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ぴちょまる

甲府城 (2019/03/31 訪問)

風林火山の旗が多数はためくものの、甲府城(舞鶴城)は、武田後の豊臣、徳川時代のもの。
稲荷櫓は、外側は高い石垣、破風があり、見栄えが良いが、内側からは何もなく、印象が全然異なる。弘前城に似た櫓。

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ぴちょまる

岸和田城 (2019/04/06 訪問)

染井吉野の満開には若干早かったものの、晴天と桜と岸和田城。

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スミヤキ

早雲公顕彰五百年 (2019/03/25 訪問)

2019年は小田原北条氏の始祖である初代早雲公が亡くなってから500年の節目になります。

2011年に訪問した時は、動物がいて、遊園地もあり、市民の憩いの城跡公園というイメージでしたが、今回再び訪れて、天守閣外観、内部の展示も含め、お城が前面に出た、見応えのある充実したものになっていて驚かされました。江戸寛永期の近世城郭の姿を忠実に復元した史跡整備が進められているようです。

来週4月20日には、歴史見聞館がリニューアルオープンされるようですし、「センゴク権兵衛」とのコラボ企画も始まっていますし、しばらくは小田原城から目が離せませんね!

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カルビン

石和温泉にある史跡群(詰め込み過ぎ(汗)) (2014/11/01 訪問)

石和陣屋を見に石和温泉駅まで行った訳ですが、八田家御朱印屋敷はオマケ程度のつもりでした。
そもそもお城とは関係なさそうだったので。。。

が、実際には石和陣屋には石碑と解説だけで遺構が無かったのに対し、八田家御朱印屋敷は建造物と門と土塁と思われる地形も残っていて、こちらの方が当りだったというw
しっかり屋敷内でご説明頂きましたし(以外と言っては失礼ですが、なんと2部屋の解説スペース内いっぱいに人がいたんですよ、当時(汗))

※ここの門が石和陣屋の移築門だと知ったのはつい最近orz


が、やはり八田家だけでは散策に行かれるにはちょっと物足りないので、今回は石和温泉から徒歩圏内にある他の史跡もご紹介。

八田家と石和陣屋の他に石和本陣、北条夫人が武田勝頼に嫁ぐ際に道中で送られた「遺愛の松」があるホテル石風、武田信虎が躑躅ヶ崎に移る前の拠点・川田館等があります。

他にも歴史のある神社仏閣も多く、石和温泉駅周辺だけ散策しても訪問し甲斐があると思いますよ~(・ω< )b

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チェブ

道を挟んで葛山氏館。 (2019/03/30 訪問)

この日の最後の城攻め「葛山城」です。
足利将軍の奉公衆だった葛山さん。
最初は幕府の命令で今川家と行動してましたが、血縁関係やらなんやらで家臣になりました。
その後、武田氏に寝返ります。
ただ葛山 氏元さん、信玄さんに北条氏と内通していると疑われ処刑されます。
葛山 氏元さんの娘と信玄さんの6男坊を結婚させ葛山の名前を継がせました。
が、しかし武田家滅亡の運命を共にしました。
なるほど。
道沿いに「葛山城」の大きな案内板があります。
城攻めする前に「葛山氏館」におじゃましました。
木が生い茂っている所を進むと畑(?)になってました。
で、すぐにUターン。
暗くなりそうなので「葛山城」に向かおうと思ったら本降りの雨。
傘、持っていなかったので退陣しました。
新東名高速道路の乗り口がすぐにあります。分かってましたが渋滞です。
あ~あ2連発です!

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はっかまん

2018夏 (2018/08/17 訪問)

大阪~和歌山観光の際に城攻めしました

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カズサン

復元本丸御殿 外部 (2018/06/12 訪問)

 昨年6月12日三期工事完成竣工公開と成り出掛けました以前には第一期工事完成公開、第二期工事完成公開と都度都度探訪しましたが工事開始から約10年完全再建の御殿隅々まで探訪しました。
 素晴らしさに大感激です、天守閣の木造復元もスケージュールに成り天守閣取り壊しの足場が着々と進んで居りました再々来年末の完成が待ち遠しい事です。

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カズサン

復元本丸御殿、内部 (2018/06/12 訪問)

 昨年6月8日三期工事も終わり完成竣工公開と成りいそいそと12日在来線を使い家内と出掛けました、戦災で焼けた御殿が70周年ぶりに再建成り往時の素晴らしい出来立て新鮮な姿を見る事が出来大感激です、今後大切に保存管理を皆で守って行かなくては成りません、気に入った写真を投稿いたします。

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カズサン

佐々成政公築城 (2018/04/29 訪問)

