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昌官忠

東北遠征 (2020/07/02 訪問)

①園城寺門(39.389247、141.121929)の道路を挟んだ駐車場に駐車し攻城後、②時鐘(39.388249、141.117437)のある花巻市役所に駐車し攻城。最後に③武徳殿(39.390360、141.120564)に行きました。三ヶ所も巡ったのに、本丸西側の西御門(復元)を見落としているし、二の丸の土塁は見たのに写真を撮り忘れている等、ミスの多い攻城になりました。事前調査は大切です。攻城時間は30分位でした。

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昌官忠

東北遠征 (2020/07/02 訪問)

横堀入口スペース(39.3307830、141.1382223)に駐車し攻城。見所は堀切、城塁、眺望です。特に1郭と2郭間の堀切は綺麗に残っています。攻城時間は25分位でした。

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カズサン

遺跡公園として発掘復元整備されてます (2020/08/01 訪問)

 紫電改公開日前日の播磨城廻り5城目、小野陣屋を終えて熱中症に成りそうな梅雨明け好天、昼食は麓のコンビニで食べ物飲み物を仕入車中食ソーシャルデスタンスを心掛けマスクに携帯アルコール消毒、小野陣屋からは北西に4、5km程県道23号線から「夢の森公園」を目指す。
 金鑵城には7年前に国宝浄土寺、広渡廃寺見学の後丘陵上に物見櫓が見えるので立ち寄り初登城、今回は堀井城、小堀城、河合城探訪前に近いので久振りに寄りました。
 夢の森公園には駐車場(2か所)、トイレ完備、駐車場からは西の郭(ここには弥生竪穴住居平面復元)、西の郭と主郭間の大堀切圧巻です、木橋を渡り主郭へ虎口は冠木門、左右に土塁、柵列が構える、主郭周囲は東と南東を除いて土塁と柵列で囲まれてる、南東は出隅で横矢掛けか?、主郭内には建物跡が平面表示、イメージ井戸跡、東屋、主郭内の弥生遺跡は埋め戻され土中保存か?東に長い土橋を渡り櫓台跡昇れませんが木製物見櫓が復元されてます。
 加古川の西丘陵先端に位置し見晴らしは素晴らしく圧巻です、これから行く堀井城、小堀城、河合城を探しますが良く分かりませんが一望できたのでしょう!

 歴史的には小野陣屋好古館で頂いた金鑵城パンフレットによると弥生遺跡と中世城館の複合遺跡、室町時代に守護赤松氏の有力な家臣、中村氏の築城、城内に深い井戸が有りその水を「かねのつるべ」で汲み上げていたことから「金鑵城」という城名に成ったとの事、しかしその深い井戸は発見されていませんが?

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小六

小倉城 (2020/02/08 訪問)

実際には破風のない地味な天守だったのに、観光用に姫路城ばりの派手な破風を付けてしまった復興天守。
でも調べてみると、建設から既に60年経ってるんですね。やがては大阪城のように、これはこれで良いんじゃないか、ってことで文化財に指定されたりしていくのかもしれませんね。

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小城小次郎

心の別城一郭

主郭から見ると鳥越城が実に絶妙な距離感で並び立っている。あっちが頑張ってるならこっちも頑張ろうと思いたくなるような両城の関係は、心の別城一郭とでも言えばよいのだろうか。

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カルビン

森下陣屋 [東京都青梅市森下町556] (2018/01/02 訪問)

森下陣屋はちょっと前にupしました大久保長安が八王子に代官所として陣屋を構えたのと平行して甲斐への入口に設けたもう一つの陣屋になります。

JR線青梅駅から県道28号線(途中から国道411号線)を東に真っ直ぐ行くと、枡形になっている道の突当りの熊野神社が森下陣屋跡になっております。

遺構は残っておりませんが、上記の様に道が枡形になっているので場所は解りやすいです。
神社のところに解説版も残ってますので、行って完全空振りにはならずに済みます。

2014年にも訪問していたのですが、その時はざっと見ですませておりましたが、青梅七福神参拝を兼ねて一昨年の年始に再訪して改めて確認しました。


青梅駅の1つ先・宮ノ平駅が最寄りのお城で楯(館)の城があります(直接お城を示すものは無いが、大きな堀・土塁が確認出来るのと、近くにある明白院というお寺の山門が楯の城の移築城門(明白院の解説にその事が書かれている)。

