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とりの子

冬の特別公開と期間限定の御城印 (2020/02/11 訪問)

今日、姫路城へ行きました。姫路城に行くのは3回目です。冬の特別公開があると知ったので、行って来ました。今回初めてガイドをしてもらい、いろいろなことを教えていただきました。
特別公開の帯の櫓は、姫路城で一番高い石垣の上に建てられた櫓です。中は入れませんでしたが、櫓の近くまで見学できました。
太鼓櫓は、初公開でした。中がななめになっていました。

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とってぃ

工事中なところも (2020/02/11 訪問)

工事中なところもあっていけるルートが限られていました。

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芦屋の豪邸もいろいろ (2020/02/01 訪問)

トーダイさんが登城の際は、黄砂で景色が霞んでたとのことから、大阪湾方面と神戸方面の眺望写真をアップします。登山道は、更に奥の荒地山に続くハイキング道であり、けっこうハイカーに会いました。一人で黙々と道を整備している方も。
麓の説明板に、わざわざ「中世の城跡としての遺構は何も残っていない」と書くのもどうなんでしょう。
下山後、豪邸見物を兼ねて平野城まで山手を散策しました。

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とってぃ

公園になっている (2020/02/11 訪問)

きれいな公園になっており、碑などが建っていたが、跡は分からず。

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まふ

久しぶりに (2020/02/09 訪問)

9日に、久しぶりに行って来ました。
御城印が有るけど、和歌山城非公認で、表記は、虎伏城と成ってました。

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しろちゃん

こんな近くに、感動 (2020/02/09 訪問)

二十代半ばまで、比較的近い所に住んで、沢山城の近くの道路を何度も行き来してましたが、看板もなかったので素通りしていました。

沢谷戸公園の西側の登り口より登城しました。
この山は、地主さんが好意で開放していただいている様です。
周囲には、立入禁止もありますが、十分堪能出来ます。感謝です。
小さい城跡と思っていたので、曲輪の大きさに驚きました。

東側は急斜面で、南側は谷戸が形成され、曲輪の中心部は東南部に位置している。曲輪は、北側へ数段に渡り展開されています。
調布方面からの攻撃に備えた城である事を感じさせられます。

城の縄張りは、都筑区の茅ヶ崎城に似ていました。
城の規模と縄張りから、北条氏時代の城跡である事を伺えます。


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どう

五稜郭 (2019/07/01 訪問)

以前より気になっていたので、大きな期待を持って訪問。その反動があって、う~んと言う感想。でも学校だから仕方ない。もし自分が五稜郭の学校出身と思うとちょっとうらやましいし。
形や堀は狭いが見事。
しかし攻められたらこの狭さはどうだろう?

展望台には道に迷いたどり着けず。
もう少し詳しい案内あってもいいのではと思ったが、それも学校だから仕方ないか。
都会なら学校全体一望できたら大問題。


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todo94

観音埼灯台へ行く前に (2020/02/08 訪問)

観音埼灯台からのぼれる灯台スタンプラリーをスタートさせることが今回のドライブ最大の目的。観音埼灯台に近い城・佐原城に立ち寄っていきました。小さな小さな説明板と城址碑がありました。

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小城小次郎

小島城

姉小路氏の城として築かれたが、金森氏によって相当手を加えられたらしく、荒々しい石垣と技巧的な枡形虎口を今に伝える。築城当時はこの石垣も麓からよく見えたことだろう。

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ほむほむ

払田柵と掘田城の近くにあります。 (2018/09/16 訪問)

払田柵の案内板を見ていたら、載ってたので行きました。
払田柵から車で3分程で着きます。
しかし駐車場はありませんでしたので、西門跡の近くに路駐して散策に行きました。
堀跡は綺麗に残っており、元々水田だったようで整備もされています。
城館跡としては保存状態はかなりいい状態ではないでしょうか?

