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赤い城

直線の搦め手は結構きつい (2020/02/11 訪問)

高尾駅からバス便があります。
車だったので浄福寺さんの駐車場に停めさせて頂きました。
墓地の奥から登城、少し登ると観音堂があります。
ここからほぼ直線の急坂、こちらが搦め手のようです。
上の方ほど急、結構きついです。
主郭には祠があります。
そこから北に伸びる尾根を進むと堀切が連続して切ってあり、先端の郭の辺りには畝状の竪堀もあります。
他にもいくつかの尾根上に遺構があるようです。
この辺りの名城、八王子城だけではありませんでした。

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小城小次郎

寿能城

太田資正の子・潮田資忠が守ったこの城に、子孫の方が墓碑を建てた。城は開発でほぼほぼ消滅したが、墓碑のおかげで主郭の空間だけは公園として残された。

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にのまる

真田氏平時の居館 (2020/01/21 訪問)

 真田本城から下山し、1.5㎞くらい。出陣広場にも建物の礎石などのような石があり、わくわくしてきました。
 土塁の残る東門から土の遺構を楽しみつつ進み、館跡(御屋敷公園)へは一度退出して大手門から入り直しました。
 昌幸さんが上田城に移る際に屋敷が荒廃することをおそれて伊勢から勧進したと伝えられる皇大神社の六連銭の幕には風格を感じ、信之さんの妻、小松姫の実家から送られたという御手水石には真田丸のお稲ちゃんを思い出し、お北さんが亡夫、信綱さんを偲んで植えたと伝わる御北の松にはずっと枯れずにいてほしいと思い…。
 そして昌幸さんの願いどおり(?)屋敷は荒廃せず、土塁もそのまま生かしたマレットゴルフ城…チガウ!…ゴルフ場として真田の郷の人々の暮らしに生かされているようでした。厩跡の小区画などかなり使える遺構っぽい⁈しかし、館跡が破壊されたという感じはせず、幸綱さんと昌幸さんの時代を、真田本城と合わせて堪能できました。
 搦手を出たところの親水公園の小川と石垣は堀の名残?と思いつつ未確認です。

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くっしー

大須賀氏が築城した横須賀城!? (2020/02/11 訪問)

名前がややこしいですが、大須賀康高が徳川家康に命じられて建てた城です。武田氏が守る高天神城を攻めるための拠点ですね。

さて、この城の特徴は何といっても石垣。天竜川の玉石を使っているのです。こんな石垣初めて見ました。

「縄張り」は小さいですが、高低差のある曲輪が複数残っていて、なかなか良いお城だと思います。

市も掛川三城(掛川・高天神・横須賀)の一つとしてPRしていますね。

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くっしー

武田と徳川が争った城 (2020/02/11 訪問)

いかにも戦国の城という感じがします。
強烈な竪堀と高低差のある曲輪群が特徴的なお城です。

築城は不明ですが、戦国時代には今川氏の支配下にあり、「桶狭間の戦い」の後に徳川家康が支配をします。
その後、武田勝頼が徳川家康から奪って支配するも、武田氏滅亡で廃城となります。

天然の要害で攻略の難しい城なのですが、西側に弱点があり、その弱点を突いて武田勝頼がこの城を奪ったそうです。
で、その弱点を補うために勝頼が作らせた「空堀」が残っています。
こういうストーリー性があるとまた城を見るのが楽しくなりますね!!

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三浦正幸先生と巡る福山城VR解説会&福山城巡り

日 時:3月1日(日) 10:00~12:00(受付9:30)

場 所:福山城湯殿
三浦正幸先生による福山城VR解説会 10:00~10:40
福山城巡り 10:50~12:00

応募方法:電話・FAX・またはURLにあります応募フォームから必要事項をご記入の上送信をお願いします。

定 員:50名(先着順)

参加協力金:1,000円(全額、福山城築城400年記念基金へ寄附します)

※必ず通信環境のあるスマートフォンもしくはタブレットをお持ちください。


詳しくはこちら→https://fukuyama400.jp/event/2020021240

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チェブ

泥道にはまる。 (2020/01/03 訪問)

「花沢城」の入口近くです。
今川家の家臣、関口 氏録さんが初代城主です。
今川 義元さんが討死して今川家から離れて行く家臣が多い中、大原 資良さんは「花沢城」に残りました。
信玄さんの駿河侵攻、「花沢城」は激戦地です。
正月4日に武田 信廉さん、勝頼さん、長坂 長関さんにより攻撃開始、27日に落城しました。

まず車を停める場所がありません。
花沢城入口は見つけたのですが、写真④が入口だったら草木が茂っていて覚悟が必要です。
道が二股になっている場所があり、車を停められるか進んだら、ぬかるみにはまりスリップして怖い思いをしました。
と、言うことで退陣です。
山の中腹、ミカンの木が、たくさんありました。

