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姫街道

さすが駿府城、広大なお城だ (2020/01/23 訪問)

仕事の待ち時間に駿府城詣。さすが駿府城、スケールが違う。堀も「お堀」と敬語になる。浜松地方では、三方原合戦のイメージが強く一般的になぜか「家康」と呼び捨てにするが、こちらでは必ず「家康公」と呼び捨てにはしない。
天守閣は再建されていないが、江戸城級だったようだ。
是非、木造建築で再建して欲しい。
ところで、なぜかお堀を埋めている工事に出くわした。
工事完全予定図を見ると、お堀の中に憩いのスペースを作るようだ。ちょっと驚いた

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姫街道

楽市楽座を感じる楽しいお城 (2020/01/20 訪問)

清洲駅から徒歩15分。清洲城に着いたら、いきなり「ここは庭園です」って看板があり驚いたが、、、なるほど綺麗な庭園だ。当時は、絶対に無かったはずだが、城に庭園もマッチする。天守閣に登閣したが、木造で出来ていて雰囲気がいい。順路で人が通ると、当時の楽市楽座を想像させる音が流れてきて楽しい。この天守閣には火縄銃が多く置いてあり、興味深かった。
帰り際に、受付のおばちゃん達が、「春においでよ!桜がそこらじゃうで咲いてて、大変だから」って嬉しそうに話してくれた。
城も含めて庭園って感じで、これはこれで有りだなと思った。

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姫街道

犬山城から小牧山城へ (2020/01/19 訪問)

犬山城の天守閣から小牧山を見ていたら行きたくなった。地図で見ると小牧駅から近いと思ったが、いざ来てみたら徒歩では20分はありそうな距離だった。さて、小牧山城は堀や土塁が円形にあり、中世のお城を信長が改築したんだろうと思いながら登城したが、どうやら信長が築城したようだ。小牧山城の縄張り模型が資料館にあった。山城好きな私には、国宝犬山城からここに来るとホッとするような感覚になる。ただ、この山頂からも犬山城がよく見えたであろうし、多くの戦がこの地で行われたのはよくわかる。

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姫街道

さすが現存12天守閣 (2020/01/19 訪問)

 駅を降り、城下町を歩いて犬山城へ向かう。和服を着て楽しんでる観光客も多く、いい雰囲気だ。私は、城下町と言うと好きだがあまり住みたいとは正直思わないが、犬山は住みたいと感じる。風情のあるお寺も多いし、楽しそうな犬山祭のポスターもあちこちに張られていて、どことなく明るい。
 天守閣、私は初めて現存12天守閣に登閣した。さすが国宝!ロケーションも抜群だ。ただ、確かに木曽川を見下ろす犬山城の立地条件は凄いが、我が街の二俣城は当時は天竜川と二俣川によって三方を囲まれており、要塞指数では負けてないとも思った。
犬山城の天守閣から小牧山を眺めていると、小牧長久手の戦いを想像出来て楽しい。
ここに来て、なぜ掛川城は木造で再建したのか理解できた!

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ぴーかる

鳥羽城 (2020/01/03 訪問)

【鳥羽城】
<駐車場他>城跡の駐車場はなし。近くは鳥羽水族館か鳥羽駅前の市営駐車場(いずれも有料)あり。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>新春1泊2日伊勢国攻城の旅2城目。九鬼水軍首領の九鬼嘉隆が豊臣時代に築城、関ヶ原では自家存続の為嘉隆・守隆父子が東西分かれて戦い、戦後、嘉隆の助命嘆願成功前に自刃した。九鬼氏は3代のちお家騒動で分かれて転封、その後は藩主は次々と変わる。維新後廃城となる。
 かつては海城で海岸沿いに城郭があったが現在は本丸部分を含めた丘陵部分のみが残っている。丘陵東側はすぐ脇に線路が走り、国道、鳥羽水族館があり、西側は家老屋敷は幼稚園、その西側に市役所となっている。
 城跡は公園化されていて、見応えある野面積みの石垣遺構が家老屋敷跡と本丸の南と西側に見れる。かつて3層天守があったらしいが、現在は本丸は完全に平地となっていて、天守台もなく立て札が残るのみとなっていた。
 鳥羽駅改札前の観光案内所で御城印購入とパンフレットをいただきました。観光地なのでカップル・親子連れ・鳥羽の眺望を見る人等沢山の方が訪れていました。

<満足度>◆◆◇

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カルビン

お城の案内不親切 (2020/01/19 訪問)

JR仙山線 陸前落合駅から仙台駅を経由してこの日のメイン訪問となる船岡城のある東北本線 船岡駅へ。

西館までの見学時間が予定より早かった為予定していた時刻の電車では無かった為、電車の本数が少ない事もありアクセス上手く行くか心配でしたが、結構スムーズに行けました。