 昨年の4月末福井城復元山里口御門探訪の後、南下し鯖江陣屋、鞍谷御所、万葉館、真柄館と廻った後、越前平定後織田信長公に10万石を佐々成政公、前田利家公、不破光治公3公で分け小丸城は佐々氏、府中城は前田氏、龍門寺城は不破氏と築城し柴田勝家公の与力大名として活躍。
 葉桜の小丸城でしたが本丸跡が残り周辺の堀、土塁が散見される、有名な石組登城口門もバッチリ見学。
 小丸城を終わって府中城、龍門寺城を探訪して北陸道で帰路へ

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カズサン

本物の越前勝山城 (2018/04/29 訪問)

 昨年の4月末福井城の復元成った山里口御門見学の前に観光用勝山城は探訪してるのですが本物の越前勝山城は探訪して無く立ち寄り市民会館の人に案内を頼み、戦後開発が進む前まで天守台の山は残って居り良く子供達で遊んだと聞きました、その後の開発に寄り天守台、曲輪も整地され市役所、市民会館、中央公園に成った様です。
 市民会館の前に城石碑が往時を偲ぶのみ。

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カズサン

村岡山城(ムロコヤマジョウ)一向一揆絡みの城 (2018/04/29 訪問)

 昨年の4月末福井城、勝山城に出向く前、勝山城の北側に在る独立峰、麓には恐竜博物館が有り本丸より博物館ドームが光に輝いる村岡山城に初登城、桜は終わり新緑若葉と朱色の山つつじが眩しいほど。
 織田氏と一向一揆衆との攻防が有り登り口に合戦の碑、慰霊の墓標が欝蒼とした森林の中に在り往時の激戦の激しさを彷彿させます。
 駐車場は寺尾集落寺尾ふれあい会館前の駐車場利用、その隣に登城口そのまま尾根つたいに登って行く約20分ほど、頂上曲輪群の南西下切岸下に通路が有りその上は十数条の縦畝堀、大縦堀の横を登って曲輪群へ。
 本曲輪群は堀に囲まれた本曲輪櫓台付き、本曲輪を囲むように3曲輪、2曲輪が繋がり櫓台4曲輪、虎口取り付け曲輪で構成、本曲輪西には堀切で5、6、7、8曲輪が繋がってる様子(この情報は余湖図コレクションさん、城郭放浪記さんに依ります)
 本曲輪、櫓台からの見晴らしは素晴らしく景観です、勝山市方面が見渡せます。
 城びとのサイト3000城には入ってない城跡ですが素晴らしい山城ですので投稿させて頂きます。

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としちゃん

ふるさと城 (2019/04/11 訪問)

台場の姿はあまりわからないけど景色は最高です。
保存修復が必要だと思います。
近くに公園がありトイレもあります。
北風が強く非常に寒かったです。

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カズサン

木造復元山里口御門完成 (2018/04/29 訪問)

 昨年の4月日帰りで3月末公開に成った福井城山里口御門を探訪に出掛けました、桜の満開時期が写真撮影のベストタイミングなのですが都合が付かなく4月末に成ってしまいました、東海北陸道白鳥IC経由九頭竜川渓谷沿いに大野盆地へ山手はまだまだ桜が咲き目には潤いを与えてくれますが右の左に蛇行した曲がりくねった道は緊張の連続、大野城、模擬勝山城を眺めながら福井へ。

 以前復元された廊下橋と山里口御門と一体に成って素晴らしい景観です、瓦は丸岡城と同じ石瓦、瓦と腰板が福井原産の笏谷石を用いてるとの事、福井城の特徴です。

 今後は天守閣小天守の復元が待たれます。その前に福井地震でずれて石垣の修復が先でしょうか?

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くろもり

薩摩義士 (2014/12/06 訪問)

以前、にのまるさんの仙台城の投稿に「鹿児島県人七士の墓」があり。それを見た時に「オレ、桑名の薩摩義士について触れとらんやん」と頭をはたかれた気分でした。

桑名駅から桑名城へ向かう八間通りの途中に法性山海蔵寺があり、ここに薩摩義士の墓があります。

初めて桑名を訪れた時に、薩摩は幕末の会桑同盟(会津藩と桑名藩)の敵藩であるのに、薩摩義士の墓が桑名にあるのは不思議だなと思ったのですが、それは私の知識が不足していただけで、木曽三川の大治水工事である「宝暦治水」で自害した薩摩藩士51名のうち24名の墓所でした。※詳しくは「宝暦治水事件」参照

