詳細は不明ながら、興福寺大乗院方で筒井氏と縁戚関係のあった立野氏が戦国期に築いたと考えられ、戦国後期には松永久秀の信貴山城の支城となったようです。
城山台第2児童公園とその隣の墓地あたり一帯に複数の曲輪を構えた作りで、発掘調査では土塁や横堀、馬出なども確認されましたが、宅地造成により遺構は消滅しています。墓地からは大和川を眼下に見下ろし、大和国と河内国を結ぶ要衝を抑える立地であることがよくわかります。
児童公園から南東に徒歩10分の観音寺には立野城の宝篋印塔があるらしいので訪れてみましたが、この日は門が閉ざされていて、見学することはできませんでした。事前に確認したほうが良いかもしれません。
【しりとり業務連絡】
「高安城」「下志明城」ともに攻略済みです。レポートはまた後日になりますが、これで「秋」と「明」に繋げられますね。
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