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コバトン

伊達政宗の正妻 愛姫の故郷 (2019/04/28 訪問)

三春駅から歩いて20分くらい。
駅前よりもお城の周囲が市街地になってる様子。
そんなに高くないものの急な坂を登るのは少々疲れるが、頂上からの眺めは最高。
三春は田村氏の居城で伊達政宗の正妻である愛姫の出身地。駅や市役所など至る所で愛姫を推している。
愛姫は実家である田村氏の再興を願っていて息子忠宗の代にようやくそれが叶った。愛姫は12歳の若さで政宗に嫁いだが、それまで過ごした三春での想い出がずっと彼女に残っていたんだなぁ‥
と思いを馳せながらの眺めでした。

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蒼崎瀬良助

野面積みの天空の城 (2019/04/30 訪問)

大野盆地のやや西よりにある単独峰の山の上に天守閣をいただき、夜はライトアップされとても目立つお城。
たまたま時間が余って訪れました。と、いうのは観光地化したお城にはあまり期待はしていなかったのです。

ところが訪れてみれば巨石を使った野面積みに山上に広大な曲輪。本丸北東の尾根には十分な落差の曲輪群。
模擬天守が無ければ100点満点の平山城でした。
街の中にこれほどの規模の安土桃山時代のお城が残っているのはとても貴重であり素晴らしいことです。

丸岡城なんて投げ捨ててこちらの越前大野城を訪れるべきです。

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退会済み
ユーザー

尼城 (2019/05/02 訪問)

久しぶりの尼崎城🏯です。城&花はイコールといったイメージが私には有りますが、尼城イコールツツジかなと思います。

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勝野武士

令和最初の登城! (2019/05/01 訪問)

令和元年、おめでとうございます。
先日の高取城によるケツの痛みが今頃きた勝野武士です。
引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

今回、記念すべき令和最初となる登城は、池田城と相成りました。

現在は主郭部が池田城跡公園として整備されて残っております。
住宅地化の波に呑まれようとしていた中、公園として整備してくれた池田市に感謝です。

まず見所は、主郭を取り巻く空堀でしょうか。一番面影が感じられる遺構かなと個人的には思います。
堀底が園路として整備されてますので、実際に歩くことによって幅や深さを実感することができます。

主郭へは現在3ヶ所の入口が設けられていますが、そのいずれもが本来の虎口ではありません。本来の虎口は1ヶ所だけだったようで、それは主郭内から模擬門を出て南に折れ曲がる通路とともに整備されています。しかしながら対岸は現在マンションの絶壁が。…コレばかりは仕方ない。

土塁も僅かながらに残っています。が、こちらも本来はもっとデカく分厚かったはず。都市化の波を感じてしまいます。

排水溝が発掘調査の結果をもとに復元されています。しかしながらコレについて説明がなく、用途が全くの不明。

他には礎石建物の表示と復元された井戸と枯山水庭園があります。
残念ながら、コレらも詳細な説明は一切なし。
…池田市様、それぞれの遺構の説明板をくださーい(泣)。

シンボリックに建てられた天守風の展望台からは主郭内のみならず城跡周辺を一望でき、丘陵地の突端を利用して築かれた池田城の立地を改めて認識できます。
ついつい阿倍野ハルカスを探してしまいがちになってしまいますが、残念ながらそこまでは見えませんでしたw

史跡公園として見るよりもちょっとした都市公園としてみたほうが充実度アップかなと。
なんと管理棟を兼ねた売店までありました。
都市公園としてはかなり贅沢な仕様ですw

近隣には有料の駐車場があります。
時間があれば、逸翁美術館や小林一三記念館にも行ってみては如何でしょうか。
…残念ながら私は時間が遅くて入れませんでしたが(泣)。

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一両不足

上陸には至らずですが。 (2019/05/01 訪問)

自宅から最も近い続100名城。カレイ山展望公園と村上水軍博物館展望台から眺めたのみですが。。城になってる島の周囲の急流が天然の濠となっている様子はよくわかりました。いつか上陸したいものです。

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あんらくごえ

こういうの嫌いじゃない (2019/05/01 訪問)

藩主松平乗謨公が趣味全開で作った竜岡五稜郭。規模はもちろん堀幅、石垣の高さなど防御施設としての体裁がまったく整って無く、しかも山の麓にあるので立地からして砲撃戦を想定している五稜郭の設計思想を全く無視しております。故にこれは完全に公の趣味といって良いかと思います。
当時の幕末の状況にあってこのような陣屋を建設したことには賛否あるでしょうが、少なくとも地元の領民にはそれなりに公共工事として税を還元できていたのかもしれません。城といえばやはり戦うための施設であるのですが、こういった趣味全開の史跡、費用や技術の問題で亀甲積~野面積への変遷する石垣や途中で途切れた堀など微笑ましさすら感じる城跡は他に無いと思います

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ゆうさん

黒田氏ゆかりのお城 (2019/04/13 訪問)

登場人物に有名どころが多かったので、面白かった。

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あんらくごえ

石垣もツツジも綺麗でした (2019/05/01 訪問)