船岡駅から約15分で登城口へ。。。ここからちょっとした山(丘?)を登ったところが船岡城の三ノ丸です。

船岡城は城址公園となっており、桜の名所なので初春は大賑わいになる代わりに自分の訪問したシーズンは閑古鳥が鳴いているかな?と思っていたら、意外や意外、結構な人数公園におりまして。

三ノ丸から上部の観音様のある高台へはスロープカーなるものがあり、それで行ける(徒歩でも行ける模様)ハズなのですが・・・
2つの理由でこの先へ向かう事を断念。。。

1つ目はシーズンオフだった為かスロープカーが運営お休みしていた事。
もう1つが、麓・途中にこの先のお城としての案内がどこにも無く、公園としての施設しか案内に記載していなかった事。。。

以前より指示無き場所に行った場合、ハズレ確率が8割を超えていた為、案内無ければ引き返す様にしてました。

ま、事前調査をしっかりしていれば良かっただけなんでしょうが、今回の遠征は元々新潟方面の予定だったのを急遽変更した為、情報をしっかり集めていなかったというのも有ります。

後で確認してみたら、どうやら山上は二ノ丸になっており、大きなお城の案内があったみたいですね。。。お城ファンにとっては不親切ですが・・・ま、仕方なし。


阿武隈急行線が台風の影響で部分的に運行停止している事もあり、桜のシーズンに運行再開していれば合わせて再訪しても良いかな?と思っております。

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カズサン

石垣の大手枡形虎口が素晴らし (2016/10/27 訪問)

 日田市の南側亀山公園に在る日隈城を初登城、車は永山城東麓の駐車場から亀山公園無料駐車場に移動、南側大手門跡より登城、石段をの登って大手枡形虎口石垣で囲まれ素晴らしい造り右折れしながら曲輪を次々と登り頂上は日隈神社が鎮座、ここが本丸、石碑在り、樹木に覆われて見にくいですが階段状の曲輪が有ったようで豊臣期に毛利高政が五層の天守を構えてと有り南の川、東の川を水堀に仕立てさぞ豊臣の威信を見せつけたのでしょう、残って居れば素晴らしい景観で名勝に成ったでしょう。

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カズサン

三の丸石垣、水堀が素晴らしい (2016/10/27 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り八女市猫尾城を終えて九州道、大分道経由で日田ICアウト、日田市には天領日田の町家と北側に永山城(別称月隈城)南側に日隈城が在り全て初探訪。

 車は月隈公園麓の東側無料駐車場に停めて初登城、駐車場から三の丸石垣城塁その上には模擬白い土塀とテンションが上がります、南に回って水堀と石垣、白い土塀、出枡形虎口を通っていざ二の丸本丸へはやりますが先の熊本地震の被災で石垣崩落危険と修復工事などで入城禁止、石垣部も青シートを被り遠目でも見えず、がっかりですが致し方無い。
 永山陣屋跡(天領日田陣屋跡)を横目で眺めて花月川を渡って日田の町並みを散策探訪よく保存整備し現生活に活用され観光客も多く活気ある市街地です、寅さんでも日田の町が作品に取り込まれてました良い白壁土蔵造りの家並みが素晴らしい。

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カズサン

車で登れ気楽に探訪出来ます (2016/10/27 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り前日肥後の南関城を終えて福岡八女市泊り以前のホテル、料理店、スナックと顔見知りに成り飲んで歌って楽しい八女の夜を過ごしました。
 城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報で車で三の丸駐車場に登れるとの事で初探訪しました、東側に拾数台以上停められる駐車場とトイレ完備。
 駐車場から北側の登城路を通り東面には大型土塁状の小山、越えると3曲輪?、目前に本丸の石垣、石積上に社、本丸北側から入城する、本丸西に石積土塁に虎口、下城階段、曲がりくねった登城路を下り二の丸、馬場跡、二の丸下段西側に竪堀か?良く分からず。
 二の丸下は黒木中学校が有り黒木氏が4、5百年治めていたようです。

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カズサン

熊本地震で被災し入城禁止(2016/10) (2016/10/26 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り肥後、古代城郭鞠智城、隈部氏館探訪後初登城田中城へと胸膨らませ北側の駐車場に到着、北側登城口には工事用安馬で熊本地震被災で危険の旨入城禁止、南側駐車場に回り弾正屋敷側の登城口も同様の禁止案内、周辺を遠望して終える。
 田中城は学研の戦国の城、堅城シリーズに香川元太郎画伯の想像俯瞰図が載って居り実地で探訪確認したかったのですが自然災害では仕方ありません次回のチャンスです。
 ここを拠点に肥後国衆一揆が起きて佐々成政が大坂入城前に責任を取らされ切腹の話は有名です。

