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中川藤兵衛尉

深井城 (2019/07/22 訪問)

細川六郎高国と争った細川右馬助政賢の城ですが、臨時の陣城だった可能性もあるとか

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中川藤兵衛尉

東村砦 (2019/07/22 訪問)

深井城を本拠地とした細川右馬助政賢を攻めた細川六郎高国の砦の一つらしいです。今は公園と化した定の山古墳に築かれたとか何とか

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中川藤兵衛尉

西村砦 (2019/07/22 訪問)

深井城を本拠地とした細川右馬助政賢を攻めた細川六郎高国の砦の一つらしいです。今は亡き城ノ山古墳に築かれたとか何とか。場所は、陵南中学校の東隣くらいだろう、と

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うさぎ屋

上田城址 (2018/10/25 訪問)

長野に向かう途中に寄るため、
いつも見るところがお城ばかりです。

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BUGTI

謙信公再建のお寺が城址 (2019/07/21 訪問)

信濃川・阿賀野川河口の物流を掌握するための沼垂湊、新潟津、蒲原津の一つです。狭い範囲にいくつもの川城があるぐらいですから、この川がいかに重要だったかわかります。例のごとく遺構はなく、謙信公再建と伝わる金宝寺が城址だという。新潟城(白山神社)から川沿いを歩いて金宝寺に向かっていると、高速の船が川を通過していきました。信濃川ウォーターシャトルというそうです。次はあの船に乗って、川からの目線で城址を確認したい!

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BUGTI

三層の櫓があったとされる城 (2019/07/21 訪問)

どこにあったかがはっきりしないが、岡山大学の「池田家文書」には三層の櫓があったと書かれているそうです。かわりに現代の櫓ともいえる文化会館などの現代的な建物が建っていて、面影を探すことすら困難。しかし新発田の乱ではこの城を取ったり取られたりの戦いがあったんですね。

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ぴーかる

また勝負前に。またそれとは違う勝負の結果は? (2019/06/02 訪問)

【淀古城】
<駐車場他>納所交差点にコインPあり
<交通手段>車

<感想>城びと100城目。九州の未スタンプは入れてないので石碑のみの城跡もあるが100ちょっとも城に行っているのですね。まだまだモチベーションは高く、脳内は8割は城なので一生楽しめそうです。

さて淀古城ですが、また京都競馬場に行く前に、こないだ淀城に行ったので、今度は本家淀君の城に行ってみた。
 唐人雁木の石碑が淀城にもあったが納所という交差点ちかくにもあった。城の石碑は妙教寺内にあるようで、中には入らず山門前のみにて撮影した。
 競馬のほうの勝負はまた訪城のおかげか少しだけプラスに。

<満足度>◆◇◇

<追記>本日6/9に受験した検定の結果が届いてた。2級・準1級ともダブル合格してた。嬉しい。これでやっと初級レベルから脱皮でき、お詳しい方々の後ろ姿が見える程度までは追っついてきたかと思います。当サイトのみなさまの投稿や諸先生方の連載記事のおかげで大変勉強になりました。一級めざします。

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BUGTI

新発田の乱の拠点城 (2019/07/21 訪問)

遺構も残ってませんが、城郭風の建物があるだけでも、良しとしましょう。新幹線がすぐそばを通っており、注意していれば車窓からも見ることができます。

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BUGTI

信濃川河口の川の城 (2019/07/06 訪問)

中世から江戸期まで場所を変えながら存続したようですが、正確な場所もはっきりしないそうです。北三条駅前(高架下)の立派な案内板によると、江戸期陣屋の本丸は信用金庫あたりだったようです。近くの本成寺の黒門が唯一の遺構で、おそらく陣屋の門と思われます。

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カズサン

宇喜多秀家誕生の城 (2018/06/25 訪問)

