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にのまる

試練だった。 (2019/06/29 訪問)

この日松本には松本城のほかにもう一つ目的があって出かけたのですが、そちらが中止になったので、予約していたあずさの指定席を変更して早めに帰ることにしました。

が、その前に帰りがけの駄賃で駅近(自分比)の井川城に寄ってサクッと1ポチ♪

のつもりでしたが。。。

井川城は住宅街の中にあるとの情報でしたのでナビ任せで歩き、見えたゴールは田んぼの中の小さなお山♫
思わず「かわいい♡」と言ってしまったその佇まいは控えめながらも確かな存在感。ついでに行ってみようなどと思って申し訳なかったm(_ _)m

だがしかし、かわいいお山は水路の向こうの田んぼの中で、足元には心もとない渡し板が一本。
auナビウォークは、へーきな顔して私にここを渡れと言う。
えっ?これって公道なわけ(・・?)
てか、むちゃくちゃ恐ろしい。苦手すぎる。
どこか別の入り口を探そうか…。
でも城址はすぐ目の前。
別の道を探すめんどくささと10秒くらい(で渡れそう)の恐怖体験を天秤にかけて、ここを渡ってしまおうと決意。
雨が降っていたけど傘をたたんでリュックにしまい、両手を空けて(バランスとって^^;)、息を止めて…がんばりましたᕦ(ò_óˇ)ᕤ

そして帰りは何気に道があったので敷地内を突っ切って行くと、ちゃんと「井川城コッチ→」の表示のある道路に出ました。こっちの道をナビして欲しかったよ(;_;)

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朝田 辰兵衛

恐怖! 吸血モスキート!! (2019/07/13 訪問)

ココの“丘城”という情報と,ほぼほぼ市街地ということもあり,比較的ラクな登城と決め込んでました。それがそもそものエラーでした…。
周辺の住宅は廃墟が多く,八幡町公民館からの登城口からは,フェンスが開かなくなってました。仮に開いたとしても,未整備の無法地帯に見受けられました。
ということで,さらに舗道を登り切ったところにある石段の登城口からトライしました。ここも登ってしばらくすると,ヤブ化が進んでおり,(行くべきかどうか)立ち止まったところで,一気にヤブ蚊の襲来に遭いました(雨なのに…)。首タオルしているにもかかわらず,わずかな隙間から入ってきて,首から上のみを10数ヶ所も刺されました。
すぐに登城口を駆け下り,リュックから“液体ムヒ”を取り出し,塗りまくったら,直後にプチ呼吸困難状態になりました。ヤブ蚊は2匹つきまとってましたが,監視しているカンジでした。
やむなく退散しましたが,ここは山城同様に,どっぷり冬場の登城をおすすめします。
そもそも,アップすべきか悩みましたが,私と同じ被害に遭わないように教訓としてください。

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カルビン

太田道灌と関係あるそうな (2014/04/11 訪問)

関東・甲信越では特に3名の武将と関わりのあるお城が多いです。
武田信玄と徳川家康と・・・太田道灌。。。特に太田道灌に関しては埼玉・東京・神奈川にゆかりのあるお城がずぬけて多く、そのうちの1ヶ所が事前情報で知った、今回upします岡城。

最寄り駅がJR北朝霞駅or東武線朝霞台駅(隣接してますが運営会社が違う為か別の駅名に)で、通常なら遠征に向かう際の中継地点の駅になるのですが、この日はここが目的地・・・なんか勝手が違うなw


いきなり北と南を間違え、15分くらい無駄に歩きましたが、途中からやっと地図の立ち位置が解り、駅から15分程度で岡城へ。

下り坂沿いに城址公園があり、公園内にあった予想してたものより全然良質な堀と土塁が見られました。

お城としての城碑や解説は無いと思っていました(城址公園としての解説や碑石はある)が、何故か1ヶ所、物見櫓の解説だけが公園内に存在してました。
なぜ他の遺構に解説を置かなかったのか?逆になぜ物見櫓跡だけ解説を設置しようとGOサインを出したのか・・・謎ですww


堀切のところにかかるコンクリート製の階段橋がちょっと見た目残念ですが、基本お城の地形をほぼ崩すこと無く公園化している所に好感が持てます。
同じJR武蔵野線沿線にある滝の城とのセット訪問が良いのでは?