青梅線は青梅駅から先の奥多摩駅まで駅間が短いので、森下陣屋から半駅の距離の楯の城も徒歩でセット訪問可能なので是非。


・・・期せずして東京端っこ陣屋コラボ記事になりました(笑)

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「羽村陣屋」 (2020/08/02 訪問)

小学校の社会科見学で来たはずなのに、まったく記憶になかった「羽村陣屋」。
小学校の時は自転車で「羽村陣屋」前にある多摩川に遊びに来ていたにもかかわらず、到着しても思い出せません。
と言うことで、一から調べます。
江戸幕府が江戸の皆さんの飲料水確保に玉川上水を完成させました。
水の取り締まりをする為の「羽村陣屋」です。
ちなみに、開削の指揮をしたのが庄右衛門・清右衛門の玉川兄弟です。
近くの日野、福生が失敗。3度目の正直で、頑張った兄弟です。←うっすら覚えています。
「羽村陣屋」は水道局取水所の敷地内にありました。
写真③は水道局がお休みで門が閉まっていたので外からパチッ。
左手に説明板がある入口があります。
当時の陣屋門ですが、3月に茅葺き屋根がリニューアルしてきれいです。
小ぢんまりと「玉川水神社」もあります。
奥多摩街道沿いにあり、駐車場も近くにあります。
全体の写真は奥多摩街道を渡って写した方が良いかもしれません。
ただ奥多摩街道、トラックがビュンビュン通り、歩道も超狭いので気をつけ下さい。
その奥多摩街道を渡ると「羽村の堰」があります。
そちらの公園には玉川兄弟の像があります。

東京の端っこ、コロナが終息したら いかがでしょうか?

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カズサン

一柳直末の流れを汲む陣屋 (2020/08/01 訪問)

 播磨城廻り4城目、加古川市の志方城から北東方向約18km、小野市の小野陣屋磐代神社にナビを合わせ走行し神社、小学校、好古館前に到着好古館駐車場を利用。
 遺跡らしい物は無く、小野小学校の陣屋風校門の少し南に「一柳家陣屋遺跡」の石碑と下に城下絵図と説明文、その通りを挟んだ東に一柳直末公を祀った磐代神社、由緒書版に小野陣屋の記載も有り。
 磐代神社、好古館の東は段丘崖に成って居り絵図に由ると往時は池などで陣屋を防備してる様子、小学校は陣屋跡武家屋敷跡の様です。
 一柳直末公は秀吉の信任厚く小田原征伐山中城攻防戦で唯一秀吉方で討死した武将です、秀吉も訃報に接し三日も食べ物を口にしなかったとか?家督は弟の直盛が継ぎ、次子直家が遺領の内2万8千石を継ぐが養子直次届前に直家没し内播磨の1万石相続を許され小野に陣屋を築いた。
 
 当日好古館にはこれから訪ねる堀井城の企画展も開催中で小野陣屋常設展も合わせ見学し資料も頂く、小野市には国宝の浄土寺阿弥陀三尊像、広渡廃寺跡も有名で小野市城郭廻りには併せて廻られる事お勧めです、私は7年前に金鑵城と合わせ訪ねました。

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カズサン

黒田官兵衛奥方の実家 (2020/08/01 訪問)

 今回紫電改実体模型見学前日の播磨城廻り淡河城、高木大塚城に次いで地道西方約20km程3城目、黒田官兵衛の奥方の出身城郭志方城を目指す、志方小学校の西側の道を少し南下し二の丸会館の駐車場を利用。 志方城観音寺の南西に参拝者駐車場有。