 田中城を終えて南関城(鷹ノ原城)へ向かうもここも熊本地震被災で入城禁止案内、しかし南関役場で資料だけでも頂ければと思い寄りましたら丁度教育委員会の担当の方が在席され運よく案内して頂いた、感謝感激ありがとうございました。

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todo94

大河ドラマ館入館前に (2020/01/11 訪問)

余部城に続いて訪れました。14年ぶりの再訪で、亀岡駅から濠に向かってまっすぐ進んだスペースに明智光秀の銅像が建っていました。亀山城は大本(おおもと)教団による管理が行われていて、立て看板によると、祈祷を受けなければならないようなのですが、受付に赴いてみると、どうぞ見学していってくださいと言われたのみ。ラッキー。ゆっくり場内を散策してから京都スタジアムの麒麟がくる京都大河ドラマ館へと向かいました。

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カズサン

古代城郭鞠智城 (2016/10/26 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り鹿児島県を終え菊池城を探訪後鞠智城を初登城、車は当地大型駐車場に最初温故創生館に入り鞠智城の勉強し資料を頂き探訪に城域は広い小雨雨っぽい天気でしたので復元建物の有る近場のみ廻る。大規模な発掘復元作業に驚かされました国史跡と言え此処までやってるのかと驚嘆です。
 鞠智城は大宰府を守る大野城、基肄城、金田城これらの城に食料や武器、兵士などを補給する支援基地との事。
 この後創生館の担当の方に隈部氏館の道順を聞き地図コピーに赤ペンで記して頂き迷わず到着、感謝ですありがとうございました。

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カズサン

菊池城に菊池神社が鎮座 (2016/10/26 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り薩摩、大隅を終えて肥後に入る合志市の竹迫城を終え菊池市に入り菊池氏最初の拠点である菊の池城を目指して探すがたどり着けず周辺の田圃を眺めて菊池神社目指す。
 菊池氏は南北朝時代南朝方として九州で活躍する、建武の中興で活躍した12代菊池武時公を主神に菊池神社が主郭部に明治に成って造営された。
 社殿奥に小山が有り菊池本城本丸跡の石碑が在り、国道387号線の東側の菊池公園には史跡マークで菊池本城跡と有り菊池城と菊池本城はどちらののでしょうか?
 神社の由緒書板には神社は菊池城跡に造営と有ります。
 車は国道387号線を登り神社北東奥に参拝者駐車場が有ります。
 
 神社奥北東側には竹林に覆われてますが大型の横堀と土塁が確認されます。

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姫街道

規模が大きかったであろう城 (2020/01/19 訪問)

家康が我が街の浜松城に来る前、19歳〜29歳まで過ごした城。前々から何で岡崎城から、へんぴな浜松城に引っ越してきたのだろう?と疑問に感じていた。当時、家康は天竜川を東に渡った磐田に城を築こうとしていたようだ。ところが信長が、「一緒に戦えなくなるから、川より手前にいて」とお願いされたらしい。
江戸時代は、重鎮が住んでいただろうと思われる。
楽しかったのは「家康館」
侍の格好をした俳優さんが何人もいた。しゃべり方も昔の話方をしており、楽しかった。

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にのまる

熊看板はあるけれど。 (2019/12/07 訪問)

 志波中央駅から徒歩30分くらい。「吉兵衛館遺跡入口」が手前にあり、危うく勘違いして潜入するところでした。(それはそれでよかったかもしれない。)もう少し奥に進んだ城山公園が城址でした。入口に熊看板がありましたが、見通しのいい整備された公園だし、いても冬眠しているだろうし…ということで登っていくと橋の手前に最後通牒的に熊看板がもう一枚。季節によっては注意が必要なようです。
 いくつもの段郭が連なる形の整ったきれいな山でした。当時のままということはないでしょうが、見た目にもこだわって築城したのかもしれません。登りきったところの平場が御殿(斯波氏の居城)跡で、二段構成でした。
真っ先に目に入ったのは愛宕神社の傍らのピンクの…これは何?ストレッチ用の健康器具(公園によくあるあれ)の類かと思ったら、どうやら♡のオブジェのようで(愛宕神社≒愛の神社と説明板にあり。)、恋人の聖地的パワースポットなのかもしれません…が、♡が歪んで折れていたのが気になる(-_-;)
宮沢賢治と縁がある地(祖母の出身地)だそうで、文語詩「丘」の碑もありました。詩だけだと難しいのですが解説があったので助かりました。

 麓にあった「吉兵衛館」の吉兵衛は九戸政実の実弟、中野康実(南部氏側についた)で、高水寺城から改称された郡山城の城代を務めていたのだそうです。(←ここWikipedia)