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イオ

関ケ原古戦場(東軍編) (2020/02/01 訪問)

関ケ原古戦場めぐり、東軍編です。

松平忠吉・井伊直政陣跡

松平忠吉とその舅の井伊直政は現在の関ケ原駅あたりに布陣し、先鋒の福島正則隊を出し抜いて宇喜多秀家隊に発砲したり、決死の敵中突破を図る島津義弘隊に追いすがり島津豊久を討ち取るなど奮戦しましたが、両名ともその際の負傷がもとで早逝することになりました。
関ケ原駅西側の東首塚敷地内に石碑と説明板があります。駐車場はありませんが、東首塚西側の唐門前の空きスペースに駐車可能です。

福島正則陣跡

福島正則は松尾付近に布陣し、松平忠吉・井伊直政隊に抜け駆けされはしたものの、東軍の先鋒として宇喜多秀家隊を激戦の末突き崩すなどの功をあげました。
陣跡の春日神社には、石碑と関ケ原合戦図屏風にも描かれている樹齢800年余の大杉があります。住宅地で周辺の道も狭いですが、春日神社前に無料駐車場が設けられているので助かります。

京極高知・藤堂高虎陣跡

京極高知と藤堂高虎は現在の関ケ原中学校付近に布陣し、開戦すると不破関跡まで進んで大谷吉継隊と交戦しました。また、勝敗を決定づけた脇坂安治らの寝返りは高虎の調略によるもののようです。
陣跡の石碑と説明板は中学校の敷地内にあり、立ち入るのは少々ためらわれましたが、遠慮せずに入ってくださいとの案内もあり、ありがたく駐車場に駐めさせてもらいました。

細川忠興陣跡

細川忠興は岡山の麓、相川の南に布陣し、石田三成隊と激戦を繰り広げました。
相川南岸の公園内に石碑と説明板があり、石碑には忠興が関ケ原の戦いにおいて被っていたとされる越中頭形兜があしらわれています。駐車場はないので、公園前の角に路駐しました。

岡山烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡

黒田長政と竹中重門は、関ケ原の戦況がよく見渡せる岡山に布陣し、開戦すると攻撃の合図の烽火を上げ、石田三成隊と交戦しました。
車道脇の無料駐車場から道向かいを3分ほど登っていくと、石碑と説明板があります。

本多忠勝陣跡

本多忠勝は軍監として前線と桃配山の徳川家康本陣の中間に布陣しましたが、家康が本陣を進めたことに伴って戦闘参加、寡兵ながらも島津義弘隊の敵中突破を追撃するなどの活躍を見せました。
住宅地の細い路地を入っていったところに石碑と説明板がありますが、道は狭く駐車場もないため、近くの空きスペースに駐めて駆け足での訪問となりました。

山内一豊陣跡

山内一豊は中山道・関ケ原宿の東に布陣し、南宮山の諸隊に備えましたが、徳川家康が本陣を進めたことに伴い、現在の関ケ原中学校付近まで前進して戦いました。
石碑はありませんが、出世松と呼ばれる松の横に説明板が建てられています。駐車場は無く、東隣の空き地に駐車させてもらいました。

桃配山 徳川家康最初陣跡

徳川家康は最初、壬申の乱での大海人皇子(後の天武天皇)の戦勝にあやかって桃配山を本陣としましたが、前線から離れていて戦況が掴みづらいことに加え、西軍の予想外の善戦に業を煮やして、本陣を笹尾山の前まで進めることとしました。
桃配山中腹に、家康が軍議の際に使用したと伝わる机石と腰掛石があり、その傍らに石碑と説明板があります。国道の道向かいに無料駐車場があり、ガソリンスタンドの横から2分ほどの登りです。

徳川家康最後陣跡

徳川家康は戦局を好転させるべく桃配山から陣を進め、笹尾山の石田三成陣正面に布陣して全軍を指揮しました。また、戦勝後はこの本陣で首実検を行いました。
陣場野公園北部には家康が首実検した床几場があり、江戸末期に築かれた土壇と土塁が見られます。近くの歴史民俗資料館の駐車場に駐めて…と思っていましたが、現在改装中のため利用できず、今年7月の岐阜関ケ原古戦場記念館のオープンまでは他をあたるしかなさそうです。

田中吉政陣跡

田中吉政は現在の歴史民俗資料館の南側あたりに布陣し、石田三成隊と交戦、合戦後には旧知の間柄だった三成を捕らえる大功を挙げました。
陣場野公園の南に石碑と説明板があるので、徳川家康最後陣跡と併せてどうぞ。
 

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よっぴー

篠山城に行ってきました (2020/01/04 訪問)

