個人的に関東でイチオシの城、北条氏照の滝山城です。
南(甲州街道)向きの郭はどれも巨大で土塁も高く、広い馬出しを備えています。
そこから張り出す両翼の尾根には狙撃の曲輪が配されて、攻め込んだ敵は全滅しかねない、とても危険な“攻め”の城です。
また、外郭から本丸までの郭の重ね方は、捨て曲輪を作らず、後退~逆襲が最小被害で円滑に行える様に配置されています。
北条流築城術の粋を見る様な完成された見事な縄張りですね。
小田原城で買った、北条氏の発給文書を記した本によると、永禄12年(1569)に武田信玄に攻められて落城寸前まで追い込まれた氏照は、その冬から滝山城の大改造に掛かった事が判ります。
相手が信玄だろうと謙信だろうと、“もう二度と負けない城”がコンセプトだったのか、完成したのはとんでもない巨大な城でした。
これでひと安心…の氏照でしたが、仮想敵が信長、秀吉に替わると、予想される侵攻兵力は10万単位に膨れ上がります。
北条氏として決定した対抗策は、主力を小田原城に集めての籠城戦法で、大堀切(惣構え)の築造が始まります。
残念ながら万余の守備兵を集められない滝山城では、迎え撃つ機会は有りませんでした。
これに伴って氏照に課せられたのは、甲州街道の閉鎖・迎撃=少人数でも守れる山城:八王子城の築城であり、武田氏滅亡と同時に開始されていますね。
北条氏の中では北部方面の軍団長として房総、常陸、下野で戦った氏照。
彼の歩いた跡には、その場の勢力地図に似つかわしくないミステリアスな巨城が遺っています。
茨城の牛久城や木原城、栃木の西方城などがそうですが、99%氏照の遺産と見て良いと思います(^^;
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