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いんげん丸虫

西山城 山梨県山梨市 (2019/12/08 訪問)

野背坂の峠を挟み野背坂西城の東側の向山という山一帯が西山城。"山梨市遺構分布図"にのってるらしいです。3m幅位の日当たりの良い尾根がくねくねと続きますが堀切、土塁など明確な遺構は一切ありません。城跡なのか不明??

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こげら

戦国最強の城、高取城制覇! (2019/12/13 訪問)

3代山城のうち最後に残った戦国最強の城、高取城を制覇しました。
まずは壷阪寺にお参りし、寺から壺阪口門まで徒歩で35分、そこからいよいよ高取城攻めに。するといきなりの石垣群、大手門跡、ニの丸跡を経て本丸跡まで20分、次から次に出てくる石垣群に圧倒されます。
帰りは、本丸跡から千早門跡、宇陀門跡、松の門跡、矢場門跡と下り、途中国見櫓跡に寄って大和平野から大阪方面までの絶景に感激!
最後は、ニノ門跡、水堀、猿石を見て土佐街道を駅まで、本丸跡から1時間30分、途中本丸跡での休憩もいれ正味3時間の歩きでしたが、実に内容の濃い城攻めとなりました。

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ぱんだ ぱんぞう

吉田城と紅葉 (2019/12/13 訪問)

御城印を頂きに登城しました。

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YAICHI

ただ仏の国の如し (2019/12/12 訪問)

山科本願寺は本願寺法主蓮如が建立した室町時代の城郭寺院です。堀と土塁で囲まれた寺内町を形成していて、二水記には「寺中は広大無辺、荘厳ただ仏の国の如し」と書かれており、当初から本願寺ノ城と呼ばれていました。後に六角氏と法華宗徒によって焼き討ちに合い石山に移転します。現在、土塁や周辺の石碑、説明板にてその大きさがわかります。

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街道おじさん

滝山城登城 (2019/12/10 訪問)

永禄12年武田信玄が2万の軍勢で攻めたが、北条氏照が2千の兵で
持ちこたえた堅城。

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todo94

2度目の続日本100名城スタンプラリー・3城目 (2019/11/24 訪問)

23日は松江、米子はどこのホテルも満室だったので大根島に泊をとりました。朝駆けで米子城へ。野球場の脇に発掘調査をしている感じの石垣や礎石が見られましたが、米子城の遺構だったのでしょうか。情報を入手する事ができなかったので、城とは関係なかったのかもしれません。登り石垣のあたりは、樹木伐採などの整備が進み、とても見やすくなっていました。本丸の四阿にて無事、スタンプをゲットしました。高精細で素晴らしいデザインが多い続百名城のスタンプですが、米子城のスタンプは100名城のスタンプテイストでちょっと残念な感じです。

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小城小次郎

笑路城

明智光秀に臣従し、明智光秀に殉じて山崎に散った長沢(中澤)氏のお城か。石垣と枡形を持つが決して織豊系のそれではなく、むしろ地方の小領主が精一杯頑張ってこしらえた・・という感じのお城なのだろう。

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天下布武

岡崎市指定史跡 日近奥平氏本拠/日近合戦の地 (2019/12/01 訪問)

国道473号と県道35号岡崎設楽線が交差し二本の川に挟まれた山上に築かれた比高70m程の山城です。
広い駐車場(34.986445,137.320094)が無料で利用できます。
奥平氏三代目貞昌が中興し、現在奥平家墓所のある広祥院裏手の山が城址となり遊歩道が整備され本堂左奥から登城できます。
本堂を通らず駐車場の北(武家屋敷跡、おふうの墓)側からも登城は可能です。
城址は三の曲輪、二の曲輪、土塁が半周する本曲輪が順列に配置され、本曲輪下には帯曲輪が巻き虎口も見られます。
本曲輪背後はしっかりとした堀切で尾根を遮断し大土塁が築かれています。
規模は小さいものの後に改修もされた軍事要素の香る中世山城です。

