みんなの投稿

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とってぃ

神社です。 (2020/02/16 訪問)

大蔵神社になってます。

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とってぃ

企画展最終日に行って来ました。 (2020/02/16 訪問)

最終日だったので、菅谷館跡もさらっとまわってきました。

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赤い城

トンネルの上に・・・ (2020/02/11 訪問)

親栖寺台公園に沿った道路沿いに路駐するしかなさそう。
公園にはイノシン避けのフェンスがあり、説明板が立っているすぐ近くから扉を開けて入ることができます。
すぐに空堀と桝形状の遺構があります。
主郭は広く、南側には土塁も。
北側には少し高くなっている郭、他にも腰曲輪がいくつか確認できます。
八王子城、浄福寺城と山城2本の後だったのでクールダウンな感じで散策できました。

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TESTU89

日枝大神社が、土塁の上に載っています (2020/02/16 訪問)

栗田城内郭の巨大な土塁の角っこに、水内総社日枝大神社が載っていました。子供達が遊んでいる園地が内郭の一画で、巨大な土塁が囲んでいたかのように、残っています。

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織田晃司

丘の上の城 (2020/02/15 訪問)

卵形の小さな山にある城。
土塁と虎口が残る。
遠望で見ると城の規模、高さが良くわかる。

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織田晃司

知波夜比古神社 (2020/02/15 訪問)

高杉城跡にある知波夜比古神社。
神社のおかげで城跡が残っていると言っても過言ではない。

土塁と堀が残る。

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まーやん

大失態です (2020/02/15 訪問)

築土八幡神社に隣接している御殿山城跡を、その周囲の坂をあれでもないこれでもないと歩き回って見つけたのは道標たった一つ。その他は何もありません。
はい、都会で汗だくで歩いている変な田舎者です(T^T)
私は携帯や地図を頼りに近場のものを探すのが苦手なようです(T^T)

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まーやん

厄年なのでよろしいが… (2020/02/15 訪問)

築土八幡神社にお参りに来た、と言っても過言ではありません。普通に神社です。
正面から反対側へ降りていくと神社が小高い場所にあり、城跡なのかなぁと想いを馳せておりました。
しかし、上ばかり見ながら歩いていたことから迷子になり御殿坂が分からなくなるという失態に繋がってしまいました。情けなや(; ̄ー ̄A

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まーやん

遺構はありません (2020/02/15 訪問)

皆様の投稿のとおり遺構はありませんが、若干高台になっていることから、一帯が牛込氏の居城だったのだろうと、想いを馳せました。
お寺の方にお願いし、個人的な使用にのみ写真を許可しますとのことでした。
過去に何かあったのかも知れません。許可はいただきましたが、個人のお墓もあり写真は少しにしておきました。

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TESTU89

住宅街の中 (2020/02/16 訪問)

地図で示す横田城跡は、どうも内郭堀際の土塁の残骸らしい。
周囲は、住宅街でとくに城跡の残骸らしきものはなし
。解説板によれば、内郭は約55m四方の四角い環濠を形成していたらしい。地図を見れば確かに四角形の区域が浮かび上がるので、多分これが内郭だろうと勝手に判断した。

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ぴーかる

金ヶ崎城 (2020/01/18 訪問)

【金ヶ崎城】
<駐車場他>金ヶ崎宮駐車場30台程無料
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>黒井城御城印購入→福知山城御城印購入→田辺城御城印販売開始前にて買えず→初登城の金ヶ崎城にやってきた。
南北朝時代・室町時代・戦国時代と3回戦いの場になった城だが、大規模な曲輪群はなく、山頂の月見櫓(本丸)跡と手筒山城方向へ向かうハイキングコース東方向に3箇所ある木戸跡と所々にある堀切が見所となっている。
 まず金ヶ崎宮にて御城印を購入、参拝して宮本殿跡地、尊良親王自刃の地等をみて月見櫓跡へ。周辺は堀切・竪掘り等の遺構はない。東方向の尾根を下って行って、米蔵跡の曲輪、1~3ある木戸跡と堀切を見て三の木戸から道を下っていくと、また宮に戻ってくるのでそこで終了とした。手筒山城へはここから1㌖以上山道を歩くので(そんなに起伏はなさそうでしたが)今回は行かなかった。

<満足度>◆◆◇

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イシテル

空堀、堀切、竪堀、畝堀など大規模な特徴が見られる山城 (2020/02/15 訪問)

竹中半兵衛の居城であった菩提山城は、半兵衛の父の重元が岩手を攻め奪取し、ここに砦を築き、その後、山城として造られた。
城の中核を構成する曲輪群は規模も大きく、山城特有の空堀、堀切、竪堀、畝堀、馬出などに守られた各曲輪(本曲輪、二の曲輪、三の曲輪、西の曲輪、台所曲輪、出曲輪)は曲輪固有の機能が連結され、要塞としての構成が伺えます。各曲輪には帯曲輪が設けられており、攻撃に対し堅固な作りとなっています。
駅前の垂井観光案内所でレンタサイクル(電動アシスト:1000円/日)を借り、自転車で相川沿いを走り、竹中氏陣屋跡(岩出小学校正門)に到着。その後、禅幢寺(竹中半兵衛の墓)をお参りして、八幡神社横の登城口から1950mの行程(標高402m、比高約300m)を登り、頂上の曲輪群へ辿り着きました。

