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イシテル

空堀、堀切、竪堀、畝堀など大規模な特徴が見られる山城 (2020/02/15 訪問)

竹中半兵衛の居城であった菩提山城は、半兵衛の父の重元が岩手を攻め奪取し、ここに砦を築き、その後、山城として造られた。
城の中核を構成する曲輪群は規模も大きく、山城特有の空堀、堀切、竪堀、畝堀、馬出などに守られた各曲輪(本曲輪、二の曲輪、三の曲輪、西の曲輪、台所曲輪、出曲輪)は曲輪固有の機能が連結され、要塞としての構成が伺えます。各曲輪には帯曲輪が設けられており、攻撃に対し堅固な作りとなっています。
駅前の垂井観光案内所でレンタサイクル(電動アシスト:1000円/日)を借り、自転車で相川沿いを走り、竹中氏陣屋跡(岩出小学校正門)に到着。その後、禅幢寺(竹中半兵衛の墓)をお参りして、八幡神社横の登城口から1950mの行程(標高402m、比高約300m)を登り、頂上の曲輪群へ辿り着きました。

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城歩き始めます

赤穂城、大石神社を歩く (2020/01/05 訪問)

お休みを利用して兵庫県を旅行し、赤穂浪士で有名な赤穂城を訪ねました。

自分で車を運転して高速道路を休み休み走り、4時間位かかりやっと到着しましたが、少々疲れました。

赤穂城に着くと隣に大石内蔵助を祀った大石神社がありました。
参道の両脇には赤穂浪士の等身大の像がずらーっと並べられており、
いかにも「赤穂に来たんだあ」と気持ちが高ぶります。

赤穂城で今に残るのは石垣だけですが、地元ではこの城の復元に
大変力を入れていまして、庭園や櫓、本丸門などがキレイになって今によみがえっています。
こうして見ると赤穂城は大変立派なお城だったんだなとつくずく思いました。

今では周辺は埋め立て地ですが、当時は城のすぐ近くまで海が迫っていたそうです。
なるほどそれで製塩が盛んで「赤穂の塩」が有名なんですね。

しかしこんな立派なお城で、あんな事件があったとは・・・・絶句

江戸城松の廊下にて、赤穂藩主、浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかる
刃傷沙汰を起こし、浅野内匠頭はその日のうちに切腹、赤穂藩の浅野家は
お家断絶と相成りました。

お家断絶となったら藩主一家はもちろん、家臣も全員国を追われて路頭に迷うわけで、
これはとんでも無いことで、家臣の方々は本当に辛かったでしょうねえ。
この苦しみを乗り越えてあの「忠臣蔵」の物語が生まれるわけですね。

こうして赤穂城に来たからと言って、大石内蔵助がいるわけでもなく、どうってことはないのですが
彼らが当時を過ごしたこの地に立つと、なにか伝わって来るというか、溶け込むというか、・・・
このもやもやとした気持ち分かってもらえるでしょうか?

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橋吉

勝連城 (2020/02/02 訪問)

勝連城は、14世紀初頭に勝連按司によって築城されたと考えられています。
この城の最後の城主(10代目勝連按司)阿麻和利は、圧政を敷き酒に溺れていた9代目勝連按司の茂知附按司に対してクーデターを起こし殺害、この地方の按司として成り代わり海外貿易などを推し進めますます力を付けました。
さらに、阿麻和利は護佐丸・阿麻和利の乱で護佐丸を討ち取ったのち、尚泰久王をも倒そうと琉球の統一を目論んだが、1458年に王府によって滅ぼされ勝連城も廃城となりました。

無料駐車場が用意されています。
隣接する無料休憩所で続日本100名城スタンプを押すことができます。

4つの曲輪が連接する石灰岩の城跡で、最上位にある一の曲輪からは海中道路も見渡すことができました。

沖縄の城らしく拝所とカー(泉)があちらこちらに見られます。

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ほむほむ

絶景とスリルを味わえます。 (2019/08/12 訪問)

