羽柴秀吉が築いたお城は地表面からほぼ消え去ったが、地下にはそれなりに遺構が残っているらしい。最上階が小さい「小顔」の模擬天守はいかにもアンバランスだが逆に唯一無二の存在感を示しているとも言える。
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2020/04/05 10:49
長浜城
羽柴秀吉が築いたお城は地表面からほぼ消え去ったが、地下にはそれなりに遺構が残っているらしい。最上階が小さい「小顔」の模擬天守はいかにもアンバランスだが逆に唯一無二の存在感を示しているとも言える。
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2020/04/05 08:53
2020/04/05 07:47
小笠原氏大要塞群の一つ (2020/04/01 訪問)
埴原城は小笠原氏大要塞群の城の一つで、諏訪伊那地方からの敵に備えた南方の前線基地としての役割を担っていました。
1542年の「塩尻峠の戦い」の後、1550年武田信玄が小笠原長時を攻略する際に真っ先に埴原城を陥落させたため、近隣の小笠原氏城の林城・桐原城・山家城などの城が相次いで自落したことでも戦略上重要な城であったことが伺えます。
埴原城は小笠原氏城の林城・桐原城・山家城等と並んで戦国時代を代表する松本市内で最も規模の大きい山城で、城跡には今でも多くの郭や土塁・石垣・空堀・竪堀・堀切が良好な状態で残っています。
行き方としては、蓮花寺(松本市中山4524)を目指し、蓮花寺駐車場に駐車し、徒歩30分程で主郭に到着します。
この城の見所としては、「お姫様の化粧水」と呼ばれる水場を過ぎたあたりから、主郭部の石垣・主郭後方の技巧的な空堀を始めとする竪堀群が素晴らしい\(^_^)/(私見です)
(城域の至る所に、猪・鹿のう〇こがあり、踏まないように散策するのが大変です。)
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2020/04/05 00:34
登城日 2018.12.30(日) (2018/12/30 訪問)
美濃金山城から県道351号を南下し、国道21号に東に入り、少し進んだところの名鉄顔戸駅付近の住宅地に顔戸城址があります。
史跡の指定は無いものの、城址の説明付きの石碑と付近に土塁や空堀が確認できます。
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2020/04/04 23:53
登城日 2018.12.30(日) (2018/12/30 訪問)
和知城から木曽川を挟んだ対岸にある古城山を車で登って行くと金山城址があります。
年末だったため、公園の駐車場は閉鎖されていましたが、大堀切のところに駐車可能なスペースがありそこから徒歩で登城しました。
国の史跡に指定されており、城址は遊歩道が整備され、解説板等の設置されており、安心して見学ができます。
金山城は1600年に廃城となり、関ヶ原の戦い後、石垣などは破城の憂き目にあっています。
城址は破城後のままの状態で良く残っており、非常に散策が楽しめる城址です。
なお、名城スタンプの設置場所である可児市観光交流館は年末年始の休館のためスタンプは押せませんでした・・・
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2020/04/04 21:33
背割り堤桜並木 (2020/04/04 訪問)
3河川合流点のすぐ下流の平地が狭くなった所を左岸の樟葉台場とで挟む。
阪急水無瀬駅から、高浜台場へ。淀川右岸を北上して、桂川と宇治川を渡り、背割り堤桜並木(約1.5km)を往復。木津川を渡り、淀川左岸を南下して、樟葉台場へ。帰りは、岩清水八幡宮下の京阪橋本駅へ。
背割り堤桜並木では、コロナウイルス対策で、立ち止まらず、宴会せずを呼び掛け、皆が守ってました。
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2020/04/04 17:07
正太寺鼻 (2020/04/04 訪問)