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城歩き始めます

赤穂城、大石神社を歩く (2020/01/05 訪問)

お休みを利用して兵庫県を旅行し、赤穂浪士で有名な赤穂城を訪ねました。

自分で車を運転して高速道路を休み休み走り、4時間位かかりやっと到着しましたが、少々疲れました。

赤穂城に着くと隣に大石内蔵助を祀った大石神社がありました。
参道の両脇には赤穂浪士の等身大の像がずらーっと並べられており、
いかにも「赤穂に来たんだあ」と気持ちが高ぶります。

赤穂城で今に残るのは石垣だけですが、地元ではこの城の復元に
大変力を入れていまして、庭園や櫓、本丸門などがキレイになって今によみがえっています。
こうして見ると赤穂城は大変立派なお城だったんだなとつくずく思いました。

今では周辺は埋め立て地ですが、当時は城のすぐ近くまで海が迫っていたそうです。
なるほどそれで製塩が盛んで「赤穂の塩」が有名なんですね。

しかしこんな立派なお城で、あんな事件があったとは・・・・絶句

江戸城松の廊下にて、赤穂藩主、浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかる
刃傷沙汰を起こし、浅野内匠頭はその日のうちに切腹、赤穂藩の浅野家は
お家断絶と相成りました。

お家断絶となったら藩主一家はもちろん、家臣も全員国を追われて路頭に迷うわけで、
これはとんでも無いことで、家臣の方々は本当に辛かったでしょうねえ。
この苦しみを乗り越えてあの「忠臣蔵」の物語が生まれるわけですね。

こうして赤穂城に来たからと言って、大石内蔵助がいるわけでもなく、どうってことはないのですが
彼らが当時を過ごしたこの地に立つと、なにか伝わって来るというか、溶け込むというか、・・・
このもやもやとした気持ち分かってもらえるでしょうか?

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橋吉

勝連城 (2020/02/02 訪問)

勝連城は、14世紀初頭に勝連按司によって築城されたと考えられています。
この城の最後の城主(10代目勝連按司)阿麻和利は、圧政を敷き酒に溺れていた9代目勝連按司の茂知附按司に対してクーデターを起こし殺害、この地方の按司として成り代わり海外貿易などを推し進めますます力を付けました。
さらに、阿麻和利は護佐丸・阿麻和利の乱で護佐丸を討ち取ったのち、尚泰久王をも倒そうと琉球の統一を目論んだが、1458年に王府によって滅ぼされ勝連城も廃城となりました。

無料駐車場が用意されています。
隣接する無料休憩所で続日本100名城スタンプを押すことができます。

4つの曲輪が連接する石灰岩の城跡で、最上位にある一の曲輪からは海中道路も見渡すことができました。

沖縄の城らしく拝所とカー(泉)があちらこちらに見られます。

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ほむほむ

絶景とスリルを味わえます。 (2019/08/12 訪問)

標高825メートルの霊山山頂及び山腹に築かれ、山全体が国の史跡及び名勝に指定されています。
元々1334年(建武元年に)多賀城の出城といて築かれ、1337年(延元2年/建武4年)北畠顕家が後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じて陸奥国府が置かれ南朝方の拠点となったと言われています。
慈覚大師開基と伝える霊山寺を城郭化した城郭寺院でもあり、天台宗の拠点の一つで、最盛期は3600の坊があったと言われています。
しかし、1347年(貞和3年/正平2年)に、霊山城は北朝方の奥州管領吉良貞家の攻撃を受けて落城し、廃城となりました。

その北畠顕家が拠点にした山城ということもあり、霊山登山者用駐車場(37.760790,140.691118)【普通車80台、大型3台】に車を停めて行きました。
大型車駐車場にトイレもありますが自販機はありません。事前に飲み物は買っておいて下さい。
案内板に杖常備されています。
道中の各ヶ所に絶景ポイント多数あり、絶景&スリルを味わいたければ巨岩の間をくぐって行く護摩壇経由がオススメです。
主郭には説明板と義良親王と書かれた石碑があります。
駐車場からの比高差は308m往復4.86km(実測値)なので参考に。

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ヒロケン

大満足⁉ (2020/01/31 訪問)

鹿背山城は松永弾正久秀が多門山城の北の守りとして大規模に拡張改修した山城です。城域も東西約400m、南北300mあり南山城地方最大の山城で曲輪・土塁・竪堀・土橋・井戸等の機構が良好に残り中でも大規模な竪堀群や堀切はこの城の最大の見所です。

アクセスはJR木津駅の北を通る府道47号線を北西へ約1Km程進み、鹿背山バス停付近の信号を右折します。道なりに600m程進むと西念寺があり、西念寺の山門の脇を10分程で本丸に到着します。
自分は車で行きましたが、駐車場はありません。西念寺手前の分校の校庭に駐車させて頂きました(駐禁の看板に駐車後気づきましたが、お散歩中の方にお尋ねしたところ、「良いじゃないか?」との返答だったので遠慮なく駐車させたいただきました)