標高825メートルの霊山山頂及び山腹に築かれ、山全体が国の史跡及び名勝に指定されています。
元々1334年(建武元年に)多賀城の出城といて築かれ、1337年(延元2年/建武4年)北畠顕家が後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じて陸奥国府が置かれ南朝方の拠点となったと言われています。
慈覚大師開基と伝える霊山寺を城郭化した城郭寺院でもあり、天台宗の拠点の一つで、最盛期は3600の坊があったと言われています。
しかし、1347年(貞和3年/正平2年)に、霊山城は北朝方の奥州管領吉良貞家の攻撃を受けて落城し、廃城となりました。

その北畠顕家が拠点にした山城ということもあり、霊山登山者用駐車場(37.760790,140.691118)【普通車80台、大型3台】に車を停めて行きました。
大型車駐車場にトイレもありますが自販機はありません。事前に飲み物は買っておいて下さい。
案内板に杖常備されています。
道中の各ヶ所に絶景ポイント多数あり、絶景&スリルを味わいたければ巨岩の間をくぐって行く護摩壇経由がオススメです。
主郭には説明板と義良親王と書かれた石碑があります。
駐車場からの比高差は308m往復4.86km(実測値)なので参考に。

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ヒロケン

大満足⁉ (2020/01/31 訪問)

鹿背山城は松永弾正久秀が多門山城の北の守りとして大規模に拡張改修した山城です。城域も東西約400m、南北300mあり南山城地方最大の山城で曲輪・土塁・竪堀・土橋・井戸等の機構が良好に残り中でも大規模な竪堀群や堀切はこの城の最大の見所です。

アクセスはJR木津駅の北を通る府道47号線を北西へ約1Km程進み、鹿背山バス停付近の信号を右折します。道なりに600m程進むと西念寺があり、西念寺の山門の脇を10分程で本丸に到着します。
自分は車で行きましたが、駐車場はありません。西念寺手前の分校の校庭に駐車させて頂きました(駐禁の看板に駐車後気づきましたが、お散歩中の方にお尋ねしたところ、「良いじゃないか?」との返答だったので遠慮なく駐車させたいただきました)

事前調査でこの城の見所、竪堀と井戸跡、これを見に登城。西念寺から登り始め直ぐに調査画像で見た竪堀が⁉確かにカッコイイ⁉すぐに竪堀があったので少々拍子抜けしたが、気を取り直し2郭・3郭の曲輪群へ。「ふーん。こんなものか」との印象、井戸跡見て主郭に行って帰ろうと思い、主郭の虎口へ。「水の手右」との表示で右へ。すぐに大きな竪堀が⁉「すげー」ここからが、興奮しっぱなし\(^_^)/ 水の手・主郭・主郭西の大規模な畝状空堀群が続く。マジ興奮⁉ しかも、木津の文化財と緑を守る会の方々がよく整備されており、(この日も竹の伐採されていました)機構が分かりやすい⁉皆さんに詳しくお伝えしたいのですが、御自分の目で確認された方が良いと思います。少々、ハードルを上げてしまいましたが、山城好きな方は絶対にお勧めです。

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Now

唐沢山城>にゃにゃにゃんてこったい (2019/10/10 訪問)

今年の夏も暑かったー。
夏は暑いし草はボーボー、城巡りでいい事何一つ無い!
ホント昔の人はアクエリアスもポカリスエットも無いのにこんな山城を行ったり来たり…凄すぎるっしょ!w

まーまーそんな夏も過ぎ去ったので、バイクに跨がり訪れたのは、カッコイイネーミングの唐沢山城址。
なぜカッコいいかって?それは寿明(としあき)に聞いて!w
信長の野望をやっていて いつかは行きたいなー と思っていたのは10年前、やっと今日登城です!
ぶっちゃけビシっと整備されたお城より、捨ておかれ山に還ったような城の方が大好きなんですがね、こんな整備されたお城を好きになっちゃうなんてね…w
にゃんでかって?
にゃんで言わなきゃいけにゃいの?
そんにゃに聞きたいの?
しょうがにゃいにゃー(=^x^=)
このお城にはね…
ネコさんがいっぱいいるのですーーーーーーっ!!!
(↓↓↓写真撮りまくり↓↓↓)

