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エグ1394

広島城 (2013/08/30 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
広島城は毛利輝元によって築かれた城です。聚楽第を手本にしたといわれ、築城の際には黒田官兵衛がサポートしたそうです。完成当初は当時の大坂城に匹敵する規模の城だったといわれており、大坂城や岡山城らとともに初期近世城郭の代表的な城として知られています。戦争で倒壊した天守は1958年(昭和33年)の「広島復興大博覧会」開催にあわせて再建されました。二の丸の平櫓・多聞櫓・太鼓櫓および表御門も1989年(平成元年)から行われた改修の際に再建されており、内部を見学することができます。水堀越しに見る天守の美しさは格別です。

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郡上八幡城 (2013/07/07 訪問)

夫婦の日帰り旅行で行ってきました。
郡上八幡城は遠藤氏や青山氏の居城として知られています。一時的に稲葉貞通が城主を務めたこともあります。1933年(昭和8年)に再建された模擬天守は日本最古の木造再建天守です。小規模な城ながら、城下から眺める天守の姿や、天守から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しく、司馬遼太郎は「日本で最も美しい山城」と評しています。また、山内一豊の妻である千代が初代城主・遠藤盛数の長女であることから、山麓には山内一豊と妻千代の像があります。

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小牧山城 (2013/05/06 訪問)

夫婦で散歩してきました。
小牧山城は織田信長によって、美濃攻略の本拠地として築かれた城です。信長がはじめて築いた城でもあります。その後、信長は稲葉山城を陥落し、岐阜城と改めて移住したため、小牧山城は約4年間で廃城となりましたが、のちに豊臣秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」では、家康がこの地に本陣を置いたとされます。江戸時代には家康ゆかりの地として尾張徳川家が保護し、入山が禁止されたこともあり、山中の堀や土塁などがきれいな状態で残っており、日本の城郭史上、貴重な資料となっています。また近年の発掘調査によれば、石垣を用いた本格的な城であった可能性が指摘されています。現在は山頂に天守を模した小牧市歴史館がありますが、これは名古屋市在住の実業家が寄贈したもので、内部は資料館になっています。

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富山城 (2012/08/31 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
富山城は佐々成政の居城として知られています。江戸時代には富山藩の藩庁として前田利次が入城し、城の修復を行ったそうです。大分県の岡城とともに、滝廉太郎の「荒城の月」の着想の元になった城のひとつといわれています。現在は富山城址公園として整備されており、模擬天守(富山市郷土博物館)が建てられています。

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金沢城 (2012/08/30 訪問)

夫婦の一泊旅行で行ってきました。
金沢城は前田利家の居城として知られ、江戸時代には加賀藩前田家14代の居城として利用されました。かつてこの地には加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊」がありました。金沢城は「石垣の博物館」と呼ばれるほどさまざまな時代の石垣を見ることができます。なかでも重要文化財の石川門は左右で積み方が異なるという変わったつくりになっているので必見です。重要文化財としてはほかにも三十間長屋が遺構として残っています。現在は金沢城公園として整備されており、五十間長屋や河北門などが復元されました。また隣接する兼六園は、徳川家康と前田利家の曾孫にあたる前田綱紀がつくらせた日本を代表する大名庭園です。

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墨俣城 (2012/07/16 訪問)

夫婦で行ってきました。
墨俣城は織田信長が美濃攻略のために、その前線基地として木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)に築かせた城と伝えられています。いわゆる「墨俣一夜城」として秀吉の立身出世の象徴として紹介されることが多い城ですが、不明な点が多く、その存在を否定する意見も多いです。現在、墨俣城があったとされる場所は公園として整備されており、模擬天守(墨俣一夜城歴史資料館)が建てられています。犀川越しに見る天守の姿は大変美しく、春には満開の桜に囲まれた天守を見ることができます。

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岩村城 (2012/05/04 訪問)

夫婦で行ってきました。
岩村城は日本三大山城のひとつに数えられる城で、その本丸はもっとも高い海抜717mに位置していました。織田信長の叔母にあたり、絶世の美女だったと伝わる「おつやの方」が女城主として守っていたことでも知られます。岩村城は織田氏と武田氏との境界にある城であったため、たびたび戦火に巻き込まれた城でもあります。遺構の保存状態は良く、現在も石垣や井戸を見ることができます。1990年(平成2年)に表御門や太鼓櫓が復元されました。

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伊賀上野城 (2012/03/29 訪問)

夫婦で行ってきました。
伊賀上野城は筒井定次によって築かれた城で、のちに築城の名手と謳われる藤堂高虎が大規模に改修しました。高虎は徳川家康の命により、豊臣氏を包囲する城として伊賀上野城を拡張しましたが、「大坂の役」によって豊臣氏が滅んだため工事は中止されました。現在は模擬天守が木造で再建されており、藤堂高虎の黒漆塗の兜などが展示されています。また、高さ29.7mと日本有数の高さを誇る内堀の高石垣が特徴です。

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トマトマト

やっと (2018/04/20 訪問)

100城、県内制覇です(;^_^A

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トマトマト

久しぶりの城巡り (2018/04/20 訪問)

