みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

中川藤兵衛尉

河合寺城 (2019/12/01 訪問)

河合寺というお寺さんを楠木氏が城にしたもの。現在は長野公園の一角、展望台に至る中腹の休憩所

+ 続きを読む

カルビン

セット訪問推奨地 (2014/06/09 訪問)

JR高崎線の深谷駅はお城の宝庫。
城びとに掲載されている深谷城・庁鼻和城・皿沼城・人見氏館の他に城びと掲載外の秋元氏館・東方城・幡羅館等が徒歩圏内にある激戦区になっております。

その中の主役?となる深谷城は現在公園になっており、お城だった事を示す現存品はなりを潜め、お城ファンにとってはちょっと残念な状態になっております。
ま、駅近物件なので開発の手から逃れられなかったのは仕方がない事で、むしろ城址として残っている事が良かったとした方が宜しいかと。。。

ここはあえてお城を数訪問する事をメインで、且つ東京駅を模した深谷駅や深谷のゆるキャラ・ふっかちゃんを見に行くくらいの軽い気持ちで訪問された方が良いかもしれません。


ちなみに深谷城の遺構は公園内ではなく、その隣にある冨士浅間神社に外堀跡(すんごい浅くなってるw)があったので、これは見落とさない様にしておきましょう(汗)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

中川藤兵衛尉

烏帽子形城 (2019/12/01 訪問)

山容が烏帽子っぽいからという理由でこんな名前になった城。命名のネタっぷりとは裏腹に、ド迫力の横堀や執拗に巡らされた土塁などが現存して見応え満点

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

美濃守護土岐氏最後の居城 (2019/11/30 訪問)

 前々から気に為って居り山城サミット可児大会の城紹介コーナー大桑城の担当の方から情報を得て、中腹まで車で行け駐車場が有ると資料を頂き初登城しました。
 大桑地区に入る処で城下防御の四国掘りを探訪し、幟旗沿いに進行し大型バス駐車可より直ぐの古城山登山口(ここは健脚コース)、さらにはじかみ林道を紅葉を眺めながらゆっくり2.7km九十九折を進行し中腹の駐車場に小型車20台は可能。
 はじかみ林道登山口、登城口から案内書には約750m、時間20~30分と有り登城開始、私の足では休み休みで50分、降り30分でした。登りの階段、上部の方では急峻な崖道をロープの助けを借りて登る箇所が三ヶ所あり気が許せません。
 伝天守跡にはミニ模擬天守、遠くには金華山の岐阜城の影が小さく眺望できます、見晴らしは絶景です、厳しい山城ですが沢山の方が登城されて居ました。
 「土岐氏最後の居館、大桑城」「明智光秀ゆかりの地」二つの幟が通り沿い、あっちこっちに立てられて居ます、来年の大河の盛り上がりが感じられます。
 
 大桑城のパンフレットによると守護土岐氏は1535年、長良川の洪水をきっかけに、山県市大桑地区に守護所を移し大桑城や城下町を整備、その後斎藤道三に攻められ落城、土岐頼芸は追放され大桑城は守護土岐氏の最後の居館と成った。(1542年一時、1552年再び土岐氏滅亡)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「伝太田道灌屋敷跡」 (2019/12/01 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
伝太田道灌屋敷は名将・太田道灌の居館跡である 。明確な記述は残されていないため、正確な場所は不明である。横浜市立太田小学校や三春台第二公園付近と推定される。現在は、遺構が消滅している。

<アクセス>
京急本線 黄金町 下車徒歩15分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「名門・吉良氏の居城 蒔田御所」 (2019/12/01 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
小田原北条氏の三代当主・北条氏康の娘(高林院)が吉良氏朝に嫁ぎ、姻戚関係を結んだ。吉良氏は足利一族で武蔵世田谷に本拠地を置いていた。吉良政忠の時に蒔田を領有し、当時は地名によって蒔田御所と呼ばれた。勝国寺は吉良政忠の菩提寺とされ、その子成高の供養塔(横浜市地域史跡)が残されている。

<アクセス>
横浜市営地下鉄 蒔田駅 徒歩10分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「謎に包まれた中世の山城 寺尾城」 (2019/12/01 訪問)

<オススメ> ★★☆☆☆
住宅地の一角に寺尾城の碑がある。山城のようであったが、現在は殿山公園として整備され、土塁や空堀跡が残されている。寺尾城の全容は謎に包まれており、いまだに解明されていない。後北条氏の被官となった鶴見諏訪氏の居城と伝わる。1436年ごろに築城し、1569年、武田信玄が小田原城を攻撃したとき、城主が小田原城の守備に出向いていて留守の間に武田軍に攻められ、落城した。

