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todo94

表示はありませんでした (2019/06/29 訪問)

グーグルマップによると八幡宮が原子館跡とのことなので訪城したことにさせていただきますが、果樹園となっている主郭方面には立ち入りませんでした。横堀などもあるようですが視認いたしておりません。大浦為信の浪岡城攻めの時に落城しているそうです。

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くろもり

砦公園 (2019/06/22 訪問)

中島砦から歩いて10分程の距離でした。

小高い丘の上に築かれた砦だったようで、現在は『砦公園』となっていました。

公園に木が生えていて多少視界が遮られるのですが、おそらく桶狭間の合戦時はかなり眺望がきく所だったのではないかと思います。

遺構は何もありませんでしたが、その立地だけで桶狭間の合戦の緊張感を感じられる所でした。

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カルビン

模擬天守風展望台の中は・・・(ゑ?) (2014/07/26 訪問)

上信越自動車道の関越道との分岐から横川SAまでの区間沿線には「城びと」に登録されている・いないに関わらずお城が乱立している為、過去数回車で遠征しております。

その中で山頂付近を展望台を中心とした建設・整地の為にお城の遺構がごっそり削られて無くなってしまったとされる一郷山へ行ってみました。

他のお城の見学で余った時間についでの気持ちで林道を進み・・・しかし林道はPM5:00になると管理者の方が道のゲートを閉じてしまうと伺っていた為、結構焦ってましたがw

模擬天守風展望台に到着したのがPM4:45分、景色の見学もそこそこに取り急ぎ写真と無差別に撮りまくり、天守内にも入ってみました・・・が、そとから軽トラの音が。。。
管理者の方が展望台の入口を閉じに来たところでした(汗)

結局展望台の上までは登らずほぼタッチ&ゴーで帰る事にw

地形的にはお城らしさはあったものの、結局模擬天守の存在が一応ここが城址で有る事を示すのみで、お城に来た感はほぼ無かったです。


ちなみに模擬天守内に展示されているもの・・・お城と関係無いものばかりでした(笑)
(車のホイールやエンジン部品とか。。。噂では聞いていましたが・・・なぜここに展示したし?w)




追記
御城印の応募、当選させて頂きましたm(_ _)m
何の音沙汰も無かったのでハズレたと思ってましたが・・・今日会社から帰ると封書が届いておりました(汗)。。。
有難う御座います(感謝)

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ぴーかる

箕輪城 (2019/05/01 訪問)

【百名城48城目】
<駐車場他>無料城跡駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀・郭馬出西口櫓門

<感想>GW2泊3日上・越攻城の旅10城目。水沢うどん昼食後まず箕郷支所にてスタンプ押印・パンフレットをもらい登城。搦手口の前の駐車場から上がる。道は舗装されており、比高もそれほどないのですぐ登れますが私は途中一旦右に行って稲荷曲輪→新曲輪と掘を見て二の丸へ。→郭馬出の曲輪と関東再建最大の西口櫓門を見る。この曲輪は掘が深くて幅広いので櫓門が栄えて見応えある。→木俣という曲輪→戻って本丸→御前曲輪→本丸の掘底を歩いて→蔵屋敷→三の丸、ここが一番石垣が残っている。→山を下って鍛冶曲輪→城の反対側に出たのでまた登って終了。この城も山全体が曲輪になっていて整備されていない曲輪も沢山ある。中世城跡では各曲輪がかなり大きく、空堀もでかい、見応えあったが高崎城跡も2日目に見て井伊直政が近世平城に本拠を移したのはわかる気がした。群馬県良かった。この城にて旅終了、全2088㎞走破無事大阪帰還。

<満足度>★★★★☆

<グルメ>水沢うどんは関西人にはあまり馴染みがなく日本三大うどんとはいえ半信半疑で食してみたが、すごーーく美味しかった。ちょうど開店時間に有名店大澤屋に行こうかと思ったが、既に道路が店に入るのに大渋滞!隣の店舗の山源さんは駐車場が1台運よく空いていたのでそこに入った。付け出汁がしょうがが入っており独特で出汁だけでも飲めるほど旨い。きっと水がいいのですね。お土産に数箱買ってくばりました。皆好評でした。
<温泉>伊香保温泉に入りました。少し白濁のいい温泉でした。