 写真1枚目に熊看板を貼りたくなかったけれど、撮った順に並べました。(登城口など撮った順に貼るか、ベストショットを1枚目にするか悩むこと2年…)

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小城小次郎

小鷹利城

畝状竪堀や虎口等の防御構造にばかり目が向けられてきた小さなお城から堂々たる礎石建造物が検出された。飛騨国司姉小路氏一族の向(小鷹利)氏が実際に居住していたという伝承を裏付けるものとみて間違いないのではないか。

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ヨッシー

太閤の一夜城 (2018/05/21 訪問)

天下統一を成し遂げ、
栄華を極めた秀吉の力の大きさを改めて感じる事が出来ます。
彼が見たであろう景色を感じ、当時に思いを馳せてみるのも楽しいですね。

そうそう来れない場所なので、一回でなるべく周ろうと、
事前にインターネットで地図を印刷して、
回る順路を計画を立てましたが、
全体の半分ぐらいしか見れませんでした(滞在3時間)。

因みに、名護屋城博物館ではタブレットを貸出しています。
(日程の都合上、閉館日でした。

理想は丸一日確保して、タブレットを所持して周るのがオススメですね。


天候に恵まれて最高でした。
出来れば、また改めて行きたいと思います。

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畠山政長と畠山義就の狭間で (2020/01/18 訪問)

応仁の乱に先駆けて大和は、動乱にあった。畠山の影響を排除したい国人、農民が最期に立て籠ったとのこと。
比高はないが、登城側の東を除いて急峻。本郭から南と西に尾根が続く。尾根の付け根を掘って平削地と土塁を作っているので、尾根道よりも本郭が低い。倒木、倒竹で、遺構が見辛い。

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ぴーかる

準苗木城 (2020/01/03 訪問)

【曾根城】
<駐車場他>登城口に4台程度、200㍍下に10数台分Pあり。国道から逸れてからは超道狭いですが広い駐車場は完備されていて地図には載ってませんが行けます。
<交通手段>車

<見所>石垣・巨石
<感想>新春1泊2日伊勢国攻城の旅1城目。この日宿泊する松阪からはだいぶ南に行くが、トーダイさんの投稿「巧みに巨石を利用してます」に惹かれ1日目のメインとして計画に入れて登城した。
 駐車場が2箇所あり、山道に入る登城口と200㍍程下った所にもあるがその間にもかなり大規模な石積み壁がある。砂防のものとして後から築かれたのか当時のものかよくわからなかった。
 登山道は整備されたまっすぐな尾根を15分程登り、ひとまず登りきって左90℃に曲がったとこらへんに両サイド巨石があるので当時いかにも木戸があった感があるので、「ここより曽根城跡」の立て札はもう少し先にあるがこの辺りから城跡だろうと思う。少し行って堀切(横堀)辺り2箇所からははっきりと分かる遺構が見られる。規模は主郭と小さい腰曲輪、帯曲輪から成っていて、大きい削平地、二郭・三郭はなさそうでした。
 主郭と北側方向の帯曲輪は特に巨石群があり切岸を巨石で石垣代わりとしてダイナミック、横たわった鯨石という巨石もある。苔もいい感じに付いていて暫く見ていると天然の巨大枯山水の庭園のようにも見えてくる。石垣も横堀・虎口・切岸・石段にあり石をよく利用した詰城だったことがわかる。主郭上段は巨石を取り囲んで防備を高めていた。オンツツジの群生地でもあり暖冬のせいで早々と少しだけ咲いていました。タイトルの準苗木城はちょっと言い過ぎかもしれませんが私の中では小さいながら十分見応えあるいい城跡でした。よかったです。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

鶴丸城に代わって本城にと計画した山城 (2016/10/25 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り鹿児島県国分城、富隈城を終えて島津義弘在城の加治木館を探訪し同所の郷土館見学の折担当の方から建昌城を推薦され初登城しました、九州道桜島SAの直ぐ北の山稜に有る北から廻り案内標識に従い登って行くと駐車場とトイレ、案内解説板完備。

 加治木郷土館の担当の方からは関ヶ原後、鶴丸城から対徳川対策として本城を建昌城に移すよう島津家久が計画した城と聞きました、が義弘の反対で計画ならず徳川家に配慮したのでしょう。
 探訪時は一面すすき野で曲輪、空堀、土塁が良く分からずススキが伸びすぎて居り前に進めず手前で遠望のみ、帰って余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ると立派な土塁、空堀が有り次回ゆっくりと探訪したいものです。

 建昌城を終えて平松城、東福寺城、浜崎城、内城と探訪し鹿児島城(鶴丸城)を車窓から眺め2泊目の鹿児島へ移動。

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