 昨年7月高越山城の探訪を終えて山陽道笠岡IC~山陽IC経由して城郭放浪記さんの案内と余湖図コレクションさんの縄張り図を手元に探訪しました。
 駐車場は有りません、浮田小学校東、農道導入路近くの三角コーナーにギリギリ1台駐車して登城しました、弁財天社鳥居をくぐり2重階段を上り本丸へ、本丸には宇喜多直家飛躍の城、宇喜多秀家誕生の城、沼城の石碑が一体基壇に立ってます、直家はここより岡山城へ10数年後移り大飛躍、本丸周辺を見て東二の丸は樹木竹林に覆われ遠望のみ、周辺は現在田圃ですが往時は沼、沼じる田で攻めるには大変な城と分かります。
 沼城の説明板に沼城の大櫓が岡山城に移設され大納戸櫓に成ったと記されてましたが幕末の古写真大納戸櫓を見ますとここ沼城にこんな大きな建物があったのかと考えこみます。 時期的に木影、樹木下あたりはやぶ蚊攻勢有り。

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くろもり

名前通りの砦 (2019/06/23 訪問)

鷲津砦を出て、長寿寺さんに参拝してから訪れました。鷲津砦から直接訪れても1km弱で徒歩10分程だと思います。駐車場はありませんが、砦の北側の入口の坂の先に駐車スペースが数台分ありました。ただ民家に面しているので、迷惑にならないように止めると実質1、2台分程と思います。

名前の通り、丸い形の丘を砦としており、丸い形に沿って土塁のような遺構も見られました。比高は鷲津砦より低そうですが、坂が急なので攻めるのはなかなか大変だったと思われます。東側の眺望は開けているのですが、鷲津砦や大高城側の眺めは木で見えませんでした。

桶狭間の合戦の前哨戦では、松平元康(後の徳川家康)公が丸根砦を落とし、砦を守っていた織田方の佐久間盛重公ら将兵は討死にしました。現在では、地元の方が『丸根砦戦殉難烈士の碑』を建ててくださり、供養してくれているようです。

砦の近くまで家が建っているので、砦の遠景の写真を撮るのが難しかったです。じゅんじんさんの写真のアングルを撮りたかったのですが、現地では分かりませんでした。戻って確認してみると、砦の東に15台分くらいある駐車場からだとじゅんじんさんの遠景の写真が撮れそうです。

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カルビン

神社仏閣巡りのついでに再訪 (2019/07/07 訪問)

今年の七夕も(ここ数年この時期悪天候続いている気が)曇天でラブストーリーは発展しなさそうでしたなww

と言う事で7月に入っても梅雨の影響でお城巡りには適さない週末が続いた為、7/7の行軍は東京近郊の神社仏閣巡りに切り替えてまして。
この日最初に埼玉県蕨駅が最寄りの和楽備神社へ向かう事に。


そういえば以前行った蕨城ってどこにあるんだっけ?
ついでに立ち寄ってみようかな?と探したら・・・和楽備神社の真横やんwww(←こういうのよくあるw)


蕨駅から10分強で神社に到着し、参拝後にすぐとなりにある蕨城へ・・・同じ敷地で、池を隔てただけだったんですね(汗)

遺構は城址公園の入口にあるL字の土塁くらい(池は水堀と言われてますが、現代の手が加わり過ぎてただの池にしか見えずw)
ま、解説・城碑があるだけまだ良い方ですね。。。駅近物件は公共交通機関での訪問メインの自分には親切設定ですしw


結局1度目も2度目も遺構がそんなにない蕨城と言う事で滞在時間短めで(和楽備神社は20分くらい滞在しましたが、蕨城は5分程w)次の目的地へ向かいました。


「城びと」に登録されている近場のお城は大体1回は触ってしまったので、近郊で未訪問且つお城を示すものが残る場所を沢山登録して欲しいな~と最近願っております(そもそも存在しないかもですがw)
古戦場とかも登録されないですかね~?

