夕方、仕事帰りに登城。我が浜松城の自慢は、野面積みの石垣と門脇の鏡石だ。特に鏡石は、巨石を縦に使い尚且つ隅石
であるため、設置は大変だっただろうが見事だ。
ところで、学校では北から攻めてきた「武田軍が堅固な浜松城を警戒」城の手前で進路を西に取り、徳川をおびき出して三方原で合戦になったと教わってきたが、最近は「三方ヶ原の合戦時、織田も恐れる25,000人の最強騎馬軍が本当に浜松城を警戒しただろうか?」と疑問に感じており、今回はそこをテーマにまわった。さて、江戸末期の城絵図には現存する石垣や堀があるが、家康がいた時代の城絵図は大きく異なり浜松城と言うより引間城(古城)である。武田軍との攻防絵図から、武田軍は掛川城や浜松城など見向きもせず、要塞であり、遠江の守りの要である高天神社と二俣城はしっかりと押さえて、京を目指していた感じがする。
もう一つの日頃から感じていた疑問「北遠地方の城と浜松城は天竜川でつながっていただろうか?」と言う事も今回はっきりした。浜松城下絵図を見ると城近くまで馬込川が来ていた事がわかる。馬込川とあるが、当時は天竜川の下流はいくつもの支流が流れており、その内の一つが馬込川だったようだ。よって北遠地方の要所の城から浜松城まで、川で容易に来れただろう。浜松城公園から国道を渡り、ひっそりと残る引間城に初めて行ってみた。なるほど、ここから船着場が見えたのであろう。
結論とすると、浜松城は東海道の宿場町にある要の城で川・道と交通の便が非常に良く城下街の形成には持ってこいの場所で、戦いは北遠・中遠の要塞で頑張っていたと考えれる。
浜松城から大手門跡まで歩いた。城絵図を見ながら大手門跡に立つと城の大きさや今も城下町に残る地名などがよくわかり面白い。さらには、浜松駅近くにある浜松魅力発見館THE GATEに立ち寄った。浜松城、二俣城、高根城をドローン空撮した状況をVRで見る事が出来る。各1分30秒程度と短いが、とても良かった。
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