赤松氏→浦上氏→宇喜多氏と下克上があった備前。以前読んだ、宇喜多直家の物語は、砥石城が急襲されて、祖父の能家が自決するところから始まりました。
訪問はtodo94さんのレポートから7年。本丸の中央にあった松は枯れて少し景色が変わってました。登山道は整えられており、また、本丸の下の郭は、木が伐採されつつあって、継続した整備の努力が見られました。本丸の机の上に、岡山城築城400年を推す、宇喜多直家、秀家物語のリーフレットが置かれてました。
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2019/06/28 11:41
宇喜多直家生誕の城 (2019/06/16 訪問)
赤松氏→浦上氏→宇喜多氏と下克上があった備前。以前読んだ、宇喜多直家の物語は、砥石城が急襲されて、祖父の能家が自決するところから始まりました。
訪問はtodo94さんのレポートから7年。本丸の中央にあった松は枯れて少し景色が変わってました。登山道は整えられており、また、本丸の下の郭は、木が伐採されつつあって、継続した整備の努力が見られました。本丸の机の上に、岡山城築城400年を推す、宇喜多直家、秀家物語のリーフレットが置かれてました。
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2019/06/27 23:22
鳶ヶ巣城攻略リベンジ (2019/05/08 訪問)
銃や罠によるシカの捕獲期間が終わる春になったらまた来ようと思ってましたが、春になってもシカの捕獲期間は続いていました。 迷った末に、ちょっと怖いけど登ってみました。 鳶ヶ巣城(とびがすじょう)は、標高281mの鳶ヶ巣山山頂に築かれたた山城。 遺構は山頂付近に郭や土塁が残る。 登山道は整備され登りやすく、お城の案内看板も各所にあります。 南に突き出た南2郭からの眺望が良かった。
ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42953641/
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2019/06/27 23:08
尼子十砦 十神山城 (2019/05/04 訪問)
戦国時代に出雲国を支配した尼子氏の本城である月山富田城を防衛するため配置された主要な10の支城は「尼子十旗(あまごじっき)」と呼ばれますが、さらに月山富田城と尼子十旗の間の繋ぎとして築かれた主要な10の城砦「尼子十砦(あまごじっさい)」というのがあります。 十神山城(とかみやまじょう)は尼子十砦の一つです。 中海に突き出した半島の山上(標高93m)に築かれており、水運を抑える要衝として重要視されたとのこと。 お城の案内看板は登山口にあるのみで、山の中にはお城の案内は見つけられませんでした。
ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42931735/
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2019/06/27 20:33
多気北畠氏城館 (2019/04/06 訪問)
【続百名城32城目】
<駐車場他>北畠神社前JA <交通手段>車
<見所>館跡庭園
<感想>天候がよかったので気儘に日帰り攻城の旅。宇陀で農産物購入と又兵衛桜見学後に行った。まずふるさと資料館(無料)に行き見学。スタンプはここには無く、北畠神社の社務所前に設置している。庭園は有料300円で館跡の見所はここのみ。楓等の秋に色付く木が多いので、秋に訪れる方が良いかも。館跡に日本最古の石垣があるが今は土中に戻されている。城館跡は3方を土塁で囲まれている。館跡はほとんど城館遺構がないので今は神社と庭園を見るのみとなってしまっている。その後霧山城跡へ。スニーカー以上の履物必須です。10分程登ると詰城跡があり、大きめの曲輪1つと帯曲輪・竪堀があるが、あまり整備されておらず竪掘り等遺構の輪郭はわかりづらい。詰めの城は小さめなので、臨時に一旦の避難場所程度な感じだろう。本格的な守城は霧山城なのだろうと思った。詰めの城から30分程登ると霧山城跡に到着するので別途投稿することにします。
<満足度>★☆☆
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2019/06/27 19:03
急傾斜地崩壊地区? (2019/05/11 訪問)
横浜の「土井谷砦」に行きました。
北条氏の家臣で続100名城の「小机城」の城主、笠原氏が出城として築きました。
「土井谷砦」「小机城」、横浜線の小机駅が最寄り駅です。
雲松院の裏山が砦跡です。
私はぐるっと裏側に行きました。
さすがに山です。駅が近いのでお家も建ってます。
遺構はありません。
雲松院の説明板には「土井谷砦」の名前が出てきません。
「急傾斜地崩壊地区」の警告板にかろうじて土井という地名が出ていたので、この辺り一帯が「土井谷砦」だったのでしょうか?
