2018年に改修したばかりなのでピカピカでした。天守の中が展示館になっているので色々勉強できました。お昼は小田原駅前で海鮮はいかが。
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2019/07/21 13:18
ピカピカの天守 (2019/07/15 訪問)
2018年に改修したばかりなのでピカピカでした。天守の中が展示館になっているので色々勉強できました。お昼は小田原駅前で海鮮はいかが。
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2019/07/21 13:05
天守台と石垣が見どころ (2019/07/14 訪問)
広い!内堀の中だけでもかなり広いです。石垣の1個1個が大きく隅石もきっちりと積まれていて美しいです。江戸城と合わせて両国の「江戸東京博物館」も訪れてみてください。圧巻のジオラマが観れます。
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2019/07/21 13:03
「長沼城」 (2019/07/20 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
長沼宗政の居城とされる。長沼宗政は、鎌倉時代前期の武将。源頼朝の奥州征討軍に従う。その後、比企能員の残党を討伐し、承久の乱では北条泰時とともに戦う。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
京王相模原線 稲城駅 徒歩約10分
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2019/07/21 12:54
「高幡城」 (2019/07/20 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
高幡城は現在、高幡不動尊金剛寺となっている。境内には多くの文化財がある。1455年、上杉憲顕は足利成氏の軍と立川河原に会戦、深手を負い高幡寺に入り自刃したため、墓所が残されている。小田原征伐では北条氏照の家臣・高幡氏が籠城し、前田利家や上杉景勝の北国軍と戦闘があったとされる。また、高幡山金剛寺は、新選組・土 方歳三の菩提寺として近藤勇・土 方歳三両雄の碑や、土 方歳三の銅像、又大日堂には土 方歳三の位牌や新選組隊士慰霊の大位牌等、更に奥殿では歳三の書簡ほか多くの新選組資料が展示されている。
<アクセス>
京王線 高幡不動駅 徒歩約15分
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2019/07/21 12:38
当時津久井湖は無かったけど (2019/07/20 訪問)
パークセンターに車を停めて攻めました。
パークセンターにはガイドマップも置いてあります。
急で真っ直ぐ登れる男坂となだらかだけど遠回りの女坂があり、とりあえず男坂を選択。
短かったので言うほどキツくは無かったです。
山頂部分にば曲輪や堀切、石垣もよく残っています。
帰りは女坂を降りましたが狭く、崖も急で結構危険かも。
この時期、蛇にも出会いますが神奈川では絶滅危惧種だそうで優しく見過ごしてくださいね。
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2019/07/21 12:33
「平山季重館跡」 (2019/07/20 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
平山季重は、武蔵七党の一人である。保元の乱では、源義朝に従い、武名を馳せた。平治の乱では義朝の長男・源義平に従い、平重盛の軍勢を相手に奮戦した。その後、源頼朝が挙兵すると一族を率いて参戦した。富士川の戦い、宇治川の戦い、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いでも常に先陣を切って、勇猛果敢に戦った。奥州合戦でも、戦功を挙げ、鎌倉幕府の元老として取り立てられた。現在、居館跡の遺構は消滅している。「宗印寺」には、木造平山季重坐像(日野市有形文化財)、平山季重の墓(東京都旧跡)がある併せて散策したい。
<アクセス>
京王線 平山城址公園駅 徒歩15分
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2019/07/21 10:41
「茅ヶ崎城」 (2019/07/20 訪問)
<オススメ>★★★★☆
茅ヶ崎城は早渕川の南岸に沿って延びる舌状台地に築かれている。標高は約35m、比高は20m前後である。東には中原街道、西には矢倉沢街道が通り、交通の要衝であった。戦国時代には、後北条氏の小机衆の一翼を担った。その後、一国一城令により廃城となった。現在、城址公園として整備され土塁や櫓台跡など残されている。また、横浜歴史博物館には、茅ヶ崎城や国指定史跡「大塚・歳勝土遺跡」に関連する出土品等の展示が行われている。
<アクセス>
横浜市営地下鉄 センター南駅 徒歩15分
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2019/07/21 09:07
三箇菅原神社 (2019/06/01 訪問)
