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朝田 辰兵衛

ここの二の丸井戸伝説は… (2018/08/31 訪問)

現代にもありがちなストーリーですね。そうそう,丸亀製麵は見かけませんでした。
《丸亀城二の丸井戸伝説》
難工事だった石垣が完成し,当時の城主山崎家治に石工名人の羽坂重三郎がねぎらわれたときのこと。「見事な石垣だ。これほど目地が詰まってて急勾配なら、登れる者は誰一人いないだろう」と。すると,(調子に乗った)羽坂重三郎は「私だったら、短い鉄の棒さえあれば登れます」といい,やすやすと登ったそうです。(羽坂重三郎から石垣攻略法が敵方へ漏れることを恐れた)城主の山崎家治は、「さすがにこれは登れまい」と羽坂重三郎をけしかけ,今度は二の丸井戸に彼を入らせました。そして井戸に投石し,穴を塞いで殺害。

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くろもり

巽高取 雪かと見れば (2015/12/05 訪問)

山上の八幡神社近くの県道119号線の路肩に4~5台が止まれるスペースがあったので、駐車して登城しました。道も狭いし、駐車できる所も道が斜めになっていたので運転に自信がない方にはあまりおすすめできません。

高取町観光ガイドのページには以下のように書かれていました。

アクセス4:車→高取城
高取城へは、県道がございますが、お城まで入城することができません。また、多くの交通量を捌けるような道ではなく、離合が大変な場所もあります。
また、城周辺に駐車場といったものがございません。

↑で「離合」て単語が出てきましたが、おそらく九州から関西まででしか通じない言葉だと思います。三重出身の妻に聞いても「聞いたことない」と言ってました。車のすれ違いのことで読みは「りごう」です。

お城は本当に素晴らしいの一言です。城下(壺阪山駅)と本丸との比高差が400m以上あるにもかかわらず、大量の石を山中の石垣に使用しています。二の門跡付近には水堀もありますが、比高差は300m以上あり、この比高差で水堀があるのかと驚愕しました。また、本丸からは吉野方面の眺め、国見櫓跡からは「高取の城下町」・「大和三山」・「信貴山」・「生駒山」・「奈良盆地」に加え、大阪のビル群も見ることができ、「あべのハルカス」も見える眺望絶佳でした。「じゅんじんさん」や「にのまるさん」の投稿の通り、瓦の破片が落ちており、「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ 土佐(高取の旧名)の城(高取の南東 雪に見えたが あれは雪ではない 白く見えるのは高取城の漆喰の壁や櫓だ)」と呼ばれた通り、たくさんの櫓があったのだろうなと実感できました。※もちろん瓦の収集はしておりません!w

主郭近くの石垣は整備されていますが、松ノ門から二ノ門付近の石垣は崩落している箇所も多かったので、散策にはスニーカー以上の靴が必須だと思います。

司馬遼太郎先生は高取城を「石垣しか残っていないのが、かえって蒼古(そうこ)としていい。」と評したそうですが、本当にその通りの素晴らしい城でした。

今回は車での訪問だったので、次回は城下から歩いて登城したい城です。

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トベシュン

梅雨の高松城 (2019/06/22 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが晴れでした。

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城好きのメガネ

「赤堤砦」 (2019/06/28 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
赤堤砦は、世田谷城主であった吉良氏の支城とされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東急世田谷線 松原駅 徒歩10分

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トベシュン

梅雨の丸亀城 (2019/06/22 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが晴れでした。

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カルビン

蝮は出ませんでした~ (2016/11/19 訪問)

岐阜駅前からバスに乗って鷺山小学校前で下車し、ちょっと南に行った場所にあった鷺山城。
斎藤道三の隠居場となっていたお城になります。

訪問した当時は生憎の雨模様だった為足場も悪く、更に主郭手前の道も崩れて通れなくなっておりました。
回りこんで主郭には行けたので問題は無し(汗)

遺構がそれ程多くある訳ではありませんが、蝮が隠居していた場所と思うだけでいろいろ罠が仕掛けられているのでは?と勘繰ってしまいます。
幸いリアルマムシは出現しませんでした(この時期には流石に蛇は出ないか。。。)