城域内では獲物を狙う猫武将を見ましたが。。。合戦さながらの顔にちょっとひきました(汗)

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ヒロケン

朝駆け (2019/07/15 訪問)

高嶺城は、大内氏最後の当主、大内義長が築いた城です。毛利軍の侵攻に備え1556年春から築城を始めましたが、翌年2月、大内義直は内藤隆世と共に長門国に逃れました。そして最後は長福寺で自刃しました。
その後、1557年秋には毛利氏の支城として築城が始まり、冬に完成しました。城番は、市川経好・柳沢元政・佐世元嘉らが担いました。
 高嶺城は最終的に1615年の一国一城令により破却され、城としての役割を終えました。

この日は時間に余裕がなく、「朝駆け」で高嶺城の攻略を決め、朝4時に宿泊先を出て高嶺城へ向かいました。まだ、薄暗く人っ子一人居ない山城ヮ(゚д゚)ォ! 街中の城跡へはよく使う戦術ですが、山城の朝駆けは初めてで少々ビビリ気味。
皆さんの投稿でもお馴染みの細く狭く暗い山道(舗装はされています)心細〜(°д°)テレビ塔横の駐車スペース(無料)に着いてもまだ、薄暗い。意を決して、車を出て主郭部へ向け出発するも、物音で車に引き返す。今の心境は、小鳥のさえずりも、そよ風になびく木々の音さえ「やめてくれ〜」って感じでした。結局、5時30分頃テレビ塔を出発。(○p>ω<)尸"

登り始めて直ぐに、休憩所がある郭に。テレビ等から10分程で主郭部下に到着。到着して直ぐに「ん〜ん」「凄い」主郭部を囲む石垣がなんともまた、自分の好きな戦国後期の石垣そのもの(((o(*゚▽゚*)o)))もう、夢中でシャッターを押し続け大満足。
結局、1時間程主郭部に居座り、テレビ等下側の郭も堪能しホテルに戻り何もなかったかのように、朝食を頂きました。

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トーダイ

土塀囲みの屋敷地が残されています (2019/07/18 訪問)

土豪神前(かむさき)氏の屋敷があった場所に、1543年ころ根来衆の支城として畠中城が築城される。江戸時代は庄屋を務めた要家の屋敷(本丸跡)となり、現在も広い土塀囲みの屋敷地が残されている。

屋敷地北スペース(20台)<34.437802,135.353172>に駐車、約100m四方の土塀囲みの屋敷地を一周する。現在も住んでいるので立派な門構えだが、古い門跡は補修中が多い。側溝の石積みが往時のモノか、興味深い。

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トーダイ

土塁跡は風化しています (2019/07/18 訪問)

元久年間1204年頃、佐藤忠信の子小治郎重治が地頭となり住みつき、淡輪氏を名乗る。戦国時代、淡輪徹斎の娘「おこよ」は豊臣秀次の妾となって小督(ここ)の局と呼ばれたが、文禄4年(1595)豊臣秀次の切腹に連座して淡輪氏も没落、三条河原で斬首される。また、徹斎の次男六郎兵衛重政は大阪夏の陣の前哨戦「樫井川の合戦」で討死する。(案内板ほか)

西林寺駐車場(10台)<34.331996,135.175861>を利用、約50m離れて案内板、後方に風化した土塁跡が確認できます。土塁の端に石碑と祠があるらしいが、資材置き場と畑地で入るのを躊躇い、確認していない。

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うさぎ屋

本丸御殿正面 (2019/05/04 訪問)

5月の連休中に訪れました。
人が多かったが、博物館はゆっくりみられました。
一通りまわって昼前に川越をでました。

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地道な整備が継続されてます (2019/07/14 訪問)

梅雨時の雨の合間に登頂。高湿度で、雲海ならぬ靄に霞んで風情あり。todo94さんの登頂から約5年。大河ドラマ 軍師官兵衛放映中に立てられた幟は見当たりませんでしたが、広い城域ながら、伐採、草刈りされて、よく整備されてました。主郭の赤色立体図の説明板は新しそうでした。地道に作業をされている地元の方に感謝。
麓の山崎町は、江戸期の平城、山崎城の城下町であったことを推してます。図書館に併設された郷土資料館を開けてもらい見学しました。

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カルビン

花崎城→油ヶ島城→騎西城の約6.5kmの行軍 (2014/05/23 訪問)