【三箇城】
<駐車場他>神社正面に参拝者用無料あり。
<交通手段>車
<感想>鶴見緑地アウトレットパークに買い物ついでに立ち寄った。調べてわかったんですが、ここ一帯は昔は深野池という巨大な池で城はその島に築城したそうです。なのでこの菅原神社の三箇城も比定地だがほぼこの辺りということになるのかと思う。現在は周辺は完全に宅地化されていてその面影はなくなっていた。戦国時代には飯盛山城の支城となっていたということで、東を向くと飯盛山系がせまって見ることができるので納得です。
<満足度>◆◇◇
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2019/07/21 09:05
転用石が凄い天守台と海より深い井戸 (2019/07/14 訪問)
続100名城スタンプラリー27番目に訪れました。
明智光秀大河ドラマ化で盛り上がっています。見所は天守台に多く使用されている一目で分かる転用石
本丸の石垣自体は転用石があまり使われていないので、一目見たときの存在感に圧倒されました
海抜より深い所まで掘ってあるその深さ50mを誇る豊磐井です。曰く「本丸にある井戸としては日本一の深さ」
ただ深いだけの井戸なら他にもあるという当時の日本の土木技術の水準の凄さにただただ驚くのみです
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2019/07/21 08:36
「榎下城」 (2019/07/20 訪問)
<オススメ>★★★★☆
榎下城は、鶴見川の支流である恩田川の南岸にあり、舌状台地を利用して築かれている。主郭の標高は約30m、比高は16m程度である。城は、南北に並ぶ3つの曲輪からなっている。戦国時代には小机衆の出城の役割を果たしたとされる。現在は、二の丸跡に舊城寺が建立されているが、三方に土塁が残されている。
<アクセス>
JR中山駅 徒歩15分
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2019/07/21 08:30
「成瀬城」 (2019/07/20 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
成瀬城は、鎌倉街道を北東に見下ろす立地に築城されている。現在は宅地開発により遺構は消滅しているが、発掘調査の結果、鉄砲玉や銭貨が出土している。空堀跡は分かりにくいが、縦堀(C)は城跡の出入口になっている。井戸跡が復元され、中世の城郭の面影を残している。
<アクセス>
JR成瀬駅 徒歩15分
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2019/07/21 08:30
2019/07/21 08:05
筑前さんの隠居城。 (2019/07/20 訪問)
行こうと思えば行けたのに、時間の都合などで結局遠くから眺めてるだけだった妻鹿城。
今回、ようやく訪城の運びとなりました。
妻鹿城はいろんな呼称がありますね。『甲山城』、『功山城』、『国府山城』…ややこしいのでとりあえず『妻鹿城』と呼ぶことにします。
その歴史は古く、南北朝時代に遡ります。太平記にも記載のある妻鹿孫三郎長宗が築城、居城としたようです。長宗は元弘の戦(1330年頃)の際には北朝方の赤松円心の下で武功をあげたことによって妻鹿周辺を与えられました。『功山』の呼称はここからきています。
時は下って戦国時代、黒田職隆が天正元年(1573)嫡男の官兵衛孝高に姫路城を譲って、自らは妻鹿城に移り居城としました。
天正八年(1580)三木城の別所長治を滅ぼした羽柴秀吉が三木城を播磨統治の拠点としようとした際、官兵衛は三木城の戦略的不備を進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に献上し、父職隆のいる妻鹿城に移りました。
天正十三年(1585)職隆が亡くなった後廃城となったようです。徳川の世になった頃にはもう無かったんですね。
登城にはまず麓の荒神社からスタート。そこからは鬱蒼とした山道がしばらく続きます。当時からこの道は大手道のルートだったようです。
そしてここからすでに藪蚊の猛攻が待っています。ヒーー。
所々にある小さな平坦地の跡を横目に、井戸の跡を少し行くと虎口跡があり、底からしばらく登ると平坦地に出ます。ここが『馬駆け』と呼ばれる郭の跡で、倉庫が建ち並んでいたそうです。郭の名前から馬場があったのかなとも思いますが、さてさて。
しかしこの一帯、笹藪でもうなにがなんだか判らない状況です。時期が時期だけにあまり長居したくない(笑)。
鉄塔を回り込んで道は二手に分かれます。左に行けば平安時代の経塚跡があり、麓の荒神社はここから出土した泥塔の同范(三宝荒神に見立てた)を祀ったところだとか。
右の山道を少し登るといよいよ中核部。人為的に削平された郭跡が数多く残っています。
石垣の設備は無いようですが、所々にある岩盤を上手く加工または利用して城の守りとしていたようです。
そして主郭跡。ここからは姫路の地形が北から西、そして播磨灘を一望できます。
お城の西麓には市川が流れていて、当時の水運をも把握できたことでしょう。ここから船で市川を北上すれば、姫路城の京口付近まで行くことが出来たそうです。
