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todo94

土塁と空堀 (2019/10/13 訪問)

コの字形に土塁と空堀が残っている城館跡でした。想像していた以上に楽しめる遺構でした。近くに駐車場所は見当たらないので車でのアクセスだと少々難渋します。

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にのまる

麒麟がくる前に。 (2019/09/25 訪問)

水堀、土塀、模擬櫓。
ガラシャ夫人のイメージそのままの落ち着いた佇まいの美しい庭園でした。
井戸跡や土塁、階段跡、折れのある北門などお城らしさの数々も感じることができました。
ここで過ごした日々がお玉ちゃんの人生でいちばん平穏で幸せだったのでしょう。でも、信仰を得て、それを貫き通した最期も、壮絶ではありましたが悔いはなかったと思いたいです。

行ったのは9月のおわりで、10月は諸々リニューアル月間で休館日もあるとのことだったので、何も知らずに行ったけどラッキー(←よくある)だと思っていましたが、リニューアル後に行った方がもっとラッキーだということに今頃気づきました。
11/2に行くといいことだらけみたいです。
詳しくは👇
http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html

細川藤孝書状版御城印、いいな。。。

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中川藤兵衛尉

篠山城 (2019/10/21 訪問)

二年前に登城した際には、台風被害により倒木が本丸を塞いでいたのですが、今は開通していました

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中川藤兵衛尉

奥谷城 (2019/10/21 訪問)

波多野氏が八上城に移る前の居城。今は屋敷から登城できます。往時とは違い、南の登土塁から主郭に行けます。主郭は北部の堀切と、北端を規定する大堀切とが見所です

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中川藤兵衛尉

八上城 (2019/10/21 訪問)

波多野氏の居城で、山全体を要塞化しています。所々に石垣が残されています

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さっちゃん

岩木山と弘前城 (2019/10/13 訪問)

10月11日~14日まで青森出張!!初めての弘前城へ登城してきました(・ω・)ゞ
だけど、岩木山は笠雲が出ており弘前城とのコラボは実現せず無念。。。

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中川藤兵衛尉

主膳屋敷 (2019/10/21 訪問)

高城山の麓、八上城主・前田主膳正の屋敷です。本丸にある看板で八上城と別に記載されていたので、別枠で投稿します。なかなかの広さです

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トーダイ

再登城します (2019/10/21 訪問)

登城入口<36.592713,137.149462>から約300m上ると登城口です。
しかし連日の雨で林道は小川状態、約100m手前に路駐、登城口に
案内板を確認するが、登城路は草深く・水浸し、再登城リスト入りです。

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赤い城

別名四津山城で四津山神社が建っています (2019/10/20 訪問)

四津山神社下の道路に駐車スペースがありました。
鳥居をくぐった先にトイレがあり、登城用?に杖が置いてありました。
神社に向かって石段がありますが女坂からのほうが雰囲気が感じられます。
神社が建っているところが主郭で2郭、3郭とそれぞれの間の堀切が残っています。
このエリアの城跡にはハズレは少なそうです。

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カズサン

本丸土塁、濠が良く残ってます (2017/04/13 訪問)

 一昨年4月上野未踏の城廻り、平井城を終わって夕暮れ近くに大泉町の小泉城(城之内公園)を初探訪。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさん)

 公園東側二の丸駐車場を利用。

 本丸内部はグラウンド、周囲を土塁が囲みその周りを水堀が囲み北郭は土塁と水堀が残っており土塁も高い、小田原征伐後に廃城に成った様ですが市街化された中に中世城跡が良くここまで残ったと感心し感謝申し上げる。
 桜の盛りは過ぎて水堀に桜の花びら花筏が名残を惜しんでいました。

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小城小次郎

駿府城

「日本最大級の天守台を地中に秘めた城」に、「新旧二つの天守台を同じ場所に持つ城」という新たな称号が加わった。

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カルビン

雨に阻まれた登城 (2019/10/20 訪問)

満を持して向かった1泊2日の山陰弾丸行軍

公共交通機関が色々な理由で各場所で遅れまくったり、悪天候の影響で、ここまで余裕無い行軍は未だかつてなかったです(汗)


そしてそのあおりをモロに受けた十神山城・・・

早朝に安来駅へ到着し、そこから徒歩約10分先の登城口を目指したのですが、目の前に見えた十神山の上に明らかに雨雲とわかる黒い雲が・・・
案の定途中から雨降りだし始め、いよいよ登城口入口では本降りになってしまいまして(危)

登山としてもそこそこキツイという情報だったので、ここは全景と登山口にあった十神山城の解説を確認して登城は控えました。

・・・前日の山城攻略で体が悲鳴上げていたのも登るの控えた理由だった訳で・・・山陰、険しい山城多いっすね(体感 ε=(ーДー;)ゞ)

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カズサン

ミツバツツジが奇麗な関東管領上杉氏の城 (2017/04/13 訪問)

 一昨年4月上毛線、上州未踏の城廻り、桜の山上城、膳城、大胡城、上泉城、後閑城を経て関東管領上杉氏の城平井城を初登城。(情報ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
 ナビは県道173号線沿いの平井城へ定めそのまま車で入城し本丸横の駐車エリアへ停める。