東武伊勢崎線を花崎駅で下車し、その遠征沿いに羽生方面へ550m程進んだところに花崎遺跡こと花崎城山公園があり、ここが花崎城となります。

期待はしていなかったものの、公園内をちょうど東武伊勢崎線沿線と平行して公園のほぼ端から端まで伸びた空堀と水堀があり、それだけでも意外と見所がありました。

公園内は木々が上空を覆っている為薄暗さが目立ちますが、直射日光を遮ってくれる為に夏場でも行けそうな気がすr・・・いや、かえって湿気が凄くて厳しいかも。。。
出来るだけ風の強い、風通しの良さそうな日を選んで訪問できれば良いのですが・・・難しいですねw
素直に晩秋から春先に訪れた方が良いかも。。。


ちなみにここから南西には油ヶ島遺跡があり、「城びと」には登録されておりませんが、現地解説にはお城だった事が書かれており、土塁・堀を見る事が出来ました。

更にそこから西北西に向かい、なんちゃって天守のある騎西城も見学しました。。。油ヶ島城から騎西城の間には騎西城の遺構を示す標柱がいくつか見られたので得した気分です(^ω^)b

・・・ただ、花崎城から油ヶ島城まで3km、そこから騎西城まで3kmと、移動だけで約6.5km歩いた事になります。。。そりゃ疲れる訳だw
なので騎西城からは丁度目の前を走るバスに乗って楽して加須駅に行きましたw

今思うと逆方面行のバスに乗れば種垂城も行けたんですね・・・周辺、本当にお城乱立地帯です。。。車なら短時間で10城くらい回れそうです(それだけお城や館跡が沢山ありますですハイ)

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ぴーかる

ほぼ山の中を往復しただけ (2019/05/25 訪問)

【北之庄城】
<駐車場他>八幡城跡と同じ
<交通手段>車

<感想>日帰り八幡山攻城の旅2城目。八幡山城跡見学後に北の丸跡の脇道のハイキングコースで北之庄城跡に行った。
 まず注意事項で北の丸跡にハイキングコースとして案内板があるが、完全に登山です。もし行くなら完全装備で。私は八幡山城跡の尾根つたいの比較的平坦を行けば行けると思っていたら大間違いで結構ロープつたいの崖の登り下りあります。時間も案内板27分嘘で50分程かかった。女性のみや一人のみは避けた方が無難です。
 八幡山城跡から行くとほぼ尾根つたいにどんどん行って、30分40分してもそれらしい遺構は見当たらず、もう諦めて引き返そうかとも思ったが、ちょっと頑張って行くと山の山上の曲輪っぽい所に着く。そこから崖を下るとちょっと広い所に出るが城跡感は無い。更に100m程進むと左手に竪掘りがある。(見た感じは竪掘りだが遺構に竪掘りが無いので横堀なのだろう)すぐ先にわかりにくいが堀切・土橋がある。そして少し登ってようやく城跡の看板がある。案内板を見て「今通ってきたところが城跡かいな!」「良く分からん」
という感想でした。七つ池あったっけ?戻るのに40分合計約90分山の中を往復しました。

<満足度>◆◇◇

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赤い城

説明板などはありません (2019/07/14 訪問)

八千代緑が丘駅から徒歩で40分くらい。
桑納川北岸の台地に位置します。
主郭部分は畑のようでその周辺に土塁や空堀と思われる遺構が残っています。
説明板や碑は立っていません。

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朝田 辰兵衛

平戸御館だけではショボいので… (2019/07/13 訪問)

周辺観光として,平戸オランダ商館もどうぞ。どしゃ降りでなければ,もっといいアングルも行けたんだけど…。

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入封400年フォーラム 「水野勝成物語~戦国最強の武将による福山のまちづくり~」

初代藩主水野勝成入封400年を記念して入封400年フォーラムを開催します。


日時:2019年(令和元年)8月31日(土)13:00~16:00(開場12:30~)

場所:神辺文化会館

料金:入場無料(事前申込み)

☆お申込みフォームはこちら→https://fukuyama400.jp/join/apply-20190831



司会:歴史好きガール 生田未歩さん

オープニング:刈谷城盛上げ隊

記念講演:歴史コメンテーター金谷俊一郎さん

パネルディスカッション

 コーディネーター:金谷俊一郎さん

 パネラー:刈谷市歴史博物館学芸員 長澤慎二さん

      大和郡山市主任技師   山川 均さん

      福山城博物館学芸員   皿海弘樹さん

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チェブ

七沢温泉。 (2019/07/13 訪問)