境内には治水工事の責任をとって自害したとされる薩摩藩家老・平田靭負(ゆきえ)公の供養塔を中心に24の墓碑が建立されており、寺の中にも平田靭負公の木像があります。

また、桑名から少し離れますが、岐阜県海津市にある治水神社も薩摩義士を祀っており、平田靭負公が主祭神となっています。

城に関する投稿がほとんどなくて申し訳ないですが、城から歩いて行ける距離の桑名市博物館で桑名城の鬼瓦を見ることができます。

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朝田 辰兵衛

鬼,いればこそ… (2018/06/09 訪問)

この国の桃太郎伝説が成立しているんだな。

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安曇川平野の先端あたり (2019/04/07 訪問)

BUGTIさん投稿の写真に、舟木城出丸跡とあるのが気になりました。お寺のところは出丸跡なのですね。本城は村落の中に埋没。
舟木城があるのは、比良山系から流れ出た、安曇川と鴨川の扇状地と三角洲で作られた平野の先端近く。
堀跡の田んぼと曲輪跡の微高地の段差は良いですなぁ。

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にのまる

町割りはそのまま。 (2019/03/31 訪問)

安中文化センター前に「安中城本丸跡」の看板があったのであっさりゴールインしたつもりが、みなさまのご投稿を拝見すると城址碑もあるとのことで振り出しに戻る(>_<)
文化センターと図書館をうろうろしても見つけられなかったので、小学校に焦点を当てて裏道を通ると、探していなかった大手門跡がありました。個人のお宅のお庭のようでしたが、ここの抜け道は、“大手門に至るぞ!でもまっすぐには行かせないぞっ!”という雰囲気がありました。
しばらく行くと旧碓氷郡役所の年季の入った建物があったので見学させていただきました。その先には新島襄創立の日本基督教団安中教会。とても素敵な建物でした。
かなりの時間ぐるぐる回ってやっと城址碑を見つけました。見つけてみればいかにもありそうな場所でした(>_<)
そしてみなさまの投稿写真の城址碑が背景がわからないほど大きい理由も納得しました。
旧安中藩郡奉行役宅と武家長屋も見学しました。古民家巡りも長らくの趣味なので楽しかったです♪

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カルビン

【平成26年】こういうのもアリかと (2014/11/01 訪問)

お城巡りを始めた頃は神社仏閣巡りはしていなかった為、間違いなく一番お城に行った年がこの平成26年。
この日は石和温泉近辺にある史跡巡りをしに来ました。

連方屋敷はJR中央本線・東山梨駅から徒歩5分程で来れてしまいます。


その第一印象が・・・「な~んにも無いな~」でしたw
いえ、ちゃんと遺構はあるんです。妙に長い土塁と堀が。

敷地が広いのに加えて屋敷跡地中心部には木も無い為、尚更何も無い感が凄いんです。。。

平坦なゴルフコースの、コース毎に区分けの為の木が無く、バンカーや池が無い状態・・・って感じですね(土塁や堀を含む平坦地は芝等背の低い緑一色だったので尚更w)

但しそれが駄目なのではなく、むしろスッキリしていて大いにアリでしょう(`・ω・´)b


平城で建造物や木々を全て取っ払った状態を見たい方、是非連方屋敷跡に行ってみてください。
多分笑ってしまうでしょう(⌒∀⌒;)

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カズサン

豊臣秀吉公一泊した城 (2018/04/23 訪問)

 昨年の4月中旬3泊4日で越後路城巡りの流れで4日目会津から福島中通りへ大森城、丸森城、阿津賀志山防塁、義経腰掛の松、石母田城を廻った後帰路須賀川市の長沼城に立ち寄り、その後東北道東名で帰路へ。
 長沼小学校隣接北側に半島状の丘陵先端が城郭地、駐車場は小学校北、登城口に砂利地面で完備。
 桜も終わり黄色い山吹が城跡を覆っていた。
 桜の時期には城全体が桜に覆われ霞の如し、奥州仕置きの途上秀吉公が一泊したと伝わると言われてるとか。

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チェブ

いろんな城主。 (2019/03/30 訪問)

「長久保城」に行きました。
鎌倉時代は竹ノ下孫八左衛門さん。
室町時代は葛山氏。
その後、伊豆を奪取した北条氏。
北条氏と今川氏が敵対し和睦の条件が「長久保城」を放棄する。ってことで今川氏。
今川氏が衰退し、またまた北条氏。
武田 信玄さんにこの辺りを攻められ「長久保城」は武田氏。
武田氏が滅亡し駿河の徳川 家康さんの「長久保城」になりましたとさ。
秀吉さんは小田原征伐の時に「長久保城」に寄ったみたいなので立派なお城だったのではないのでしょうか。
いろいろ大変な「長久保城」ですが城山神社公園です。平和です。
土塁の高さを利用した滑り台もあります。説明板は狛犬君の後ろです。
お城跡は国道や商業施設で削られてますが、曲輪や土塁 残ってますよ。

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