関東七名城の一つで、今年続百名城に選定された栃木県佐野市の唐沢山城です。900年代平将門を滅ぼした藤原秀郷によって築かれたとの伝承もありますが、室町時代に秀郷の子孫佐野氏によって本格的に城として改修されたとされます。佐野氏は山内上杉氏に属し、のちに上杉氏を継いだ上杉謙信に従い北条氏に敵対、1559年北条軍3万5千に包囲されるも、城は耐え抜き謙信の援軍により北条軍を撤退させています。その後、佐野氏は謙信と不仲になり、1576年謙信軍1万5千により攻められますが、落城することなく天下の堅城として名を高めています。1587年佐野氏は北条氏から養子を迎え北条氏に従いますが、1590年豊臣秀吉の北条征伐では、秀吉に従っています。1600年関ヶ原の戦いでは、徳川家康に従い所領を安堵され、3万5千石の佐野藩となり近世大名の居城として石垣等を築き改修しています。しかし、家康から廃城命を受け新たに佐野城が築かれ1602年廃城となっています。城は東武佐野線田沼駅南東2.5㎞の標高242mの唐沢山の急峻な山頂を本丸とし、各方面に伸びる尾根に曲輪を配し、東西900m南北500mの規模とされます。城は現在県立自然公園の一部となり石垣や桝形虎口、堀切などの遺構が残り、本丸跡に唐沢山神社が置かれています。
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