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さわ5540

小山城 (2019/08/31 訪問)

三重堀にゾクゾクしました

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城山公園 (2019/08/31 訪問)

 名鉄桜井駅から徒歩に登城しました。
桜井松平氏の城です。遺構はありませんが、城山公園となっていて石碑と案内板が建てられています。

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城郭寺院 (2019/08/31 訪問)

 南桜井駅から徒歩にて行きました。三河一向一揆の拠点として知られています。鼓楼と水堀が城郭寺院の雰囲気を感じさせてくれます。外堀である空堀の一部が残っていましたが、夏と言う事もあり雑草も生い茂りわかりにくくなっていました。

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景虎

春日山城址 (2019/08/14 訪問)

2回目の訪問です❗
天気に恵まれ、御朱印も頂けて
良かったです(*^^*)

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カズサン

しまなみ海道伯方島海賊の城 (2017/09/24 訪問)

 一昨年9月下旬大三島甘崎城の探訪を終えしまなみ海道経由伯方島ICを出て東へ沿線の折戸瀬戸の景勝地堪能して進行、木浦伯方港へ港を臨む小高い山へふるさと歴史公園頂上まで登る駐車場完備、復元した城郭風の天守郷土館資料館、復元櫓城門、曲輪が出来て居りました。
 頂上公園入口手前に発掘古墳の本体展示と解説板が在ります。
 
 眺望は最高です。
 

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カズサン

しまなみ海道大三島沖海賊の城 (2017/09/24 訪問)

 一昨年9月下旬周防未踏の城の探訪を終えて二日目福山のホテルを朝早く立ち、しまなみ海道を経由して村上海賊の城を初登城目指して出立、しまなみ海道の絶景眺望を堪能しながらの走行兎に角素晴らしい。
 大三島ICから降りて直ぐの国道317号線海沿い古城島こと甘崎城が見える、学研の戦国の城書籍に香川元太郎画伯の甘崎城の想像俯瞰図が掲載されており何時か訪ねたいと思ってた城なので感激です、干潮時間を見ての探訪で無く生憎潮は満ち渡海不可対岸で観察写真撮影のみ、車は堤防路肩空きスペースへ駐車。
 干潮時間を調べて海割りのタイミングに渡り探訪したいものです。

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カルビン

通行禁止はもっと前で指示してくれないと・・・ (2015/12/18 訪問)

愛知県の松平郷を訪れた際、松平氏館(松平東照宮)⇒高月院(松平家始祖・親氏墓所)と見学し、その足で松平親氏像のところから松平城(山中)に向かって登ったのですが・・・
途中で道が閉鎖されており行く事が出来ず・・・結構登ってから通行禁止てどんだけ罰ゲームやねんw

他に案内が無く、諦めて車で豊田市方面に向かおうと松平郷入口の国道301号線の交差点で信号待ちした際、左手の駐車場の看板にもう1つの登城口の案内があって急遽その駐車場に車止めて再アタック。
どうやらこちらからの登城が当りで、松平郷側から進むとものすごい遠回りだった事が判明・・・早く言ってよ~www


今度は問題なく登城口に着いて、ものの5分で城域に。。。と言いますか、おそらく現在の登城口自体城域内だったと思われます。

曲輪が主体の山城(各曲輪に案内版があった)で、主郭に縦長の城碑があり、他にも櫓台や今も水を湛える井戸等があります。

ただ技巧的な遺構(虎口とか堀とか)はあまり見られず、シンプルなお城でした。
近くにある大給城が攻防に用いられる詰めの城で、松平城はそういう機能を有していなかったのかもしれません。


大給城の写真、データ保存したCDが逝ってしまっていた為に1枚を残してお釈迦に。。。再訪しなければなぁ・・・

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勝野武士

【平野環濠】に寄ってみました。 (2019/08/25 訪問)

杭全神社にお詣りを済ませ、さて…もう少し平野郷を歩いてみようかと参道を歩いていると、偶然石碑が視界に飛び込んでまいりました。
その石碑には『平野環濠跡』と書かれておりました。

平野郷は平安時代初期頃に坂上田村麿の子である広野麿が平野の地を荘園として賜り居住したのが始まりで、大治二年(1127)に大念佛寺が建立されると寺内町を形成し、次第に自治都市として発展してゆきました。応仁の乱や戦国時代の争乱に巻き込まれたりしたために、平野の人達は自衛のために町の周囲を水濠と土塁で囲んで防御としました。
水濠にはいくつか他の用途を兼ねており、平野川と接続しているために柏原方面などへの水運を確保する目的もあったり、また町の悪水を外に流す(!)目的もあったそうです。
大坂の陣で町の大半を焼失しましたが、江戸時代に入り平和な世の中になると町も復興。平野郷はますます発展しましたが、水濠と土塁はその必要性が薄れてゆき、時代とともに次第に埋められていったものと思われます。

