【矢筈城】
<駐車場他>千磐神社登城口:二十台分程あり。 美作河井駅登城口:駅の駐車場を利用できる。
<交通手段>車
<見所>石垣群・尾根曲輪群・腰曲輪群・堀切・草苅氏居館跡・眺望
<感想>現地説明板によると矢筈城は天文元年(1522年)から翌年にかけて国人領主の草苅衡継によって築城されました。草苅氏は2代目城主景継とその弟の3代目城主重継の時は毛利氏に属します。重継の代の時に毛利氏と羽柴秀吉の講和によって美作国が割譲された時に城を退去しました。
6:25登城開始 長丁場の始まり、千磐神社登城口から登城しました。一旦ピークに登ったら堀切が1条あります。そこから尾根上や尾根の側道をひたすら登ります。この間に特に目立った遺構はありません。1200m登ったら腰曲輪群の西端に入ります。
腰曲輪群は尾根上の削平地と北側に2段の合計3段構造で、とにかく曲輪がでかく圧巻です。東に進み、巨石の堀切、狼煙櫓台跡があり、その先の尾根上曲輪の北側斜面に石垣群があります。当時は100m以上の長大な石垣があったろうと思われますが、現在は崩落し途切れ途切れに一部残っています。それでも圧巻の見応えです。南側斜面にも一部石垣が残存していますが、南側なのでほとんど崩落してしまったと思われます。
石垣群の東側の尾根腰部に広い3段構造の曲輪があり上段は隅角を取って内石垣があります。この曲輪とその東側の尾根上にも広い2段構造の曲輪があり、この辺り一帯が城の主要部(主郭・2郭3郭が比較的狭い山頂曲輪であった)であったろうと感じました。その主要部の南斜面にはかなり下がって腰曲輪があり竈門跡の石積み跡があります。主要部から奥に進んで、東側に深い堀切が1条あり、その先に城門跡、その先に礫石場を下って自然地形を利用した城跡最大の大堀切があります。
大堀切から切岸を登ると3郭、土壇付きの狭い曲輪で巨石が2つあります。2郭、広い曲輪でここから河井駅登山道と繋がっています。東北隅に崖があり注意です。主郭、中程度の広さで腰曲輪が付いています。主郭2・3郭には石垣遺構は見られません。主郭の更に東側の矢筈の部分へは道も無く切り立った崖なので降りれませんでした。なので矢筈の向こう側へも行けませんでした。
下山は美作河井駅登山道で遺構を見ながら降りました。こっちの道はかなりの急斜面です。ひたすら降りてひと段落した所に大蔵郭・馬場郭があります。大蔵郭は南側に櫓台のような土壇があり、馬場郭は南端に土塁があります。下山後に草苅景継墓所⇒県道6号線を歩き、草苅氏居館跡、ここも石垣が多く残っています。車も停めれます。居館跡からまた県道6号線を歩き、11:30千磐神社に無事戻ることができました。
登城距離は長いですが、登山道がありますので迷う事はないと思います。超本格的山城、遺構の堪能度もトップクラス、この城跡に行ったら自分の中で山城の視点が変わるというか、見方が一皮むけたというか、最高峰の山城の基準ができたような感覚がうまれました。
<あとがき>タイトルのフルマラソンは40歳から6年間、「津山加茂郷フルマラソン全国大会」という市民マラソン大会に毎年出場していました。美作河井駅前の県道6号線はコースの一部になっており、駅に矢筈城の大きな看板があるので10年以上前から名前は知ってはいました。城びと入会後のマラソン大会に出場した時に、矢筈城を思い出し、調べたら長大な大城郭であったので、これはいつか攻めてやろうと思い定めていました。マラソンの自己ベストもこの大会でたたき出して、今回の山城攻めもトータル5時間(マラソンのタイムはもっと早いよ)かかり加茂郷の2大長丁場を制してやったぜ!
<満足度>◆◆◆
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