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カズサン

早雲誕生の城 (2018/06/25 訪問)

 昨年7月伊予、備中、備前エリアが大雨被害を受けお見舞いと早くの復興を祈っております。
 水害の1週間前に四国西部、讃岐、備中、備前を回りました、城廻、城探訪が出来るのも地元の方々の城の保存会のお陰かと思っております、少しでもお応援の意味で探訪の報告をさせて戴きます。

 高越山城は北条早雲誕生の城と産経新聞静岡県版の日曜日に静岡古城研究会水野会長の寄稿で「古城をゆく 北条5代の史跡」が昨年連載され行って見たいと思ってた居り一昨年廻り切れなかった四国西部、讃岐を終えて瀬戸大橋、笠岡IC経由で初登城しました。
 山道を井原方面国道436号線を西に城郭放浪記さんの道案内情報に従って登城、井原から細い坂の山道を心配しながら登り案内標識に従い高越城跡公園駐車場(大容量)へ到着、道は舗装されてます。
 あちこちに北条早雲誕生の城と赤い幟が立ってます、駐車場より舗装された道を標識従い南に下ると冠木門風な城門を通り登城路を登って行く、駐車場から約10~15分で本曲輪下まで着きます(現地案内板ではⅣの曲輪)、登城路は草刈りしたてで登りやすく、本曲輪の整備されてます、井原方面の展望良好、Ⅱ曲輪、Ⅲの曲輪は坂下草も有り断念。
 帰り駐車場で高越城保存会の副会長さんと会い会話させて戴きました、一人で草刈りをされ終わり片付けされてる処でした、保存会のお陰で本日も気持ちよく登城、探訪出来たとお礼申し上げました、感謝感謝です。
 下って井原線荘原駅北口駅前の早雲の里交流センターで資料をゲット、その前に早雲像が有ります。

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チェブ

おりゃ~! (2019/07/21 訪問)

埼玉県深谷市の「畠山館」に行きました。
まさしく、畠山 重忠さんの居城です。
「畠山 重忠公史跡公園」になってます。
続100名城の「菅谷館」にも畠山 重忠さんの銅像がありますが、こちらよりも、おとなしい感じです(笑)
勇ましい銅像のある「畠山館」の後に「菅谷館」にお引っ越ししました。
一ノ谷の戦いで源 範頼さんに従っていた畠山 重忠さん。
あの、獣以外は通った事のない崖を下る「鵯越の逆落とし」で愛馬をいたわり、おんぶして降りたんだとか。
もう、違う意味で勝ってます。

畠山 重忠さんの銅像も立派ですが井戸跡や低くなってしまった土塁もあります。
お墓もあったので手を合わせて、これでもかと言う位、褒め称えました。

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街道おじさん

多賀城登城 (2019/04/18 訪問)

多賀城のような古代の城に登城するのは初めての経験。
城と言えば中世や近世に築かれたものを思い浮かべるが、こうした古代の城も
歴史ロマンが感じられる。
100名城スタンプ設置場所を見つけるのに苦労した。

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ぴーかる

甲子園帰りに (2019/05/19 訪問)

【西宮砲台】
<駐車場他>御前浜公園駐車場有料
<交通手段>車

<感想>写真の整理をすっかり忘れ、また時系列に投稿することができなかった、城びと99城目。
 
 甲子園球場にて広島×阪神戦を観戦後見に行く予定に入れ行った。野球のほうはもち阪神ファンだが、日本各地にある幕末の砲台のように大砲一発も出ず惨敗・・・8回裏で切上げて混雑を避けて来た。
 駐車場は臨港線の前浜町交差点を行けるとこまで南下し、防波堤内に入って左手にあります。訪れた時は運悪く浜がバーベキュー場になっていて、沢山の人がBBQをしており、ゆっくり砲台を鑑賞できなかった。
 現存砲台の存在感はすごいものがあった。一見するとRC造りにも見える綺麗な円柱形ですが、石造りの白漆喰塗りなのですね。しかし立地が・・・当時は浜がどんな感じかわからないが、こんな遠浅の浜の近くまで大砲が届く距離に船が停泊するとは思えないのですし、また砲台が完成して試し打ちをしたところ、煙が内部に充満して人が居れる状態ではなかったそうな。なんとも残念。

<満足度>◆◆◇
 

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うさぎ屋

望月城と寺院(城光院・信永院) (2018/10/25 訪問)