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橋吉

青い空と白い石垣のコントラスト (2020/02/02 訪問)

座喜味城は、15世紀初期に護佐丸(ごさまる)によって築かれたと伝えられています。
当時、琉球は3つの国に分かれており、中山の重臣である護佐丸が北山を監視するためにつくられたとされています。

2020年2月現在、道路工事のため、道路の通行制限がありますが、
案内板に従えば迷うことなく到着できます。

広い無料駐車場が用意されています。

世界遺産座喜味城跡 ユンタンザミュージアムの入り口で続日本100名城のスタンプを押すことができます。

ミュージアムを出てしばらく歩くと、
見えてきました。
青い空と白い石垣のコントラストが息をのむ美しさです。

土木技術の高さがうかがわれるアーチ形の門
門を抜けると石垣に囲まれた曲輪が広がります。

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カズサン

石垣の枡形虎口が素晴らしい (2016/05/05 訪問)

 平成28年5月連休滋賀県未踏の城を日帰りで探訪しました、三雲城初登城です、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんです。
 草津線三雲駅あたりから吉永の西住寺を目指し団地住宅地を山手へ奥の青少年自然の家に向かい途中から林道にそのまま進み突き当りに登城口と駐車エリアが在る。
 登城口から石垣の枡形まではそんなに時間は掛からない、枡形虎口前には石、岩がごろごろしてる、主郭の石垣枡形が見所、奥の西面に主郭上段から流れる土塁、主郭上段には大岩がでんと収まってる、北東見張り台には八丈岩が聳えてる。
 観音寺城の六角氏が二回も逃げて避難した城でも名を博してる。車で上がればお手軽に探訪でき八丈岩からの眺望は素晴らしい。

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イオ

ただの陣城にあらず (2020/02/01 訪問)

室町前期に富島氏が築城し、戦国末期には浅井氏と織田氏の境目の城となりましたが、織田氏が美濃と近江を領したことで役割を終えて廃城。関ケ原の戦いに際して、西軍総大将・毛利輝元の本陣とすべく石田三成の命により大垣城主・伊藤盛正が改修するも、輝元は大坂城から動かず、小早川秀秋が盛正を追いやって布陣しました。松尾山からの小早川隊の東軍への参戦が勝敗を左右したのはご承知のとおりです。

急ごしらえの陣城かと思いきや、山頂の主郭から北東、東、南、南西にのびる各尾根筋に曲輪を設けた大規模な山城で、各曲輪(南西の曲輪を除く)の周囲を土塁がめぐり、主郭の南部には土塁で枡形虎口が築かれていて、北側には竪堀が長く伸びています。そして主郭からは関ケ原の主戦場が一望のもとに見渡せます。北東の曲輪の土塁には折れが設けられ、南の曲輪には堀切と土橋の先に虎口があります。西の曲輪と南西の曲輪の間には大きな堀切、南西の曲輪の南端尾根筋には堀切が交互に3本並んでいます。また、曲輪間の斜面などに階段状に曲輪が設けられ、大軍の収容を想定していたものと思われます。

前々から関ケ原古戦場に行ってみたいとは思っていましたが、昨秋の山城サミットでガイドマップをもらって行きたい思いに火がつき、ニッポン城めぐりの関ヶ原イベントにあわせて訪れることができました。…と言っても、松尾山城については「関ケ原の戦いの転機となった地でもあるし、せっかくだから登ってみるかな。遺構もあるようだし」程度でさほど期待してなかったんですが、まさか遺構がこれほどの規模で状態よく残っていたとは! 北麓の登城口駐車場から主郭まで約30分を要しますが、特に急登でもなく歩きやすい道ですし、時間が許せばぜひ登ってみて下さい。ただ、松尾山はヤマビルが出るらしいのでご注意を。この日は真冬だったので遭遇せずに済みましたが…。
 

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YAICHI

御茶屋御殿跡と合わせて (2020/02/09 訪問)

枚方城は現在の枚方小学校の建っている場所にあったと言われています。遺構はおろか、石碑、案内板もありません。城主は百済王氏の末裔と称する本多内膳正政康なる人物で、娘を秀吉の側室に出しています。秀吉は城址近くに御茶屋御殿を建て、娘をそこに住まわせたと伝わります。御茶屋御殿跡展望広場は綺麗に整備された公園で、眺望もよく、合わせて訪問されるとよいと思います。

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tos-M

信濃の名城 国宝・松本城 (2014/08/25 訪問)

松本城はいつも登山帰りに寄りたいと思っていたお城。この日は上高地を目指して国道19号線を車でとばしていたが、天気は下り坂。迷った挙句、登山をあっさりあきらめ行った場所が松本城でした。地味に黒いお城の印象でしたが、お堀端から見る角度で違った顔を見せるお城にうっとり。視覚効果抜群のきれいな現存天守でした。黒門や太鼓門も復元されており、枡形虎口を形成されているため入城時に防御力を体感できるいいお城ですね。