 志方城は黒田官兵衛の奥方光(テル)の実家として大河ドラマでも放映され有名です、藤原氏の流れを汲む櫛橋氏の築城、時は秀吉播磨侵攻、三木城の別所氏反旗に官兵衛の説得空しく櫛橋氏は別所氏に呼応し敵対し秀吉に降伏、後に櫛橋一族は黒田氏の家臣となった、観音寺は志方城主の墓碑を守るため本丸跡に建立され現在に至る。

 二の丸会館駐車場から少し東へ寺の大屋根を目指して観音寺南西裏入口側(ここに案内解説板あり)に参拝者駐車場、城域(寺域)は地域住宅街より数段高く丘上に成って居り、南の正面山門に案内板と標柱、石段が山門前と山門後の二構成、現観音寺が本丸跡、裏に墓所、その奥北に志方小学校、西に二の丸会館辺りが二の丸跡か? この辺りが周辺の田圃より数段高く成って居り城域の広さを彷彿させるが市街化で遺跡等は見当たらない。

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街道おじさん

岩国城登城 (2020/07/30 訪問)

高松城、小倉城とともに南蛮造りの天守を持つ城として有名。
朝岩国駅前からいわくにバスで錦帯橋まで行き、ロープウェイで
上がる。
天気が良く、白い天守が青い空に映え美しい。
また天守から見た錦帯橋も見事であった。

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昌官忠

東北遠征 (2020/07/02 訪問)

館山史跡公園駐車場(39.197019、141.183981)に駐車して攻城。見所は堀切、堀、土塁といった所です。攻城した時は紫陽花が綺麗に咲いていました。攻城時間は30分位でした。

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昌官忠

東北遠征 (2020/07/02 訪問)

城址入口(39.191151、141.113765)から入り駐車して攻城。広い平面の場所です。攻城した時は発掘作業してました。攻城時間は15分位でした。

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昌官忠

東北遠征 (2020/07/02 訪問)

調査センター(39.176425、141.135852)に駐車して攻城。見所は外郭外溝、築地塀、南大路といったところです。攻城時間は20分位でした。

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昌官忠

東北遠征 (2020/07/02 訪問)

①墓付近の登城口(38.748137、140.955125)から登城しようとしましたが、付近が工事中の為、駐車できず、②案内板付近の登城口(38.7505603、140.9538931)から山の方向に車で侵入しましたが、途中から道は狭く悪路の為、軽以外はお薦めしません。実に素晴らしい城址ですが、駆け足で巡った為、投稿できる写真がありません。また、攻城時間も参考にならないので、記載しません。
時間のある方は城びとには未登録ですが、近所に真坂館(駐車は入口付近(38.7482920、140.9530820))もありますので、そちらも巡ってみてください。15分もあれば攻城できます。

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dougen

2017.11.4登城 (2017/11/04 訪問)

油川城から国道280号を北上し、津軽線の後潟駅付近から新幹線高架の方へ進み、効果を潜った先に後潟山があり、尻八館跡となります。

一般的な登城口である調整池を目指したつもりが、後潟川の水門とところにまで来てしまい。

近くで林業関係の作業をしていた人に登城口を聞いたところ、軽トラで登城口まで親切に案内してくれました。後で調べると搦手口の登城口だった様です。

ただし、調整池ではない登城口で、案内板はあったので、登って行くと尾根伝いの道であまり登城道としては整備されていないため、一般的な調整池からの登城がオススメです。

城址は整備されており、郭の木々は伐採されていて、眺望も開けています。

また、堀切や竪堀の遺構が確認できます。

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朝田 辰兵衛

地獄の呪縛から解放されたくて… (2020/07/26 訪問)

地獄のミッションを終えたことで,思いっきり開放感に浸りたくなりましたが,天気予報が大当たりでイイ雨が降り出しました。関城をあきらめて小倉山城をチョイスしました。長良川鉄道 梅山駅から徒歩約20分。
展望台からの眺望を自分へのご褒美としました。展望台内には腰掛けるところがなく,隣接の図書館へ。次の電車まで待ち時間が長く,図書館で新聞や本を読み,時間調整をしました。