南方向には市川の河口がすぐに見えますが、当時は市川を天然の堀として南に広がる現在の妻鹿地区一帯をも要害化していたんだとか。
主郭跡からさらに北へ進むと、一際広い平坦地が奥に続いています。なんと庭園跡の石組が残っています。ここからは磁器などの陶器類が見つかっているようで、生活空間がここに存在していたのでしょうか。ふと『軍師官兵衛』の職隆往生のシーンを思い浮かべてしまいます。柴田恭兵さん、格好良かったなぁ…。
その庭園跡からさらに北へ。ここにはなんと磐座跡があります。明らかに人の手が入った跡らしきものもありますし、ここはやはり祭祀スペースとして特別な場所だったのでしょうか。
その後は下山して、『筑前さん』として地元の方々に大切に守られている黒田職隆廟所にお詣りしてフィニッシュとしました。
と、これから登城される方へ。帰り道の表示がありますが、来た道を引き返して下山された方が無難です。主郭跡東側の帯郭跡からのルートは藪が特に酷い状況です。それこそ道の痕跡さえ無いような。私もやむなく引き返しました。ヒーーー。
あと、やはりオススメは冬場でしょうか。少しは訪城しやすくなっているでしょうから…。
また、マイカーは極力避けた方がよいかもです。妻鹿城や職隆さんの廟所周辺には駐車場がありません。山陽電車を利用して妻鹿駅から歩いた方が吉かと思います。
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2019/07/21 04:11
大友公園 (2019/07/20 訪問)
台風5号の強風域に入っている中、無事大分空港に降り立つことができました。雨が降っていたので、うみたまごで時間を過ごし、雨の日に風情のある2つの豊後一宮・柞原八幡宮と西寒多神社を回って昼食も摂ってから大友別館へと向かいました。津久見は雨が上がっていました。大友公園となっていて、遺構は残っていませんが、大友宗麟が最晩年を過ごした地とのことです。折角ですので、久しぶりに大友宗麟の墓にも足を伸ばしてみました。
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2019/07/21 02:08
2019/07/20 23:23
鑁阿寺と足利学校 (2019/05/05 訪問)
一通り史跡をまわって、滞在1時間くらいでした。
もう少し人の少ない、
早い時間帯につけるように出直します。
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2019/07/20 22:36
東別院 (2019/07/19 訪問)
織田信秀により建てられた城です。東本願寺名古屋別院(東別院)周辺が城址で、城址碑、説明版があります。遺構はありません。地下鉄東別院駅より徒歩5分くらいの所にあります。
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2019/07/20 21:31
ひっそりと説明板が立っています (2019/07/20 訪問)
愛川町役場に車を停めさせて頂き徒歩で15分。
住宅地の奥から下る坂道の下りかけにありました。
説明板が立っていますが金網の中。
おそらく主郭部分と思われます。
2郭と思われる部分も畑で入れません。
遺構もあまり無さそうでした。
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2019/07/20 20:53
駿府城出土金箔瓦の秀吉の城説を考えると千田先生の新聞記事の現地確認 (2019/07/20 訪問)
奈良大学千田嘉博先生のお城探偵シリーズ産経新聞令和元年7月9日の記事にどきっとしまして当初より今回の駿府城天守台発掘調査で大御所の天守台の下に中村一氏の天守台発見と有り、合わせて多数の金箔瓦も発見、新聞、静岡文化財課の広報、配布資料も中村一氏、秀吉の城とうたい、てっきり秀吉の城の金箔瓦と思って居たのですが、信長の金箔瓦、秀吉の金箔瓦の違いも分かっていたのですが当初情報先入観か「秀吉の金箔瓦か」と思い込んでました。
千田先生の記事によると発見された金箔瓦が信長の金箔瓦の特徴があると凹面に金箔と有りと新聞写真に載って居り本日三の丸発掘現場説明会の帰りに展示して有る「発掘情報館きゃっしる」に寄って確認と寄ってきました、現地サンプルは数が少なく、金箔の残渣が少なく良く解りませんでしたが凹面にも金箔が残っており、凸面にも金箔が残ってるサンプルが有りました。
先生の説による家康が浜松城から駿府城に移った時期天正12年~13年から小田原征伐後の関東移封の天正18年の5年間に家康金箔瓦が有ったのではないか、当然信長の金箔瓦も家康は知ってると。
今後調査が進み益々精度が上がって来るでしょう、益々楽しみですし、今回の事も含め仮称駿府城博物館の完成が待たれます。
今回現地で見た金箔瓦はサンプルが少なく、金箔が薄く写真に撮り添付する事が出来ませんでした、文化財課に保管されてる金箔のよく残ってる瓦の展示がされる様になれば分るでしょう。
添付写真は天守台発掘調査現場の写真、二の丸御門、二の丸きた門を添付します。
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2019/07/20 20:21
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