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todo94

大善寺 (2020/02/08 訪問)

大善寺の上が衣笠城で大善寺まで車で行けましたが、細い道の上に、限界に近い急坂登でした。麓に駐車場所があるわけではないので仕方ないですけれども。2022年の大河ドラマにこの城が出てくることを期待しています。

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まーやん

現地では河原城(または若鮎城)と呼ばれています (2020/02/02 訪問)

因幡はかつて山名氏が治め、戦国期には山名豊氏が治めていたが、秀吉が鳥取城攻めの際に陣を張り、ここから出陣、帰陣したとのこと。
若桜鬼ヶ城攻めで大満足だったが、いいお城を見つけラッキーだった。
時間が遅く館は閉まっていたが、鮎の名川:千代(せんだい)川や鳥取砂丘が望める展望台だそうな。

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まーやん

スタンプも登城もリベンジ (2020/02/02 訪問)

2018年秋、出石・有子山城を攻めた後に向かったが、折からの台風による土砂崩れで登山道が通行止め。わかさ温水プール横グラウンドの方からの登山道があるが危険ですよとは、郷土文化の里のおじさん。
その日は雨天であったためスタンプだけ押して帰ろうと思ったがスタンプは山頂にしかないとのこと。どないせ言うねんこの町(怒)

今回は若桜駅前バスターミナルでスタンプが押せることを知りようやくゲット。「今日もお一人車で向かわれましたから大丈夫ですよー」と2年前とは雲泥の差の対応(個人の経過であり同一人物への感想ではありません(笑))

途中未舗装となる道を馬場跡(駐車場)まで進み、二ノ丸、三ノ丸、本丸、天守台と進みました。
三ノ丸に枡形虎口が開かれていたとのこと。
所々崩れてはいるが、石垣が見事なコンパクトな曲輪配置。
播磨から但馬に抜ける街道沿いに位置し、西には名峰氷ノ山(ひょうのせん)が見える交通の要衝でかつて奪い合いが展開されたとのこと。

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tsuchinari

3つの時代を体感できる名城 (2020/02/01 訪問)

鳥取城は中世、近世、近代と3つの時代を体感できる。戦国時代、中国地方の覇者毛利氏の支配下にあった鳥取城は羽柴秀吉の兵糧攻めにあい、開城。当時、山城の本丸がおかれた久松山山頂からは今も鳥取砂丘や鳥取の街並み、日本海まで一望できる。標高263mの本丸までは螺旋階段のような急勾配の登山道が続くが、山頂からの眺めはまさに絶景。是非おすすめしたい。江戸時代には鳥取藩32 万石の居城として山麓に強固な城が築かれる。現在は櫓など建築物は残っていないが、迫力ある石垣が熱意ある維持保存活動のおかげで、今もしっかりとした姿で残されている。日本唯一とされる球体石垣や丈夫な登り石垣も必見だ。また5年前初めて登城した際にはなかった大手登城路が再現工事の真っ最中だった。2023年に完成の予定だそうだ。このような維持保存や史に忠実な再現活動には本当に頭が上がらない。一城ファンとして感謝の気持ちしかない。そしてもうひとつ鳥取城の見所が仁風閣だ。20世紀初頭、時の皇太子殿下(のちの大正天皇)の鳥取行幸に備えて東郷平八郎が建設した西洋風館だ。館内には鳥取の歴史を学べる貴重な資料を見ることができる。あまり知られていないが江戸時代鳥取藩は薩摩長州に先駆けて高性能の反射炉を造り、明治維新につながる技術革新の先端を走っていた。また六代藩主の池田治道は薩摩の島津斉彬と佐賀の鍋島直正の祖父にあたる。鳥取藩はのちに名君と呼ばれる優秀な人材を多く輩出している。戦国時代、天下人と真っ向から戦い、幕末には最先端技術で日本の近代化に大きく貢献した名城からは、力強い鼓動と息吹が今も尚、聞こえてくる。

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赤い城

城址公園となっています (2020/02/09 訪問)

成東駅から徒歩で15分くらい、城跡公園として整備されています。
駐車場もあります。
波切不動尊の西側が城域となります。
城址は公園になっていて整備されています。
愛宕社のある郭が主郭で周囲には土塁、その外側には空堀が巡ります。

成東にはいちご園が沢山あり、いちご狩りでも賑わっています。
美味しかったですよ。

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