神奈川県厚木市の「七沢城」に行きました。
扇谷上杉 定正さんの兄弟、七沢 朝昌さんの居城です。
太田 道灌さんが定正さんに謀殺され「長亨の乱」が始まります。
山内上杉 顕定さんに攻められ落城。朝昌さんも討死してしまいました。
「七沢城」、温泉地でした。
「七沢城」の説明板もいろんな場所にあります。
1、2の写真は七沢リハビリテーション病院の入口近くです。
3、4の写真は広沢寺で定正さんと鶴姫のお墓があるそうです。
5、6、7の写真は広沢寺から登山口(?)に向かう途中です。
一応、グーグルで「七沢城」の示す方に行ったら「進入禁止」でした。
地元の方に聞いたら、熊も怖いのですが夏は「ヤマビル」が出るので装備をきちんとした方が良いそうです。
雨ごときで退散する私は、どこの山城も難攻不落です。

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街道おじさん

仙台城登城 (2019/04/16 訪問)

独眼竜政宗が築いた城。天守閣は築かれなかったが、石垣が立派な広大な城。
高台にあり、城から仙台市が一望できる。
また馬上の政宗像もかっこいい。

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天下太平

広いけど天守は小さめ弘前城 (2019/07/17 訪問)

弘前城は津軽統一を成し遂げた津軽為信によって作られた津軽藩政の中心地だ。
五つの城門を持、三つの櫓が現存し、どれも重要文化財になっている。
ここは春に桜。夏に新緑。秋に銀杏。冬に雪。と一年中ロードショーだ。
天守閣の近くには枝垂桜が植えられている。
弘前公園は約49.2haと大きいが、天守閣は3階建てと少し小さめ。
公園内にある武徳院では、衣装の着付けができる。隣ではおいしいおいしい喫茶店があり、おやつ・ご飯にちょうどいい。

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天下太平

松の前にある松前城 (2019/07/16 訪問)

松前城は地下1階地上3階の天守閣🏯を持つ城だ。
地下では福山城縄張図と松前奉行所図が展示されている。
1階では松前藩・松前神楽関係資料が展示されている。
2階では松本家・アイヌ民族関係資料が展示されている。
3階では福山城古写真パネル・展望室になっている。
本丸には松の木が植えてあり、まさに松の前だ。
ここはJR木古内駅から車で約80分でいける。

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天下太平

星の形だ五稜郭 (2019/07/15 訪問)

五稜郭は五稜郭タワーを含む大きな星形の城だ。
まず五稜郭タワーを見る。
展望1階ではくつろぎながら五稜郭を見れる所になっている。
展望2階では幕末の名場面を人形で表したメモリアルポールがある。「箱館総攻撃」では脱走軍が箱館奪回に向かう様子がある。
さらに五稜郭復元模型では、当時の1/250で建物を表している。
その他に五稜郭ガイドや触れる模型などがある。
次に箱館奉行所を見ていく。
箱館奉行所は幕末の箱館開港により設置された江戸幕府の役所であり、安政四年に五稜郭の建築が始まり、元治元年に完成した。
そのことから箱館山のふもとにあった役所を移し五稜郭の中にしたという。
その後大政奉還により明治新政府に受け継がれたが、戊辰戦争の箱館戦争の舞台となった。戦争後は開拓使により全部が解体された。
しかし、復元工事が進められ再現された。再現ゾーンと歴史発見ゾーンと映像シアターと建築復元ゾーンに分かれている。

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にのまる

堂々。 (2019/06/29 訪問)

1年半ぶりの松本城です。
天守はそれほど混んでいなかったので、展示をゆっくり見たり窓の外を眺めたりしながら1時間以上籠城できました。
ここの天守構造はしっかり頭に入っているので、自分が今、国宝5棟のどこにいるのかを確かめながらまわるのが楽しかったです♪

この日は曇天で下見板張りの部分もグレー。次回は黒漆塗り替え直後…ではなくて作業中に来てみたいなと思いました。

お土産の天守石垣サブレが好評でした♫

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うさぎ屋

佐倉城址公園 (2019/05/03 訪問)

佐倉の方へ用事があったので、訪れました。
もう少し時間を作って全体を見たいです。

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