続100名城スタンプを押しに訪問しましたが、令和元年初日とあって御朱印目当ての長蛇の列が!スタンプは外にあったので列とは関係なしに無事押せました。石垣が非常に綺麗に積まれています。切岸にはツツジが咲いていました。

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ゆうさん

和歌山城 (2019/04/30 訪問)

なかなかのお城でした。

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あんらくごえ

三春城 (2019/04/29 訪問)

蒲生氏にもゆかりのある城です。二の丸跡からの見晴らしは絶景といえるのではないでしょうか。磐梯山もよく見えました

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トリ

平成最後の登城 (2019/04/29 訪問)

石垣はなく土塁だけで守っていたとか。

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あさやん

立派な石垣 (2019/05/01 訪問)

続100名城に選出され、初登城。
前日までの雨のおかげで、道がぬかるんでおり、登りづらかった。古い石段、石垣が残っており、見応えたっぷり。一番上に上がると、米子市内、城下を一望。天守跡もあり、なかなかな城だったのだな、と想像される。
続100名城のスタンプは一番上の休憩所にもあるが、スタンプと御城印をまとめていただくには、市役所の向かいにある山陰歴史観に行くとよい。

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あさやん

令和元年初日に登城 (2019/05/01 訪問)

念願の初登城、さすが国宝、立派なお城でした。
混み具合はまあまあ、令和元年初日の限定御城印で行列、私も並ぼうかと思ったら、受付終了。。。
ノーマルな御城印は一番下の観光案内所にて販売。そちらも予想外の売上で目が回るとうれしい悲鳴のようでした。
天守内はちょっとした展示、薄暗く、石落としや挟間などが見られます。

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にのまる

令和城始め (2019/05/01 訪問)

3月に工事が終わり、リニューアルオープンした天守を見学しに、帰京前に寄りました。
エレベーター設置のための工事ということだったのですが、それだけではなくて、とてもおもしろい施設に変身していました。
バーチャルてんこ盛りなのですが、アミューズメント施設という感じではなく、楽しみながら歴史を学び、体験できるようになっています。
小倉出身の草刈正雄さんのナレーションによる小倉城シアターは必見です。真田昌幸さんの声を聞いてるみたいでした。
一階にあった休憩所と売店はなくなり、新たに「しろテラス」ができていました。
八坂神社は令和初日の御朱印を求める人たちでいっぱいでした。

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これでもかの畝状竪堀 (2019/05/01 訪問)

恒屋城保存顕彰会の皆さんが整備されている。三郭に掲げられた幟が麓から見える。一端、放置状態になった後、再度の盛り上げを図っておられると。
二つのピーク(前の城(三郭)、後ろの城(一郭、二郭))を鞍部がつなぐ。二つのピーク回りにはものすごい数の畝状竪堀が掘られている。二郭切岸下に100mを越す横堀。山城に大規模な横堀は珍しい。二郭の南西側が比較的緩斜面であることによるのだろう。

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ノブ

城跡からの景色も良かったです (2019/05/01 訪問)

御館の乱の舞台の一つとなった城です。
令和最初の日に登城しました。
当時使用されていた井戸やほこらが残っています。

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ナナコ

坤櫓の二重破風 (2019/05/01 訪問)

千鳥破風と唐破風の二重破風

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クロピー

2019-4 (2019/05/01 訪問)

続百名城の土浦城へ。
内堀にはたくさんのこいのぼり🎏
櫓門はなかなか絵になります📸

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カルビン

不思議な淀殿との繋がり (2019/05/01 訪問)

令和初日はやっぱり新幹線や特急の指定取れなかったので、普通列車で群馬県攻略に行ってきました。

以前訪問しようとして、新前橋駅で電車遅延に加えてレンタサイクルの場所がよく解らずに訪問断念した群馬総社城にリベンジです。

群馬総社駅から城域に向かう途中、川のところに総社城西木戸跡の解説と石碑があり、
更に総社城の遺構としては先にある熊谷稲荷神社の高台が土塁、更にその先にある遠見山古墳が物見櫓跡である模様。

主郭と思われる場所には何もありませんでしたが、周辺に総社城の関連するものが転在しております。

更にそこから北に向かったところに、総社城城主だった秋元氏の菩提寺・元景寺があり、そこには秋元氏のお墓および淀殿の供養塔も存在しておりました。


「大坂夏の陣の戦火の中、総社城主・秋元長朝の陣に立派な着物を着た半狂乱の女性が命乞いに現れ、その美しい姿や口調から淀君だと察し、密かに駕籠に乗せ上野国総社に連れ帰った。
幕府に対して淀君を匿っていると知れる訳にはいかず、大橋の局御縁と呼んで総社の地で暮らした。」

っていう話があり、それが淀殿の供養塔がある理由とされております。

秋元氏のお墓の横に「戌」という名の方のお墓(供養塔)がありますが、これが淀殿の供養塔とされているとの事です。


まさかそんな話があったとは・・・豊臣秀頼や真田信繁が鹿児島に逃れて生きていたとされる話に似てますね。。。また一つ勉強になりました(・∀・;)

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クロピー

2019-3 (2019/05/01 訪問)

令和初日に城めぐり。水戸城へ行きましたが、大手門が修理中😭
弘道館で少しお勉強。

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