…ま、まぁあれだ。
人は取り乱すときもあるのですよ…w

さて、気を取り直してw
虎口はクランクになっており、そこに連なって天狗岩と言われるビューポイントが、そこを抜けると升形、武者詰と呼ばれる広いスペースが現れる。
さらに抜けると 大炊の井 と呼ばれる丸池があり、水を汲めるようになっている。
新田金山城もそうだったが、丸く池を作るのは意味があるのでしょうか?
ここを抜けるとダイナミックな堀切が現れ、おおぉ!と思うのは私だけじゃ無いはず!堀好きの自分としてはなかなか!と感じた”記憶“がある。
確信を持って すごい! と言えないのはこの堀切には石橋がかかっており、その上でくつろいでいるネコさんを むほほっ(o^^o) っと眺めており、写真に残していないためであります…こんなところに伏兵が…w
さらに城の大手道といわれるところをひたすらに登っていく。南城といわれるところに到着、ここの堀切も素晴らしい!今きた道を反対側に進むと二の丸へ。
そこから本丸の方を見ると左右にデカい岩が!
鏡石といわれるものらしく敵兵に圧力をかける為に置かれたらしい。
ふ、そんな事をしなくてもこれだけのネコさんがいれば臆することはなかろうて…
あ、石垣好きの方は二の丸への道中にある本丸の石垣が見物だと思いま~す。

本丸に行った後、二の丸から北東に長門丸、平城、杉曲輪、平とや丸と並ぶ曲輪の方へ向かいそのまま折り返して帰って来ました。

登城前は キレイなお城は~ と思っていましたが、意外に堀や石垣がしっかりあり、当時を感じることのできる素晴らしいお城でした!

さーて…どのネコを連れて帰ろっかなぁ〜(o^^o)
にゃんつってーw




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和田神社より (2020/02/15 訪問)

 主郭と横堀を隔てて馬出曲輪からなる城郭ですが、少し小さすぎるような気がします。あまり整備されていないため草木でわかりにくいのですが、櫓台、土塁、空堀などが確認できます。北面に竪堀があるとの情報でしたが、自然の地形のようにも見えてよくわかりませんでした。
和田神社から登って行くと、5分くらいで右手に青いリボンがあり入って行くと城跡があります。青いリボンより先にピンクリボンがあり、こちらからでも城跡に入れます。

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石垣を見るために (2020/02/15 訪問)

 観音寺城のある繖山(きぬがさやま)先端部分に築かれたほぼ単郭の城です。ほぼ単郭の山城が石垣で防御されているのは、あまり見た記憶がないので興味がありました。
能登川駅より歩いて登城しました。城跡の南東にある墓地の横からの登城路を利用しましたが、よく整備されていました。10~15分くらいで城跡へ行くことができます。

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かとりのうみ

掛川城二ノ丸御殿 (2020/01/20 訪問)

掛川城は御殿建築物が現存している点が大きな魅力と思う。

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水攻め (2020/02/15 訪問)

 稲枝駅より徒歩にて登城しました。肥田城の水攻めという話を初めて知りました。土塁濠跡などがあるようでしたが、確認不足で今回は行っていません。

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SIN

続日本100名城 No.125 小机城 (2020/02/15 訪問)

横浜市にある小机城へ行って来ました!
現在の城跡は小机城址市民の森として整備されていて、第三京浜道路や横浜線が通っていて敷地が減ってますが空堀が見応えがあって良かったです(≧▽≦)

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SIN

続日本100名城 No.124 品川台場 (2020/02/15 訪問)

現在のお台場です!
ペリーが黒船襲来で警戒態勢が強くなり作られたとか…。第3、第6台場が残っています!

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nm

綺麗に整備されていました! (2020/02/14 訪問)

石垣がまだ残っていて感動!

