おおぼらじょう

大洞城

岐阜県関市

別名 : 一柳城、津保城、町村城
旧国名 : 美濃

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しんちゃん

主郭周辺の石垣。 (2024/10/12 訪問)

大洞城は一柳城とも称し、麓の案内板には一柳城で記載がされています。東を津保川が流れ、西を武儀倉川が流れています。津保川は折れ曲がって南方を西に向かって流れ、そこに武儀倉川が合流するため北を除く三方を川で挟まれた天然の要害となっています。
元々は一柳氏の城でしたが、一柳直末の移封後は斎藤道三の末子・斎藤利治が入り、天正15年(1587)郡上八幡城に稲葉貞通が入ると、大洞城は郡上八幡城に対し重要な位置にある支城として重視されたそうです。
車は麓の稲荷神社に駐車が可能ですが、降り易い方向を向けた駐車をする必要があります。地元の小中学生の登山の場と案内板には記載が有りましたが、倒木の数がエグいです。これじゃ子供は登るのは厳しそうです。 私はまたいだり、くぐったりして進みました。登りきると、南に郭らしき扁平地がありますが、北側が城址のようです。進んでいくと、いきなり郭の石垣が目に入ります。なかなかの物ですが隅部が崩されているようです。さらに先に進むと最高所に本郭があり周囲にも石垣が残っています。この石垣がいつの物か不明ですが桃山時代の可能性もありそうです。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:大洞城 (2023/04/24 訪問)

関城からの転戦です。稲荷神社に駐車して、登城口(35.591712、137.021252)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)に宇佐見左衛門尉によって築かれたようです。
その後、一柳直末が改修して郡上八幡の遠藤慶隆に備えました。
1587年(天正15年)豊臣秀吉が郡上八幡の遠藤慶隆を転封し、稲葉貞通を郡上八幡城主とすると、大洞城もその支城の一つとして取り上げられました。

登城路は倒木により道を阻まれますが、構わず進むと辿り着きます。
主郭部に入る部分の西に竪堀があり、入口にあたる部分に石垣があります。
主郭の山頂には祠が祀られています。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=宮地城に向かいます。

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ぴーかる

大洞城 (2022/04/02 訪問)

【大洞城】
<駐車場他>富之保グラウンドに駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石垣・櫓
<感想>1泊2日郡上の旅3城目。大洞城は宇佐見氏が築城されたとされ15世紀末~16世紀中頃に築城されたようです。主な改修者に小田原攻めの山中城の戦いで討死した一柳直末がいて一柳城とも呼ばれています。登城道は2つあるようですが先達の方々の投稿を読ませていただいて富之保グラウンドに駐車しそこから徒歩で登城しました。城跡までは車1台分の道幅が整備され(乗用車は通れなさそう)非常に登り易いので真夏以外は来れそうです。道の行き着いた所が曲輪を改変した広い空き地になっており、そこから東側の山に入った所に石垣の残った櫓台跡があります。石垣には竪石もあり見応えあります。右手を道なりに進むと主要部に入り所々に広く石垣が残っています。石垣は南側にあった虎口を中心に南から西側の腰・帯曲輪に階段状に石垣が広がっていた感じがします。主郭の東側は高切岸、北側は藪化していますが腰曲輪があって、そこから北西方向の集落が見渡せる眺望がいいです。

<満足度>◆◆◇

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じゅんじん

重要中継地点 (2022/01/02 訪問)

郡上八幡城と加治田城の中間に位置し需要な拠点だったとか。山頂近くまで林道があり終点から少し入ると石垣の世界がありました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 宇佐見左衛門尉?
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な改修者 一柳直末
主な城主 宇佐見氏、一柳氏、斎藤氏、森長可、稲葉氏、遠藤慶隆、金森長近
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀、堀切、櫓台
再建造物 説明板
住所 岐阜県関市富之保大洞町一柳