一応主郭の狭い曲輪と堀切と虎口と竪堀・・・が確認できました。。。全部主郭附近です。


駐車場らしき場所が無く、更にバスの本数も少ない事から、行軍には十分に計画・調査してから訪問して下さい。
交通の便が良ければ立ち寄るのに損は無い場所でしたが・・・

ちなみに自分は帰りのバス待っていられなくなり、そのまま道三塚(斎藤道三の墓とされる場所)→祟福寺(岐阜城の床板を天井に張った血天井及び織田信長・信忠の廟所)と見学し、岐阜城をスルー(悪天候で山上雲に囲まれていたので)して周辺の神社仏閣見学して岐阜駅まで歩きましたorz
靴濡れたまま長距離歩いたせいで、足裏の皮が大変な事になってました・・・皆様は真似しない様に(危)

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トベシュン

梅雨の今治城 (2019/06/22 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが晴れでした。

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トベシュン

梅雨の湯築城 (2019/06/21 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが何とかもちました。

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トベシュン

梅雨の松山城 (2019/06/21 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが何とかもちました。

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ヒロケン

上州真田三名城 (2019/05/25 訪問)

岩櫃城は岩櫃山(標高802,6m)中腹東面に築かれた中世の山城です。頂上より約200m下った場所に本丸・二の丸・中城があり、この場所を中心に広い範囲を城域としています。
岩櫃城は、年代は定かではありませんが、南北朝のころ築城されたと考えられています。永禄6年武田信玄は上州侵略のため、家臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じ、城主吾妻基国は堅城を利して奮戦しましたが、ついに落城し武田信玄は真田幸隆に吾妻郡の守護を命じました。
真田幸隆の死後、真田昌幸の長男信幸が支配し、信幸の弟幸村も少年時代をこの城で過ごしたと云われています。

この日は、上州真田三名城を攻略すべく豊橋を24時頃出発、東名高速・圏央道を乗り継ぎ7時頃大湖城跡へ、大湖城をゆっくりと堪能したあと、岩櫃城跡に10時前に到着。平沢登山口駐車場(無料)に車を駐車し、2度目の訪城。

中城・殿邸・二の丸を堪能しながら本丸へ到着(所要時間1時間程)何と言っても岩櫃城の最大の見所、本丸下の竪堀(*´∀`*)をじっくりと堪能し本丸へ。本丸の南枡形虎口(雑木林ではっきりと確認できず)・北枡形虎口等々確認し下山。
このあと、中山城・沼田城・名胡桃城をきっちりと攻略。
流石に、睡眠不足と山城攻略の疲れでヘトヘトでした。

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たくわん

堀と曲輪しっかり残ってます (2019/06/28 訪問)

京成臼井駅から徒歩20分くらい。自分で道順調べていきました。案内板とかはないです。臼井城址公園とはなってますけどほぼ城跡です。
トイレとみずのみばとかベンチとか柵とかあるので助かりますくらいです。堀とか曲輪とかしっかり残ってます。

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トベシュン

梅雨の大洲城 (2019/06/21 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが天守に向かう途中から降ってきました
傘をさしながらの撮影

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ぴーかる

霧山城 (2019/04/06 訪問)

【霧山城】
<駐車場他>北畠神社前JA <交通手段>車

<見所>曲輪跡・堀切

<感想>多気北畠氏城館のつづき。詰めの城から30分程山道を登ると到着する。厚底のスニーカー以上は必須です。霧山城跡は石垣は無く、土塁と曲輪は本丸・米蔵跡の曲輪・矢倉跡の曲輪・南の山に鐘突堂という曲輪がありそこから尾根状に堀切と2・3小さめの曲輪がある。いずれも曲輪群とあるが、それ程の群は見れなく、無いのか山中に埋もれているのかちょっとわからなかった。全体的な規模は小さいが、続百名城に入っていない城ならば、なかなか見応えありでした。天候が良かったので1日ハイキングとして楽しめました。走行距離246㎞

<満足度>◆◆◆

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トベシュン

梅雨の宇和島城 (2019/06/21 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが何とかもちました。