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朝田 辰兵衛

季節がら,とても空気がキレイでした。 (2020/02/15 訪問)

謙信が関東に出陣の際,この直峰城下を往還しました。計13回。景勝時代には,重要な軍事拠点として機能していたようです。
標高:344m,比高:250m。とても空気が澄んでいて,気持ちのイイ登城でした。
私は麓から徒歩での登城でした。車での登城の場合は安塚貯水槽付近に路駐して,約1km歩かれた方が無難です。駐車場まで完全に雪解けするのは…もう数週間を要すると思われます。

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くっしー

ちょっと舐めてました( ̄▽ ̄;) (2020/02/15 訪問)

まあ、陣城なのでぱっと行ってぱっと帰ってこられるやろうと思ったのですが、結構きつかった。
駐車場から頂上まで約一時間ですね。

言わずと知れた「関ケ原の戦い」における小早川秀秋の陣があった場所ですが、築城は室町時代初めで、織田氏と浅井氏が国境で争いあった場所なんですね。

麓の辺りは自然地形と中世の作事か近代の改変かよくわからない地形でしたが、陣跡周辺はがっつり遺構が残っていました。土塁がしっかり作られてたのと枡形虎口になっていたのが印象に残りました。

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よっぴー

大和郡山城に行ってきました (2019/08/13 訪問)

大和郡山城に行ってきました。立派な石垣がありました。すぐ近くを近鉄が走っています。きれいな櫓がありました。続百名城のスタンプの場所が分かりにくいので注意してください。

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くっしー

石垣が素敵 (2020/02/15 訪問)

関ケ原インターから自動車で約40分、国道365号を南に行くと、自然豊かな土地に陣屋があります。

この陣屋は、江戸幕府の旗本・高木家のもので、現在は長屋門や石垣が残っています。長屋門の中には主屋が残るそうですが一般公開はされていません。また、「高木家文書」と呼ばれる江戸時代の貴重な古文書が残っているそうで、名古屋大学附属図書館が所蔵しているそうです。

陣屋の隣に「大垣市上石津郷土資料館」があり、車はそこに駐車することができます。
入館料は100円で、今は「明智光秀」関連の展示がしてありました。それだけではなく、「関ケ原の戦い(島津関連)」や「牧田古墳群」「上石津の自然・動植物」「上石津の民俗芸能」など盛りだくさんの展示があり、陣屋目的の人も是非見学することをお勧めします!

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よっぴー

山下城に行ってきました

山下城に行きました。道は登りやすかったです。途中で神社がありました。                           小さな木を育てていました。 

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カルビン

ものすごい遠回り (2014/04/02 訪問)

本格的にお城巡り始めた頃に行った勝沼城。

当時は地図を持ち歩いていなかった為、またざっと情報確認して現地で探すことが普通だった為に、光明寺の裏手の墓地から登城する事を知らず、そこから更に北にある青梅ゴルフクラブの入口まで行ってしまいましたw

ゴルフクラブ入口脇に丁度勝沼城森林域に入れる場所があったので、そこから侵入したものの、今度は吹上しょうぶ公園に出てしまう始末(苦笑)
実際しょうぶ公園の端も城域だったようで、ちょっとした土塁や虎口、曲輪と思われる地形が見る事が出来、更に森林道を南下した所にお城の解説や浅くなったもののやはり土塁等の遺構を見る事が出来ました。

ずいぶん歩いた感があった・・・のも当然で、まっすぐ光明寺から登城すれば最寄り駅の東青梅駅に1/3の滞在時間で済む所だったわけで。。。やっちまった(笑)


ちなみにここから歩いて20分くらいの所に塩船観音寺がありますが、そこの地形もお城っぽさを感じさせます。
もしかしたら勝沼城の支城とか何らかの関係があったかもしれません。

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しーげ

道がない? (2020/02/15 訪問)

麓まで車で行き、徒歩で登城することにしました。山が荒れており、途中から登山道が分からなくなりました。うね伝いに歩き、南曲輪にたどり着きました。そこから、いったん、竹林寺に行き、本丸へ。井戸の跡を見た後、土塁石積を見ました。その後、道なき道を下山。自動車で竹林寺に行き、お城に行く方が良いと思いました。

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