今では杭全神社の境内近くに水濠と土塁が残っているのみです。
しかし周囲は住宅街。市街地化が進んでいる中、水濠の幅もおそらく狭くなっていると思いますが、逆によくこれだけでも残っていてくれたなと思います。
また、今回は行ってませんが、平野公園・三十歩神社境内に土塁が残っているそうです。行けばよかった…orz
ていうか、もう少し勉強してから来るべきだったなぁ、反省。

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丹羽長重

赤穂浪士で一躍有名になった城 (2019/05/01 訪問)

GW4日目。この日は赤穂城に向かいます。
3日目に赤穂まで出てきていたのでお城まで歩いて向かいます。お城通りをまっすぐ歩いていくと、石垣が見えてきました。その上にはちょこんと櫓があり、お城が見えたーーー!って感じがしました。朝早かったおかげか、人は少なかったです。
さて、門をくぐりいざ城内に。見事な桝形でとてもワクワクさせてくれます。
また、本丸に行く途中大石内蔵助の屋敷などいろいろな見所があるので、ぜひ見てみてください!さらに二の丸庭園では復元工事をしていて庭園を作っているところを見ることができました。
はい、本丸へ入ります。ここも見事な桝形で素晴らしいお城だと思いました。天守台からの眺めもお城が一望できて綺麗だったです。
最後に赤穂大石神社に行きました。赤穂浪士ゆかりの地とあってここは必ず寄ろうと思っていました。見所は赤穂浪士討ち入りの時にいた全員の像です。なかなか迫力があります。
思った以上に面白い城だったので皆さんもぜひ来てみてください😃

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響ちゃん

晴れ (2019/08/31 訪問)

朝は猪に注意っぽい

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響ちゃん

晴れ (2019/08/31 訪問)

民家の中?ぽい

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washin

日本100名城 (2012/09/20 訪問)

地元の広島城から登城

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橋吉

資料館で全体像をつかんでから見学されることをお薦めします (2014/08/23 訪問)

仙台城は全体像がつかみにくいです。
天守閣(家康に遠慮してつくられなかった)や櫓は残っていませんし、駐車場が本丸の中にあるので、「なあんだ、伊達政宗増しかないがや~」となりがちです。
恥ずかしながら、私も過去二回来ていますがそう思っておりました。
しかし、実際は遙かに大きく、堅牢な城です。
資料館で全体像をつかんでから見学されることをお薦めします。

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橋吉

スタンプは文化センターにて (2014/08/23 訪問)

日本百名城のスタンプをもらいに多賀城市埋蔵文化財調査センター史遊館に出向きましたが、隣の文化センターに移設したとのことでした。
そこで行ってみると、立派な展示室が用意されており、多賀城碑のレプリカが置かれていました。ここでスタンプを押すことができました。

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橋吉

根城からバイクで2時間 (2016/08/13 訪問)

根城からバイクで2時間かけてやってきました。
岩手公園地下駐車場はバイクNGでしたが、もりおか歴史文化館の警備員の指示で、駐車場出入り口脇の駐輪城に駐めることができました。
日本百名城スタンプは歴史文化館1F 町なか情報センターのカウンターで押すことができました。
三ノ丸,二ノ丸,本丸、腰曲輪,榊山稲荷曲輪,淡路丸,四の丸,彦御藏,下曲輪,桜山神社の順に見て回りました。
歴史文化館と合わせて、約1時間30分の見学時間でした。

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橋吉

河岸段丘城の城 (2016/08/16 訪問)

バイクは、博物館の駐車場に駐めました。
隣接する八戸市博物館では是非裏手を見ていただきたい、この城が河岸段丘城に築かれていることがわかります。
なお、日本百名城のスタンプは受付で押すことができます。
所要時間、博物館と合わせて1時間

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やす

城山砦跡 (2019/08/31 訪問)

2019年8月31日訪問

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勝野武士

平野郷の采地陣屋と大念佛寺の移築門。 (2019/08/25 訪問)

この日は平野郷の大念佛寺と杭全神社がお目当てということで、今回はついでの訪問となりました。

杭全神社のお隣の市立平野小学校一帯がその跡地です。
天明年間(1781年~1789年)に時の下総古河藩主である土井利厚が、古河藩が領していた平野郷の領地の管理の為に築いた、所謂『采地陣屋』です。
以後明治まで土井氏が治めた後に明治二年(1869)の版籍奉還と同時に廃止され、建物は次第に取り壊されましたが、陣屋の正門だけは平野小学校の正門として昭和二年(1926)まで使用された後、昭和三十七年(1962)に大念佛寺の南門として移築されました。

跡地である平野小学校には石碑が陣屋跡を示すのみとなっていますが、大念佛寺に移築された陣屋門だけが当時を偲ぶことができる唯一の遺構となっています。
この陣屋門に注目していただきたいのは、やはり扉でしょう。楠の一枚板ですよ!
流石は幕府の側用人を務めるほどの譜代の家柄、存分にその権威を示してくれます。

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スプラNNNN

やばい (2019/08/26 訪問)

最初の道でアブに刺されそうになった。
ぐあっ!

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スプラNNNN

広い (2017/05/03 訪問)

前の唐門がよかった。

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