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トベシュン

梅雨の徳島城 (2019/06/20 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが晴れでした。

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トベシュン

梅雨の高知城 (2019/06/20 訪問)

2泊3日で9城めぐり
梅雨時期のため、雨を心配しましたが晴れでした。

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にのまる

石垣のかわりにニラを植えたから別名は韮城。 (2019/06/27 訪問)

大手門まで石段が続く七曲りは横手城時代からの古道。「熊出没」の看板もあり、模擬天守(展望台)まで麓から50m登るだけだと甘く見ていたのを反省^^;(🐻は出ませんでした。)

廃城後に廃材を用いて本丸に建立された秋田神社には戊辰戦争時の弾痕が残っています。武者溜まりは駐車場で二の丸に模擬天守。

天守受付で当日の予定(横手城→大鳥井遺跡→金沢柵→払田柵)などの話をしましたら、近くの史跡の資料あるだけ全部!と現地情報もいただけました。古代城柵は秋田城や志波城に行ってからときめいて✨いるものの知識不足なのでとてもありがたかったです。
スマホ片手に黙々と迷子になりながら歩くのも好きですが(←いつもほぼこんな感じ)、「わからないことは聞く」「とりあえず聞く」何なら「自分で調べた後でも聞く」ことで大事なところを取りこぼさずに見てまわれると実感。ありがたいなぁと思っています。

横手城の話から逸れてしまいましたが、こちらの展望台は12/1〜3/31休館(雪まつりの期間は開館)だそうです。

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チェブ

光照山 宗忠寺。 (2019/05/11 訪問)

横浜の「池辺陣屋」に行きました。
家康さんの四男、松平 忠吉さんの家老で「犬山城」の元城主、小笠原 宗忠さんが江戸幕府の命により陣屋を築きました。
「忠宗寺」が「池辺陣屋」の住所のようです。
でも「池辺陣屋」を調べてみると近くに「忠宗寺」があります。
、、、のような書き方。
私は「忠宗寺」で満足してしまいましたが、陣屋跡は少し離れた場所かもしれません。
そもそも「池辺陣屋」、昨日の「土井谷砦」の投稿時「お城を探す」にないと書き、調べ直し慌てて削除する有様。
これでは、見つかりません。

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イオ

日本三大水攻め (2019/06/18 訪問)

備中高松城、忍城とともに日本三大水攻めに数えられる戦いの舞台となった太田城ですが、羽柴秀吉に降伏した後に廃城となったようです。
宅地化によって遺構は失われてしまいましたが、現在は本丸跡とされる来迎寺に城址碑と説明板があるほか、大立寺(和歌山市橋向丁)に大門が移築されており、来迎寺の北東約700mの和歌山市出水には太田城水攻めの際に築かれた堤が一部現存しています。また、来迎寺の北東隅には籠城した太田党の首塚のひとつ(小山塚)の碑があります(区画整理により本来の位置から移設)。

ところで、信用金庫裏手の駐車場から水攻め堤の写真を撮っていると、同好の方から声を掛けられ、その方がお持ちのパンフレット(和歌山市内の史跡案内で、最近発行されたばかりのものだそうです)によると、水攻め堤は、信用金庫の裏手から東に延びた後いったん途切れ、南東にカーブして農業用ハウスの先に続いているようで、一緒にそちらに向かってみると、形状が明瞭に残った堤と真新しい説明板を発見! こちらまで堤が続いているとは知らなかったので、その方に声を掛けてもらわなければ見落とすところでした。お名前も伺いませんでしたが、おかげさまで楽しく充実した城めぐりになりました。ありがとうございます。
 

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こげら

川越城遺構 (2019/06/28 訪問)

川越城近くの道の駅の駐車場に車をおいて、歩いて川越城と蔵の町川越を散策しました。
川越城本丸御殿は金曜日にもかかわらず、あいにくの臨時休業?
それではと、ここから歩いて10分程の所にある蔵の町へむけて次の順で城下町の足跡をたどりました。
川越城本丸御殿→川越城田曲輪門跡と富士見櫓台跡→川越城中ノ門堀跡→時の鐘と蔵の町

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