篠山城に行きました。最近、大書院が復元されたようで、中も見れたのでよかったです。堀が二重になっていて、立派でした。    篠山城に行くなら、大書院と歴史美術館と青山歴史村と安間家史料館がすべて入れるチケットがおすすめです。

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よっぴー

姫路城に行ってきました (2020/01/01 訪問)

姫路城すごい!                                                       一月一日に行ったので、無料でした。とても混んでいて、大天守には、登れませんでした。

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相都街道

久しぶりの城郭訪問で成瀬城に (2020/02/13 訪問)

ほぼ1年ぶりに城巡りを再開し、成瀬城に行きました。恩田川右岸の高台で見晴らしの利く所でした(夕方で薄暗かったのが残念)。

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todo94

村岡城址公園 (2020/02/08 訪問)

遺構はありませんが、立派な城址碑があるだけでも嬉しいものです。村岡城址公園としてきれいに整備されていて、近隣住民の憩いの場となっているようでした。玉縄城の支城とのことです。

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赤い城

山城部分は遺構が素敵、御主殿部分は良く復元 (2020/02/11 訪問)

高尾駅からバスがあります。
駐車場もあり、よく整備されています。
本丸付近にはいくつかの曲輪が残ります。
さらに尾根を進むと詰め城があり石塁も見ることができます。
もっと先にいくと富士見台、この日は晴れていて富士山が綺麗に見えました。
麓には御主殿跡があり、当時の石を使って復元がなされています。
悲しい話の舞台でもあった名城です。

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小城小次郎

ユクエピラチャシ

白砂で縁取られた美しいチャシが淡い緑の森に映える。「鹿食う崖のチャシ」というその名の通り、ここからは沢山の鹿の骨が出土したのだそう。防御施設であり祭祀場でもあったチャシの本質が、高い美意識を伴ってここに結実した。

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くっしー

お城が市民生活の一部になっているのが素晴らしい。 (2020/02/11 訪問)

中世の山城などとは違い、観光地化された“お城”なのですが、誰でも本丸の中に入って見学できるのがいいですね。
外堀なんかは、市民生活と一体化しているのだけれど、決して埋もれてわからなくなっているわけではない。
しっかりと整備され、発掘調査が行われ、それをしっかりと伝える努力がされている。とても素晴らしい“お城”の活かし方ですね。

もちろん、資料館や庭園に入るのにはお金がかかりますが、3施設合わせて360円ですので非常に良心的というか、コスパがいいです。

また、現在は天守台の発掘調査が行われており、その見学が可能となっています。戦国時代の石垣と江戸時代の石垣の違いを比較できるのでとても面白いですよ。

滞在時間が1時間半しか取れなかったので、すべてを見つくすことはできませんでしたが、2020年に新しい資料館ができるということなので、また行きたいと思います。

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kucucu

兎々呂城 (2020/02/13 訪問)

相棒と久しぶりに登城。

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隆起準平原の吉備高原 (2020/02/09 訪問)

竜王山城付近から見る景色は、似た所を見たことがない。添付の写真の6枚目の開拓の歴史の説明板を参照して欲しい。高い所にあり、旭川の谷がはるか下方に見える。一方、土地は比較的緩やかな起伏で、田んぼと溜め池が拡がる。

美作の山城を含め吉備高原の山城に登ると、見渡す山々の頂部の高さが揃っていることをいつも思う。吉備高原は、一旦平坦になった土地が隆起して再び侵食が始まった地形。竜王山城は、侵食されていない高台の開拓村の城。緩斜面のため城の周りは、山城に珍しい、横堀が囲む。守りは堅くなさそうだが、ここまで攻めて来るのはたいへんそう。

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よっぴー

有岡城に行ってきました (2019/12/29 訪問)

JR伊丹駅からすぐにある、荒木村重のお城です。石垣が残っていて、立派でした。

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カズサン

此処まで来たら寄らなくちゃぁ~ (2016/06/20 訪問)

 平成28年6月原城、日野江城を終えてチョイ寄り3,4度目か? 本丸駐車場に停めて周囲を散策探訪、天守にも登城、雨が降り止んだりの湿っぽい天気でしたので写真の写りや彩りが良くありませんが堀や石垣、建物を見ると心ウキウキ楽しい時間です。
 これだけの城跡を造り重税使役で島原の乱の原因にも大変な事件でしたが約400年後石垣、堀、城域は残り保全管理されてます、城好きにはありがたい城跡です、復元天守閣も層塔型の典型的なモデルで他を引き離しております、復元も順次やられ見ごたえが有ります。
 晴天の日に眺めたい城で青空に映えます。

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SIN

園部城 (2020/02/11 訪問)

園部城跡に行って来ました!
櫓門があり、現在は園部高校が門を潜った先にあります。

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