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SIN

続日本100名城 No.172 三原城 (2018/11/28 訪問)

広島県三原市の三原駅のすぐ北に天守台がある三原城へ行きました🏯
新高山城と同じく毛利元就の三男で、小早川家を継いだ隆景が築城主です!

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チェブ

あっちの石垣山城、賑わっているなぁ。 (2018/12/01 訪問)

家康さんが北条氏討伐の先鋒として布陣した場所です。
北条氏が降伏開城するまでの110日間、頑張っていたそうです。

でも、私個人的な考えなのですが、石垣山城が築城しているのは家康さん知っていると思うし、背後に
酒匂川があり、立地が危険な所です。

邪魔者扱いのような・・・。

秀吉先輩に「家康君は今井を守って」と言われたら複雑な気持ちになった気がします。
この時の家康さんに「未来は明るいよ」と教えてあげたい気分でした。

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イオ

空堀、土塁、空堀、土塁… (2018/12/02 訪問)

いよいよ山城シーズン本番、どこに行こうかと考えて、降雪期には登城困難になるところに今のうちに行っておこう、ということで玄蕃尾城へ。事前に写真で見て、壮大な土の城ぶりを楽しみにしていましたが、その期待を遙かに上回るとんでもない城でした。
城域はさほど広くないものの、これでもかというほどに空堀と土塁が連なっており、連続する喰違虎口に土橋への火線の集中、馬出郭からは三方に横矢を掛け、行き止まりの堀底道もあるなど、高度な縄張にただただ圧倒されるばかり…。その迫力と立体感は私の拙い写真では伝えきれませんので、未訪の方はぜひ現地に立って体感してみて下さい。
それにしても、柴田勝家というと剛直一筋というイメージでしたが、築城術も相当なものだったんですね。

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あんらくごえ

東海道と大和街道が交差する要衝の城 (2018/12/04 訪問)

滋賀方面から鈴鹿峠を抜けると見える小高い山(標高153m)が新所城です。関宿西交差点に付近ある休憩用駐車場(公衆トイレ有)からが一番近いです。山全体が城だったので標高の低さも相まって山城というよりは平山城に分類されるかもしれません。
城山を中心として西側、南側に鈴鹿川が流れ、東海、大和の両街道沿いにあり、北には関の町屋、東海道を東に行くと直ぐ伊勢別街道にも繋がるという、素人でもこの山に城なり砦なりを構えるだろうというほどの立地条件の良い場所だと思います。
秀吉が伊勢攻めの時に鈴鹿峠からの正面突破を避けて安楽越えで伊勢に攻め上ったのも分かる気がします。
山の中の城跡は徐々に発掘調査や伐採などの整備が進んでいるらしく、山中には石垣の遺構も残っているそうなので、また時間がある時にじっくり散策したいです。

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あんらくごえ

伊勢亀山城 (2018/12/04 訪問)

地元ですが久々に散策しました。一国一城令で丹波亀山城と間違えて壊されかけた(天守解体後に気付いたとか)という面白エピソードのあるおらが町のお城ですが、野面積みの美しい石垣のある多聞櫓、復元された帯曲輪など城の遺構も良く整備されています。
多聞櫓は平成の改修で史実に忠実に再現されましたが綺麗な漆喰壁と引き換えにシャチホコが無くなりました。帯曲輪は古写真を元に復元されましたが、狭間が無く、また帯曲輪にも水路が整備され畑などに利用されていた可能性高いなど、平和な時代の城のあり方がしのばれます。多聞櫓西側の石垣は平成19年の震災で崩れましたが、調査の結果昭和46年に積まれた石垣と分かり、土居として復元されました。
また本丸跡は児童公園として整備されていますが、SLや今では見かけない遊具など昭和の遺構?も残っているので、訪れる機会がありましたら、ご家族でお城めぐりを楽しんでいただけると思います。

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todo94

続日本100名城スタンプ72個目 (2018/11/24 訪問)

岸和田城から大東市立歴史民俗資料館へのアクセスは阪神高速の利用で非常にスムーズだった。再訪となる飯盛山城だが、前回に続いて今回も晴天の下。本丸の楠木正行像が逆光になってしまいちょっと残念。石垣も曇天の方が撮影しやすいと思う。しかし、眺望はやはり晴天の方が楽しめる。あべのハルカスまでしっかりと見えた。登城には差し支えないが山林の中には倒木が目立つ。台風被害は此処にも及んでいたようだ。

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国境守備の城 (2018/11/24 訪問)

