玄に内通反乱を起こすと謙信軍として村上城を包囲。しかし、繁長の夜襲を受け戦死したとされます。色部勝長は関東北条氏との戦いで活躍、武田信玄との川中島の戦いでは上杉軍屈指の勇将柿崎景家の危機を救うなど謙信の信任も厚く、勝長の死に謙信は大いに嘆いたとされます。謙信死後の御館の乱では色部氏は本庄繁長と共に景勝の勝利に大いに貢献したと言われます。上杉氏の会津移封に伴い重臣として同行し平林城は廃城となってます。城は標高281mの要害山を詰めの城した山麓に土塁と堀を廻らした城で国史跡となってます。東西450m南北300mの本丸、二ノ丸、三之丸を有し、北側は滝矢川を自然の堀とし、西と南に幅10m程の堀を作り、東側は詰めの城加護山要害山となってます。写真は城説明板、岩舘曲輪(三之丸)、岩舘と土塁、中曲輪(二ノ丸)、殿堀跡(本丸)、城略図、由来、詰めの城側の土塁、空堀、登口、城入口です。平林城は国道7号線の平林駅近くに平林城の標識がありそれに従い横道を入った千眼寺の先にあります。
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