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街道おじさん

八王子城登城 (2019/12/10 訪問)

北条氏康の三男、氏照が築いた山城。
本丸まで行きたかったがガイドさんなしでは行けないそうなので断念。
しかし御主殿跡と御主殿の滝を見ることが出来、北条氏の城の魅力を
味わうことが出来た。

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うっちー幸村

雰囲気良いね松代城💮🎊 (2018/08/25 訪問)

埋門が雰囲気ありすぎました。櫓門もしっくりきました❗矢挟間から外みれました。なんかとてもグッとくる城ですね❤❤❤

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todo94

お手軽に攻城 (2019/11/23 訪問)

入口の看板が大きくわかりやすくて、短時間に攻略できるお手軽な城かと思います。整備の手が入っていて、それなりに郭もわかりますし、比高の割には眺望もなかなかのものでした。

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まるチョコ

遠くからでも見える模擬天守 (2019/12/08 訪問)

天守跡から見える海は素晴らしい。天守の下から上を見ると、収納式階段が、また、横を見ると天守の土台で切り取られた絵画のような景色が。さらに、あちこちに脇坂安治の家紋の赤いのぼり籏が映えていた。

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yoda 1253

江戸時代の幕府の努力 (2019/12/09 訪問)

2019年12月9日に訪れました。うっすらと雪化粧でした。石垣は切り込みハギで日本の城そのものでした。函館奉行所をしっかり防御するように空堀、本塁などが備えられていました。

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イシテル

武田流築城術「丸馬出」が見どころの後ろ堅固の山城 (2019/12/07 訪問)

金谷駅で降りて、駅前の観光案内所で諏訪原城までの行き方を聞くと丁寧に教えていただき、地図、パンフレットを貰いました。
駅の裏に回り、金谷坂石畳を登り、その後、車道を少し歩いたら、諏訪原城ビジターセンターに到着。
すぐ裏が諏訪原城址となっていて、二の曲輪大手馬出、南馬出、東馬出、東内馬出と馬出を順に廻り、東側の外堀の規模と深さに感動しつつ二の曲輪へ入りました。
ここまででも、馬出、外堀の規模に感動していましたが、二の曲輪の広さにさらに感動。諏訪原城の最大の見どころ「二の曲輪中馬出」は圧巻で三日月掘は深く、攻め来る敵を返す光景が目に浮かぶようでした。
本曲輪に行き、その後ろの断崖絶壁を見ると、これぞ後ろ堅固の城!
下に降りることができるように道を整備していただいており、本丸裏の内堀まで体験。
最後に諏訪原城最大の外堀に下り、カンカン井戸、水の手曲輪も目の前で見ることが出来ました。
武田流築城術を体験できる壮大な山城でした(パンフレットのサブタイトルをパクリしてます)。
整備いただいている関係者の皆様に感謝致します。

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カルビン

お城の痕跡は薄いが (2015/05/30 訪問)

徳川二代将軍・秀忠によって東照宮が建立たれた為にお城としての遺構は見当たりませんでしたが、その地形を見ると明らかに難攻不落な山城だった事が随所に見受けられます。

現在の有料地区に徳川家康の廟所があり、石垣も存在しますが、あくまでも廟所としての石垣でした。

唯一ここがお城だった事を示しているのが東照宮の解説版で、ここがもともと武田信玄に築城され、武田家滅亡跡に徳川家に使用された事が書かれております。

お城としては物足りないかもしれませんが、徳川家康の菩提の1ヶ所ですし、資料館(有料・撮影不可)があったり太平洋の絶景が見られる等、行って損は無いと思います。


自分は久能山の北側の日本海ロープウェー(駐車場無料/ロープウェーは有料)でアプローチしましたが、高所が苦手な人には罰ゲームなひと時です(汗)
※おばはんがウロウロしてロープウエーを揺らす為、その旦那に「じっとしてなさい!」とたしなめられていたのに、そのおばはんは延々と徘徊してました(ーωー;)

