城址は城郭大系によればかつては田であったそうですが
今では開拓が進みアパートが背後に迫っています。
祠と案内板を白いフェンスで囲ってあるのが、なんとも
不思議なかんじですが、
城主小倉美濃守重信は源氏の家系で、阿波守雄倉王の子孫
美濃守勝政を祖とし、一族に水野・西延寺・三浦・寺尾の四氏
がいたと伝わります。
天文22(1553)3月、国府町の鑓場合戦で主君、細川持隆を殺した
逆臣、三好義賢を討つため、芝原城主 久米安芸守義広を盟主として
仁木日向守高将、佐野丹後守平明、野田内蔵助ら800騎で義賢の3000余騎
と戦い枕を並べて討ち死にしたということです。
田宮川を天然の堀としているので城域は案外広いと想像しますが
一方通行が多く全部が見切れていません。
城域の北端に立てば雰囲気はつかみやすいと思います。
誰か‥
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