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カルビン

御茶屋御殿 [千葉県千葉市若葉区御殿町] (2015/01/25 訪問)

個人的に公共交通機関で訪問する際の駅やバス停からの徒歩限界距離を1ヶ所につき2kmくらいまでにしている(歩く時間かかり過ぎると沢山回れない為w)のですが、珍しく最寄り駅から3kmちょい離れた場所にトライしたのが千葉県にある御茶屋御殿です。

御茶屋御殿は徳川家康が東金御殿に鷹狩に行く際に途中で休憩する為に造られた居館タイプのお城になります。

その行軍の為に船橋(御殿)から東金までの道造りを当時の佐倉藩藩主・土井利勝に命じて出来たのが御成街道なんだそうな。。。
(外様大名にお金を使わせる為にいろいろなお城の建造手伝いさせた家康も、流石に鷹狩の為の御殿や道は外様大名にはやらせられなかった模様w)

船橋御殿や東金御殿の方はその姿形は残っておりませんでした(船橋の方は跡地に解説版だけは有り、東金の方は跡地が高校になっていて一応高校の前に解説版はあったものの遺構は無く、代わりに裏山が東金城で、少し遺構が残っている)が、ここ御茶屋御殿に関しては上記にも示した様に主郭の広い平坦地の外周を堀・土塁で囲んだ遺構がしっかりと残っておりました。


城びとに登録されている近場のお城は遺構も解説も残っていないか、もしくはそのどちらかが欠けているところばかりなのに対してここ御茶屋御殿は両方揃っておりますので安心して訪問して下さいw

最寄り駅は千葉都市モノレール2号線の終点・千城台駅になりますが、ここから御茶屋御殿までは道が細い(歩道が無い)割にトラックがガンガン通る場所がかなりの距離あるので、くれぐれもご注意下さい。


ペットボトルのお茶持って行って、現地で飲めば。。。天下人気分を味わう事が出来る・・・カモ?www

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前ちゃん

6分コースで登ったが (2020/07/20 訪問)

復元城下町で一乗谷城のルートを聞き、八幡神社からのルートを選択。揚々と登り始めると、七曲り的なアコーディオンのように折れ曲がった道が永遠と続く。所要時間はきっちり60分だったが、疲れ具合に歳をかんじる

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火ノ島豊後守正宗

月山富田城 (2019/04/30 訪問)

正百名城34城目。
四国中国周遊記ラスト10城目。
本当に長かった。。。
松江城から車で1時間以上山中を走って到着しました。
尼子十勇士筆頭である山中鹿之助の銅像がありました。

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火ノ島豊後守正宗

松江城 (2019/04/30 訪問)

正百名城33城目。
四国中国周遊記9城目。
松江市内のドーミーイン松江で一泊して国宝松江城に登城しました。
このホテルでゆっくりと英気を養い体力を取り戻しました。

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火ノ島豊後守正宗

鳥取城 (2019/04/29 訪問)

正百名城32城目。
四国中国周遊記8城目。
津山城から2時間かけて鳥取城に到着しました。
今までほどではありませんが、やはり山城です。

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カニカニ

永年スルーしてきた山城 (2020/07/18 訪問)

梅雨の時期に山城を訪れる愚を、またしても冒してしまった。

道の駅三石は幾度となく利用し案内板で概要は知っていたが、縄張り図に触手は動かずスルーしていた。
なぜか、本当になぜか登城気分が突然に沸き起こり、予定外の行動に出てしまった。
斜面にそって左は崖、右は高い山肌の登城道に乗り込むと、とたんに額から汗がボタボタと。
薄暗い木立に囲まれ無風。  湿度100%(?)なのでは無理もないとあきらめるしかない。
なにより老眼の私には、足もとの木の根っこがヘビにみえて仕方がない。登城口で借りたツエで足もとを叩きながら歩くようでは、戦の最中なら頭上の城兵の攻撃で早々と討ち死にだろう。
左の自然地形の谷筋は竪堀の効果があるのかもと思いながら歩を進めると、唐突に柵が見えてきた。
おそらくは「直虎」ブーム(?)に誘われて訪れる観光客に分かりやすいように作られたものだろうが、直虎の幟旗が倒れていたのが少し痛ましい。
本丸から一段降りた腰曲輪的な三の丸と広めの二の丸へ。 そこには土塁の存在と下の集落に行ける道しるべが。
麓の案内板には土塁はないと書かれていた。ならば確認せねばと行こうとしたが、深い草が立ちはだかり断念。
本丸よりもやや高い出丸へ向かい 新東名へ の道しるべに誘われ進む。けもの道状態のシダをかき分け少し登ると新東名が眼下に広がった。風が吹きあがり流れる汗も飛ばしてくれて有り難かった。足元には金属製の立派な階段が設けられ降りることができる。
かなりの急階段ではあるがヘビのでる心配をしなくて済むので嬉しい。
新東名の橋脚の下をくぐり降りた先の護岸された小川は、当時は谷川であったわけで、こちら側の堀の役目をしていたのがわかる。
舗装路に沿って歩くと民家の裏庭に山へ登る道が見えた。
位置的に土塁があるという方向で、防御機能を備えるという事は、ここが本来の大手なのか?
地域一帯を見渡せる方向なので、少なくとも物見の役目をした曲輪があるのかも。