 復元された土塁と関東管領平井城の幟が多数で出迎え、土塁見学、土塁西の二の丸今は畑、本丸エリアの平井城の情報看板が多数並べられ城の概要を勉強し、本丸東奥の石碑を見学、鮎川沿いの崖淵を眺め、少し離れた本丸と三の丸の間の発掘復元土塁、橋、竪堀を探訪し、三の丸の標識、少し手前北の平井城保存会小屋を訪ね資料を頂く。
 頂いた資料によるとここより約1km超南西に詰城「金山城」の資料案内が有りました。

 丁度時期的にミツバツツジが満開、上杉氏一族の碑の前後にはミツバツツジが奇麗に覆って居ました、悠久の歴史の風情を醸していました。

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イオ

天王寺合戦と赤穂義士!? (2019/08/30 訪問)

織田信長が石山本願寺包囲の南側の拠点として原田(塙)直政に築かせた城砦で、天王寺合戦の舞台となり、直政が討死した後は佐久間信盛が天王寺城に入って本願寺攻めの主将となりましたが、本願寺の降伏後、包囲するだけで戦功をあげていないとして信盛は高野山に追放され、天王寺城も廃城になったようです。

城域は現在の月江寺付近とみられますが、遺構も石碑も説明板も何もありません。ただ、周辺を歩くと西側は急な下り坂で、この地が上町台地の西端であることがよくわかります。

ちょうど「村上海賊の娘」の天王寺合戦のあたりを読んでいるところだったので、何も残っていなくても想像を巡らせて雰囲気だけでも楽しむことはできましたが、そうは言ってもあまりに見どころがないので、天王寺城とは全く関係のない周辺情報をひとつ。

月江寺から谷町筋をはさんで東向かいにある吉祥寺は、住職を播州赤穂から迎えたことが縁で、浅野内匠頭長矩も参勤交代の際に立ち寄るなどの交流があり、元禄赤穂事件の発生後ほどなく長矩の墓が建立され、討ち入り後には寺坂吉右衛門から依頼を受けて、赤穂義士たちの墓も建てられました。併せて吉右衛門から託された義士たちの遺髪や遺品などは大阪大空襲で焼失してしまいましたが、現在も赤穂義士の墓所として往時の墓碑が守り伝えられており、毎年12月には大阪義士祭が執り行われています。
 

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刑部

お寺の裏に (2019/10/20 訪問)

お寺正門を通り過ぎて第2駐車場の看板を入り墓地の裏側へ回ったら城址らしさがありました、土塁と空堀。

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TMN97

岩櫃城趾 (2019/10/20 訪問)

岩櫃城趾

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TMN97

箕輪城趾 (2019/10/20 訪問)

箕輪城趾

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TMN97

沼田城趾 (2019/10/20 訪問)

沼田城趾

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TMN97

名胡桃城趾 (2019/10/20 訪問)

名胡桃城趾

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イシテル

山麓の御殿跡と山頂の山城跡の残る明智家ゆかりの城 (2019/10/20 訪問)

妻木城は、山頂に築かれ、山麓の御殿跡士屋敷跡とともに遺構が残る城址。
多治見駅から東鉄バスに乗り、バス停終点:妻木上郷で降り、妻木の街並みを御殿跡士屋敷跡に向かって歩いていくと、「士屋敷跡群」が見られ、石垣の上に建てられた家並み(一般ご家庭)が続く。この「士屋敷跡」を超えると目の前に「御殿跡」が現れる。
御殿跡は、石垣、石段、井戸、門の跡が残り、当時の様子が伺える遺構となっています。
石垣、石積みの一部は崩れているところもありますが、これがまた長い年月を感じさせる城址とないます。
御殿跡を十分堪能して、山頂の妻木山城へ向かいました。
御殿跡には数名、遺構を見ている人が居ましたが、登城口に入ると頂上に着くまで、降りてこられた一組のご夫婦とご挨拶した以外、誰も居らず、約1時間半の頂上での城廻の間も誰にも会いませんでした。
登城道には数々の巨石があり、巨石が積まれ石垣の様に見られますが、これはマグマが冷えて花崗岩になるときに、全体が収縮して等間隔の割れ目が多数できる「節理」と言われる現象だそうです。
また、堀切の奥には深いくさび跡のある花崗岩があり、巨岩を運び出そうとして断念した「残念石」?のようです。
くさび跡は大きな十字に刻まれており、見たときは「隠れキリシタンの仕業では?」と思いを巡らせました。麓の春日神社に「切支丹灯篭」もあったので、そんな気が...、でも山城の中では、その可能性は無いか。
曲輪Ⅲからの絶景を見て、曲輪Ⅱ、曲輪Ⅰへ上がりました。曲輪Ⅱから曲輪Ⅰの石垣が見られ、鳥居を潜って石段を登り曲輪Ⅰ(本丸)へ。曲輪Ⅰ(本丸)は八幡神社が祀られていて、伝物見杉や伝旗立岩の遺構が見られます。
頂上から登った道を戻り、山麓の御殿跡士屋敷跡へ降りてバス停:妻木上郷へ。バス停では土岐市駅行きのバスが停車中。運転手に聞くと直ぐに発車するそうなので、そのまま帰路となりました。
バスの本数が少なく、予定の多治見駅行きのバスは1時間半後の発車なので思わず飛び乗りましたが流鏑馬で有名な妻木八幡神社に行かなかったことを後で後悔しています。
妻木城址は良く整備され、安全で安心して登城道も山頂の城遺構も安全で安心して回れました。整備していただいている地元の方々に感謝致します。ありがとうございました。

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