本日は、続日本100名城に認定された引田城に行ってきました!
初めて現地のガイド付きで城山に登りました!
引田城は、阿波国境から北西に約5キロ、引田湾北側の標高約86mの半島状の城山に位置します!
現在は山麓の街並みと陸続きになっていますが、往時は海が入り込み、城山の西側のみが陸に通じ、他の三方は海岸に面した断崖地形となる自然の要害で有りました!
667年に引田氏がこの地に築いたのが始まりとされます!
四宮氏、矢野氏、三好氏、十河氏、仙石氏、長宗我部氏など目まぐるしく城主が代わり、1587年に讃岐一国約18万石を得た生駒親正が入城しました!
だが、領国の東側に位置するため同じ年に聖通寺城に本拠を移しました!
その後も城は、国境守備の城として重要視されましたが、一国一城令によって廃城になりました!
引田城は、城山のほぼ全域を取り込み、南東方向に開く谷を挟んでU字状の二本の尾根上を利用し曲輪群が展開します!
北に位置する北の郭(北櫓)西面は、地元の和泉砂岩・礫岩を石材とした野面積の高石垣が原形を留めています!
さらに、北側尾根続きには丹後丸が配置されておりました!
東側は、逆L字形で折れ曲がった部分が物見台と称され、うまつなぎと呼ばれる平坦面の先端に石垣囲みの東の郭(東櫓)が配置されます!
北の郭の南東下段と東の郭の西端下段の間に枡形状の虎口跡があります!
南尾根続きに方形の石垣に囲まれた西の郭(西櫓)が位置するが、平坦面は改変を受けています!
尾根筋は、ここで南東方向に折れ、天守台、いろんばを経て、南の郭(南櫓)へと続きます!
東の郭から南の郭によってコの字状に囲まれた鞍部に石囲みの化粧池が残ります!


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にのまる

冬期閉城10日前 (2018/11/30 訪問)

函館からスーパー北斗とはやぶさで木古内へ行き、木古内からバスで松城(まつしろ)まで行きました。
木古内での1時間強の待ち時間は、隣接する道の駅で。快適でした♪お土産もここで購入し、ゆうパックで発送しました。
バス停は道の駅の入り口の真ん前なので、ギリギリまで暖かい中にいられます。
乗車時間は1時間半。山間部は積雪もあって車内も寒く、海沿いは鈍色の厚い雲に覆われ波しぶきも荒く冬の厳しさを感じましたが、車内は通学の高校生で賑やかで、どこも一緒だなぁとホッとしました♪

戊辰戦争も廃城令も昭和24年の火災も耐え抜いた本丸御門や本丸表御殿玄関の前には寒桜が可憐な花を咲かせていました。
西側にまわると城跡を貫通して造られた国鉄松前線のトンネル跡が見えました。コンクリートで塞がれています。

突然襲ってくる吹雪に怯みながらも松前藩主松前家墓所のある石畳の寺町を抜け、松前藩屋敷に行ってみました。建物の中には入れませんでしたが、再現された町並みを歩くだけでもタイムスリップした気分を味わえました。

そして最後に城下町を少し散策。
現地滞在時間は1時間半くらいでした。
暖かい時期ならもう少し時間をとってお寺をゆっくりまわったり道の駅「北前船 松前」に寄ったりするのもいいかもしれません。
復興天守(松前城資料館)は12/11〜4/9まで冬期閉館です。

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dougen

2017.2.10登城 (2017/02/10 訪問)

JR伊丹駅の目の前に有岡城址史跡公園があり、有岡城本丸跡となります。
駅前にも関わらず、わずかながら奇跡的に土塁や城郭としての最古の石垣などの遺構が残っています。
荒木村重が反旗を翻した歴史的にも有名な城址で、国の史跡として整備されており、発掘調査は続いている様です。

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たかりん

平城の教科書 (2017/08/20 訪問)

最近、市名変更派が勝利したとかで話題になりましたが、ここに天下普請の城があることを知るのはマニアだけですかね。見学の目玉は再建された大書院ですが、天守台の石垣も見事です。藤堂高虎の縄張りとのことですが、ほぼ方形の縄張りで中心が本丸、二の丸それを高石垣で囲み内堀、それを三の丸が輪郭式に囲んで外掘、出口3か所(うち2か所が堀とともに現存)に馬出という、ある意味教科書通りの平城だなと感じました。

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朝田 辰兵衛

本丸の石垣は,夕陽にとても映えるフォルム。 (2017/05/27 訪問)