この城址は西側に山頂を中心とした曲輪群と東に正太寺鼻という岬に連なった曲輪群で構成されています。縄張り図では前者を宇津山古城、後者を宇津山新城と書いてあるものもありありました。正太寺から道があり西の山頂部へ行く道があります。墓地として利用されている曲輪もあり、車で山頂部まで行くこともできます。山頂部の曲輪を囲む西北部の土塁の内側に石積みが見られます。内側だけに石積みかと思って外側に回って見ると、崩れている所が多いのですが外側にも石積みを見ることができます。西側には数段の曲輪があり、周囲を石積みで固められたような曲輪もありました。縄張り図に描かれていた竪堀はよくわかりませんでした。散策していると井戸の跡かと思われるような所もあります。岬側(東側)の曲輪へ行こうとしましたが、藪がひどく断念しました。この日は晴れていて浜名湖がきれいに見えました。
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2020/04/03 22:32
大垣城
郡上八幡城の天守は大垣城がモデルだったということを考えていたら、郡上八幡城がモデルにしたのは戦前の「現存天守」であったことに気が付いた・・・あれ?郡上八幡城の話になってるなw
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2020/04/03 21:59
地元の方々がよく整備してくださっています。 (2020/04/03 訪問)
大崎城は天正9年(1581)の織田方の武将羽柴(のちの豊臣)秀吉の因幡侵攻の際に毛利方の陣城として利用されたことがよく知られており、当時の城主は様々な説がありますが、田公高清と言われています。織田方の武将松井康之が泊城(湯梨浜町)を攻撃した際に毛利方の船団を壊滅させ、その援軍に大崎城から船団が派遣されましたが、松井水軍に敗れ、その際、大崎城の山下は焼き払われました。
日本海に突き出した標高約93mの岬の上に城が築かれており、三方向が日本海に面し、海上交通の要衝と言える場所です。この城の特徴は土塁に囲まれた主郭から東側へ連続して続く曲輪、南側の細長い土塁と通路空間が挙げられます。また海側の斜面には細長い曲輪を多数設けているのも特徴的です。【現地案内板より】
登山道は、手すりやロープなどもきちんと整備されています。地元の方にお話を伺うと、5、6年前までは藪になっていたのを木を切って整備したのだそうです。本丸は土塁がよく残り、海も見えてとても気持ちがいいです。曲輪5から井戸に降りれますがとても急なところにある小さな曲輪を梯子やロープで降りて行きます。スリルがありおもしろかったですが、しっかり準備して降りてください。
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2020/04/03 21:36
鈴木重勝 (2020/03/20 訪問)
【柿本城】
<駐車場他>道の駅 鳳来三河三石
<交通手段>車
<見所>曲輪
<感想>1泊2日東三河・東美濃御城印取得の旅4城目。3/7に長篠城址史跡保存館にて御城印を購入したので今回計画に入れて攻めてみた。井伊家の被官鈴木氏の城で鈴木氏を含む井伊谷三人衆が徳川方に入った後、1568年頃築城されたようです。
城は本丸・二の丸・出丸が比較的主な曲輪となっており、三の丸は腰曲輪程度。本丸周辺には帯曲輪がある。本丸とその下段の帯曲輪には柵列や冠木門が復元されており当時の雰囲気をかもし出している。堀切・土塁遺構は見られなく、簡単なつくりの城跡です。満光寺本堂の向かって左手から登城して10分ほどでたどり着くのでお手軽に行けます。
<満足度>◆◆◇
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2020/04/03 18:51
ラス詣の後の寄り道 (2015/12/29 訪問)
2015年の年末、愛知県のお城見に行った帰り、時期的に年内最後のお参りなのでラス詣として豊川稲荷へ参拝しました。
その後豊橋駅から新幹線乗って帰るところだったのですが、時間に若干の余裕があったので牛久保城のある牛久保駅で途中下車しました。
もともと牛久保城訪問ではなく、今川義元と山本勘助のお墓に行く方が目的だったので、牛久保城がバーターだったわけでw
空き地の土がかなり盛られた場所に大きな碑石(忠魂碑)があり、別途解説版と城碑のみある牛久保城。。。後ろの土盛が土塁と思っていたのですが、どうやら違うようで・・・という事で遺構は残っておりませんでした。
駅からすぐっていうのがウリですが、何せ電車の本数が多い訳では無いので・・・
