大洞城は一柳城とも称し、麓の案内板には一柳城で記載がされています。東を津保川が流れ、西を武儀倉川が流れています。津保川は折れ曲がって南方を西に向かって流れ、そこに武儀倉川が合流するため北を除く三方を川で挟まれた天然の要害となっています。
元々は一柳氏の城でしたが、一柳直末の移封後は斎藤道三の末子・斎藤利治が入り、天正15年(1587)郡上八幡城に稲葉貞通が入ると、大洞城は郡上八幡城に対し重要な位置にある支城として重視されたそうです。
車は麓の稲荷神社に駐車が可能ですが、降り易い方向を向けた駐車をする必要があります。地元の小中学生の登山の場と案内板には記載が有りましたが、倒木の数がエグいです。これじゃ子供は登るのは厳しそうです。 私はまたいだり、くぐったりして進みました。登りきると、南に郭らしき扁平地がありますが、北側が城址のようです。進んでいくと、いきなり郭の石垣が目に入ります。なかなかの物ですが隅部が崩されているようです。さらに先に進むと最高所に本郭があり周囲にも石垣が残っています。この石垣がいつの物か不明ですが桃山時代の可能性もありそうです。
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