<旅の感想>新潟県・群馬県とも人生で初めて行った都道府県で、馴染みなくお城もそれほどには期待していなかったが、予想以上にいい城跡、新潟県は海産物、群馬県は高崎市のパスタ・農産物・うどん・温泉ありと良いところが沢山あり、両県とも一度で好きな県になりました。百・続百名城もまだ残っているので再訪するのが楽しみ。

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チェブ

現代アート風の石碑。 (2019/05/25 訪問)

埼玉県の「種垂城」に行きました。
昨日、投稿した「菖蒲城」の支城として佐々木氏が築城しました。
そして一昨日、投稿した「騎西城」の城主だった小田 顕家さんが隠居のお城として過ごします。
この3城、とても近い場所にありました。

「種垂城」は普通の城址公園です。
遊具はブランコのみです。
遺構は奥に微妙に高くなった所がありましたが土塁等かはわかりません。
民家との境に用水路が、ありましたが掘跡だったのでしょうか?
ただ、他の城址公園と違うのは「種垂城」の石碑です。
デザインが謎。
いやいや、独創的な現代アート風です。
左下に、ちっちゃく「種垂城」と書いてありました。

お城好きも、もちろんですが石碑好きな方にも、お薦めです?!

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イオ

常光寺 (2019/06/26 訪問)

室町六代将軍・足利義教の命により高田為貞(本姓・當麻氏)が築いた城で、筒井氏と松永氏の対立においては松永方についたため、織田信長に臣従した筒井順慶よって滅ぼされたようです。

常光寺池から片塩小学校、常光寺にかけてが城域だったようですが、遺構はなく、小学校と常光寺の間の常光寺公園に城趾碑と説明板があるだけです。

常光寺は二代城主・當麻爲長が城内に開いた寺で、境内には爲長の墓の他、井原西鶴の「八百屋お七」のモデルとなったとされる女性「志ち」の墓があります。また、常光寺山門前のJR和歌山線の踏切は、常光寺にしか行けない専用踏切だったりします。
 

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北条氏勝

黄金級の歴史!!真の消えた名城

今の城好きは、かろうじて残る土塁や空堀を見て、イマジン(想像)しながらお城を楽しんでいますが、現代に残ってはいないが最高の名城だったお城もあります。

それがご紹介する館林城です!

では館林城の輝かしい歴史をご紹介します。

この城は、築城当時の妖狐伝説が残るお城です(妖怪の伝説があるのは「姫路城」と同じですね)。
狐がここを案内して尻尾で縄張りをしたという伝説が残っています。
狐が縄張りをしたお城。なかなかないですね。実際に秀吉による小田原征伐のとき、狐しわざよって攻め落とすことができませんでした(詳細は省略)。結局、開城してしまいましたが、最初から無血開城のつもりではなく戦ったのですから現在もお城が残っていれば鉢形城などとともにスポットライトを浴びていたと思います。

その後、家康の関東入封の際は、徳川四天王の榊原康政が入りました。徳川四天王が入ったお城。このお城の重要性がとても高いということがよくわかります。

その重要性は江戸時代になっても変わらず、なんと「犬公方」で有名な五代将軍の徳川綱吉は元館林藩主です。狐を大事にしている気風が移ったのでしょうか?

将軍になった徳川綱吉が藩主だったくらいの城だったので、門・櫓も豪華で天守もありました。

明治に入ると跡地には紡績工場ができました。(余談、上毛モスリンという会社です)
館林城のある群馬県と言えば世界遺産「富岡製糸場」ですね。歴史を感じます。今でも館林の歴史として当時の建物が残っています(移動していますが)。

遺構の少ない城ですが、歴史でお城を楽しむ方。首都圏は城に飢えてますのでぜひ行ってみては
※歴史以外のことも投稿する予定です

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kazu

ヲンネモトチャシ (2019/07/06 訪問)

ついに100名城達成しました!
スタンプは根室駅前の観光案内インフォメーションセンターで押しました。納沙布岬の北方領土資料館と花咲の根室市歴史と自然の博物館でも押すことができます。

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こげら

鉢形城公園散策 (2019/07/10 訪問)

鉢形城跡を散策する前に鉢形城歴史館に立ち寄り鉢形城の全体像を掴んでから廻るのが効率的です。
多くの見所がありますが、御殿曲輪からニの曲輪、馬出、三の曲輪は必見です。
戦国時代の城跡が堪能できます。

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ぴーかる

沼田城 (2019/05/01 訪問)