牛久保駅の最寄りには今川義元(と一色刑部)のお墓がある大聖寺と山本勘助のお墓のある長谷寺、そして山本勘助の父・貞幸の居館跡(表示のみ)があるので、一緒に見学して牛久保城の1セットとするのが宜しいかと。
山本勘助のお墓(と供養塔)、他に静岡県の医王寺や長野県の川中島の千曲川流域にもあり、どれが本当のお墓なんでしょう?(戦国武将あるあるw)
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2020/04/03 14:43
政宗が攻略した岩代小浜城 (2016/04/12 訪問)
平成28年4月中旬福島県伊達郡の桑折西山城を終えて国見IC経由東北道で二本松IC降り伊達氏関連の城二本松市小浜地区に在る岩代小浜城を初登城。
この時期東北道を往来し国見峠から上り道伊達地区の桜に桃の花梨の花と高速道から見下ろす景色はさも桃源郷の如く素晴らしい景色です私なりには中央道の飯田市付近、富士宮市から甲府市に通てる国道358号線峠から甲府盆地を望む辺りが三大桃源郷と自認してます。(まだまだ他にもあると思いますが)
二本松ICを降りて国道459号線を東に走行、二本松市立小浜小学校を目指し案内板にて北山手方向に登ると本丸東横に駐車場。
こじんまりとした城跡で本丸と東に二の曲輪、その間が駐車エリアと案内解説板、本丸南面に蒲生時代の石垣、登城階段、本丸は二段に成って居り公園に成ってる、西に堀切と三の曲輪、北、北西方向には奥羽山脈残雪が桜との共演で美しい。
政宗が家督を継いぐ天正12年(1584年)当主大内定綱は臣従したが翌年離反し蘆名氏に付くが小手森城を政宗が落とすと定綱は会津蘆名氏へ逃げ小浜城は無血開城、以後奥州仕置きで蒲生氏、石垣等に改修、上杉氏、再び蒲生氏と成り江戸初めに廃城。
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2020/04/03 11:43
春爛漫桜に覆われた城跡で一人風情に酔う (2016/04/12 訪問)
平成28年4月中旬福島県伊達市梁川城を終えて西に約10km程、阿武隈川を渡り国道4号線、JR東北本線、東北新幹線、東北道を越えて奥羽山脈東山稜に在る桑折西山城を初登城。
前情報で東北道を潜った近くに公民館の駐車場と得て居たのですが先客が有り駐られず、登って行くうちに登城入口の看板を確認、駐車場を求めて登って行くと満開の桜に覆われた常称寺にたどり着き門前に駐車させて戴く、余りにも桜が見事で奇麗なので登城前桜見学と写真撮影。
常称寺から2、300m下った所が登城入口、登城路は未舗装で約500m登る、軽トラ、軽四駆なら問題なく登城出来大手門過ぎの空きエリアに路駐可能。
大手門跡の石碑、同土塁に迎えられ、東に幕末戊辰戦争時の砲台場跡、そのまま本丸に登って行く、途中に本丸門跡らしき形跡を見るが案内板も無く不認識、東の曲輪、本丸石碑と標柱(ここに散策マップ有り)、石碑に桜の大木が満開で素晴らしく、晴天、伊達市街地の眺望宜しく登城者は私一人雰囲気にどっぷり浸かりました、二の丸本丸間の掘、二の丸は数段の曲輪で構成、西側に土塁、石積、二の丸と唐沢の間の堀切、西高台に中館、西舘の曲輪と天気も良く大変良い探訪でした。
最近の投稿でにのまるさん、いんげん丸虫さんの写真によると整備も進み歩きやすき見やすくなって来てるようで城郭整備が進み嬉しい限りです。
この城は伊達政宗の曾祖父伊達稙宗が梁川城から天文元年(1532年)居城を移した事で有名で稙宗、晴宗父子の天文の乱後稙宗は丸森城へ、晴宗は米沢城と移り廃城、政宗は米沢城か舘山城で誕生したと言われ舘山城保存会の方は政宗生誕城として碑を建てています。
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2020/04/03 02:30
2020/04/02 22:28
小牧山城
全山これ要塞で山まるごとが国史跡のすごい山。昔からちょいちょい訪ねているが、徐々に整備が進んでいる。が、決して行き過ぎた復元ではなく、ほど良い感じなのがちょっと嬉しい。
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2020/04/02 19:44
三刀屋城〜桜の道100選から車で10分 (2019/04/02 訪問)
桜の道100選から、車で西に10分です。