事前調査でこの城の見所、竪堀と井戸跡、これを見に登城。西念寺から登り始め直ぐに調査画像で見た竪堀が⁉確かにカッコイイ⁉すぐに竪堀があったので少々拍子抜けしたが、気を取り直し2郭・3郭の曲輪群へ。「ふーん。こんなものか」との印象、井戸跡見て主郭に行って帰ろうと思い、主郭の虎口へ。「水の手右」との表示で右へ。すぐに大きな竪堀が⁉「すげー」ここからが、興奮しっぱなし\(^_^)/ 水の手・主郭・主郭西の大規模な畝状空堀群が続く。マジ興奮⁉ しかも、木津の文化財と緑を守る会の方々がよく整備されており、(この日も竹の伐採されていました)機構が分かりやすい⁉皆さんに詳しくお伝えしたいのですが、御自分の目で確認された方が良いと思います。少々、ハードルを上げてしまいましたが、山城好きな方は絶対にお勧めです。

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Now

唐沢山城>にゃにゃにゃんてこったい (2019/10/10 訪問)

今年の夏も暑かったー。
夏は暑いし草はボーボー、城巡りでいい事何一つ無い!
ホント昔の人はアクエリアスもポカリスエットも無いのにこんな山城を行ったり来たり…凄すぎるっしょ!w

まーまーそんな夏も過ぎ去ったので、バイクに跨がり訪れたのは、カッコイイネーミングの唐沢山城址。
なぜカッコいいかって?それは寿明(としあき)に聞いて!w
信長の野望をやっていて いつかは行きたいなー と思っていたのは10年前、やっと今日登城です!
ぶっちゃけビシっと整備されたお城より、捨ておかれ山に還ったような城の方が大好きなんですがね、こんな整備されたお城を好きになっちゃうなんてね…w
にゃんでかって?
にゃんで言わなきゃいけにゃいの?
そんにゃに聞きたいの?
しょうがにゃいにゃー(=^x^=)
このお城にはね…
ネコさんがいっぱいいるのですーーーーーーっ!!!
(↓↓↓写真撮りまくり↓↓↓)

…ま、まぁあれだ。
人は取り乱すときもあるのですよ…w

さて、気を取り直してw
虎口はクランクになっており、そこに連なって天狗岩と言われるビューポイントが、そこを抜けると升形、武者詰と呼ばれる広いスペースが現れる。
さらに抜けると 大炊の井 と呼ばれる丸池があり、水を汲めるようになっている。
新田金山城もそうだったが、丸く池を作るのは意味があるのでしょうか?
ここを抜けるとダイナミックな堀切が現れ、おおぉ!と思うのは私だけじゃ無いはず!堀好きの自分としてはなかなか!と感じた”記憶“がある。
確信を持って すごい! と言えないのはこの堀切には石橋がかかっており、その上でくつろいでいるネコさんを むほほっ(o^^o) っと眺めており、写真に残していないためであります…こんなところに伏兵が…w
さらに城の大手道といわれるところをひたすらに登っていく。南城といわれるところに到着、ここの堀切も素晴らしい!今きた道を反対側に進むと二の丸へ。
そこから本丸の方を見ると左右にデカい岩が!
鏡石といわれるものらしく敵兵に圧力をかける為に置かれたらしい。
ふ、そんな事をしなくてもこれだけのネコさんがいれば臆することはなかろうて…
あ、石垣好きの方は二の丸への道中にある本丸の石垣が見物だと思いま~す。

本丸に行った後、二の丸から北東に長門丸、平城、杉曲輪、平とや丸と並ぶ曲輪の方へ向かいそのまま折り返して帰って来ました。

登城前は キレイなお城は~ と思っていましたが、意外に堀や石垣がしっかりあり、当時を感じることのできる素晴らしいお城でした!

さーて…どのネコを連れて帰ろっかなぁ〜(o^^o)
にゃんつってーw




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和田神社より (2020/02/15 訪問)

 主郭と横堀を隔てて馬出曲輪からなる城郭ですが、少し小さすぎるような気がします。あまり整備されていないため草木でわかりにくいのですが、櫓台、土塁、空堀などが確認できます。北面に竪堀があるとの情報でしたが、自然の地形のようにも見えてよくわかりませんでした。
和田神社から登って行くと、5分くらいで右手に青いリボンがあり入って行くと城跡があります。青いリボンより先にピンクリボンがあり、こちらからでも城跡に入れます。

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石垣を見るために (2020/02/15 訪問)

 観音寺城のある繖山(きぬがさやま)先端部分に築かれたほぼ単郭の城です。ほぼ単郭の山城が石垣で防御されているのは、あまり見た記憶がないので興味がありました。
能登川駅より歩いて登城しました。城跡の南東にある墓地の横からの登城路を利用しましたが、よく整備されていました。10~15分くらいで城跡へ行くことができます。

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かとりのうみ

掛川城二ノ丸御殿 (2020/01/20 訪問)

掛川城は御殿建築物が現存している点が大きな魅力と思う。

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