【続百名城34城目】
<駐車場他>城公園入り口横に無料あり
<交通手段>車

<見所>西隅櫓跡

<感想>GW2泊3日上・越攻城の旅9城目。新潟県長岡市に宿泊し長岡城跡(長岡駅)を見て来城。2日目と予定を入換えた為に移動で時間ロスする。まず資料館でスタンプ押印と令和元年五月一日の御城印を購入後城跡公園を散策する。本丸石垣→天守跡(はっきりわからない)→生方邸宅→鐘楼→西隅櫓石垣→御殿桜→平八岩→捨曲輪→天狗堂→利根英霊殿を見て終了。遺構がほとんど残ってなく、メイン所は西隅櫓跡であとは・捨曲輪・天狗堂のある曲輪くらい。鐘楼の楼は当時のものらしく、保存の為転々としたあとまたここに再建されたものらしい。鐘の音を聞きたいと思った。二の丸以降はテニスコート等になっている。城郭は丘陵地帯の西の端にあり、西側は比高差があるが東側はほぼ平地になっているので平城のようにも感じた。昼近くになったので箕輪城優先、名胡桃城は諦めて水沢うどんを食しに渋沢方面へ。

<満足度>★☆☆

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todo94

駐車場は工事中 (2019/06/29 訪問)

国史跡できれいに整備されていましたが、駐車場はまだ工事中で、車を入れることができませんでした。少し離れたところから歩いてアプローチ。国道7号のバイパス工事で発見された古代環濠集落の遺跡。バイパスはこの遺跡を避けて建設されました。

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チェブ

5月5日菖蒲の節句に竣工。 (2019/05/25 訪問)

埼玉県の「菖蒲城」に行きました。
古河公方の足利 成氏さんが家臣の金田氏に命じ築城しました。
当時の上杉家に対しての戦うお城でした。
が、やっぱり謙信さんの時代に昨日、投稿した「騎西城」と共に「菖蒲城」も落とされます。
秀吉さんの北条征伐の時は戦わずに開城しました。
ちなみに金田氏は帰農して大塚姓になります。

「菖蒲城」国道12号沿いにあります。
徳川幕府旗本、内藤家の陣屋裏門が移築されていて、デーンと見えたのですが「菖蒲城」側の駐車場は、満車。Uターンして反対側の駐車場に車を停めました。
が、「菖蒲城」の前に信号機がありません。
道路を渡るのに車がなかなか途切れませんでした。
信号機のある横断歩道までは距離があります。

車から見えた陣屋裏門、「菖蒲城」とは関係なさそうです。遺構もわかりません。
「菖蒲城」は竣工が5月5日の節句にちなんで名付けられたそうです。
それなら「端午城」や「兜城」ではないかと、ひねくれた私は、ちょっと調べをみました。
「武事を尊ぶ」=「尚武」=「勝負」=「菖蒲」。
なるほど。
当時の子供たちは菖蒲の葉っぱを腰に差し刀代わりにして遊んだともありました。
菖蒲のお花の季節は賑わいそうな「菖蒲城」でした。

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朝田 辰兵衛

こんなどしゃ降りの中では… (2018/09/01 訪問)

チチクリ合っているカップルなどいませんでした。

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イオ

環濠散策 (2019/06/26 訪問)

筒井氏、越智氏、十市氏とともに「大和四家」と称される箸尾氏の居城で、220m四方の環濠集落の平城でしたが、織田信長の大和一国破城令により廃城となりました。

城趾碑と説明板がある他は目立った遺構はないようですが、環濠の名残と思しき水路が城域を囲んで残っており(Googleマップなどの地図でもよくわかります)、環濠沿いの竹藪は土が盛られているように見受けられ、土塁跡と思われます。

近鉄田原本線・箸尾駅から城趾碑までは徒歩10分で、駐車場はなく、城域一帯の道路は非常に狭いので路駐も困難、城趾碑と説明板を見るだけなら城趾碑の横に車を駐められなくはないですが、環濠跡も見て回るなら公共交通機関での訪問がおすすめです。

ところで、環濠に沿って歩いていて、たまたま見掛けた立派なお寺の説明板には「教行寺」とあり、ここに来る前に訪れた田原本陣屋の説明板で読んだ、田原本から箸尾に移転させられたというお寺のようで、箸尾城と田原本陣屋という直接関係のない二つの城(陣屋)の訪問が、思い掛けないところで繋がってくるのはなかなか楽しい経験でした。
 

