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にのまる

国史跡 飛山城史跡公園ガイドツアー (2019/03/09 訪問)

「きよはら飛山祭」の真っ最中で、地元の中学生が甲冑を纏って城内を練り歩く武者行列や、烽家(とぶひや)で狼煙を上げる様子など楽しませていただきました。

飛山城は発掘調査により、古くは旧石器時代の落とし穴まで見つかったそうで、中世城郭遺構としては六つの堀が確認されたとのこと。5号堀は秀吉の破却命令でも手抜き(?)をしたか何かで当時の様子をとどめており、他の堀とは雰囲気も違っていました。
ほぼ復元とは言え、箱堀、薬研堀、障子堀など忠実に再現されており、他にも桝形虎口や手斧で削られた塀重門、横矢掛け仕様の櫓台などお城の成分が盛りだくさんで、たいへん勉強になりました。6号堀の勾配はたたき土居規格の45度ですが、土塁登りが体験できるところは40度でロープもありました。(人目を気にして登らず…)

二重の空堀が巡らされているのは東と南で、北と西は鬼怒川が天然の要塞となっています。本丸は元々北側にせり出していたけれど徐々に崖が削られて、現在の姿になったのだそうです。
その本丸真下の鬼怒川河川敷では「うつのみや花火大会」が毎年8月第2土曜日に行われ、高台の飛山城からもよく見えるのだそうです。

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中川藤兵衛尉

【平成二九年】三木城 (2017/05/28 訪問)

 三木城で行われるイベントに参加する為に前日に現地入りして、城址で野宿したこと。これが一番の思い出。麓のコンビニで新聞を二部購入して、身体に巻き付けて東屋で一晩を過ごした。その夜明けに見た朝焼けは、一生忘れられないと思う

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atsufumi

初登城 (2019/03/15 訪問)

トートバッグもらえました。

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atsufumi

初登城 (2019/03/01 訪問)

トートバッグもらえました。

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チェブ

本日はもったいない看板びと。 (2019/03/09 訪問)

埼玉県の金子 大成氏の居館「大成館」に行きました。
現在、普門院というお寺です。
遺構はありません。
私が行った日は河津桜が咲いていて、桜>遺構探しになっていました。すいません。

帰って来て大成館、普門院を調べていたら小栗一族のお墓があるようです。
江戸末期の幕臣、小栗 上野介の首塚と言われている石がある??と書いてありました。
小栗 上野介のお墓は群馬県の高崎市にあったはずです。
見れば納得できたのに、??のままです。
ちなみに「大成館」の金子 大成氏のお墓もあるそうです。
意外な出会いがあったのに見逃してしまった事を反省しますっ!

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江尻のJ

これもお城、大宰府 (2019/03/09 訪問)

お城を投稿して気づきました。知らないうちに行っていました。タクシーの運転手さんに、ここまで来たら寄っていきましょうと言われ寄りました。

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江尻のJ

朝早くから訪問 (2019/03/09 訪問)

ホテルを8時30分に出て、水城には8時50分ごろつきました。道路のわきにこんな遺跡があるとは気づきにくいものです。周りを見ていると少し前ですが会館を開けていただき、中に入ることができました、スタンプを押しビデオ見て近くの大宰府跡を見て大野城に向かいました。

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江尻のJ

上には登れず (2019/03/09 訪問)

石垣の一部でも見ようとタクシーで上りましたが通行止めで行けませんでした。麓の大宰府展示館でスタンプをもらいました。

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江尻のJ

とにかく広かった、福岡城 (2019/03/09 訪問)

ちょっと上の天守台を見ようと、坂を上って行ったら、目の前にサッカーコートがありました、はるか先の天守台に行くのはあきらめました。下には野球場、陸上競技場があったみたいなのに、何この広さ。移動はタクシー

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朝田 辰兵衛

積雪の形跡がなかったです。 (2019/03/15 訪問)

登城口は,藤戸神社鳥居から。鳥居をくぐって直登もよし。右回りで“学びの山道”を進むもよし。藤戸神社で合流したら,向かって右に“学びの山道”が延長して続いています。そして,西側の遺構を散策しながら本丸を目指します。
標高:165m,比高:150m。
なお,登城口から東側に居館跡があります。現在は墓地ですが,しっかり土塁跡と認識できます。

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江尻のJ

登らなかった (2019/03/08 訪問)

山城は苦手なのでスタンプだけの訪問だった。タクシーで移動

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Ka-z

【平成31年】戊辰戦争シリーズ (2019/01/13 訪問)

戊辰戦争をメインに縁ある史跡を巡っています。
白河小峰城も3.11で石垣の一部が崩れ落ちるなど被害を受けていましたが、修復も進みつつあり4月より禁止区域の再通行となり、多くの観光客が足を運ぶのが期待されます。

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江尻のJ

お城の原型、吉野ケ里 (2019/03/08 訪問)

広さに驚きました、集落はお城の作りになっていました。周りを堀で囲い、土手を築き、入り口は狭くかぎ型に曲がっていました。四隅に当たるところには、見張りの塔(櫓)が立っていました。移動はタクシーでした。

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江尻のJ

佐賀城 (2019/03/08 訪問)

天守台からの眺めが良かったです。移動はタクシーでした

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カルビン

【平成28年】何も無さ過ぎ (2016/06/11 訪問)

春日山城は既に1度訪問してましたが、春日山神社の御朱印を授与頂きたくこの年に再訪致しました。
直江津駅からバスで訪問したのですが、その際最寄りのバス停の目の前にある上越市埋没文化財センターに立ち寄って、御館と福島城の情報を入手。

この日の予定通り春日山城→林泉寺→水族博物館と進み、そこから時間に余裕があったので、情報を得ていた事もあってその足で御館と福島城にも向かいました。

水族博物館から御館へは歩いて行ったのですが、周辺には特に案内版とかは無かったので、事前に地図を御準備されます様に。
(直江津駅からは1km離れていないので、駅から歩いても全然行けると思います・・・今は案内もあるかも?)