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2019/06/27 15:16
出野八幡宮が城址です (2019/06/26 訪問)
鎌倉時代に承久の乱の功により和知荘地頭職を賜った片山平九郎右馬允が新補地頭として武蔵国片山郷より移り、その後、築城したと思われる。天正年間(1573~92年)頃、片山氏に代わり出野氏が居城したと言われる。
出野八幡宮の一の鳥居<35.270290,135.361942>が登城口、二の鳥居まで約200mは(滑り止め付)舗装路、クルマでも上がれるが車幅しかない急坂路、路駐+徒歩を勧めます。二の鳥居から本殿まで3平段、最上段の背後に腰郭・竪堀らしい遺構を確認するが、藪しか写らない。
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2019/06/27 13:21
土の城の傑作 (2019/01/04 訪問)
遺構がこれほどしっかり残る山城は稀有。整備もやり過ぎず、丁度いいバランス。駐車場は隣接する中学校に用意され、トイレも借りられる。解説展示が町役場にあるが、これがシャビーなのが残念。
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2019/06/27 13:15
規模の大きい館跡 (2019/01/04 訪問)
国道沿いに大きなサインがあり、とても分かりやすい。中世の武家の館だが、堀・土塁など大規模で、良く残っている。資料館が併設されているが、肝心の菅谷館の情報が少ない。
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2019/06/27 13:09
それなりに整備された山城 (2018/12/17 訪問)
県の史跡。茶畑で覆われた山の上にあり、城址公園として整備されており、土塁・空堀など遺構もしっかり残る。無料駐車場が山裾にあるのに、舗装された道は山上まであり、車で上がれるのに上がれない。茶畑農家のトラクターにこれみよがしに抜かれると、わざわざ歩かされてる感満載で、イラッとした。
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2019/06/27 10:23
2019/06/27 10:19
2019/06/27 10:14
2019/06/27 10:11
2019/06/27 00:40
2019/06/27 00:17
2019/06/26 23:46
城下町も素敵です (2015/11/28 訪問)
岩村歴史資料館に駐車して登城しました。資料館からでも本丸との比高は130m程あるので、足に不安のある方は本丸近くの出丸の駐車場(無料)まで行った方がよいかもしれません。ただ、道が狭いので運転に注意が必要のようです。道中、挨拶した年配の方々の中には「膝が痛い」と言う方が何名かいました。
本丸含め石垣は多いですが、標高の割に眺望はあまり印象に残りませんでした。
城はもちろん、城下町も趣があって素晴らしいです。日本酒の「女城主」を販売している「岩村醸造」さんの店の奥に、天正4年(1576)に川尻鎮吉(河尻秀隆)が岩村城下に整備した「天正疎水」があり、説明もありました。
岩村城と言えば(私の中で)、遠山景任・おつやの方・秋山信友となるのですが、もう一人気になる武将が城主を務めています。伊勢国田丸城主だった田丸直昌です。後に蒲生氏郷の与力大名として須賀川城、三春城、守山城の城主を務めますが、関ヶ原の合戦時に岩村城主となっていました。小山評定で大名達が徳川家康に取り入る逸話はよく伝わっていますが、この田丸直昌はただ一人西軍につくことを表明したとの逸話が伝わっています。実際、小山評定に参加したのかも不明のようですが、そのような噂が後世に残る男がどのような武将だったのか個人的に気になります。
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2019/06/26 23:17
小倉山城
安芸吉川氏の本拠として凡そ150年の歴史を刻む北広島町新庄エリアは、小倉山城を軸とする中世的景観を色濃く残す貴重な場所。お城自体、この地域のモデルケースと呼んでもよいだろう。見学もしやすい貴重な城だ。
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2019/06/26 22:28
日帰りで行く所ではなかった・・・ (2019/06/22 訪問)
公共交通機関で日帰りできる未訪問の元祖・続100名城がほぼ無くなっている中、ここなら行けるか?と言う事で土曜日に行ってきました新高山城。
三原城はスタンプ欲しかったのでタイアップで寄りましたが、できれば高山城も行きたかった。。。
流石に東京から広島は遠かった・・・新幹線とはいえ片道の移動だけで1山城攻略したくらい疲れまして・・・
更に涼しいと予想されていた天気(曇り予報)・気温(最高27℃)にも裏切られ(晴れ+30℃超え)・・・
季節が季節なら道幅も広く、とても登りやすいだろうと思われる新高山城でしたが、この時期暑さもそうですが、なにより虫(藪蝦等)が顔の周りにまとわりついて来て、ものすごく不快な登り下りとなりまして。
そして傾斜自体はそれ程では無いものの、とにかく長いんです・・・息つく間が無く、地味に登りがきつかった。。。
更に登城口のかなり手前から自動販売機等飲料水を入手する場所が無く、準備出来ずに脱水症状寸前になってしまいました。。。危ない危ない(汗)
運動不足・準備不足等重なって、当初駅からお城攻略して高山城回って3時間半程度(新高山城2時間、高山城1時間半)予定していたものの
新高山城だけで予定時間で半分程度しか見れませんでした。
しかも蓄積疲労と暑さで高山城攻略は断念・・・新高山城の詰郭でほぼ同じ標高の高山城見て心が折れましたorz
とにかく登りの辛いイメージが強く残った新高山城ですが、主郭から大手を経て2段程下にあった井戸曲輪は特に圧巻でした。
(井戸が多く、更に家臣団の居館礎の石垣・石積みが満載)
最低限ここを見れたので、とりあえず今回は満足してます。
涼しくなって何かの機会で近くに行けたら、高山城と新高山城の未攻略遺構を見に是非再訪したいものです。
でも次来るなら絶対に泊まりで(東京から広島日帰りは無茶でしたorz)
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2019/06/26 21:17
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