そんな想像(妄想?)をしつつ自宅で調べると、この一帯を領した鈴木氏は白倉城に構えていたが、より天険の地を求め柿本の山に依ったとある。  白倉城は地図上ではもっと山深く、柿本よりも天険の地と思われるが未登なのでわからない。
考えるに、この地の街道と集落を扼するのに、より有利な柿本に移ったのではないかと思うのだが・・・。

こんな想像を広げて遊ぶのも、また楽しいものである。

7/16投稿内容の 鵜の首の滝(?)の増水した当日の写真を載せておきます。




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火ノ島豊後守正宗

津山城 (2019/04/29 訪問)

正百名城31城目。
四国中国周遊記7城目。
備中松山城から車で1時間以上かけて到着しました。
ちょっと天候が悪かったんが残念でしたが、城壁は見事でした。

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カズサン

南部氏城廻りⅤ カラスに襲われる❕ (2015/05/26 訪問)

 平成27年5月南部氏城廻り第五弾、前日南部氏の三戸城九戸城根城八戸城と探訪し翌日はJRフルムーンパス利用の旅行で家内の希望地「奥入瀬渓流」「十和田湖」を観光し新緑の奥入瀬渓流、十和田湖を充分満喫し午前中と昼食を奥入瀬、十和田湖で済ませ時間も若干有ったので十和田市、三沢方面を目指し七戸城神社前の駐車場に登り車を停める。
 駐車場の有る神社前に案内板が有り、台状の本丸曲輪をぐるっと探訪、七戸城紹介写真に在る水堀、復元門を見学探訪したいと本丸曲輪奥辺りを土塁、崖の切岸をうろうろ、下部分を望んだりしてると急にカラスの襲撃、家内の声で襲撃をかわしまだしつこく狙ってる様なので車の所へ避難、ひなの子育て中だったのでしょうか? それでもまだ狙ってそうなので水堀、復元門を諦め宿泊先の八戸市へ帰る。
 奥入瀬渓流の写真も投稿して置きます。

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火ノ島豊後守正宗

備中松山城 (2019/04/29 訪問)

正百名城30城目。
四国中国周遊記6城目。
天空の城と言われている山城です。
ただ、この日は雨天でしたので山頂からの風景を撮れなかったのが残念です。

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中川藤兵衛尉

細井戸城 (2020/07/19 訪問)

地元の細井戸氏のお城。今は中学校で、グラウンドが堀跡と伝わりますが、はてさて

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中川藤兵衛尉

鈴山城 (2020/07/19 訪問)

南北朝期に築城されたと推定されているものの、詳細が全く分かっていないお城。それに反して、遺構は雄弁です。堀、土塁、櫓台、色々と遺っています

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火ノ島豊後守正宗

鬼ノ城 (2019/04/28 訪問)

正百名城29城目。
四国中国周遊記5城目。
岡山城から車で2時間程度で鬼ノ城に到着。
山道を車で登っていたら管理人の方にとめられて無料バスを紹介されました。
バスで10分程度で鬼ノ城前に到着。
中々に謎につつまれた面白い山城でした。

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火ノ島豊後守正宗

岡山城 (2019/04/28 訪問)

正百名城28城目。
四国中国周遊記4城目。
丸亀城から車で1時間以上かけて岡山城に到着しました。
別名を「烏城」。
烏の如き漆黒が見事でした。
城下には、日本三大名園の一つ【後楽園】があります。

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火ノ島豊後守正宗

丸亀城 (2019/04/28 訪問)

正百名城27城目。
四国中国周遊記3城目。
朝一に高松を後にして金毘羅宮を見学した後に丸亀城にやってきました。
午前中から坂道2連続で大変に疲れました。

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火ノ島豊後守正宗

高松城 (2019/04/27 訪問)

正百名城26城目。
四国中国周遊記2城目。
徳島城から車で2時間以上かけて高松城にやってきました。
高松駅のすぐ近くにありますのでアクセスはし易く、すぐに分かるでしょう。
また近隣には栗林公園という名勝もあります。

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中川藤兵衛尉

狐井城 (2020/07/19 訪問)

古墳を利用したお城。岡氏の配下が城砦化したそうです

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中川藤兵衛尉

窪之庄城 (2020/07/19 訪問)

地元の窪城氏のお城。本郭である東郭・西郭およびそれを規定する堀切が確りと保存されています。東西郭は同一規格の方形区画で、本家と分家の窪城西家とが同格だったことを暗示しています

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火ノ島豊後守正宗

徳島城 (2019/04/27 訪問)

正百名城25城目。
四国中国周遊記1城目。
徳島市内の徳島城にやってきました。
蜂須賀小六正勝の息子である蜂須賀家正の居城です。

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中川藤兵衛尉

山村館 (2020/07/19 訪問)

古市氏麾下の山村氏のお宅。堀が良好に残っています

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中川藤兵衛尉

今市城 (2020/07/19 訪問)

地元の今市氏のお城です。南堀は後世に拡張され、大きな池と化しました

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