御館跡地の公園に到着しましたが、はっきり言って何も残っておりません。
あるのは石碑と解説版だけです(勿論知ってて訪問しましたが)

歴史的観点からもっと何か増えているのでは?と抱いていた薄い期待もあっさり裏切られました(汗)

なのであくまでも春日山城のバーター的な訪問が良いと思いますのでご注意を。

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江尻のJ

見事な石垣の久留米城 (2019/03/08 訪問)

立派な石垣を見て、かぎ型の坂道を奥へと進むと鳥居の奥に社が見えた。左側には井戸があった。少し小ぶりのお城だった。移動はタクシーでした

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江尻のJ

1泊2日の九州、佐賀・福岡城めぐり (2019/03/08 訪問)

久しぶりの城廻でした。妻が長い時間歩くと疲れるので、しばらく城廻ができませんでした。なるべく歩かない様タクシーを使い城廻ができるよう、計画を立てて実行しました。現地のタクシーに連絡を取り、周りたいコースを告げ予約を取りました。行きたいところがすべて廻れて満足のできた旅でした。

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todo94

続日本100名城スタンプ99個目② (2019/03/09 訪問)

続日本100名城としては、同じ大内氏遺跡である大内氏館より高嶺城の方をメインとしたい気持ちです。見応えのある石垣は毛利氏時代のものなので、大内氏遺跡という観点からは必要ないのかもしれませんが。2008年に訪れた時より案内表示が充実していましたし、樹木も多少、伐採されたようで主郭からの眺望が良くなっていて、整備が進められている感じを受けました。スタンプ置き場の山口市歴史民俗資料館で縄張図付のリーフレットを頂けます。

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小城小次郎

引田城

浮き沈みの激しい武将・仙石秀久も籠ったお城は生駒親正が讃岐高松に移った後も存続していたようで、慶長期には山上に石垣が累々と連なる堅城だったらしい。

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再訪▪城廻りvol.6 高松城 (1982.7.30訪問、2019.1.5再訪) (1982/07/30 訪問)

四国最大の天守のあった、高松城へ行ってきました。
高松城は日本三大海城といわれ、当時、北側は瀬戸内海に面しており、城そのものが軍港としての機能も有していました。
現在では埋め立てられ海岸線は少し離れてしまいましたが、水門によって海とつながっており、堀には海水が引かれています。

城の周囲は中堀、外堀などは埋め立てられ、開発され市街地化していますが、中堀の一部や内堀とその内部の石垣は当時のまま残されており、玉藻公園として市民の憩いの場になっています。

37年前、訪れたときには、天守台には、明治35年に建てられた初代藩主松平頼重を祀った玉藻廟が鎮座していました。

ここ高松城は、天守の古写真が残っており、昭和の時代から我が町にも天守を!と過去2回復元運動もありましたがどれも失敗。

平成8年には高松城跡保存整備基本計画が策定され、平成23年には追加修正されて、往時の海城を再現する計画が少しずつ現在も進行中です。
この基本計画によると、古写真の残っている北西隅に海に面してあった鹿櫓と多聞櫓の復元、現在移築現存している艮櫓の元の位置への再移築。今艮櫓が建っている位置にあった太鼓櫓の復元。戦災焼失した桜御門の復元、大手前地区の中堀の復元などが計画されています。もちろん天守の復元はこの計画のメイン事業です。

平成21年に発足した「高松城の復元を進める市民の会」の積極的な活動により、10万人の署名を添えて文化庁に提出するなど、再度天守再建に向けて動き出しています。

余談ですが、天守などの歴史的建造物の復元には二種類あって、名古屋城天守や高松城天守が目指しているのが復元といわれるものです。これは外観などが古写真などで正確にわかり、内部に関しても図面や写真によって構造が解るものでないと文化庁からの建設許可は出ません。
もうひとつは復元的整備といわれているものがあります。これは外観などが古写真や、絵図である程度わかっているのですが、内部構造などが詳細にわかっていない建造物が対象になっています。しかし、この復元的整備は基準となるものがなく、あやふやなものとなっています。
全国で古写真や絵図の残っている天守や、櫓、門などのほとんどがこれにあたります。
天守でいうと名古屋城▪岡山城▪広島城▪大垣城の4つの天守しか文化庁のいう復元の許可はおりないというのが現状です。

しかし、前述の市民の会の活動がきっかけになって、文化庁ではこの復元的整備の新たな基準を決めようと去年の秋から有識者と共に協議を開始しています。
ここ高松城天守のように天守や櫓、門など復元にあと一歩なんだけど、なかなか復元できないという全国に散らばるお城に、新たな復元的整備の基準が一つの光となることを祈るばかりです。


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