<アクセス>
JR鶴見駅西口 徒歩20分

+ 続きを読む

はと

往復三時間の散歩 (2019/11/23 訪問)

博多から船で約2.5時間、対馬に行ってきました。
歴史に詳しくないということもあり、城というと戦国時代近辺のイメージが強かったのですが、金田城は西暦が三桁の時代に建てられた城ということで他のお城とはまた違うのだろうととてもワクワクしながら訪れました。

かなり山でしたが、道は軍道として使われていたものらしく歩きやすかったです。が、靴裏が滑りにくい靴を履いて行った方がいいと思いました…!(山頂に続く道で、何かはわかりませんが大きめの動物を見かけました。)

石塁が山に一周巡らされているので、登山の途中途中でこれは石塁かな?というものを見つけることができます。しかも石塁は石英斑岩だそうで、今まで見たことのあるお城の石垣は花崗岩のイメージが強く、そもそもの風化の度合いの差もあるのかもしれませんが、不思議な感じがしました。石がとにかくよかったです!!

山頂から見る海と対馬の地形はとても素晴らしく、自分は景色きれいーと呑気なことを考えながら見ましたが、昔の防人たちはここから敵のことや防御のことを考えていたのだろうと思うと歴史のロマンを感じました。

+ 続きを読む

江尻のJ

降りる駅を間違えないで (2019/11/26 訪問)

多賀城へ行くのにタクシーを利用しようと、地図で見た大きそうな駅(陸前山王駅)におりました。駅は無人駅でタクシーも止まっていませんでした。うっかり改札を通過した後にトイレに行きたくなりましたがトイレは改札の中にありタクシーが来るまで外でぽつんとしていました。駅のすぐ外には山王遺跡がありましたので見学していればよかったです。タクシーを利用して一時間ぐらいの見学でした。帰りは国府多賀城駅から乗車しました。陸前山王駅には観光案内所はありませんでした。国府多賀城駅駅には観光案内所がありました。タクシーの運転手さんはもう一つの多賀城駅のほうがタクシーも、観光案内所もあり便利だと言っていました。国府多賀城駅で乗車するとき、改札には昼休み中なのか人はいませんでした。

+ 続きを読む

丹羽長重

登城三回目でようやくスタンプ押せました。 (2019/12/01 訪問)

大阪城に行きました。僕は大阪城に2、3回来てますがまだスタンプを押せてなかったので行きました。
今回は大阪マラソンが行われていて、凄くたどり着くのに苦労しました💨観光が結構制限され櫓や石垣は見ず天守へ直行!!
京橋口から入り完全に裏口入学になりました。緩やかできつい坂を上がると、堂々たる豪華絢爛な天守が!いつもですが天守が見えるととても感動します✨
さて、天守の中へ。お城周辺をまわれなかったのでかわりに天守内の展示資料一通り読みました。このせいで天守から出たあと目まいがしましたww最上階は大阪市内が見渡せて風も心地よかったです。(ビルの高さにもビックリしました)
天守を見終えた後、新しくできたミライザというお店に行ってラーメンを食べました。ミライザの中には大阪のグッズやレストランがあるのでお城に来たら是非!
また、今日は豊国神社に初めて寄りました。そしたら秀吉公の像がありました。まだ見てなかったので僕も「こんなところにあったのか!!」ってなりました。今日大阪城に来て良かったと思う瞬間でした。

帰りは大阪城公園駅から帰ろうとして行きましたが、まだマラソンがやっていて全然通れませんでした。なのでお城を通り反対側の森ノ宮駅へ。大変タイムロスをしました。毎度大阪城の大きさには感激します。
感動したといえばマラソン40㎞以上はしるランナーにも感動しました🏃‍♂️

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

BUGTI

躑躅ヶ崎館の詰の城 (2019/11/30 訪問)

積翠寺からの道はハイキングコースともなっているので、春・秋の季節は登りやすい方だと思います。登城途中には土塁や竪堀が散見されるが、藪の陰でよくわからないことも多い。中腹の井戸(諏訪水)へは、皆さんの書き込みの通り不動曲輪から横につながる曲輪が藪化しているので、そこを越えると広い曲輪があり井戸もありました。主郭に着いて東の虎口を抜けた先に、いくつかの竪堀を見ることができました。その後尾根伝いに反対側の尾根に回って、熊城の深い堀切を堪能して日吉神社側へと下りました。

+ 続きを読む

ホリタカ

猫城主 (2019/12/01 訪問)