バスで訪れたため最初に望月氏の寺院をまわりました。
(信永院は武田典厩の息子・望月信永の寺)
うさぎの道は10分とあるので、近道を使おうとしましたが、
傾斜が険しく登れませんでした。大きくまわることになりました。
町内に歴史民俗資料館があります。

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カルビン

階段から先は未知のエリア (2019/03/24 訪問)

今年3月、未開拓だった関東鉄道龍ヶ崎線沿線の史跡を見学に行きました。

向かった龍ヶ崎城(陣屋)は高校の中に遺構があるのは解っておりましたが、外から解る範囲で確認するつもりでした。


が、いざ現地に着くと、高校入口に「龍ヶ峯の歩み」なる石碑があり、そこにお城に関する事が書かれていたのですが・・・この階段、既に関係者以外が登るには非常に困難で(お城見学者が入って良い・・・的なものは何も無かったので)、流石に通報される危険もあってこれ以上進むのは控えました(危)

神奈川県にある玉繩城(女子高内)のように事前に許可を得れば案内の方付きで入れたり(流石に中は未訪問)、相模台古戦場の石碑(女子大内)の様に入口の警備員の方にお願いしてみさせて頂く(勇気入りました(汗))等、同じ学校内でもまだ見学する余地がある場所はまだ良い方なんですね。。。

流石に龍ヶ崎城の遺構は見に行く事は叶いませんでしたorz
(一応入口の碑石と、すぐ近くにあった龍ヶ崎陣屋跡(こちらも小学校内ではありますが、中に遺構は残って無く、解説が表にあった)を見ているので、龍ヶ崎城行った事にさせて頂きます)


ちなみに龍ヶ崎城へ向かう途中にある般若院には立派な枝垂れ桜があるので、春の訪問で一緒に立ち寄られるのがオススメです。

また、最寄り駅となる龍ヶ崎駅まで走る関東鉄道龍ヶ崎線、電車内がツッコミ所満載でした(笑)

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街道おじさん

会津若松城登城 (2019/04/17 訪問)

白虎隊の悲しい歴史と共に多くの日本人が知る城である。
五重五階の層塔型の天守が美しい。築城当初は黒川城と呼ばれたそうである。

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トーダイ

約2時間の登山です (2017/11/17 訪問)

勝山頂上周辺は絶壁で要害の地、付近に山城の遺構である郭や櫓跡がある。
大永元年(1521)から大内家の重臣、内藤興盛が九州に対する備えとして在城した。
弘治3年(1557)3月、毛利元就に追われた大内義長が山口を棄て、内藤隆世と
ともに籠城した。毛利軍は攻略に手間どったため、矢文を放ち降伏を促した。
投降の勧告を受けた隆世は、主君義長の助命を請うため、一身に責を負い自刃した。
義長は、直ちに下城し長府の長福寺(功山寺)に入ったが、毛利軍に攻められ自刃した。
大内氏最期の山城、落城後、毛利元就が入江箸親を城番として置いた。(案内板@頂上近く)

勝山地区公園駐車場(20台)を利用、見事な石垣が残る勝山御殿跡を30分ほど散策する。

その後、勝山頂上へ登ると決めるが、2年前(今も?)はサイト情報が少なく、登城入口
(道路奥)の「勝山三山(青山、勝山、四王司山)登山マップ」と地形アプリだけで出発する。

約600m進むと勝山登山口(分岐点)<34.029288,130.974812>に着くが、登山マップ上の
「近道」が記されておらず、正しいか分からない。地形アプリを見ると正解と確認できるが、
頂上まで折線(登山道)が続いてない!

登山マップを信じ、地形アプリで確認しながら進むと、最初はハイキングコースで楽勝だったが、
坂道に変わり、岩場をロープを伝って渡り、石垣跡を楽しみ、急斜面をロープを手に登り、
約30分で頂上(主郭)に辿り着く。要所の道標で迷わないが、少しキツイ登山道です。

頂上周辺の土塁・曲輪群など確認後、時々ロープを手に下り、出城跡・ひとやすみ展望台を
経由して駐車場へ戻るが、約2時間の登山です。

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