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小城小次郎

これが本当に一向一揆の城なのか

立地といい、構造といい、石垣の見せ方といい、一向一揆の城としておくにはもったいない。このもったいなさはどこからくるのだろう。最終形が一向一揆の城でないとすればこの疑問は解決するのだが、見た目では判断できないし。

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街道おじさん

萩城登城 (2020/07/29 訪問)

毛利氏が、関ケ原後巨大城郭の広島城を追い出され、長州萩に
押し込められて築いた城。幕末山口に藩庁を移すまで二百数十年間
毛利氏の居城となった城で、石垣、天守台、雁木いずれも素晴らしい。
ここで幕末の志士達が尊皇攘夷か佐幕か激論を戦わせた。
歴史のロマンを感じることが出来る場である。

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ぴーかる

島原城 (2020/07/24 訪問)

【百名城53城目】
<駐車場他>本丸駐車場360円
<交通手段>車

<見所>石垣・堀・再建天守
<感想>2泊3日スタンプ取得九州初上陸の旅2日目4城目。スタンプ取得前の8年ぶり2度目の訪城。今回は押印と御城印購入、前回見てない箇所もくまなく散策と内堀外周をまわって写真撮影をした。天守内の展示物の充実度は良く、マリア像・キリシタン灯篭・禁制の高札・甲冑・その他諸々見応えある。時間の関係で今回は前回のを思い出しつつ流し見をしたが、じっくり見ると結構かかります。
 前回隅々まで見てなかったが、今回は本丸下段にあるキリシタン墓碑や本丸北側虎口の鏡石も発見できた。撮影スポットの本丸南側の屏風折れの石垣を撮るために堀を1周徒歩で回ったが、石垣に取り付いた雑草の多いこと。また本丸の松の植栽も多くてあまりいい写真が撮れなかった。白漆喰壁もカビでもはや黒壁になっていた。ちょっと整備が必要と感じた。
 水堀となっているが、水堀となっているのは現在南西部の一部蓮があるところ辺りで、堀底に降りれる場所があり、本丸の一部と二の丸の石垣を堀底からじっくり堪能できます。
 天守入場券の代わりにポストカードがもらえます。それで再建櫓の西望記念館に入れます。西の櫓は10円です。また天守5層目に島原城登閣記念の城内4ヶ所回るスタンプラリーが設置しています。4ヶ所目の本丸売店でゆるキャラ「しまばらん」のシールがもらえます。

<満足度>★★☆☆☆
<グルメ>湊新地町にある海鮮「とっとっと食堂」は島原藩の米蔵2つのうち1つ潰していいとこ取りし改装したお店。外観は板張り、内部は真壁造り、梁の木材が良く趣があります。海鮮丼はボリューム満点でおいしい、おすすめです。

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カズサン

秀吉三木合戦付城土塁が良く残存 (2020/08/01 訪問)

 播磨淡河城を終えて県道38号線20号線経由して直線約15kmを西進、三木城下に入ると以前登城した三木城、観光案内所が目に入り懐かしさを覚えます、ナビに従って朝日ヶ丘団地の山上に登って行く、ナビを公民館辺りにしてましたの辺りをぐるっと回り路肩の方に尋ね、市営朝日ヶ丘南団地高層アパートの直ぐ北、バス停奥に高木大塚城跡の立派な案内看板が設置され案内図が透明ボックスに入ってます。
 車を停めるエリアが無いので団地内駐車場の余白エリアに臨時駐車。
 情報とガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図に依りますが案内看板に置いて有りました案内図によると、国指定史跡三木城跡及び付城跡・土塁「高木大塚城跡案内図」とあり中心の古墳を利用し櫓台とし四方を十字に土塁で囲ってるのが良く残ってます、団地造成で一部破損してますが南東方向に高木大塚土塁跡も残り、今回は行きませんでしたがその他の付城が大塚城の周辺に在り(這田村法界寺山の上付城跡、朝日ヶ丘土塁、高木大山付城跡シクノ谷峯構付城跡、明石道峯構付城跡)案内図の裏側にウォーキングコースとして記載されてます。
 三木城に対する大きな包囲網が感じさせられます。

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