猫が城主なんですね

+ 続きを読む

ヒロケン

越中三大山城の一つ (2019/10/20 訪問)

増山城跡は、富山県西部の砺波平野東縁、標高120mの丘陵に立地し平野全域をほぼ眼下におさめる大規模な中世山城です。この地は交通の要衝にあり、砺波・射水・婦負の三郡の境にあり、戦国期から織豊期にかけて、多くの武将の攻防の舞台となりました。戦国期には越中守護畠山氏の守護代神保氏が勢力をのばしたが、一向一揆・越後長尾氏との狭間にあり、長尾景虎の相次ぐ侵攻を受け増山城は落城しました。その後、城主は入れ替わり前田利家の重臣中川光重が入り、慶長年間くらいまで存続したと考えられています。

増山城は、松倉城・守山城と並び越中三大山城の一つで、広大な城域を持ち、郭、櫓台、土塁、堀切、竪堀、井戸、堀等が良好に残り国の史跡に指定されています。
増山陣屋に車を駐車し、常備されている縄張り図入りのパンフレットを頂き、戦国の山城にGO~(^O^)/ 冠木門を抜け大手門跡へ、大手門跡のすぐ横の竪堀を見つつ通過、馬の背ゴと呼ばれる郭に良好に残る土塁。一の丸、二の丸、三の丸を順に攻略しつつ、二の丸横の横堀、南櫓台を攻略。亀山城方面に行きつつ、御所山屋敷・足軽屋敷・神保婦人入水井戸まで攻略し、時間切れにより引き返す。

今回二泊三日で越前・加賀・越中で攻略した城13城その中でも特に素晴らしく、文句なくお勧めの城です。


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

コンパクトに凝縮 (2019/10/27 訪問)

戦国後期に地元の土豪である小池家継が築いたと伝わりますが、元亀元(1570)年、美濃金山城の城主になった森長可に退去を強いられて小池氏は帰農、戦国末期の技巧的な縄張が見られることから、その後、森氏によって美濃金山城の支城として改修されたものと考えられています。

比高15mほどの台地に築かれた小さな詰城ながら、本丸は三方を土塁で囲われ、曲輪間は堀切と土橋で接続し、虎口は喰違いだったり枡形だったり、切岸も急峻で……と山城の要素がコンパクトに凝縮されていて、15分もあればひと巡りして堪能できると思います。よく整備され、遺構の状態もよく、気軽に何度でも訪れたくなるお城でした。

…ということで、この日は行き会う人はほとんどいませんでしたが、2週間後、山城サミット2日目にも立ち寄ってみると、今公民館の駐車場から人がいっぱいでびっくり。軽くひと巡りして帰る途中、今城址を整備する会のテントで芋煮をいただき、早朝から(今城を含めて)3城をめぐった後だったので、ことさら心身に染みました。ご馳走さまでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

山科中央公園 (2019/11/30 訪問)

 京都地下鉄東西線に乗り「東野」駅にて下車して山科中央公園の土塁を見て来ました。少年野球の練習をしていました。他にも遺構があるという情報でしたが時間の関係で行っていません。

+ 続きを読む

長坂口 (2019/11/30 訪問)

 長坂口の御土居へ行って来ました。船岡山から歩いたら15分くらいかかりました。

+ 続きを読む

健軍神社より (2019/11/30 訪問)

 北大路駅よりバスにて登城しました。
空堀が少し残っています。健軍神社境内にはもう少し遺構があるとの情報がありましたが、入ることができず確認していません。

+ 続きを読む

織田晃司

模擬天守で見落としがちですが… (2019/11/30 訪問)

うかん常山公園の石の風車と模擬天守。

模擬天守の裏に常山城跡があり、曲輪や土塁、竪堀、堀切が遺構として残ってます。

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「深見城」 (2019/11/30 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
深見城は山田伊賀守経光が築いたとされる。北から東は急な崖になっており境川からとの比高は15m前後あり、天然の要害となっている。また、西側は天竺坂の大規模な空堀、土塁などの遺構が残されている。

<アクセス>
小田急線鶴間駅 徒歩20分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「海老名氏の本拠地 海老名城」 (2019/11/30 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
海老名城は村上源氏の流れをくむ武蔵横山党の一派の海老名氏の本拠地であったとされる。特に、海老名季貞は保元の乱で活躍した名将として名高い。海老名氏の菩提寺である宝樹寺は廃寺となっており、現在跡地には霊堂及び五輪塔が安置されている。城址としての遺構は消滅している。


<アクセス>
小田急線厚木駅 徒歩15分

+ 続きを読む

ページ1458