途中の道に信号機が設置してあり、片側通行となっていました。カーブの多い道です。
私にとって新発見の郭らしきものがありました。とても嬉しかったです。
馬場跡の案内板には、土塁や石垣跡が、丁寧に記されています。石垣探しも楽しいと思います。
山頂には、登り石垣もあったそうですが、発見出来ませんでした。
本丸跡や馬場跡に地面を耕したような跡がありました。猪?熊?誰かが草が覆わないように耕したのか?大雨?不思議でした。
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2020/04/02 19:29
城名樋山城跡(きなびやまじょうあと 又は かんなびやまじょうあと) 出雲国(島根県雲南市木次町里方〜桜の桜100選から、車で10分) (2019/04/02 訪問)
桜の道100選から、車で北に10分。桜の見頃は、桜の道100選と同時期。登山口入口に
専用駐車場10台程あり。途中の空き地や駐車場に停めると、警察に通報されるそうです。
案内板より、
「中世になると本格的な山城が築かれるようになり、山頂付近には、山城の名残を留めている色々な跡がよく残っており、以下省略。」
私見ですが、10を超える郭の跡が良い形でのこっていました。登山道もきれいに整備されています。山頂の桜も桜の道100選に劣らず、素晴らしいです。山頂からは、桜の道100選が、一望出来ました。またお隣の三刀屋城跡の山も見えました。空堀、堀切らしきものもありました。
登山口まで、満開の桜が歓迎してくれました。登山口迄は、片側通行もあり、カーブも多く、待避所も少ないので、低速走行をおすすめします。
私が訪れた時期は、良く整備されていましたが、普段は、わからないので、予め、市や観光協会等で確認されてから、攻城されることを、おすすめします。
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2020/04/02 17:23
戸倉城跡 出雲国(島根県出雲市所原町)絶壁です。登山道は、未整備 (2019/04/02 訪問)
絶壁です。登山道は未整備。登山道から、熊や猪避けの柵伝いに登山しようとしましたが、熊等、倒木等、身の危険を察知し、山頂まで行けず、引き返しました。
案内板より、「ポツンと孤立した急峻なこの、の要害山は、標高300メートル山麓(現在地)から、約200メートルの山である。山頂と東下の尾根の平地が古城の名残である。省略 戦国の頃、かなり、有力な城であった。省略 最初は、尼子の部将 古志氏の出城であり、以下省略」
専用駐車場(舗装無しの原っぱ)に停めた後、民家の私道らしい道を通ります。
行くまでの道路で、桜を見ることが出来たのが幸いでした。
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2020/04/02 16:57
桜に誘われて出掛けて来ました (2020/04/02 訪問)
ここ4、5日雨に降られ本日は風が強いもの久し振りの晴天、浜松城の桜は如何にと午前中出掛けて来ました、満開に近い桜、2,3部咲きの桜と有りますが十分に楽しめます、今度の土曜、日曜が見頃なのでしょうか?
又二の丸跡の発掘調査現場トレンチは埋め戻され元小学校跡地は更地に成って居ました、発掘調査報告会はコロナウイルス騒動が鎮静したら有るのではないでしょうか?
天守台西横の八幡台が手前の樹木伐採に因り見やすく成って居ります、日本庭園の枝垂れ桜は樹勢が弱って来たようで10年前に比べれば枝ぶりが少なくなり桜の付きが少ない様です、人出はそこそこ二の丸北の駐車場は8割方の入り状況。
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2020/04/02 12:44
水島工業地帯を見下ろす (2020/03/29 訪問)
かつては海につき出した岬であったと。城の南西は海食による崖・急斜面で、下に水島工業地帯が拡がる。花崗岩の山体で、石垣の材料は現地調達できる。楔跡がある石もあった。
遊歩道が整備されている。本郭下からは直登。山の北側に登城口があり石碑があるが、道から少しはいったところで分かりにくく、さらに石碑が地盤沈下して目立たない。本郭東の平削地に神社があり、参道の階段を利用するのが分かりやすい。
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