野面積みの石垣が素敵な浜松城。模擬ではありますが、天守もあり、多くの観光客の方がお城を楽しんでいました。
「理文先生のお城NEWS解説 第3回 石塁に囲まれた浜松城天守曲輪 1 」でも、浜松城の天守曲輪の石垣について解説されていましたが、屏風折の石垣(鋸の刃状に鈍角に折れを繰り返す石垣)は他にあまり例がないので、見所の一つだと思います。天守曲輪の南西で見ることができます。
時間があれば、浜松城の北東にある曳馬城跡もおすすめです。曳馬城についてはShanqí89さんが「二人の天下人が交錯した城。」の投稿にて詳しく紹介してくださっているので(ありがとうございます!)そちらを参考にするのがおすすめです。
浜松城の石碑は見当たりませんでしたが、本丸の家康公の像の少し離れた前に「浜松城本丸跡」の碑はありました。曳馬城は入口に城跡碑がちゃんとありました。
浜松城の天守から北を見ると、武田信玄公と徳川家康公が戦った三方ヶ原古戦場が約10kmの距離にあります。家康公はこの戦いに敗北し、命からがら浜松城に逃げ帰ったと伝わりますが、強大な武田軍相手に同盟の織田軍の援軍も少ないにも関わらず、一戦交えた家康公が見せた士魂は、後の関ヶ原の合戦で、家康公が他大名の信頼を得るのに効果があったと思います。「自分が不利な状況下でも、同盟相手にそこまで骨を折ってくれる家康公なら信頼できる!」と思い味方した武将・大名も多かったのではないでしょうか。無骨な戦国時代の武士ならば、そうであったと思いたいです。
+ 続きを読む