天気よかったです😀

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大野城 (2011/12/10 訪問)

仕事の途中で寄ってみました。模擬天守は展望台でした。
尾張大野城は浅井長政と信長の妹・市の三女である江の最初の夫である佐治一成の居城として知られています。しかし一成は羽柴秀吉と敵対して追放されたため、その後は信長の弟である織田長益に与えられます。長益は大野城の水利の悪さから、すぐ真向かいに大草城を築城して移ったため、大野城は廃城となりました。現在、城址の一部が城山公園として整備されており、天守を模した展望台が建てられています。また、櫓台跡に城主であった佐治氏を祀った佐治神社があります。

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旭城 (2011/10/23 訪問)

夫婦でお城巡りしてきました。模擬天守はレストランと展望台です。
新居城は水野氏の居城として、水野雅楽頭宗国によって築かれた城だと考えられています。遺構は土塁がわずかに残るのみですが、現在は城山公園として整備されており、模擬天守「旭城」が建てられています。また、名鉄瀬戸線・尾張旭駅前にはこの地を開拓した水野良春の銅像があります。

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岩崎城 (2011/10/23 訪問)

夫婦でお城巡りしてきました。
岩崎城は丹羽氏清にはじまる丹羽氏の居城として知られています。羽柴秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」における「長久手の戦い」の緒戦となった戦いである「岩崎城の戦い」の舞台としても有名です。本丸跡には古墳の遺構も残しており、現在は岩崎城址公園として整備され、模擬天守が建てられています。また併設する岩崎城歴史記念館には岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されています。

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藤橋城 (2011/10/16 訪問)

夫婦で行ってきました。お城はプラネタリュウムになっています。
星のふる里ふじはしのシンボルである藤橋城。1、2階がプラネタリウム、2階の回廊には天文展示、3階は藤橋の文化歴史を展示しており、すぐそばに歴史民俗資料館や、藤橋城広場もある。

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松本城 (2011/10/10 訪問)

夫婦で一泊旅行で行ってきました。
松本城は日本でも有数の美しさを誇る城です。現存12天守であり、国宝5城のひとつでもあります。もともとは武田氏の城で深志城と呼ばれていました。天守を築き城下を発展させたのは豊臣秀吉の家臣である石川数正の時代です。松本城は季節ごとにさまざまな表情を見せますが、なかでも雪景色に染まった天守の姿は見事です。また、珍しい連結複合式天守の城でもあります。ちなみに「烏城(からすじょう)」と呼ばれることもありますが、文献上この呼名が使われたことはないとのことです。

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政次推

スタンプ見逃しそうに (2018/04/21 訪問)

駐車場が、混んでいたのでなぜ?と思ったら、皆さんの目当ては有名パティシエのお店でした
城の入り口に杖があったので、ここも井伊谷ばりの山城か⁈と杖をつきつき、登って行きましたが、さほどではなく。小田原城、樹木がなければ丸見えですね。

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安土城 (2011/08/21 訪問)

夫婦で行ってきました。頂上まで登るのに大変でした。
長篠・設楽原の戦いに勝利した織田信長は1576年(天正4)琵琶湖湖畔の標高約199mの安土山に、天下統一の拠点としての城、安土城を築き始めた。安土城は中心部の城壁をすべて石垣とし、五重の天守を建て、本丸内に豪華な御殿を建て並べており、後の近世城郭の先駆となった最新鋭の城郭であった。本能寺の変後、誰もいない安土城は放火により天守と本丸が焼失し、現在は天守台や主要な曲輪の石垣を残すのみに。

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エグ1394

浜松城 (2011/07/23 訪問)

夫婦で行ってきました。
浜松城は徳川家康の居城として知られ、家康は29歳から45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。武田信玄と戦った「三方ヶ原の戦い」は信玄がこの城を無視したことがきっかけになっています。また江戸時代には歴代城主の多くが幕府の重役に出世したことから「出世城」と呼ばれています。現在は浜松城公園として整備されており、野趣あふれる野面積みの石垣を見ることができます。また、石垣の中からハート型の石を探すのがちょっとしたブームになっています。1958年(昭和33年)に再建された復興天守には家康が19歳のときに着用したといわれる金陀美具足が展示されており、最上階からは北に三方ヶ原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖、晴れた日には東に富士山を臨むことができます。さらに2014年(平成26年)には天守門が復元整備されました。

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政次推

城スタンプはギリギリ無料エリア (2018/04/21 訪問)

開かれた市民の公園といった趣。甲冑を着た武者?と記念写真が撮れるとか手裏剣体験できるとか、イベント盛りだくさん。

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吉田城 (2011/04/30 訪問)

夫婦で行ってきました。
吉田城(よしだじょう)は、三河国渥美郡今橋(現在の愛知県豊橋市今橋町、豊橋公園内)にあった日本の城。
戦国時代の16世紀初頭にその前身が築城され、16世紀末に大改築が行われた。戦国時代には三河支配の重要拠点の1つとして機能し、江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。別の城名としては、築城当初に今橋城と呼ばれ、明治維新後には、吉田から豊橋の改名に伴い豊橋城とも呼ばれた。

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