南からもアプローチできますが、駐車場が有料かつ数が少なく、さらに鬼のような石段の登りが待っております(汗)


久能山の関係者の方々は毎日この鬼石段を登ってこられるとの事で・・・肺活量すごいだろうな(驚)

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いんげん丸虫

野背坂西城 山梨県山梨市 (2019/12/08 訪問)

野背坂峠の西にあります。
宮坂武男氏の"甲斐の山城と館"によると伝承地であり詳細不明のようです。削平地、薄れた堀切、保塁はありますね。

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チェブ

車より自転車や徒歩がお薦めです。 (2019/11/16 訪問)

古河公方 足利 成氏さんの「古河城」に行きました。
ナビのゴールは古河歴史博物館です。
駐車場もあり散策開始です。
博物館の正面に「古河城出城諏訪曲輪跡碑」があり、早口言葉の練習が出来ます(笑)
掘は整備してあり、当時の雰囲気はありません。アートチックでした。
「古河城」は渡良瀬川の近くに本丸跡があるそうなので移動しました。
途中、獅子ヶ崎土塁がありました。説明板も2枚あります。フェンスの向こうに高い土塁が見えます。
そのお向かいに家老屋敷の長屋門。
個人宅でお使いのようで表札があるので写真は撮しませんでした。
車を走らせていると、今のは?と「古河城」関連の建築物がありました。
車を路駐して「古河城」関連か調べて駐車場を探す。これ、何ヵ所もあったので、結構大変です。
自転車や徒歩の方が車より機動力がありそうですよ。

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朝田 辰兵衛

麒麟が来てたよ! (2019/11/26 訪問)

一向一揆勢討伐ということで,秀吉とペアで。

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カズサン

山崎曲輪外側石垣探訪 (2019/12/10 訪問)

 高槻市の芥川山城、周辺の城を廻って夕日が沈む前に時間が少し有り新快速を乗り継いで彦根城へ久しぶり60年前に祖父、叔父に連れられて初めての彦根城、フイルム時代から何十回と訪ねてるのですが山崎曲輪は内側から探訪、外側をぐるっと回った事が無く暮時の1時間堀越しに山崎曲輪を東面、北面、西面、西面に行くには北面より民家を通り滋賀大堀沿いを歩き二の丸船町口より西中学校南を先端長橋口跡へやっと山崎曲輪西側と山崎御門跡、橋が在った礎石も確認。
 山崎曲輪の桜が紅葉し夕陽に当たり奇麗、桜の時期さぞ壮観な眺めで絶景でしょう。
 
 本丸西側内堀沿いに西の丸三階櫓、本丸腰巻石垣、土塁上の紅葉、天守閣、大手門石垣群、鉢巻石垣腰巻石垣土塁、鐘の丸石垣、表御門橋、佐和口多門櫓を過ぎて足裏も痛く成り、足腰も痛みタクシーで彦根駅へ、井伊直政像を見て日帰り城廻り汽車の旅でした。
 いつ見ても石垣、建造物、土塁、堀と惑惑ドキドキの心がときめきます。

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カズサン

細川晴元の五輪塔の有る城跡 (2019/12/10 訪問)

 芥川山城、芥川城を終えて城郭放浪記さんの情報ガイドで高槻駅からJR摂津富田駅へ富田駅より約1km程の南、県道133号線沿い現在の普門寺が城郭跡、寺院内には庭園、五輪塔が有るが入場は予約制、時間は1時半から4時までと予約して無く時間も早く周辺を探訪、寺院西面に土塁が有るが金網フェンスで仕切られ良く見えないが2~3mの土塁が確認される、北面はコンクリート製の用水路が堀跡の名残かと思われる。

 永禄4年(1561年)には管領細川晴元は三好長慶と和睦し、剃髪したのち隠棲したのがこの普門寺で城郭化されて普門寺城ともよばれていた。永禄6年晴元は普門寺城にて没したと。

 隣に三輪神社も有りこの辺りが土塁、堀で囲まれた城館が有った模様。

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