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あんちゃん

昼と夜の弘前城 (2019/07/07 訪問)

夜のお城も良かったです。

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はたけ

松山城t (2019/07/09 訪問)

城の中が見た目以上に広く感じた。

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にのまる

銀杏の季節ではなくて(*^_^*) (2019/06/27 訪問)

払田柵を1時間半かけての散策後、無事に大曲駅に到着。
しかし帰りの新幹線までは50分もあり…。

こんな時は駅近物件検索(^-^)/

大曲城は駅から800m、徒歩10分。
todo94さんのご投稿を拝読し、八幡神社が城址で参道が土塁だったとの情報を得て訪ねることができたので、階段を上る細長い参道を土塁の上なんだと実感しながら歩くことができました。
おかげさまでポチ数稼ぎではなくちゃんとした(!)お城めぐりが出来たなとありがたく思っております。

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くろもり

1559 - 1560 (2019/06/22 訪問)

名鉄鳴海駅から徒歩で訪れました。駅の東口から5分でした。車での訪問の場合、駅の高架下にコインパーキングがあります。

私有地のようでしたが、「所有者のご好意により、自由に見学できます。(きまりよく、節度をもって、ご覧ください。)」と案内にあり、ありがたく中に入らせて頂き、碑の写真を正面から撮らせて頂きました。

織田信長が桶狭間の合戦時に、中島砦から桶狭間に向かって奇襲を成功させたと伝わる所ですが、砦としては1559年から桶狭間の合戦があった1560年の間のわずか1年しか存在しませんでした。それにも関わらず、こうして私有地の中に城址碑を建てて、開放してくれていることにとても感動しました。

遺構はありませんが、桶狭間周辺に残る他の砦と違って、扇川と手越川の合流部の平地に築かれているので、尚更、よく駅から徒歩5分のこの立地に城跡碑の場所を残してくれたなと思います。本当にありがとうございます。

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スミヤキ

仁科盛信公「幻の桜」 (2019/04/15 訪問)

桜の名所として知られている高遠城址公園、タカトオコヒガンザクラという、この地域にしかない固有種で小ぶりの赤みが強い可憐な花が、満開を迎えると頭上を包み込むように咲き誇り、見事です。

戦国時代、甲斐武田氏にとって高遠城は、北信の海津、中信の小諸、南信の深志と並ぶ四大支城で信濃伊那経営の重要戦略拠点でした。

三峰川と藤沢川の合流点に位置し、三峰川の断崖上に本丸を置き、二ノ丸と南曲輪、勘助曲輪が三方から本丸を包み、さらに三ノ丸が外側を囲む、三段構えの梯郭式の平山城です。

1582年、織田軍による甲州攻めの際に城主仁科五郎盛信以下全員が壮絶な戦死を遂げています。信玄公の五男の盛信公、善政を敷き、領民からも慕われていたようで戦の後、手厚く葬られ、埋葬された山が五郎山と呼ばれるようになったそうです。

江戸時代、内藤氏がこの地を治め、盛信の御霊を五郎山より城内に迎え「新城神」として祀り崇拝され、現在も城址に新城・藤原神社として鎮座しています。

また、長野県歌「信濃の国」の歌詞にも登場しています。いつまでも慕われている存在でいることが凄いですね! 「幻の桜」という盛信公のイメージソングも見つけてしまいました。散る桜の儚さと、若くして潔く命を絶った盛信公が重なるのかなぁ。

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天下布武

県指定 飛騨国司姉小路三家の一つ小島氏居城 (2017/09/04 訪問)

主郭近くの駐車場(36.251819,137.174862)まで車で上がりました。
歩きの場合は
1:杉崎口(36.252857,137.170055)城址西
2:太江口(36.253694,137.174269)城址北
3:沼町口(36.249166,137.175124)城址南
の3登城口があります。杉崎駅利用の場合は杉崎口又は沼町口からの登城が良さそうです。

城址については「城びと連載記事 理文先生のお城NEWS解説 第6回 飛騨国司姉小路氏関連城郭の発掘調査 2」を参照していただければと思います。
連郭式の山城で東端駐車場北側の堀切から西端古城側堀切まで
アップダウンのある尾根上に連なる曲輪や遺構を確認しながら辿り楽しめます。

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