「麒麟がくる」京都大河ドラマ館へ行く前に訪問しました。
宗教法人に敷地内に城跡があります。総合受付で御城印を購入しました。
9月30日までは城跡の見学は中止していますが、少し散策しました。
丹波亀山城は織田信長の命を受けた明智光秀によって、丹波統治の拠点として築かれた城です。「本能寺の変」の際に、光秀が出陣したのもこの城でした。山陰道の入口にあたる要衝であるため、豊臣秀吉や徳川家康にも重要拠点として活用されました。家康は譜代大名である岡部長盛を入封させ、さらに天下普請により西国大名に命じ近世城郭として修築させています。このときには築城の名手と謳われる藤堂高虎が縄張りを担当しました。現在、遺構はほとんど残っていません。天守台の石垣も積み直されたものです。唯一、城門(新御殿門)が千代川小学校に移築されています。なお伊勢の亀山と紛らわしいので、明治になってからこの土地の地名を亀岡と改めることになり、城の名前も亀岡城とされました。この判断には1868年(慶応4年)の戊辰戦争で伊勢亀山藩は新政府側につき、丹波亀山藩は幕府側についたため、敗れた丹波のほうが改名させられることになったそうです。
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