やはずじょう

矢筈城

岡山県津山市

別名 : 高山城、高山南城、草刈城
旧国名 : 美作

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小城小次郎

普通の山城にはない迫力と威厳に満ちている (2021/05/03 訪問)

比高400mを超える登りの苦しみも、山上の曲輪群の素晴らしさを見ればすべてが吹っ飛ぶことだろう。この城に籠ってさえいれば無類の強さを発揮したスーパー国人草苅氏の歴史とともに、このお城のことはもっと大きく語られてよい。

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Tiger

日程 (2015/11/21 訪問)

〇8:00千磐神社から登山開始 本丸まで2300m
〇9:00西尾根到着
〇9:30三重堀切到着 本丸まで600m
〇10:00本丸到着 すばらしい景色
〇10:30美作河井駅に向けて下山開始
〇11:30美作河井駅到着
〇12:00千磐神社に向けて車道を歩く。途中、内構(居館跡)に寄る。
〇12:45駐車場所の千磐神社に到着。
※たくさん歩きました。美作河井駅から見あげた矢筈城の姿は感動ものです。

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり[150] (2016/11/12 訪問)

「や」を待っていました。今までで一番きつい攻城だった美作の【矢筈城】。いくつか矢筈城という名の城はありますが、この城の遠望は矢筈のように深く切れ込んでいます。さらに続けて続100名城の【洲本城】。これで節目の300城ですね。次は「と」「もと」「本」でお願いします。千葉の方に行けますね。

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ヒロケン

難攻不落の城 (2017/05/01 訪問)

矢筈城は、1532年に尼子氏の武将草苅氏が築城した城です。1559年に草苅景継は尼子氏を離れ毛利氏についたが、1574年織田信長の勢力を恐れ、密かに織田方につきました。このことが、小早川隆景の知るところになり、景継は自刃し、弟重継が跡を継ぎ毛利氏に忠誠を誓いました。このことで、矢筈城は度々、羽柴秀吉や宇喜多直家に攻められましたが、その都度撃退し、一度も落城しませんでした。

矢筈城は郭、土塁、石垣、櫓台、竪堀、堀切が残り往時の様子を現在に残しています。

登城口は千磐神社からの登り口と美作河井駅からの二か所あり、いづれも駐車場は完備されています。自分は、千磐神社から登城しました。矢筈城は東西1600m、南北500mの壮大な山城で岡山県内でも最大の中世山城で非常に険しい要害の地にあり、登城口から本丸山頂まで2時間程掛かりました。矢筈城は西郭群(新城)と東郭群(古城)で構成され千磐神社から登ると西郭群に到達することになります。兎に角険しい登城路で行かれる方はそれなりの装備で行かれると良いかと思います。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 草苅衡継
築城年 天文2年(1533)
主な城主 草苅氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、礎石、狼煙場跡
指定文化財 県史跡(矢筈城跡(高山城跡)附伝草苅景継墓所)
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県津山市加茂町山下
問い合わせ先 津山市教育委員会文化課文化財保護係
問い合わせ先電話番号 0868-24-8413