やはずじょう

矢筈城

岡山県津山市

別名 : 高山城
旧国名 : 美作

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todo94

【家×お城】登城したお城しりとり[150] (2016/11/12 訪問)

「や」を待っていました。今までで一番きつい攻城だった美作の【矢筈城】。いくつか矢筈城という名の城はありますが、この城の遠望は矢筈のように深く切れ込んでいます。さらに続けて続100名城の【洲本城】。これで節目の300城ですね。次は「と」「もと」「本」でお願いします。千葉の方に行けますね。

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ヒロケン

難攻不落の城 (2017/05/01 訪問)

矢筈城は、1532年に尼子氏の武将草苅氏が築城した城です。1559年に草苅景継は尼子氏を離れ毛利氏についたが、1574年織田信長の勢力を恐れ、密かに織田方につきました。このことが、小早川隆景の知るところになり、景継は自刃し、弟重継が跡を継ぎ毛利氏に忠誠を誓いました。このことで、矢筈城は度々、羽柴秀吉や宇喜多直家に攻められましたが、その都度撃退し、一度も落城しませんでした。

矢筈城は郭、土塁、石垣、櫓台、竪堀、堀切が残り往時の様子を現在に残しています。

登城口は千磐神社からの登り口と美作河井駅からの二か所あり、いづれも駐車場は完備されています。自分は、千磐神社から登城しました。矢筈城は東西1600m、南北500mの壮大な山城で岡山県内でも最大の中世山城で非常に険しい要害の地にあり、登城口から本丸山頂まで2時間程掛かりました。矢筈城は西郭群(新城)と東郭群(古城)で構成され千磐神社から登ると西郭群に到達することになります。兎に角険しい登城路で行かれる方はそれなりの装備で行かれると良いかと思います。

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矢筈は、矢を弓の弦につがえる窪みを指します (2020/01/12 訪問)

鞍部分を挟んで新城と古城がある。古城の方が高い。搦め手側の千磐神社から登城。千磐神社に、パンフレットと訪問記録帳、杖が置いてある。千磐神社から少し登ると新城から続く尾根に至り、堀切がある。そこに本丸まで2300mの表示あり。長い距離、なだらかとは言えない尾根道を行き、気温は2℃ながら少々汗ばむ。最初は、花崗岩。そのうちに堆積岩。
新城は、客殿、城主居館が作れる広さの平削地あり。岩と石垣が一体になった箇所がいくつかあり、先達が写真をアップしておられます。古城二の丸から馬場が下方に見えてましたが、急斜面+厚いくぬぎの落ち葉を見て、滑落必至にて、行くのはやめた。
先達3人が主要な箇所を撮影されているので、おまけ的な写真を貼りました。矢筈の凹を本丸から撮りたかったが、足場が確保できず、添付のような次第です。案内板に岩肌の崖が描かれてますが、一番大きな所は、今は、採石場です。
草刈氏は、美作だけでなく因幡にも領地があったので、因幡に通じる峠の美作側のこんな山奥に大きな城を作ったのでしょう。全体散策に四時間かけたとの書き込みもあり。今回は二時間半でした。

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todo94

その名の如く (2016/11/12 訪問)

ここ数年、訪れた城の中で最もつらい攻城だったのがこの城です。登城口から本丸まで正味一時間かかりました。矢筈の形状通りの深く切れ込んだ岩山は印象的です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 草苅衡継
築城年 天文2年(1533)
主な城主 草苅氏
廃城年 天正12年(1584)
遺構 曲輪、石垣、礎石、土塁、堀切、狼煙場跡
指定文化財 県史跡(矢筈城跡(高山城跡)附伝草苅景継墓所)
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県津山市加茂町山下、知和
問い合わせ先 津山市教育委員会文化課文化財保護係
問い合わせ先電話番号 0868-24-8413