そして,伊達政宗の騎馬像も。その伊達政宗の騎馬像には歴史の変遷がありました。三の丸内に,仙台市博物館がアリ。その裏から登城ルートに向かうと,不自然な伊達政宗の胸像が。もともとこれは初代騎馬像とのこと。スパッと切られた下部は,第二次世界大戦時に軍に徴用されたそうです。戦火で失った天守は比較的容易に学習できますが,このような細部にわたっての戦争の爪跡は,足を運んでみなければなかなか学習し難いと感じました。

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dougen

2017.2.10登城 (2017/02/10 訪問)

阪神尼崎駅のすぐ南側に尼崎城址公園があります。
遺構は残っていませんが、復元された石垣と土塀があります。
現在は、天守が復元されている様ですが、2017年2月当時は、復元工事に着手したばかりで工事の囲みがあったのみです。
復元された天守を見に再登城したい城址です。

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たかりん

天空の高石垣 (2017/11/17 訪問)

比高200mの山頂までは徒歩でも登れるようですが、ズル(?)して観光リフトで登城、ほどよい老朽感がスリルを誘います。いや、普通、山城登るのにこんなモノないので、邪道という人もいるでしょうが、素直に感謝!とはいってもリフト降り場から主郭部まではさらに片道15~20分くらい歩きますので、降りればすぐと思ってる方は注意です。主郭部は石垣に囲まれ。山城とは思えない高石垣が見事、また、写真のとおり三十間台という最高所からは津和野の町並みも一望でき、紅葉と併せて疲れも吹き飛びました。

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BUGTI

沼田城の西の備えの城 (2018/11/22 訪問)

新幹線の駅から非常に近い。にもかかわらず深い堀が残っていたのには驚いた。もっと知られても良い城だと思います。

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SIN

続日本100名城 No.173 新高山城 (2018/11/28 訪問)

広島県三原市(旧本郷町)にある新高山城へ行きました🏯
毛利元就の三男で、小早川家を継いだ隆景が築城主です!

しかし、雨が強くなったり、弱くなったりと登山に適してなくて断念しました( ;∀;)

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BUGTI

北条氏滅亡の契機となった城 (2018/11/22 訪問)

ここまでしっかりと深い堀が残っているのは奇跡ともいえる。地元の方々が大切に保存された結果だと思う。案内所は絶対に寄るべき。資料も豊富で非常に親切に教えて下さいました。

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BUGTI

真田氏が支配した城 (2018/11/22 訪問)

西櫓台の石垣がかろうじて残っているが、それ以外は公園となってしまい城らしい遺構は見当たらないのが残念。河岸段丘の上に作られた城下町はそれなりに雰囲気を残していました。

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BUGTI

山内上杉家臣長野氏の城 (2018/11/21 訪問)

大きな城だが非常に良く整備されていて見やすい。大きな堀の底を歩いて散策できるのが魅力。ところどころ石垣も残っており、よくこれだけの城が残っていたものと感心しました。

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ぽんたっく土佐守

リベンジ!石碑発見!! (2018/12/02 訪問)

7月に見つけられなかった石碑を探しに
再度、南国市岡豊へ…。
前回調査の際に目印にしたカフェを拠点に調査再開です。
カフェの北側には民家が2軒並んでいて、
途中から舗装が途絶えています。
「ここで行き止まりか…」と思いながらも
数m進んだ左手にそれはありました。
「吉田備後守邸址」!!
前回断念した地点からわずか10mあまり。
民家のブロック塀にはばまれているため
道からは見えなかったのです。
これといった遺構は見当たりませんが、
岡豊城址は目と鼻の先です。
長宗我部氏の重臣「吉田備後守」の居城に
ふさわしい立地だと思います。

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カルビン

取引先様が近くに (2014/09/28 訪問)

入社してすぐ、まだ携帯電話やデジカメが普及していなかった頃に、出張でよく群馬県太田周辺に来ていたので、当時は反町館の脇の道もよく通過していました。
部署が変わって出張で来る事も減り、ご無沙汰しておりましたが。。。お城巡りを始めて太田金山城に行った際に反町館の事を思い出して、太田駅から車なら近かった事もあって立ち寄りました。

外見水堀のインパクトあるものの他に遺構は無さそうだと思ってましたが、形の良い土塁もありましたし、なにより館跡に立つ照明寺が立派で、神社仏閣巡りとしても満足行く場所になってます。

南北朝時代には新田義貞が住み、その後戦国時代には北条氏にお城として拡張された場所なので、息の長い城跡になりますね。


反町館から400mくらい北を走る古河街道にバスが走っている(おそらく太田駅からの路線)ので公共交通機関でも訪問可能ですが、太田金山城が近い事や、反町館を含め新田義貞に纏わるお城・館跡が周辺にたくさんあるので、やはり車での訪問がオススメです。
(反町館も無料駐車場あります)

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